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リビア反乱のゆくえ

2011年2月22日   田中 宇

 エジプトとチュニジアに挟まれたリビアに、両国の政権転覆革命が波及している。リビアで進行中の事態は一見、エジプトやチュニジアと同質に見える。エジプトもチュニジアも20−30年の独裁政権だが、リビアもカダフィによる42年間の独裁政権だ。人口が急増して若年層が国民の大半を占めるのも共通点だし、最近の世界的な食料高騰や、若年層の失業に対する不満が国民の間に高まっていたのも同じだ。

 すでにリビア第2の都市ベンガジは、市民ら反政府勢力が軍を追い出し、政府を敵視して自治を開始している。ムバラク失脚前のエジプトと同様、軍内で反政府側に転向する勢力が拡大している。ベンガジの反政府デモを空爆しろと命じられて飛び立った空軍の爆撃機のうち2機が、同胞を殺すことはできないと亡命し、隣国マルタの空港に緊急着陸した。閣僚や外交官の中からも、辞任して反政府勢力を支持する者が出てきた。もはや独裁者カダフィの辞任が間近な感じも受ける。 (Growing Army Defections Reported in Libya

 しかしリビアの状況は、いくつかの重要な点で、エジプトやチュニジアと大きく異なっている。その一つは、エジプトやチュニジアが統一国家として無理のない状況で、政権が転覆されても国家が分裂する恐れがなかったのに対し、リビアはいまだに、首都トリポリを中心とする西部地域(トリポリタニア)と、第2の都市ベンガジを中心とする東部地域(キレナイカ)の間に対立が強く、それを無理矢理に統合してきた独裁者カダフィが辞めたら、東西の対立が決定的になり、リビア国家が二分されて内戦になる可能性がある。

 16世紀から20世紀初頭までリビアを統治したオスマントルコの時代の前半はトリポリだけが大きな都市で、ベンガジは小さな町にすぎなかったが、1910年代にイタリアが攻めてくるころにはベンガジも発展しており、イタリアはトリポリ(トリポリタニア)とベンガジ(キレナイカ)を別々の自治州として植民地支配した(1934年にリビアとして統合した)。第二次大戦後、英仏の分割統治を経た後、リビアが独立したとき、ベンガジ(キレナイカ)の首長だったイドリスが国王になった。 (Cyrenaica From Wikipedia

 1959年にリビア東部で油田の採掘が始まり、リビアは急に豊かな国になったが、石油収入の多くはイドリス国王の王室に入ったため、西部地域(トリポリタニア)や南部地域(フェザン)の諸部族が不満を持ち、69年にクーデターで王政を倒した軍部のカダフィは、西部の主要部族であるワルファラ族の支持を取り付けて権力を握った。それ以来、カダフィは首都機能をベンガジからトリポリに完全に移し、石油で得た国家収入の多くを西部の開発に投入し、東部地域を冷遇した。

 東部の人々は何度も反政府運動を起こしたが、カダフィ政権に鎮圧された。90年代になると東部のベンガジでイスラム主義の学生運動が起こり、東部と国境を接しているエジプトのムスリム同胞団などにも支援され、反政府運動を展開した。この運動は96年にカダフィ暗殺を企てて失敗し、カダフィはベンガジに軍を投入し、イスラム主義運動を徹底弾圧し、多くを投獄した。1年後、彼らはトリポリの監獄で反乱を起こし、カダフィは監獄を空爆して多くを殺し、鎮圧した。 (Gadhafi Battles to Hang On

 この時の死者の遺族は、その後ずっとベンガジで抗議運動を続け、今年2月15日にも抗議行動が行われ、当局がそれを弾圧したことから、エジプト革命が本格的にリビアに飛び火した。カダフィはベンガジに空軍戦闘機を派遣して空爆した。東部の主要部族であるズワヤ族は、欧米に対しカダフィ政権を制裁するよう呼びかけ、欧米が呼びかけに応じない場合、東部の精油所からの石油の積み出しを阻止すると表明した。 (Libyan tribe threatens to cut Oil exports soon

 最大部族であるワルファラ族の代表も、カダフィに対する支持をやめると発表しており、カダフィはかなり追い込まれている。東部のイスラム主義勢力を支援してきたエジプトのムスリム同胞団は「カダフィを殺せ」という宣言(ファトワ)を発表している。 (Egyptian cleric: Kill Gaddafi

▼リビアは部族社会

 リビアがエジプトやチュニジアと異なるもう一つの点は、軍が独自の勢力になっていないことだ。カダフィは1969年のクーデターで権力を握って以来、自分を追い落とす可能性が最も強い勢力として軍を警戒し、軍の司令官たちを定期的に入れ替えて、部下に広範に支持されて自分に反逆しうる将軍を作らないようにして、軍を掌握してきた。リビアでは、軍部がカダフィを失脚させる可能性はほとんどない。

 リビアは、1910−40年代に植民地の宗主国だったイタリアが近代的な治安維持機構を作ったが、イタリアは第二次大戦で敗北し、戦後のリビアは英仏に暫定統治された後、51年に王政で独立し、69年にカダフィが権力者になった。リビアの権力機構はイタリアの敗戦でいったん解体されており、軍は安定的な力の基盤を持っていなかった。

