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中東政治・逆転の迷宮

2009年9月3日   田中 宇

 中東のイランでは、今年6月の選挙以来、最高指導者のハメネイが大統領のアハマディネジャドを動かしている保守派と、破れた大統領候補であるムサビらが率いる改革派が暗闘を続けている。世界的に、そう報じられている。しかし、実は、真の戦いは保守派と改革派の間で行われているのではなく、ハメネイ対アハマディネジャドという保守派の内部抗争である、という指摘が出てきた。

 カナダ在住イラン人の政治分析者(Shahir Shahidsaless)によると、アハマディネジャドが決めた閣僚人事に対し、ハメネイが反対する意志表示を行い、閣僚人事そのものは撤回されたものの、アハマディネジャドはハメネイに対して不服従の意が感じられる声明を出した。序列的には、大統領は最高指導者に対して服従せねばならないが、アハマディネジャドがそれを拒否した。これは、両者が対立していることを示しており、アハマディネジャドの出身母体である革命防衛隊(事実上の軍部)の中からも、アハマディネジャドを批判してハメネイの側につく動きが出ているという。 (Iran's Guards turn on Ahmadinejad

 問題となった閣僚人事は、アハマディネジャドが大統領当選後、副大統領にエスファンディヤル・マシャイ(Esfandiar Rahim Mashaei)を任命したことだ。マシャイは昨年、再選前のアハマディネジャド政権でも副大統領をつとめていたが、昨年7月にテヘランで開かれた国際観光会議の席上「イランに敵はいない。米国もイスラエルもイランの友人だ」と発言し、国内の保守派から非難された。 (Under Fire, Ahmadinejad's New VP Resigns

 アハマディネジャドは再選後、マシャイを副大統領に留任させた。保守派の政治家から批判が噴出したが、それに挑戦するかのように、マシャイは「何回でも繰り返して言いたいが、私たちはイスラエル人が大好きだ」と公式の場で述べた。アハマディネジャド自身も、その後の記者会見で「マシャイの発言は、イラン政府を代表する発言だ。わが国は、どこの国も敵視しない。このことは、はっきりしている」と発言し、マシャイを擁護した。

 そもそも、昨年マシャイが「イスラエルは友人だ」と発言したのは、事前にアハマディネジャドとも相談した上のことだったのだろう。この発言によってイランは、米イスエラエルが一方的にイランを敵視しているだけで、イランは何ら敵対感情を持っていない、悪いのは米イスラエルが抱く好戦的な敵愾心だ、と言える優位に立てたからだ。

 しかし、アハマディネジャドとマシャイのやり方は、最高指導者ハメネイを含む保守派には全く歓迎されなかった。ハメネイは7月18日、アハマディネジャドに宛てて「マシャイを副大統領に任命したことは、貴殿と貴政府の利益に反し、貴殿の支持者に不満を抱かせる。任命は撤回すべきである」とする指示書を出した。その後もアハマディネジャドがマシャイの人事を撤回しないので、7月24日に国営テレビでハメネイの指示書が朗読され、公開された。

 指示書が公開されてもアハマディネジャドは動かなかったものの、マシャイ自身は、最高指導者の意志なのだからと言って、アハマディネジャドに辞表を提出した。マシャイの辞任を受け、アハマディネジャドはハメネイからの指示書に対する返事を、嫌々ながらという感じで出した。それは異例な手紙だった。

 ペルシャ語は詩的な言語である。最高指導者に宛てた手紙は通常、尊敬表現に満ちているものだが、アハマディネジャドがハメネイに出した手紙には敬語が欠けており、終わり方も「まあせいぜい頑張れや」といった皮肉にも読める表現になっていた。手紙の内容も、通常なら「尊敬する最高指導者のご指示に従ってマシャイを辞任させました」とすべきところを、アハマディネジャドは「(最高指導者の最高権力を規定した)憲法57条にのっとり、マシャイの辞任を求める貴殿の命令は達成されました」と書いている。憲法の既定なので仕方なくやりましたよ、という含みが感じられる。手紙は、アハマディネジャドがハメネイを尊敬していないことを示唆する内容となっている。 (Iran's Guards turn on Ahmadinejad

