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ロシアと東欧の歴史紛争

2010年6月11日   田中 宇

 ロシアのプーチン首相とメドベージェフ大統領が、スターリンを批判する姿勢を強めている。プーチンは、6月10日からのフランス訪問を前に仏マスコミのインタビューに応じ、その中で「ロシア社会は成熟したので、もはや1930年代、40年代、50年代の個人崇拝の惨事を繰り返すことはあり得ない」と表明した。「個人崇拝の惨事」とは、スターリンが1953年に死ぬまで続いた独裁体制によって、ソ連でひどい人権侵害や言論弾圧、経済の失敗などが続いたことを指している。 (Putin says cult of personality cannot happen in Russia again

 プーチンは4月7日には、ロシア西部のスモレンスク郊外で行われた「カチンの森虐殺事件」の70周年記念式典に参加し、そこでもスターリン批判を行った。ロシア首脳がカチンの森の虐殺現場を訪れたのは、これが初めてだった。カチンの森虐殺事件は、1939年9月にドイツがポーランドに侵攻して第二次大戦が始まり、その2週間後にドイツと秘密協定を結んでいたソ連がポーランドの東半分を併合した時、ソ連はポーランドの国力を削ぐため、2万人以上のポーランド人の将校、技術者、弁護士、教授などをソ連に拉致してスモレンスクなどの収容所に入れ、翌年4月にスモレンスクの近くのカチンの森で、彼らを皆殺しにした事件だ。 (Katyn massacre From Wikipedia

 事件を受けてロンドンのポーランド亡命政府はソ連と断交したが、事件の翌年にソ連は米英に誘われて寝返り、対独宣戦したため、ソ連は「カチンの森の殺害はドイツがやったものだ」と言い、米英も参戦してくれたソ連に気を使ってカチンの森事件を黙殺した(カチンの森事件を以前から問題にしてきたブレジンスキーは最近、この米英の偽善性を指摘している)。戦後、米ソ冷戦が始まるに及んで、米英はカチンの森事件でソ連を非難し始めた。ソ連はドイツ犯人説を貫いたが、冷戦終結直後の90年に、ゴルバチョフ書記長が、カチンの森事件はソ連軍が殺したことを認めた。 (Katyn Massacre Conference Held

 4月7日、ポーランドのタスク首相も招待してカチンの森虐殺の70周年を記念する式典に出席したプーチンは、記念碑の前でひざまづき、犠牲者に対する祈りを捧げた。プーチンはこの日行った演説の中で、ソ連を「非人道的な全体主義」と形容し「この犯罪行為(カチンの森虐殺)は、決して正当化できるものではない」と述べた。 (Putin Gesture Heralds New Era in Russian-Polish Relations

 ポーランド人の多くは、ソ連の後継国であるロシアの首相であるプーチンがカチンの森虐殺について謝罪すべきだと考えたが、プーチンはそうした立場をとらず、カチンの森ではポーランド人だけでなくソ連国民も殺されたことを指摘し、当時のソ連の上層部の責任としてスターリンを非難した。プーチンは以前、ソ連が崩壊してロシアが強国でなくなったことを残念がる姿勢をとっていただけに、ソ連を非人道的な全体主義と批判したことは、大きな転換だった。スターリン的な独裁者と揶揄されることが多いプーチンが、スターリンを批判したことを意外さをもって受けとめる向きもあった。 (Putin pays tribute to Stalin's Katyn dead

 5月9日には、モスクワで例年行われる対独戦勝記念日の軍事パレードが行われたが、今年は初めての試みとして、ポーランドや米英仏といった連合諸国の軍隊が招待され、モスクワの赤の広場をパレードした。これに先立つ5月8日には、メドベージェフ大統領が、スターリンらがカチンの森殺害をどのように実行したかについてロシア当局が1990年代から調べ続けてきた調査結果の67巻にもおよぶ報告書を、ポーランド側に手渡した。そこには、カチンの森での虐殺が、スターリン側近で粛清・虐殺担当だったベリヤが立案し、スターリンが認可して実施されたものであることを示す当時の機密文書も入っていた。この日、新聞のインタビューを受けたメドベージェフは「スターリンは自国民に対してもひどい犯罪をおかした」と発言した。 (Russia Has Trouble Escaping the Past

 ポーランド側は以前、カチンの森事件をソ連全体の犯罪と非難してきたが、最近ではスターリンやベリヤといった当時のソ連首脳が独裁的に決定したことで、しかもスターリンもベリヤもロシア人ではない(2人ともグルジア人)ので、ソ連崩壊で生まれ変わったロシアの現国家や現政権には責任がないという態度をとる傾向が出てきている。そこに合わせるように、ロシア側でプーチン首相やメドベージェフ大統領が、カチンの森事件をスターリンの犯罪と位置づけで批判する態度をとった。その結果、ロシアとポーランドは政府間で歩み寄り、ポーランド軍がモスクワでの戦勝記念パレードに参加する流れとなった。

