英国政権交代の意味2010年5月14日 田中 宇5月6日、英国で総選挙が行われ、13年間続いた労働党政権が終わった。5月11日、労働党のブラウン首相が辞任し、保守党と自由民主党(自民党)の連立政権が生まれ、43歳の保守党のキャメロン党首が首相となった。英政府が連立政権となるのは60年ぶりだ(43歳の首相は約200年ぶり)。英国は650の1人選挙区からなる小選挙区制で、全国展開する余力が少ない小政党の得票が無駄になる傾向が強く、保守・労働の2大政党が有利になる制度的歪曲によって、二大政党制を維持してきた。 (Conservative Cameron takes over as British PM) 今回、銀行への増税や、米国との「特別な関係」の見直し、核兵器(潜水艦搭載トライデント弾道ミサイル)の廃止などを掲げ、人気が急増した第3政党の自民党は、投票総数の23%を獲得したが、議席数では議会の9%にあたる57議席しかとれなかった。労働党は得票率が29%で258議席(40%)、保守党は36%の得票で306議席(47%)だった。小選挙区制のせいで自民党は議席数が少なかったものの、二大政党が拮抗し、自民党を取り込んだ連立が必要になった。 (Nick Clegg's Britain - A bad week for British politics) 英国では、20世紀は保守党が優勢だったが、1997年からは3期連続で労働党が勝っていた。その最大の理由は、ブレアとブラウンが率いる労働党が、米英連動の金融システムの債券化(レバレッジ拡大)の波に乗ったからだった。経済が沈滞して企業の業績が悪化してもジャンク債の発行で資金調達できて倒産しにくくなり、経済が金融主導で成長し続け、高い内閣支持率が維持された。国際的には、米英の金融覇権の強化され、金融主導の英米中心主義が成功して、ロンドンはニューヨークと並ぶ国際金融センターであり続けた。労働党で、この経済戦略の最高責任者が、ブレア政権で財務相をつとめたブラウンだった。 (The end of an era) ブレアは弁術巧みでカリスマ性が強く、首相として人気が高かったが、ブラウンは戦略立案力があるがカリスマ性に欠けていた。首相になれずに終わることを恐れたブラウンは、イラク戦争に参加して失敗したブレアの人気失墜を利用して07年6月に首相となったが、その1カ月後に米国で住宅ローン債券危機が始まってレバレッジ金融は巻き戻しに入り、米英の金融覇権体制は崩壊に向かった。ブラウンの就任直後から、労働党政権は終わりゆく運命にあった。 ちょうど日本で小泉政権の終わりが実質的な自民党の終わりで、その後の安倍、福田、麻生の3首相が「死に体」の自民党政権を復活できなかったように、ブラウンはようやく英首相になったものの労働党政権の行き詰まりに歯止めをかけられず、英経済は悪化を続け、財政赤字は急増し、議会の任期満了で行われた今回の選挙で敗北した。 ▼意味が薄れた二大政党制 今回の英選挙の結果、成立した英政府は、保守党と自民党の連立となったが、2党は、いくつかの点で主張が大きく食い違っている。保守党内にはEU統合(英国の国家主権をEUに譲渡していくこと)への強い反対があるが、自民党はEU統合を支持している。特に、自民党首のニック・クレッグは、母がオランダ人(戦時中インドネシアで日本軍に捕まっていた)、祖父はロシア系、妻がスペイン人で、欧州大陸諸国とのつながりが深く、親EUである。 また、二大政党制を維持するための小選挙区制の歪曲の犠牲になってきた自民党は、小選挙区制をやめて比例代表制を導入することを主張している。だが、小選挙区制のおかげで議席を多めに獲得してきた保守党は、比例代表制の導入に反対してきた。 連立政権が発足した5月11日、2党は連立を組むにあたっての合意事項を決め、翌日に発表した。そこでは、保守党が選挙制度改革に対して前向きな姿勢をとって自民党に譲歩した。半面、EUに対する今後の国家主権移譲には国民投票を必須にしてEU統合に歯止めをかけたほか、今回の連立政権が続く限りユーロに加盟せずポンドを使い続けるとも合意され、この点では自民党が保守党に譲歩し、バランスをとった。 (Conservative Liberal Democrat coalition negotiations Agreements reached) 英国は、二大政党制の世界的なモデルだった。