中華文明と欧米文明は衝突するか2010年1月17日 田中 宇世界経済は、全体として毎年の成長率が3%未満になると、成長が人口増加やインフレを下回り、人々の平均的な生活水準が上がらなくなる。世界は毎年3%以上の経済成長をする必要があるが、欧米日の先進国は未曾有の不況で、そんなに成長できない。この問題に助け船を出しているのが中国だ。中国は、輸出入とも急増し、特にアジア諸国から中国への輸出が急増している。 昨年、韓国から中国への輸出は前年比94%増、台湾から中国へは91%増、マレーシアから中国へは51%増となった。マレーシアは、中国への輸出が急増した半面、米国への輸出が13%減、日本への輸出は30%減だった。この数字は、米国や日本が世界経済を牽引できなくなり、代わりに中国が牽引役になっていることを象徴している。世界は、経済面で中国に頼る度合いを強めている。 (Chinese demand drives regional recovery) 中国自身は今年、16%の経済成長が予測されている。こんな化け物のような成長はバブルであり、いずれ崩壊するという見方もあるが、少なくともバブル崩壊するまで、中国は世界経済の救世主であり続ける。経済成長しても対米従属を続けたかった(国際政治力を持ちたくない)日本と異なり、中国は経済力を政治力に変える意志と策略を持っており、中国経済が成長し続けるほど、国際政治における中国の影響力も拡大する。 (China May Overheat With 16% Growth, Government Researchers Say) 中国人は近年、自国が大国になることを意識している。中国の書店には、中国の大国化や中華文明の勃興、覇権論、欧米の世界支配に関する本が何冊も平積みされている。私自身の「世界がドルを棄てた日」も昨秋、中国の大手出版社である「鉄道出版社」から中国語訳が刊行された。 (「世界抛弃美元的臨界期」中国鉄道出版社) 中国の台頭が著しくなってくると、気になり出すのが「中華文明」と「欧米文明」の対立や、欧米文明と異なる中華文明が世界を席巻する未来像である。1996年に米ハーバード大学のハンチントン教授が出した本「文明の衝突」は、2001年の911事件後の「テロ戦争」の構図を的確に予測したと話題になったが、その一方でこの本には、欧米(西欧)文明が衰退し、中華(中国)文明などが台頭して欧米をしのぐとか、米中戦争が起こりうるといったシナリオが書かれている。この本は、欧米文明、中華文明、イスラム文明、ヒンドゥー文明(インド)、ロシア(東方正教会)文明、ラテンアメリカ文明、日本文明など、世界の諸文明の境界線で衝突が起き、欧米の覇権の低下によって多極化した世界の各極間で衝突が起きると書いている。(ただしこの本は、大事なところになると書き方が漠然としており、分析書というより、米国の世界戦略の企画書である) ▼欧米文明に統合された世界 中華文明と欧米文明の「衝突」が起きるかどうかを考えるには「文明とは何か」ということを考えねばならない。日本の辞書的な語義でいうと「文明」とは「人々が生み出した技術的、物質的な資産」である。この場合の「文明」は「文化」と対等関係で区されている。文化の語義は「人々が生み出した精神的な資産」だ。モノが文明であり、心が文化である。「文明(civilization)」の英語の語源は「都市(civic)」であり、文明とはもともと「未開」や「野蛮」と対峙する意味としての「都市化」である。 ハンチントンの「文明の衝突」では、上記の語義はドイツで作られたもので、世界的には少数派にすぎないと退けた上で「文明は文化を拡大したもの」と定義している。それなら本の題名は「文化の衝突」で良かったと思うが「文化の衝突」では迫力に欠ける。語感として「文明」は衝突しそうな感じがするが「文化」は衝突しそうもない。米国(軍産複合体)の世界戦略の企画書として「文明」と「衝突」を使う必要があったのではないか。 私が見るところ「文明」は、歴史的な過去の概念である。第一次世界大戦まで、世界には複数の文明があった。コロンブスに始まるスペイン帝国は、マヤ、アステカといった中南米の文明を侵略して滅ぼした。欧州で産業革命が始まるまで、中国は欧州よりずっと豊かで、中国には欧州にない高度な技術やシステムが存在していた。当時の中国は「中華文明」だった。