▼歴史歪曲と戦うロシアの不器用さ

 とはいえ、ソ連やスターリンをめぐる歴史の問題をめぐる最近の展開に、関係国のすべての人が納得しているわけではない。ロシアでは戦勝記念日の前に、カチンの森虐殺を題材にした映画が初めて国営テレビで放映された。これはロシア政府が国民を啓蒙しているとポーランドに思わせる効果を狙ったものかもしれないが、ポーランド側で「ロシアで放映したのは、見る人が少ない文化専門チャンネルだった」と揶揄する声が出た。 (Putin Gesture Heralds New Era in Russian-Polish Relations

 プーチンはソ連時代、スターリンやベリヤ以来の伝統を受け継ぐ諜報機関KGBで働いていただけに、スターリン批判に抑制がかかっているが、もっと若いメドベージェフは、歯に衣を着せぬスターリン批判をすることで知られている。だがメドベージェフがスターリンを批判したのは、ウェブ上の録画映像や新聞インタビューであり、公開された生中継の場ではなく、この点で腰が引けているという指摘もある。 (Stalin Controversies Abound in Victory Day Run-Up

 ウクライナや米国の右派の間では、1932−33年にスターリンの政策の失敗の結果として起きた大飢饉について、スターリンが反ソ傾向のあるウクライナ人を大量に殺すために意図的に飢饉を起こしたもので、これは虐殺(Holodomor)だという考え方が広がっている。ロシア側は、こうした考え方を否定し、同時期にはウクライナ以外のソ連各地で飢饉が起きたと指摘している。 (Russia sets up commission to prevent falsification of history

 従来の公式な世界史では、ソ連は米英に協力してドイツや日本と戦い、対独戦で多数の戦死者を出しながらも、世界がナチスや日本の全体主義に支配されることを防ぎ、人類の平和に貢献したことになっている。しかし、東欧バルト三国のエストニアやラトビアでは、ドイツの占領から「解放」されてソ連邦に組み込まれた後の方が、ひどい人権侵害や政治弾圧を受けたとして、第二次大戦でのソ連の功績そのものを否定する歴史観が勃興している。バルト三国では、ソ連時代に中心街に作られた戦勝記念碑を目立たない場所に移動させたり、ソ連よりナチスの方が良かったと主張する集会が開かれたりしている。

 ロシア政府は、これらの歴史観の改定を「ロシアを攻撃するためのもの」と非難し、メドベージェフ大統領は昨年5月に「ロシアの国益を損ねる歴史歪曲の試みに対抗する委員会」を諮問機関として作り、東欧諸国の反露的な歴史観の改定戦略に対抗する姿勢を見せている。米国の右派や東欧勢は「ロシアこそ歴史を歪曲している」と言うが、私から見ると、世界で最も巧妙に歴史を歪曲するのは英国系(アングロサクソンとユダヤの連合勢力)である。ロシアはむしろ、すぐにばれる歪曲しかできない。諮問機関の設立自体が、ロシアの不器用さを物語っている。 (Presidential Commission of the Russian Federation to Counter Attempts to Falsify History to the Detriment of Russia's Interests From Wikipedia

▼オバマに捨てられたポーランドに近づく

 ロシアと東欧諸国の間で、歴史認識の対立が起きている背景には、2000年のプーチン登場以来のロシアの復活がある。ソ連崩壊後、東欧諸国は、ロシアの影響圏から脱せると思っていたのに、近年ロシアが復活して優勢になり、それに対抗するため、東欧諸国は、ロシアを認めない歴史観の押し出しを強めている。

 2000年にプーチンが首相に就任して権力を握るまで、冷戦後のロシアは経済をオリガルヒ(新興財閥)に私物化され、98年にはアジアから飛び火した通貨危機も起こり、弱体化していた。だがプーチンは、オリガルヒを逮捕したり傘下に入れたりして弱体化し、政府系のエネルギー会社に利権を再集約し、天然ガス供給を武器にウクライナや欧州諸国に対して強い立場を取れる体制を作った。米国は、ロシアの影響圏に隣接するアフガニスタンやイランに対する戦略を成功させるため、ロシアに譲歩する傾向を強め、国際政治の中でロシアの立場が強くなっている。 (プーチンの逆襲