 対照的に、エジプトは英国、チュニジアはフランスという、第二次大戦の戦勝国の植民地で、両国の軍隊や治安維持機構を作った英仏は、比較的安定した状況下で両国の独立を認め、両国の軍部は、国家体制を安定的に維持するための黒幕的な地位を現在まで途切れることなく維持している。フランスは、ベン・アリ大統領の失脚の直前まで、チュニジアから頼まれ、軍部に治安維持の技能を伝授していた。エジプトの軍部は、英国の覇権の後継者である米国から軍事支援を受け続けてきた。こうした歴史的な違いがあるので、カダフィはリビアの軍部を勝手にいじることができたが、エジプトのムバラクもチュニジアのベン・アリも、軍人出身の独裁者でありながら、軍部を完全に凌駕できず、最後は軍の司令官たちに反逆されて失脚した。 (Tunisia's revolution

 リビアが、チュニジアやエジプトと異なる3つ目の点は、チュニジアとエジプトには、労働組合やリベラル派、野党的な勢力が存在していたが、リビアにはこれらが全くないことだ。英国は比較的安定的にエジプトを支配したが、リビアではイタリアの植民地支配に対するリビア人の抵抗が強く、この抵抗戦争によってリビアの全国民の2−5割もの人々が、主に強制収容所の劣悪な環境の中で死んでいる。このような状態なので、リビアでは欧風の中産階級や労組、リベラル派などが育ちにくく、カダフィも69年に権力をとって以来、労組や野党の存在を全く許さなかった。 (Libya From Wikipedia

 カダフィにとって最大の脅威は、古くからある諸部族の反乱だった。リビアは今も100以上の部族からなる部族社会で、あらゆる人がどれかの部族に属し、部族はリビア人にとって社会的な唯一最大の枠組みになっている。リビアにはワルファラ(Warfalla)、ズワヤ(Zuwiyya)、メカルハ(Meqarha)、カダファ(Gadafa)という4つの大きな部族がある。ワルファラが最大勢力で、カダフィは4つの中で最も小さなカダファ族の出身だった。 (Residents take over rule of Benghazi

 カダフィは政権掌握以来、主要な部族長を各地の知事に任命するなど他部族を懐柔したり、東部地域の貧困を放置して弾圧したりして、何とかリビアを統治してきた。カダフィは、行政面で他部族にある程度の譲歩をしたが、軍や治安維持機構の幹部にはカダファ族を任命し、他部族に対する警戒を怠らなかった。

 カダフィが独自の社会主義や「直接民主制」を標榜し、リビア社会の大改造を目指したのは、伝統的な部族社会を壊し、自分を中心とする全く新しい社会体制を作ろうとしたからだったが、それはあまり成功しなかった。冷戦の終結で社会主義を標榜する意味もなくなった後の1993年、カダフィはそれまでの部族社会を消滅する試みをやめて、逆に部族社会の枠組みを認め、各部族に対して認める自治の権限を拡大するとともに、各部族の代表からなる全国評議会を作り、新たな統治機構として機能させようとした。 (Experts expect more chaos in Libya, whatever Gadhafi's fate

 今後、カダフィが失脚して独裁が崩壊した場合、この部族評議会が代わりの権力機構となり、そこで石油利権の分配など重要事項について、各部族間の談合が成立するなら、リビアはカダフィが失脚しても国家の統合が保たれ、比較的安定したまま、次の政権体制に移行することができる。カダフィ失脚後のリビアは、リベラル民主主義の国にならず、アフガニスタン的な、部族間の談合で成り立つ国になる。

▼数日内にカダフィ失脚がなければ内戦化も

 その一方で、カダフィが今後すぐに失脚せず、トリポリはカダフィ支持、ベンガジはカダフィ敵視でかたまり、リビアの東西が対立して長い内戦に入る可能性もある。カダフィの息子がテレビ演説して「このままだと内戦になる」と言ったのは、このことだ。 (Gaddafi son warns of danger of civil war

 ここに、ムバラクやベン・アリとカダフィが異なるもう一つの点がある。ムバラクやベン・アリは米国に支持されており、米政府が反政府運動が高まる中で「民主化」を重視した態度をとった後、後ろ盾を失って短期間で失脚したが、カダフィは長く米国に敵視されてきたため、いまさら米国に非難されても失うものが少ない。

 親米の政権は、米国の支持が失われたら崩壊するが、反米の政権には、米国に敵視されている自国の政権を支持する国民の心情がある。これはリビアだけでなく、イランやシリアにもいえることだ。米国の在野の分析者は「リビアやイラン、シリアは米国に敵視されてきただけに、エジプトやチュニジアのようにすぐに政権が転覆されることはない」と予測している。 (The difference between Egypt and Iran

 リビア国内、特にトリポリ周辺の国民の間では、まだカダフィを支持する意志が強い。リビア情勢を伝える欧米のマスコミや当局筋は、今にもカダフィが失脚しそうだと指摘するが、それらの指摘の中には、以前から「カダフィは、もうすぐ民衆の怒りで潰される(といいな)」と考える傾向がある。トリポリの人々は、カダフィが失脚したら、自分たちが享受してきた石油収入をベンガジに戻さねばならないので、意外とカダフィに対する支持が強いとも考えられる。

 カダフィ政権によって厳しい報道が敷かれているリビアの現状を伝える情報が少ない中で、今にもカダフィが失脚しそうな情報が先行しているが、実際のところ、今後どれだけカダフィ政権が持つかを見極めるのは難しい。早ければ数日内に政権崩壊となるだろうが、このまま東西分裂の内戦に陥る可能性もある。カダフィが辞めても、その後で部族間の談合が成立しなければ内戦もしくはそれに似た不安定な状態になる。部族間の談合が成立しても、親米の国にならず、すでに東部で強まっているイスラム主義の政治勢力が全国的に強まり、自分の権力を維持できるなら欧米との和解をいとわなかったカダフィよりも欧米にとって悪い政権ができる可能性も大きい。



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