中国がドルを支えられるか?2010年3月18日 田中 宇伝統的に、中国人の蓄財といえば「金」(金地金)である。清朝末期から革命まで、混乱が続いた中国では、通貨が信用できず、人々は金地金で蓄財していた。そんな伝統を考えると、3月9日に中国政府の外貨準備の責任者が「金は相場が不安定で、長期的に良い投資先とは考えられない。金が中国の外貨準備の大きな部分を占めることはない」と述べたことは驚きに値する。この発言は、中国政府の易綱・外貨管理局長が、全人代(議会)後の記者会見で放ったもので、中国の外貨準備に占める金地金の割合は1・6%にすぎず、これ以上あまり買い増しする予定はないと発表された。この発言を受け、金相場は2%ほど下落した。 (China Cautious on Gold Buying) さらに驚きなのは、この金に対する消極的な姿勢の表明と同時に易綱局長が発した「米国債は中国にとって重要だ」という宣言である。中国の外貨準備は巨額なので、世界最大の市場を持つ米国債での運用が不可欠だと同局長は述べた。 (China Says US Treasurys Important, Wary on Gold) 確かに金地金はこの30年で、1オンス200ドルから1200ドルまで大きく上下し続けてきた。だが、金相場はドルに対する信用の裏側に存在しており、ドルの信頼性が落ちる時に、金が高騰する。ドルの信頼性は、米国の財政赤字(米国債)に連動している。そして今はまさに、債券格付け機関が「このままだと米国債は格下げされる(米国債の価値は急落する)」という警告を繰り返し発し、米国債とドルの信頼性が揺らいでいる。 (S&P issues warning over America's top-tier rating) 市場では、世界最大の米国債保有者である中国政府が、米国債を売って金地金を買いあさっているのではないかという推測が渦巻いている。分析者の中には「中国当局は、今回の発言によって金相場を引き下げて、金地金を安く買おうとしているのだろう」と勘ぐる者もいる。 (Behind China's Stance on Gold) そんな中で中国当局者が発した「中国は金を買わず、米国債を買い続ける」という宣言は、中国当局が実際に採っている行動を示しているのではなく、米国債の下落を防ぐための口先介入ではないかと疑われる。自国の外貨準備の内容についてほとんど発表してこなかった中国当局が、今回のような一見赤裸々な表明をしたことは、すでに米国債が潜在的にかなり危険な状態になっていることをも示している。 中国の外貨準備に占める金地金の割合は少ないが、中国の政府系企業は、世界各地で金鉱山の所有権を買っている。石油、天然ガス、鉄鉱石、銅、レアメタルなど、金以外の鉱山の利権も、中央アジア、中近東、アフリカ、中南米などの地域で買っている。中国は外貨準備を着々と資源に換えており、外貨準備の統計外の領域で備蓄を進め、米国債やドルの下落に備えている。 (Uzbekistan: Chinese Investors Buy Majority Stake in Gold Firm) (CNOOC to pay $3.1bn for Argentine stake) 中国が中近東やアフリカなどの鉱山の権利として資産を備蓄するということは、これらの地域の政治的な安定に中国が関与するという国家的な意志を示している。中国は、中央アジアをロシアと共同で影響圏にしているし、中東では欧米によるイラン制裁に強く反対している。中南米ではBRICのブラジルなどと良好な関係にある。これらの多極型の覇権戦略の裏付けがあるので、中国は、海外で鉱山の利権を買い漁っている。対照的に、日本は対米従属のみが国家戦略なので、国家として独自に海外の資源の利権を持たない方針を採っている(独自に海外利権を持つと、米国との調整がつかない場合に対米従属が続けられなくなる)。 ▼日銀の量的緩和強化もドル救済策 中国がドルと米国債を支える意思を見せたとたん、米国側は、中国に助けてもらえてうれしいどころか、逆に、米議会の130人の議員が「中国は、人民元を低すぎる水準でドルにペッグ(為替固定)しており不当だ。オバマ大統領は中国を非難せよ」とする決議に署名した。人民元が安すぎるので、米国内で製造した商品が、中国からの輸入品に価格で太刀打ちできず、米経済に悪影響を与えているという主張だが、たとえ人民元が切り上げられても、代わりに他の発展途上国で製造した似たような価格の商品が米国に輸出されてくるだけで、米国製の商品が売れるようにはならない。