 98年のロシア通貨危機から03年のイラク侵攻後ぐらいまで、ロシアは弱体化し、米国はテロ戦争を口実に単独覇権主義を振り回して強気だった。ポーランドなど東欧諸国や、ウクライナ、グルジアなどの旧ソ連諸国は、この流れに便乗し、反ロシア的な姿勢を強め、米国のロシア包囲網の橋頭堡として機能しようとした。しかしその後、プーチンの巻き返し戦略が功を奏してロシアが盛り返し、上海協力機構やBRICとしての中露の結束が強まり、米国はテロ戦争が失敗し、独仏中心のEUもロシアに融和的な態度をとるようになった。東欧や旧ソ連の諸国は劣勢になり、反露的な歴史観を強めた。

 ロシア政府は、東欧諸国の反露的な歴史観を強く非難する一方で、ポーランドに対しては、カチンの森虐殺をめぐるプーチンやメドベージェフの対応に見られるように、昨年から歴史観の面で融和的な態度をとっている。ロシアがポーランドに融和的なのは、ポーランドが東欧諸国の中で最も反ロシア的であり、英国にそそのかされてポーランドがドイツに挑戦的な態度をとった結果、第二次大戦が起きたことなど、歴史的にもポーランドが英米の傀儡として独ソに楯突く傾向をもっているためだ。

 しかも現在のポーランドは、ロシアに融和的な米オバマ政権から疎遠にされ、欧州人の多くが「オバマはブッシュより良い」と思っているのに、ポーランド人だけは「ブッシュの方が良かった」と思っている。英国も財政難で国力が落ち、ポーランドは米英に頼りにくくなっている。ポーランドは、米国のイラク占領に協力して派兵したが、結局ほとんど何も見返りを得られなかった。イラク侵攻そのものが米国による戦争犯罪と見なされる傾向が世界的に強まり、ポーランドは損だけ被った。 (Poland Presses US to Keep Missile Shield Pledge

 ポーランドは、ブッシュ政権の米国がポーランドに迎撃ミサイルを配備することを許し、ロシアを激怒させたが、オバマ政権になって米国はポーランドへの配備をやめてしまった。しかもオバマは、昨年9月17日という、第二次大戦のソ連のポーランド併合から70周年の記念日をわざわざ選んで、ポーランドへの迎撃ミサイルの配備をやめると発表した。これは二重の意味でポーランドにとって屈辱であり、危機だった。 (Cohen: Poland and NATO

 ロシアはこのすきにポーランドに近づき、カチンの森事件やスターリンに対する歴史観を両国間ですり合わせて歴史観の対立を解消し、ポーランドを米英側から引き剥がして取り込もうとしている。プーチンは、ポーランドを迂回し、北海の海底にドイツまで天然ガスパイプラインを敷設する「ノルドストリーム」構想を持っていたが、ポーランドや北欧諸国から、北海の環境汚染を口実に阻止されており、この点でもポーランドの反露的な態度を崩すことがロシアにとって必要だった。

▼歴史論争してすり合わせる欧州諸国

 昨年9月1日、オバマがポーランドへの迎撃ミサイル配備をやめると発表する2週間前には、ポーランドの北部の港町グダニスクで、第二次大戦の開戦から70周年を記念する式典が開かれ、ロシアのプーチン大統領が、ドイツのメルケル首相らとともに出席した。プーチンのグダニスク訪問は、今年4月のカチンの森虐殺記念式典への出席と並ぶ、ポーランドとの歴史問題を乗り越えるためのプーチンの外交攻勢だった。 (A Good Treaty - From Gdansk to Katyn

 ポーランドは「第二次大戦の責任はドイツだけでなく、ソ連にもある」と言い続けてきた。ソ連は、ドイツと1939年の独ソ不可侵条約の秘密付属文書でポーランド分割を密約し、40年9月1日にドイツがポーランド侵攻すると、2週間後にソ連がポーランドの東半分を併合し、その時にソ連に拉致した2万人のポーランド人を半年後にカチンの森で殺した。

 ソ連はこれまで、ポーランドの主張を受け止めなかったが、昨年9月のグダニスク訪問前、プーチンはポーランドの新聞に寄稿し「第二次大戦を起こした原因は、1939年の独ソ不可侵条約だったと認めざるを得ない」と、ロシア首脳として初めて、ポーランドの主張を受け入れる姿勢を示した。とはいえプーチンは寄稿の中で「(ドイツの拡張主義を生んだ)遠因は(第一次大戦で負けたドイツに対し、英仏が過大な賠償を負わせた)ベルサイユ体制にあった」と、返す刀で英仏を批判した。 (Putin: Pages of History - Reason for Mutual Complaints or Ground for Reconciliation and Partnership?