▼改革派の政策を乗っ取るアハマディネジャド

 アハマディネジャドがハメネイと対立し出したということは、ムサビら改革派の方に寝返ったのか?。そうではなさそうだ。今でもムサビ派は、6月の選挙には不正があったとして、アハマディネジャドに辞任を求めている。むしろアハマディネジャドは、保守派を怒らせている改革派の要求の中に、イラン国民の不満を体現しているものがあるので、それを真似た政策を採ることで、自分に対する人気を上げようとしていると思われる。

 アハマディネジャドは、8月中旬に新政権の閣僚人事を決めた際、閣僚の中に3人の女性を含めた(福祉相、保健相、教育相)。イスラム革命後のイランで女性が閣僚に任命されるのは初めてのことだ。しかもいっぺんに3人である。改革派だった前任のハタミ政権でさえ、次官までしか女性を登用しなかった。 (Ahmadinejad unveils some gender savvy

 起用された女性閣僚は、女性の権利拡大運動に不賛成の国会議員を含む保守派で、改革派の中からは、この人事への批判が出ている。反対に、保守派の聖職者群の一部も、この人事を批判している(9月2日にも、イラン議会で閣僚人事の議論が行われた)。しかし、女性を3人も閣僚に任命したことは画期的で、この人事によって、これまでアハマディネジャドを嫌う傾向が強かったテヘランなど都会在住の中産階級の女性が、嫌悪感をやわらげることが予測される。 (IRAN: Backlash Mounts Against Women Ministers

 今回の選挙でムサビ候補を支持し、アハマディネジャドに対する選挙不正追及を行った改革派支持層の中には、都会の中産階級の女性が多い。アハマディネジャドは「革命防衛隊」や「バシジ」(イスラム民兵団。「右翼青年隊」的なもの)といった好戦的な反リベラル勢力の出身だ。防衛隊やバシジは、欧米流の生活を求める都会のリベラル市民層を「反イスラム」として嫌っており、街頭で「服装の乱れ」を理由に若い女性をどやしつけたり、リベラル青年を拘束、拷問したりしてきた。

 だから都会の女性はアハマディネジャドを嫌い、それと対照的に、大学教授の妻とともに夫婦で選挙活動をしていたリベラルなインテリのムサビ候補を熱狂的に支持していた。しかし、イラン国民の多数を占める都会や地方の貧困層には、服装や言論の自由より、生活苦を緩和してほしいという要求の方が切実だ。加えてアハマディネジャドのリベラル乗っ取り戦略にも押され、ムサビ支持の運動はしりすぼみの状況にある。 (Cracks appear in Mousavi's 'Green Path'

 またアハマディネジャドは、数十人の改革派の言論人を「国家への反逆者」として有罪判決を下し、120社の新聞社を発行禁止処分にした保守派の裁判官を、8月末に辞めさせた。裁かれた言論人の多くは、6月の選挙でアハマディネジャドが不正をしたと主張し、それがゆえに国家反逆罪に問われていた。保守派の裁判官が更迭されても、それで言論界の自由が大きく復活するわけではない。アハマディネジャドのやり方は、自分に敵対してきた世論を切り崩す巧妙な人気取り戦略のようだが、効果はありそうだ。 (Hardline Prosecutor in Iran Opposition Trial Fired

 イランの権力を握るイスラム聖職者集団は、リベラル勢力が嫌いなのだが、あまりリベラルを弾圧すると都会を中心に国民の反感が強まるので、ある程度の自由を認めて適当にガス抜きし、しばらくするとまた縛りを強化するという、生かさず殺さずをやってきた。アハマディネジャドの今回の「リベラルのふり」も、こうした流れの一環と見ることができる。