米議会の主張はむしろ「ドルを自滅させようとしているのだから助けないでくれ」という、ニクソンショック以来の隠れ多極主義的な態度とも感じられる。 (Currency wars: US v China) 米議会は以前から人民元の切り上げを要求してきたが、今回はIMFのストロスカーン専務理事も「人民元は安すぎる」と表明し、中国に対して国際的に切り上げの強い圧力がかかっている。だが実際には、人民元の切り上げは中国にとって危険だ。中国の輸出産業への打撃以上に、いったん中国が切り上げを実施したら、その後さらに追加の切り上げが行われると予測する投資家の資金が世界中から中国に殺到し、中国の金融バブルを膨張させる。同時に米国債などドル建て債権から資金が引き、米国債金利の高騰もおきうるので、米中双方にとって破壊的だ。中国の温家宝首相は3月14日の記者会見で、人民元を切り上げないことを改めて表明した。 (IMF Head Says Yuan Remains Undervalued) 中国当局が金を敬遠する発言をして米国債とドルを支持した3日後の3月12日には、日本の鳩山首相が国会で「日本の経済の力を反映していない円高になっている」と、円を引き下げようとする発言を行っている。鳩山が為替について発言することは珍しい。彼は「為替安定のための国際協力が必要だ」とも述べており、G20などでドルの下落を抑止するための策が練られている可能性がある。鳩山発言も、中国の易綱発言と同様、ドルと米国債の下落を防ぐための口先介入だと思われる。 (Japan PM Hatoyama Threatens Steps Against Strong Yen) (Hatoyama says yen is too strong) EUでも、ギリシャの国債危機をめぐり、ユーロを引き下げる方向のさまざまな発言や分析が発せられており、これらもドルの下落を防止する力として機能している。 (The Fundamental Flaw of Europe's Common Currency) 鳩山発言から5日後の3月17日には、日銀が追加の量的緩和策を決定し、市場に供給する円を過剰供給することにした。これは米連銀と連動した政策であり、円を過剰発行にすることでドルを救済する策の一環だ。鳩山政権はもともと対米従属からの脱却をめざしていた。鳩山の顧問だった榊原英資(大蔵省OB)らは、円高ドル安は日本が海外で石油など資源を買う力を増大させるので好ましいと表明し、通貨政策でデフレは直らないとも言って、対米従属的な「デフレ対策」を口実とした円安戦略からの脱却を目指していた。しかし鳩山政権は就任後、対米従属の官僚機構から延々と戦いを仕掛けられ、円高容認策は影をひそめ、従前通りの円安ドル支援策が続けられている。 ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)は、日銀の追加量的緩和策が決まる前日の3月16日に「日銀がいくら市場に金を供給しても、企業や消費者が金を使わないので、日本経済のためにならない」とする批判記事を出した。この指摘は正しいが、日銀の「デフレ対策」は、日本経済ではなくドルを救うために行われているのだから、WSJの批判はお門違いだ。これも「ドルを自滅させようとしているのだから助けないでくれ」という隠れ多極主義的な論評と読める。 (Give the Bank of Japan a Break) 1971年のニクソンショックによって米国がドルを基軸通貨の座から下ろそうとしたのに対し、英国が主導する欧日はG7を作ってドルをテコ入れして、ドル基軸制を守った。一昨年からG7はG20に取って代わられたが、これによって中国が新たな助っ人として加わり、米国が人民元を切り上げろといっても拒否し、ここにきてドルを防衛するような姿勢を強めている。 米大統領の経済顧問であるローレンス・サマーズは最近「最も重要なことの一つは、世界の主導役がG7からG20に代わり、新興市場諸国が加わったことだ」と述べている。サマーズは、なぜこの交代が重要なのか語っていないが、私の分析では、この交代によって、中国がBRICを率いてドルを救うという、新たな構図ができたことが重要だと考えられる。 (White House's Summers Says U.S. `Close' to Seeing Job Growth) ▼不良債権を連銀経由で米政府に押しつけた米金融界 米国の連銀(FRB)は、3月末で不動産債権の買い取り策をやめる。米国では不動産市況の悪化が続き、多くの銀行が経営難に陥っているが、連銀の買い取り策は、銀行の不良債権を買い取り、銀行の連鎖破綻を防いできた。