二大政党制は、選挙制度を操作して政権をとりうる政党を2つに限定し、2党がうまく談合することで「2党独裁」を実現した。この手の限定を加えない民主主義体制は、選挙のたびに国家戦略が変動しかねず、国家の不安定と弱体化につながりがちだ。独裁制にすれば安定するが、民主体制より政治倫理的・道義的に劣っている。この点、二大政党制は「民主主義」と「独裁」の両方の長所を得られる体制だ。二大政党制をとった英米などは昔から、中国やソ連など、独裁制をとらざるを得ない新興諸国を道義的に非難でき「人権外交」によって、新興諸国の台頭と覇権の多極化を抑えてきた。 だが、英国と並んで二大政党制と人権外交を推進していた米国は、911事件後「政権転覆による世界民主化」という過激な戦略を展開し、やりすぎによって人権外交の利点を自滅的に破壊した。「それはやりすぎだ」と諭す英国に対して、米国は「単独覇権主義」を振りかざし「文句があるなら米国との縁を切ればよい」と突き放して過激戦略を突き進んだ。イスラム世界など新興諸国の人々は「米英こそ人権侵害をしている」と非難を強め、民主や人権といった概念で英米(欧米)が優位に立つ構図は自滅的に崩れている。 (人権外交の終わり) こうした現状は、英国が二大政党制に固執する意味が減っていることを意味している。そう考えると、今回の政権交代を機に、英国で選挙制度の見直しが本格化するのは不思議ではない。今後の英国が比例代表制を導入(併用)し、二大政党制から多党制に転換していくと、英米を真似てここ15年ほど小選挙区制を導入し、二大政党制を目指した日本の選挙制度も、再び見直され、中選挙区制度へと先祖返りしていくかもしれない。 ▼金融増税でロンドンから銀行が逃げ出す? 一方、今回の保守党と自民党の連立合意でEU加盟の加速が抑制されたことは、ギリシャ国債危機を皮切りとするユーロ圏の危機によって、英国にとってポンドを手放してユーロに加盟する可能性が当面なくなったことと、たぶん関係している。 (David Cameron and Nick Clegg joke as they announce tax rises and huge cuts) とはいえ今後、ポンドがいつまで無傷でいられるかは不明だ。英国の新政権は今後、日本の鳩山政権がやった「事業仕分け」に似たことをやり、財政緊縮策を強化する予定だが、財政支出をうまく切り詰められない場合、英国債のトリプルA格を見直すと格付け機関が言っている。 (Britain's Brown to call general election for May 6) 格付け機関は歴史的に「英米の傀儡」と呼べる存在で、英国がトリプルAを失うことは政治的にあり得なかったが、このところ格付け機関に対して米国の議会が捜査の手を入れており、格付け機関は従来よりも「公正な格付け」をせざるを得なくなっている。以前ならあり得ない英国債の格下げがあり得る事態となっている。英国債の格下げは、ポンドの崩壊を意味する。 (Why The UK Is The Next European Country To Experience A Massive Debt Crisis) 労働党と自民党は、金融機関や銀行幹部の高給に対する課税強化でも合意したが、これは国際金融センターとしてのロンドンの地位を危うくする。ロンドンでの事業を急拡大してきた日本の「投資銀行」である野村証券は今年3月、英政府が金融界への課税を強化するなら、ロンドンで事業を拡大する意味がなくなると警告を発し、増税なら英国から撤退するかもしれないと示唆した。そのため前ブラウン政権は金融増税を躊躇した。この状況は新政権になっても変わっておらず、金融増税には限界がある。増税できず、財政が立ち直らないと、ポンド崩壊の危機が近づく。 (Nomura chief warns on UK taxes on banks) ▼米英弱体化で推進される世界核廃絶 保守党と自由党の連立合意の中に盛り込まれた画期的な新政策のもう一つは「核廃絶」である。英国はトライデント核ミサイルの更新が必要になっているが、財政緊縮策の一環としてトライデントの更新をやめることを検討し、代わりにニューヨークで開かれているNPT(核拡散防止条約)の見直し会議などで世界的な核廃絶を進め、英国が核兵器を持たなくても安全保障上問題のない世界体制づくりを目指す方向性が、連立合意文に盛り込まれている。 (Conservative Liberal Democrat coalition negotiations Agreements reached) 核廃絶はリベラル政党である英自民党が以前から主張してきたことだが、同時に英軍内部でも「アフガニスタン駐留の費用がかさむので、トライデントの更新をやめて、浮いた予算をアフガンに回してくれ」という主張が出ていた。 (Generals: Britain Should Scrap Nukes) 選挙制度が英国の世界覇権と関係していることを前述したが、核兵器もまた、英国の世界覇権と関係している。第二次大戦中、核兵器を世界で最初に開発し、広島と長崎に投下したのは、米英連合の「マンハッタン計画」だった。もし、核をめぐる状況がここで固定していたら、核兵器を持つのは米英に限定され、核兵器は米英覇権の強さの象徴になっていたはずだ。しかし、核兵器技術が(意図的に)流出する覇権の暗闘的な状況がすぐに始まり、ソ連が核兵器を持ち、やがてフランスや中国も核を持った。1963年に国連が作ったNPTは「米英仏ソ中は核兵器を持っても良いが、他の国はダメ」という世界体制で、これはつまり国連安保理の常任理事国の5カ国だけが核武装を許されるという、国連の多極型の覇権体制だった。米英覇権の象徴になるはずの核兵器は、いつの間にか、国連安保理の多極型の世界体制の象徴になっていた。 しかし同時に、英保守党の首相だったチャーチルが46年の「鉄のカーテン演説」で扇動して作った冷戦体制は、米国とソ連だけが突出して互いに大量の核兵器を持って対立する体制をも作り出した。米英同盟の拡大版であるNATOが、ソ連中国と恒久対立する擬似的な英米覇権体制が冷戦であり、その恒久性を担保するのが米ソの大量の核兵器だった。米ソ相互の核抑止力がある限り、米ソは戦争しないが対立も解かず、冷戦体制が維持され、英米同盟が西側の中心であり続ける英国好みの世界体制が続いた。 (核兵器は、インドとパキスタンも保有したが、これを英国の戦略との関係で見ると、インドが英米の影響下から出て自立した地域覇権国になるのを防ぐための印パ対立の固定化策と見ることができる。北朝鮮が核武装したのも、朝鮮半島の統一と在韓米軍の追い出しを阻止するため、軍産複合体がパキスタンのカーン博士を通じて北に核技術を漏洩したと考えれば、同様の対立固定化策である。イスラエルの核も、中東の対立固定化を後押ししている) 冷戦体制は89年に終わった。その時点で核兵器もNATOも不要になるはずで、英国は軍事重視の戦略を捨てて金融覇権体制に移行したが、軍産複合体が粘ったため、核廃絶は進まなかった。軍産複合体はクーデター的な911事件とともに復権し「小型核兵器(バンカーバスター)でイラクや北朝鮮の地下軍事施設を破壊する」といった話が頻出し、英国も米英同盟を維持するためイラク侵攻に参加した。だが、実はこの軍産複合体の巻き返しの中には、ネオコンなど隠れ多極主義者による「やりすぎ」による自滅策が潜んでいた。米英覇権は崩壊感を強め、オバマ政権になって核軍縮が推進されるようになった。 近年、イラン、サウジアラビア、エジプト、ベネズエラ、ブラジルなどの発展途上諸国が、新たに「核の平和利用」を開始している。同時に米英覇権は弱まっており、米英が途上諸国を監視しきれず、途上国が次々と核兵器を持つ事態になりかねない。そうなる前に、核兵器を世界的に全廃しておいた方がよいと英国が考えて、オバマの核廃絶に賛成していると考えられる。 (Saudi Arabia Announces Nuclear Plant, and It Could Have Huge Consequences for US-Iran Relations) 英政府(ブラウン政権)は昨年、オバマ政権に対して「核廃絶は賛成だが、トライデントの更新だけはやらせてくれ」と言っていたが、今では財政難から、トライデント更新をやらずに核廃絶していく方向になっている。国際政治の動きを先導する技能を持つ英国が今後、自国の核廃絶を正式決定するなら、米英主導となった世界核廃絶は大きく一歩踏み出すことになる。すでにフランスは、EUとしての核廃絶を了承している。今は沈黙している中国も、いずれ核廃絶の方向性を宣言しなければならなくなる。米ロも核全廃ではないものの、核の相互削減で合意している。 (British Govt Could Cut Nuclear Weapons) ▼英米同盟が終わる? 核廃絶と並んで、英国の新政権が打ち出した重要な外交戦略は「米国との同盟関係の見直し」である。英米同盟については、連立合意文書では言及していないが、キャメロン新首相は就任直後の記者会見で「米国との関係は強固(solid)だが、米国に従属する(slavish)のはもうやめる」と表明した。これは、日本で昨夏の選挙で自民党に勝った民主党の鳩山首相が「米国との関係は非常に大事だが、日米関係は対等にする」と表明したのと似た流れだ。 (UK govt promises 'solid, not slavish' US ties) 日本の戦略は対米従属だが、英国の戦略は「対米黒幕支配」だ。英国は911以来、英米同盟を維持するため、イラク侵攻への参加など、米国の「自滅的やりすぎ戦略」につき合わざるを得ず、それが英国民には「対米従属」に見えて、政府批判が強まった。英国民の反米感情を背景に、英自民党は選挙前から「英米同盟(英米の特別な関係)は解消すべきだ」と主張していた。 (Lib-Dem Leader: UK Must Stop Doing US Bidding) (British party leader calls for end to "special relationship" with U.S.) 英新政権は、英米同盟から離れていく姿勢を見せると同時に、インドや中国に接近する姿勢を見せ、世界の多極化に対応している。この点も、日本の鳩山政権が「対等な日米関係」と「東アジア共同体(対中接近)」を同時に打ち出したのと同じ流れだ。キャメロン新首相は就任後の初日に米オバマ大統領と電話会談したが、同日には中国の胡錦涛主席、インドのシン首相とも電話会談している。米ウォールストリート・ジャーナル紙の「さよなら、特別な関係?」と題する記事は「キャメロンの特別な関係のお相手は、米国ではなくインドだ」と揶揄している。 (Farewell, the Special Relationship?) 英国は、米国の世界戦略を牛耳ってきただけに、米国との同盟関係を失ったら、英国の国際影響力や経済的繁栄は大きく損なわれる。ポンドが弱い状態でユーロに入ることになりかねず、英国にとってギリシャ(歴史的な英の傀儡国)と同等に見なされる屈辱である。米国はオバマになっても英国を冷遇し続けており、米国は英国との関係を切りたいようだが、英国は、これに簡単に従うわけにはいかない。 英政界でも親EUの自民党は「米国との関係を切ってEUに入ればよい」と言うが、これが英政界の総意になるとは考えにくく、今後の英政界は国家戦略の根幹をめぐって波乱が続きそうだ。 ▼英自民党は意外に力があるかも 自民党は英連立新政権の劣位の参加者だ。しかし、ブラウン前首相を辞任させたのは自民党のクレッグ党首の政治手腕である。クレッグは、いったん保守党と連立交渉に入った後、労働党がすり寄ってくると、保守党との連立交渉を止めて「ブラウンが辞めるなら労働党と連立交渉に入っても良い」と言ってブラウンに辞表を出させた。これを見てあわてた保守党は、大幅に自民党の要求を受け入れた。半日後、クレッグは保守党との連立を決定し、発表した。 新政権は、外相も蔵相も保守党で、自民党はこれらの要職を得なかった。しかし、ブラウンを騙して辞任させると同時に、保守党から大幅譲歩を引き出したクレッグの手腕から考えて、自民党は、今後の連立政権の運用の中で、意外と自分たちの政策的要求を実現させていく可能性もある。 (Nick Clegg to Haaretz: I admire Israel, but won't stop criticizing its government) 英自民党の政策は、特に国際政治の分野で、英国の戦略を大転換させていく可能性を持っている。米英同盟解消、核兵器廃棄のほか、パレスチナ問題をめぐるイスラエルに対する厳しい態度、アフガニスタン占領を終わらせること、イランとの戦争反対などを掲げている。英連立新政権の内部の政治力学がどうなっているかまだ不透明だが、英国は世界の先導役であり続けてきただけに、今後しばらくは英政界から目が離せなくなった。
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