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トルコとEUの離反

2012年1月4日   田中 宇

 昨年12月22日、フランス議会下院が、第一次世界大戦の前後(特に1915年)にトルコで起きたとされる「アルメニア人虐殺」の歴史的事実性を否定する者に懲役刑を科す新法を可決した。問題となっている「虐殺」は、大戦でオスマントルコ帝国が崩壊に向かう混乱の中、トルコ当局がトルコ領内に住む150万人のアルメニア人を組織的に虐殺したと、大戦の戦勝国として正史を編む権限を得た英国など欧米諸国や、大戦後トルコから独立してソ連の一部になったアルメニアが主張している件だ。 (Turkey warns France over genocide bill

 オスマントルコの継承国家であるトルコ共和国の政府は、当時アルメニア人が多数死んだのは事実だが、それはオスマン当局が組織的にやったものでなく、帝国崩壊期の混乱の中でコミュニティ間で殺し合いが発生した結果であり、トルコ人も多数死んでいるとして「虐殺」を強く否定している。トルコでは「虐殺」を認めて公言する作家ら著名人に罰金刑が科されている。 (Turkish-French ties to be more harmed once "genocide " bill passed in French senate

 アルメニア人虐殺は、南京大虐殺やホロコーストと同様、大戦の戦勝国が敗戦国を「極悪」に仕立てるため、正史決定権を乱用して誇張を行ったった可能性がある。誇張でないかと指摘する者たちに悪いレッテルを貼って後世の議論を封じるのも、南京などと同様の仕掛けだ。 (ホロコーストをめぐる戦い) (近現代の終わりとトルコの転換

 アルメニア人「虐殺」をめぐる同様の法案は06年や昨年3月にも提案されたが、議会上院で否決されている。今回の再提起に対し、フランスの内外から「言論の自由を迫害するものだ」「フランス革命の精神に反する」といった反対意見が出ている。フランスは仏領から独立直前のアルジェリアで虐殺をやったし、ルワンダの虐殺も黙認した。アルメニアは92年にナゴルノカラバフでアゼリ人を虐殺し、その後ずっとアゼルバイジャン領であるべきナゴルノカラバフを占領し続けている。仏政府は、これらの虐殺を看過する半面、トルコのアルメニア人虐殺だけを言論統制している。これは現在のトルコを敵視する意図だと、トルコ人の多くが思っている。 ('French Parliament's decision contradicts European values'

 フランスでは、ユーロ危機で金融主導の経済危機がひどくなっている。経済難になるほど、仏国内の世論は右傾化・反移民・反イスラムの傾向を強める。極右ルペン家の政党である国民戦線は、ユーロからの離脱を訴え、支持率を上げている。今年5月に大統領選挙があり、サルコジ大統領は再選を目指している。サルコジは再選への戦略として、右傾化する国内世論に迎合するため、イスラム教徒のトルコを敵視するアルメニア人虐殺法案を出してきたのだろうと指摘されている。フランスには50万人のアルメニア系国民がおり、彼らに対する選挙戦略なのだという人もいる。 ('Deep wounds open in Franco-Turk ties'

 フランスはすでに、ホロコースト否定論者に対して刑事罰を与える法律を持っている。アルメニア人虐殺やホロコーストといった「戦争犯罪」は、二度の大戦の勝者になった英国が主導して史実として確定したが、英国や米国は、これらの「戦争犯罪」を否定する者たちに刑事罰を与える法律を作らず「言論の自由」を侵害しない巧妙な行政手腕を持っている。だが、フランスはそうでない。おしゃれにうるさいフランスも、プロパガンダ戦略の面で粗野だ。 (France and Turkey face off

 仏政界でも、この法案を疑問視する人が多い。サルコジが選挙のためにこの法案を使うのはやむを得ないが自分は賛成したくないという多数の議員が棄権して議場に来ず、577人の下院議員のうちサルコジ自身ら50人しか出席しない中、挙手で評決が行われ、賛成44、反対6で法案が可決された。今後、2月までに上院で評決が行われる予定だが、大統領が署名して法律にするかどうかは、大統領選挙の後、新大統領が決めることになる。まだ今回の法案の法律化が決まったわけではない。 (Turkey suspends all ties with France over passed Armenian genocide bill

▼トルコと協調すべき時期なのに

 仏独が主導するEUは、トルコを加盟させる気がない。近年、EU諸国の政界でイスラム敵視のキリスト教政党や右派、ナショナリストが強くなり、トルコを冷遇する傾向が強まっている。トルコは05年にEU加盟申請したが、同時に加盟申請したクロアチアが来年の加盟を内定しているのに対し、トルコは加盟に必要な35の交渉項目のうち、まだ1項目しかEUの既加盟諸国との間で合意が締結できていない。既加盟国のギリシャやキプロスが、トルコを強く敵視し、ことあるごとに拒否権を発動して阻止している。ギリシャやキプロスは小国であり、独仏が影響力を行使すればトルコ敵視をやめる。トルコがEUに加盟できないのは、独仏が入れたくないからである。 (Another lost year in Turkey-EU relations