▼イスラム共和制を取り戻す

 とはいえ、アハマディネジャドは保守派のためにリベラルのふりをしているのかというと、必ずしもそうではない。保守派は、アハマディネジャドの戦略に対して怒っている。この怒りの中には、アハマディネジャド派による改革派乗っ取り策の一部としての「怒ったふり」の演技もあるだろう。だが、冒頭に書いたマシャイの人事をめぐる手紙のやり取りでは、最高指導者ハメネイは、アハマディネジャドに揶揄され、面子を潰されている。

 ハメネイはもともと地位の低い聖職者で、晩年のホメイニに気に入られて権力を取っただけなので、聖職者の間では隠然と馬鹿にされている。そんな状況の人なので、ハメネイは面子を潰されることを許さないだろう。アハマディネジャドは、ハメネイと本気で政治対決して勝てると思っているはずだ。そうでなければ、ハメネイを馬鹿にする手紙など出さない。

 2人が本当に対立しているとしたら、アハマディネジャドがハメネイを倒して自分が最高指導者になろうとしているのではなく、6月の選挙を機に聖職者群の内部抗争が激化し、ハメネイが維持してきた最高指導者の制度や権威が崩壊しかけている(ハメネイが癌で死にそうだという説も前からある)ので、それに乗じて自分の人気取りや権力拡大をやっている。アハマディネジャドはイスラム主義の政治活動家あがりの諜報系の人物であり、聖職者ではないので、最高指導者にはなれない。むしろ、最高指導者という制度自体が崩壊に瀕している。 (Iran's Next Supreme Leader?

 1979年の革命以来、イランは「イスラム共和国」体制である。これは(シーア派)イスラム教に忠実なかたちをとりつつ、民主主義をやって共和制を敷くという考え方で、日々起こるイランでの政策や政治言動に対し、聖職者群がイスラム的であるかどうかを判断するフィルターをかけつつ、民主主義を実施する制度だ。

(米の右派はイランを非難する際に、このイスラムのフィルターの存在を「独裁」と呼んでいるが、フィルターを通した後のイラン議会のあり方については、かなり民主的であることを認めている。中東では、イランがイスラムのフィルターをかけている一方で、イスラエルは「ユダヤのみ」というフィルターをかけ、国民の15%を占めるイスラム教徒を民主主義から排除している。トルコはイランと逆に「イスラム政治は厳禁」というフィルターを最近までかけていた) (Francis Fukuyama: Iran, Islam and the Rule of Law

 イスラム的であるかどうかを決める際に「最高指導者」の独裁制が必要不可欠というものではない。尊敬されていたホメイニの存命中は、自然にホメイニが最高指導者だった。その後、ホメイニから取り立てられただけのハメネイは、低地位の聖職者出身で権威がなく、ホメイニの死後、自分の権力維持のため、最高指導者の独裁制を強化した。イスラム革命は、ハメネイらによって私物化されている。

 米国がイランと和解してイラン経済が好転していたら、ハメネイは成功したと賞賛されただろうが、イスラエルが米政界を牛耳って米イラン関係の改善を阻止したため実らず、改革派のハタミを大統領に起用した90年代は不発に終わった。2001年の911以後は「テロ戦争」で「悪の枢軸」呼ばわりされた。「イマーム(預言者)の再臨が近い」と末法観をふりまく扇動的宗教ポピュリズムのアハマディネジャドが、05年の選挙でテヘラン市長から大統領に登用された。

 米イスラエルから攻撃される恐怖と、ブッシュ・チェイニーに扇動された反米感情によって、イラン国内の結束は維持された。米国がオバマに代わり、イランではリベラル復権と対米和解をめざす動きが6月の選挙で噴出したが、オバマは曖昧な態度に終始し、対米関係は改善していない。リベラル運動はアハマディネジャドに乗っ取られ、選挙を機に再燃した聖職者群内部の政治暗闘は、ハメネイの独裁をやめさせて、集団指導体制など他の形式に転換させる動きになっている。 (Iranian elite urged to distinguish friends from foes

▼イスラエル・イラン・米国、本当の敵は?