中国には文明と野蛮を区別する「華夷秩序」があったが、この特質も文明の定義と合う。第一次大戦まで中東にあったオスマントルコ帝国も、一時は欧州より豊かで、欧州とは異なる物質的資産を持つ「イスラム文明」が存在していた。 産業革命で欧州が強く豊かになり、欧州の覇権国となった英国が、アヘン戦争で中国を破って植民地化し、第一次大戦でオスマントルコを滅ぼしたことにより、世界の文明は欧米文明に単一化された。大量生産や交通・通信などの産業技術から、科学の基礎研究、経済学、法学、企業経営や会計、選挙制度、マスコミのプロパガンダ(ジャーナリズム)など国家システムの運営技術まで、すべて欧米文明の産物だ。 孫文以来の近代中国の指導者たちは、何とか早く欧米文明の技術やシステムを中国に根づかせようと努力した(共産党が見習ったソ連は欧米文明の一形態である)。オスマン帝国滅亡後のトルコでは、ケマル・アタチュルクら指導者が、いかに急いでイスラムを捨てて欧州化するかを考えた。孫文もアタチュルクも、欧米化を急速に成し遂げた日本に学ぼうとした。 中国では、ナショナリズム(国家への国民の結束を促す強化策)のため、衣服や建築デザインなど中国文化に対する重視が続けられたものの、本質的には、早く中華文明やイスラム文明の残滓を脱し、欧米の技術や国家システムを導入することが自国の発展に重要と考えられた。日本の明治維新(文明開化)も、欧米文明を導入して日本を開化、強化することが目的で、幕藩体制など旧来の国家システムは急いで捨てられた。 明治維新後の日本は、欧米をしのぐ強国になることをめざし、やがて英米と戦争にまでなったが、日本はドイツと組んでおり、大戦は欧米文明と日本文明の衝突ではなかった。日本では、戦前や1980年代の国力の絶頂期でさえ「日本文明」という概念が出なかった。日本人は、近代以前の自国が中国文明を基盤とし、近代以後は欧米文明を基盤として、それらに改変を加えて日本風にして発展したところに自国の伝統を感じているので「日本文明」を自称しないのだろう。 (ハンチントンは「文明の衝突」で、日本を一国だけの「日本文明」と定義し、日本人を面食らわせた。この事態は、同書が冷戦戦略を文明論で仕立て直そうとした企画書であることを象徴している) ▼幻想の中華文明 文明とは、地理的概念である。長距離の行き来が非常に困難だった産業革命以前は、アジアと欧州に別々の文明が存在し得たが、産業革命が世界に拡大し、世界中が交通・通信網で一体化した後は、ある地域で発明された技術やシステムがすみやかに他の地域に伝播し、世界に複数の文明が存在することが不可能になった。 交通通信網の拡大は、欧州の技術やシステム、そして資本主義の考え方に基づくから、この現象は「欧米文明」が世界を恒久的に席巻したといえる。文明の発展は、経済発展と同じ意味だが、交通や通信によって単一市場化した世界を再分断することは、世界の経済発展に明らかにマイナスだ。だから、世界が再び複数の文明の共存が可能な分断状態に戻ることは、巨大な天変地異や世界核戦争でもない限り起こらない。世界が複数文明体制に戻らない限り「文明の衝突」はあり得ない。 このような視点で現在の中国の台頭を分析すると、中国は「中華文明」として台頭しているのではなく、孫文以来の中国人が欧米文明の技能とシステムを修得する不断の努力を続けた結果、台頭している。今の中国は「中華文明」を捨てて「欧米文明化」を成し遂げたからこそ、急成長し、政治台頭している。 「偉大な中華文明」という言い方は、中国人(漢民族)のナショナリズムを奮い立たせるために流布されているにすぎない。もし今の中国の台頭が「中華文明」の台頭だとしたら、かつて中華文明の傘下にあった韓国や東南アジア、日本などの周辺国が、欧米文明と異なる「新中華文明」の恩恵を受けられるはずだが、そんな事態にはなっていない。欧米文明と異なる中華文明など、どこにも現存していない。文化としての中華風は顕著に存在するものの、中華文明はアヘン戦争とともに死んで久しい。 私が最初に中国を旅行したのは、中国が自由旅行者に開放された直後の1983年ごろだが、今の中国の都会は、約30年の当時と比べ「日本の都会に似てきている」と感じる。