 今年は7−12月にキプロスが輪番制のEU大統領に就く。キプロスは北半分がトルコ傘下の「北キプロス」、南半分がギリシャ系のキプロス共和国に分断され、北キプロスはトルコ以外の国に国家承認されていないが、キプロス共和国はEUに加盟し、トルコを敵視し続けている。トルコは、キプロスがEU大統領に就く半年間、EUと国交を断絶することを表明している。トルコのEU加盟の交渉は一昨年から停滞しているが、今年も停滞が続くことがほぼ確実だ。 (A formidable outlook looms ahead for Turkey's EU2 policy

 トルコ政府はEU加盟を希望する姿勢を続けているものの、EUに入れなくてもかまわないと考える傾向を強めている。世論調査によると、04年にはトルコ人の73%がEU加盟を良いことと考えていたが、10年にはその比率が38%に下がった。欧州がユーロ危機で経済破綻に瀕している時に、トルコは中東などの発展途上諸国との貿易を拡大し、年率8%以上の経済成長率を維持している。特に、昨年の1−9月のトルコの経済成長は、中国を抜いて世界一だった。世界の経済成長は、EUなど先進国主導から、新興市場諸国・発展途上諸国の主導に転換しつつある。現状の経済状況を見る限り、トルコがEUに加盟する利得は減っている。 (For Turkey, Lure of Tie to Europe Is Fading

 トルコにとってEUに加盟することは、政治的に、中東の国であることの放棄を意味していた。だが今や、トルコは政治的に中東地域での影響力を急拡大している。EUに加盟するより、中東の大国として存続していった方が良い状態になっている。この傾向は、昨年からの「アラブの春」によって大きく加速した。チュニジアやモロッコなど、民主化したアラブ諸国の中に、従来からの世俗政治体制と、新たなイスラム主義の台頭を両立させるため、トルコの与党AKP(公正発展党)が採っている比較的寛容なイスラム主義政治の体制を採用する国が増えたからだ。トルコは、シリアやイラクに対しても影響力を拡大している。

 今後の中東は、トルコが提唱する穏健なイスラム主義、エジプトのムスリム同胞団が提唱するアラブ統合の方向を持ったイスラム主義、カタールやサウジアラビアが提唱するワッハーブ派の厳格なイスラム主義、イランが提唱するシーア派のイスラム主義といった、いくつものイスラム主義が合従連衡しつつ、全体として米欧の支配下から脱却していく方向になりそうだ。国家的にはトルコ、エジプト、イラン、サウジアラビアという4つの有力国が、競争と協調をバランスさせつつ、今後の中東情勢を決めていくだろう。

 半面、フランスやイタリアが目指してきた、北アフリカや地中海東海岸をEUの影響圏として取り込む「地中海連合」の枠組みは、アラブの春によって弱まった。アラブの春は、EUが望んでいたリベラル勢力の伸張にならず、イスラム主義勢力の台頭につながっているからだ。世界のイスラム諸国の集まりであるイスラム諸国会議(OIC)は、今回のフランスのアルメニア人虐殺法案を非難している。トルコやアゼルバイジャンというイスラム諸国と対立するアルメニアに偏った姿勢だからだ。フランスは、イスラム世界全体を敵に回すことになり、不利である。

 中東は、オスマントルコの崩壊から100年近く、欧米の支配下にあった。今、アラブの春の進展とともに、100年ぶりに欧米支配を脱却し、自決できる独自の勢力になろうとしている。欧米の影響力は、中東で低下していく傾向で、特に米国の影響力が急落している。そのような時期なので、本来ならEUは、中東の4大国の中で最も世俗性があるトルコと協調し、中東での影響力を残した方が良い。レバノンやシリア、アルジェリアなどを、自国の影響圏として意識しているフランスは、特にそうだ。

 それなのにフランスが今回採った方策は、それと正反対だ。サルコジは、大統領選挙で有利になるために、アルメニア人虐殺法案やEU加盟遅延でトルコを怒らせ、EUから離反させている。トルコの気持ちがEUから離れていく時期をわざわざ選んだかのように、トルコをEUから遠ざけて中東の方に押しやる法案を出してくる。トルコは今後、中東からフランスの影響力を排除しようとするだろう。サルコジがやっていることは、中東が欧米から自立して世界の極になる方向だ。

 19世紀初頭にナポレオンが負けて以来、フランスの政治は英国(英米)が操っている部分がある。英米中心主義に貢献する方向だけでなく、多極主義(反英)的な方向にもフランスは動く。たとえば、米国が英国から独立した百周年をお祝いするという反英的な象徴物として、1886年にフランスから米国(ニューヨーク資本家群)に「自由の女神」を贈呈した件などがそうだ。

 サルコジ自身は、手段を選ばず再選を目指しているだけかもしれないが、サルコジの戦略を決める人々の中に、隠れ多極主義者がいるのかもしれない。欧米エリートの集まりであるビルダーバーグ会議も、EU統合を推進する一方で、米国からネオコンが多数参加し、中東の人々の怒りを扇動して欧米を追い出すことを扇動する戦略をやっている。



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