 加えて「ソ連がドイツと不可侵条約を結ばねばならなかったのは、英仏がドイツに譲歩してドイツ軍がロシアを攻めるように誘導したことに、ソ連としてやむを得ず対抗する必要があったからだ。ソ連はアジアで日本とも対峙せねばならず、ドイツと戦争する余裕がなかった」とも主張した。プーチンはまた「英国が、ドイツが攻めてきたら英国が対独宣戦布告してやるから頑張ってドイツに対抗せよとポーランドをそそのかしたのが大戦の一因だ」とも示唆した。プーチンは演説の中で「ソ連が、理由はどうあれ、ナチスのような過激な勢力と組んだことは悲劇だった」と、今年のスターリン批判の下地となる発言もしている。 (History Becomes a Battlefield as Putin Flies Into Poland

 プーチンは、歴史に関するポーランドの主張を受け入れつつも、相手の歴史観をすべて受け入れるのではなく、反論したり、英仏の責任を指摘したりして、論争を残しつつ、歴史観のすりあわせを行っている。昨年9月1日のグダニスクでは、ドイツのメルケル首相も、戦争でポーランド市民を殺したことと、ホロコーストについてあらためて謝罪する一方で、戦争によって多くのドイツ人がポーランドやチェコから追放されたと、敗戦国らしく少しだけ自己主張をした。ポーランドの民族派は、メルケルのこの発言を「不穏当だ」と罵った。敗戦国は永遠に黙って土下座してろということだ。 ('Putin Found the Right Words in Gdansk'

 ロシアと東欧との歴史論争について、独仏など西欧諸国はほとんど黙っている。だが実は、ロシアと独仏とは、すでに話がついている。独仏は、少し前までのポーランドが米国の単独覇権主義に乗って反ロシアの好戦的な態度を採っているのを警戒感を持って眺めていた(ポーランドの軽信的な冒険主義は、英国に扇動されて第二次大戦を誘発してしまった時から、ブッシュの米国に誘われてロシアを標的にする迎撃ミサイル配備を決めた時まで、懲りずに変わっていない)。 (Poland to Meet on Missile Shield, Boosting Relations With Russia

 EUは08年から、反露的なポーランドやウクライナ、バルト諸国に対し、ロシアと和解するように勧めていた。ロシアが昨年来、ポーランドと歴史問題ですりあわせを行い、プーチンがグダニスクやカチンを訪問し、ポーランド軍が赤の広場で戦勝パレードに参加することを、独仏は歓迎している。 (EU Asks Poland, Lithuania to Back Russia Talks

 ロシアは最近、北欧のノルウェーとも、冷戦時代から続く北極圏の海上の国境線紛争を40年ぶりに解決し、本格的に冷戦の体制が脱却しようとしている。プーチンやメドベージェフのスターリン批判と合わせて考えると、冷戦後20年たって優勢になってきたロシアが、米英の弱体化を横目で見ながら、欧州との脱冷戦型の協調関係を本格的に模索し始めたことがうかがえる。 (Russia hits the reset button, but will it last?

▼カチンスキ大統領墜落死の考察

 ここからは余談になるが、今年4月10日、プーチンがカチンの森を訪問した3日後、カチンの森を訪問しようとしたポーランドのカチンスキ大統領の一行約90人が、専用機のスモレンスク空港への着陸失敗・大破によって全員死亡する事故が起きている。カチンスキは反ロシアの政治家で、彼らが乗っていたのがロシアのツポレフ機で、スモレンスクがロシアの空港であることから、ポーランドなどでは、これを「ロシアがやったんだ」と見る向きがある(スモレンスクは国境近くにあり、航空管制は隣国ベラルーシが担当しているのだが)。 (Poland's Jaroslaw Kaczynski does not trust Russian authorities

 しかし、ポーランドと和解して外交的に取り込もうとしているロシアが、カチンスキを殺そうと考えるとは思えない。むしろ逆に、反露勢力の代表であるカチンスキを取り込んでポーランドと和解するのがプーチンのシナリオの一つだった可能性が高い。カチンスキの葬儀には、ちょうどアイスランドの噴火で航空路が絶たれ、欧州の国家元首の多くが参加できなかった中で、ロシアからプーチンとメドベージェフの両方が参列している。 (Russia Has Trouble Escaping the Past

 カチンスキを暗殺する動機はロシアではなく、ポーランドとロシアの和解を阻止した方が地政学的に望ましい英国のMI6あたりの方が多く持っている。墜落した日は濃霧で、航空管制官は、危険だから着陸せず他の空港に行けと飛行機に指示していたが、カチンスキの飛行機は無視して4回着陸を試み、4回目に濃霧で先が見えない中、間違って滑走路でないところに着陸しようとして、木々の先端に羽がぶつかって墜落した。自損事故の可能性が高い。ポーランド流に考えるなら、こうした発表のすべてがウソであると思うべきなのかもしれないが。 (Polish President Lech Kaczynski dies in plane crash



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