30年前の中国は発展途上国的な混沌が席巻し、人々はやたらとやかましく粗野に話し、私は「中国語は shi ri zhi chi qi とか er化といった特殊な発音があるので静かに話せない言語なのだ」と思ったが、最近の中国の都会に行くと、人々が日本人と同様に静かに丁寧に話すので「何だ、できるじゃないか」と思ったりした(台湾人は昔から静かに話しているが、かつて日本の植民地だった)。 私から見ると、中国人は「日本人化」した。中国の都会の生活も、多くの人が冷暖房完備のマンションに住むなど、日本や韓国、欧米と大して変わらない。中国は文明化するほど、都会の物質的環境が、アジアで欧米文明化を先行した日本に近いものになっている。これは、中国の発展が中華文明化ではなく欧米文明化であることの表れである。中国、韓国、東南アジアなど、アジアで発展する国々の生活様式は、いずれも日本と似てきている。 中国は「人民元の対ドル為替ペッグを外せ」と欧米から言われているが、ドルペッグを外して通貨を自由流通させることは、中国が欧米文明の一部としての通貨管理技術を習得したことを意味している。中国は、通貨管理技術の面で、まだ欧米文明を修得し切れていない。(中国が人民元を自由化しないのは、自由化したら米英投機筋が人民元を空売りして乱高下させ、中国経済を破綻させかねないからという理由もある) ▼多極化で進む文明の普遍化 世界は欧米文明に席巻されているが、そのことと、欧米が世界を政治的に支配してきたこととは別のことである。従来の100年間は、欧米文明の席巻と、欧米による政治的な世界支配(英米覇権)が当時に起きていた。文明的に先行した欧米が、他の国々を支配する(影響下に置く)のは当然だった。しかしここ数年、米国の経済面、政治軍事面での(意図的な)大失敗の結果、米英覇権は瓦解に瀕し、世界の覇権は多極化している。今の世界の文明基盤を作ったのは欧米だが、政治的には欧米が単一覇権だった状態が終わりつつある。 戦後の高度成長の過程で、日本は製造業の技術面で世界にかなり貢献した。日本は、欧米文明を取り入れた後、欧米文明の高度化に貢献をした。FTなど欧米の新聞は、今後の世界経済を牽引するのは中国インドなどアジア勢だと予測している。今後、欧米文明の摂取期を卒業し、高度経済成長に入りそうな中国などアジア勢は、従来の日本と同様、欧米文明の高度化に何らかの貢献をするだろう。 日本は欧米文明の牽引役の一つとなっても、国際政治の牽引役になることを拒否したが、中国は政治的なアジアの地域覇権国になる方向がほぼ確実だ。インドやロシア、中南米、中東なども、政治的に米英からの自立が進むとともに、欧米による抑制や分断策から解かれ、経済成長の可能性が増す。世界は物質的には欧米文明を基盤とするものの、その文明の高度化は、欧米以外の国々の貢献が大きくなり、同時に政治的にも覇権構造の多極的な非欧米化が進むだろう。(これと逆方向の米英覇権の延命策も行われているので、多極化の進行速度は確定しがたいが) この多極化の傾向を踏まえると、この100年間に世界を席巻した「欧米文明」は、文明としての単一性が今後も維持されるものの、今後は牽引役が非欧米諸国になって、「欧米文明」ではなく、もっと普遍的な「世界文明」と呼んだ方がふさわしいものに変わっていくだろう。 世界で「文明の衝突」は、第一次大戦で英国がオスマントルコを倒して以来、起きていない。しかも、トルコの敗北は第一次大戦の中心テーマでない。2度の大戦の中心テーマは、欧米文明の内部で、ドイツや日本といった後発の諸国が、先進の英国などよりも欧米文明の導入を効率的にやり遂げ、英国の覇権を壊そうとした結果、戦争になったことだ。2度の大戦は、文明の衝突ではなく、国民国家間の競争という欧米文明の構造から起きた戦争である。この戦争誘発構造を乗り越えるため、国際連盟や国際連合、そして最近ではEUが作られ、世界を政治統合に向けて動かしている。 文明の衝突でなく、世界文明の内部の国家間抗争として、米中や米露、印中など、ハンチントンも懸念する地域覇権勢力間の戦争が将来も起こらないとは言い切れない。だが、中露印などBRIC諸国は、国連やG20など世界の政治統合に協力的であり、その意味で小競り合い以上の戦争は起こりにくい。 「しかしグーグルはどうなんだ」「中国における言論弾圧は文明に逆行している」と言う人がいるかもしれない。これについては次回に書く。
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