連銀は、米経済が回復しているとして買い取り策を予定通りやめることにしたが、実際には米経済は回復しておらず、連銀の買い取り策や、当局の他の景気対策によって何とか回っているだけであり、連銀が買い取り策をやめた後の4-6月に、不動産市況の二番底、銀行の連鎖破綻、不況再突入などが起こりうる。 (Is this the lull before the storm for US mortgages?) 連銀が不動産債権の買い取りをやめるのは、連銀が抱える資産(バランスシート)が不健全なまでに肥大化したためだ。資産の大半は、米国の民間銀行が抱えていた不良債権で、不動産市況の下落によって担保割れしている。連銀は、民間の不良債権を自分で抱え、その結果、連銀自身が事実上の債務超過になっている。債務超過が続くと破綻する民間銀行と異なり、連銀は債務超過でも潰れないが、連銀が発行するドルの信頼性を揺るがすので危険だ。 今後、連銀の代わりに、米政府の傘下にあるフレディマックとファニーメイという2つの不動産金融機関が債券を発行し、その資金で連銀から1兆ドル以上の不動産債権を買い取ることになるとも指摘されている。この隠し玉的な政策が発動されれば、不動産市況の二番底は防げるかもしれない。だが、不動産金融機関2社の債券は政府保証のついた公債であり、米国の財政赤字の一部となる。統計上は、米国債と異なるため「隠れ財政赤字」といえる。米銀行界は自分たちの不良債権を、連銀を経由して、米政府に背負わせることになる。問題は、このような米政府の事実上の財政赤字の急増の中で、日本や中国など、外国勢がいつまで米国債を買い続けるか、ということだ。 (The Next Big Bailout "Any Day Now") 米議会では、財政赤字の削減が議論されているが「大きな政府」を容認する民主党は財政支出の削減に反対で「小さな政府」を主張する共和党は増税に反対なので、議会は支出減も増税も実行できない。これでは財政赤字は増えるばかりで、格付け機関が警告するところの「財政赤字が増え続けると、米国債は格下げされる」という最悪の状況に向かっている。 (Roubini Worried by 'Runaway Fiscal Deficits') ▼軟着陸かハードランディングか そんな中で、中国は、米国債とドルを支持すると表明している。日本も同様だが、日本が対米従属からなかなか脱しないのに対し、中国には米国債とドルを支持せず劇的に覇権多極化を進展させるという、日本にはない選択肢がある。この先、中国はいつまで米国債とドルを支持するのか。支持しきれるのか。 これについては、2つの可能性があると私は考えている。一つは、中国がドルの助っ人に加わったことにより、ドルが今後何年か延命し、その間に基軸通貨体制の多極型への転換が軟着陸的に進む可能性。もう一つは、中国の高度経済成長が続き、インフレがひどくなって人民元のドルペッグを維持できなくなるか、米国債の価値急落によって、中国がドル支持をやめざるを得なくなり、ドル崩壊とハードランディング的な転換(混乱)が起きる可能性である。 中国の温家宝首相は最近「インフレ防止は、中国共産党にとって最重要課題の一つだ。1998年の天安門事件は、インフレと貧富格差と役人の腐敗が重なった結果、人々の不満が増大して起きた。天安門事件の再来を防ぐには、インフレの防止が必須だ」と述べている。今後もし米経済が不況に再突入する一方で、中国経済が高度成長を続け、中国のインフレがひどくなった場合、共産党政府はインフレ防止のために人民元を切り上げてドル支持をやめるという意味である。これはハードランディングになる。 (Wen links inflation to Communist party future) 軟着陸で進む場合、国際社会では、中国と、中国主導のBRICの優勢が続く。中国やロシアはこの優勢を利用して、国連やIMF、G20など、世界政府的な国際機関における主導権を米英から奪っていくだろう。英国など、米英中心主義の勢力が、こうした覇権の剥奪を防ぐには、英米傘下のヘッジファンドなどを動員して、中国の金融バブルを膨張させて潰す対抗策がありうるが、中国が米国債を買い支えている現状が続く限り、もし中国が金融破綻させられたら、それは米国債とドルの崩壊、つまりハードランディング的な英米中心体制の崩壊となる。中国が、ぎりぎりまで「ドルペッグを続ける」「米国債を支持する」と言い続けることは、英米系投機筋に潰されることを防ぐ政治策略とも考えられる。
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