 米イスラエルはイランに公式な拠点を持っていないが、英国は大使館がある。6月の選挙後、英国大使館の要員が反政府集会で扇動的な役割を果たしていたとして、イラン当局は英大使館職員を逮捕している。英国政府は濡れ衣だといっているが、英米の中東での軍事外交網の中に入り込んでいるイスラエルにとっては、反政府運動が激化してイランの体制が崩壊・分裂・内戦・弱体化すれば、こんなうれしいことはない。

 そもそも、米英イスラエルは、イスラム革命によってイランが欧米の永遠の敵になり、中東で「イスラムvs欧米イスラエル」の新冷戦の体制ができることを望み、だからこそホメイニはパリからテヘランにやすやすと凱旋できた。親米だった旧イラン軍は米将軍に制止されてイスラム主義者を一掃せず、ホメイニの権力奪取を看過した(そしてホメイニに粛清された)。米英イスラエルがイランの世論や政治運動を操作できると考えるのは、あながち的外れではない。 (イラン革命を起こしたアメリカ

 イスラエルは、イランを混乱弱体化させることで、米国が押しつけてきた「イスラエルはイランを(核)攻撃せよ」という圧力を回避しようとした観がある。だがアハマディネジャドは、イスラエルの策略を逆手にとり、リベラル運動を乗っ取って、自分の人気と権力の拡大をしている。聖職者内部の暗闘は、まだ着地点が見えないが、イスラム共和制の初心に戻るような体制転換が成功すれば、イランは再び安定しうる。 (It's Crunch Time for Israel on Iran By JOHN BOLTON

 世界の多極化が進むと、イランが接近しているロシア、中国、インドが世界の極としての力を持ち、イランを潰そうとする米英イスラエルが退潮するだろう。国際社会でのイランの位置は劣勢から優勢に転換していく。油田開発が世界的に遅れ、原油の国際需給は潜在的に逼迫しており(不況だから顕在化していない)原油価格はいずれ上がる。これもイランにプラスである。

 米国は表向きイラン敵視だが、裏でイランを応援していると思えるふしもある。その一つの兆候は「ガソリン禁輸」をめぐる話だ。イランは産油国だが、精油所が不足しており、国内で消費するガソリンの4割を輸入に頼ってきた。そのため、米政府はブッシュ政権時代から「イランへのガソリン輸出を世界的に禁止すれば、イラン経済は崩壊し、イラン政府は窮して核開発を止めざるを得なくなる」と考え、対イランガソリン禁輸の経済制裁を検討してきた。 (Is Iran gas ban a step toward war?

 実際にはガソリン禁輸は実施されず、最近になって再び禁輸すべきだという話になっている。9月中にイランが核開発問題に関して欧米を満足させる提案をしない場合、ガソリン禁輸を挙行することが検討されている。しかしイランはここ数年、ガソリン禁輸制裁を受けても影響が出なくなることをめざして精油所を増設しており、間もなくガソリンを国内自給できるようになると報じられている。 (Iran to end petrol import

 つまり米国は、イランがガソリン禁輸制裁されても損害を受けないようになるまで放置してから制裁を発動するという間抜けなことをやっている。米政府はもう何年も、対イラン政策に没頭している。それなのにこんな間抜けをやるということは、失策ではなく意図した政策としか考えられない。イスラエルのためにイランを潰すと言いながら、実はイランを強化してイスラエルを潰すという「隠れ多極主義」がここでも実践されている。中東政治は、至る所で逆転した迷宮なのである。

 本来、この記事ではこの後、レバノンの「政治風見鶏」ジュンブラットの話とか、イラクのシーア派指導者ハキムの死がもたらす意味とか、パレスチナのファタハの党大会なども「逆転の迷宮」の構造を持っていると書いていくつもりだった。だが、私にはありがちなことだが、冒頭から詳細に考察しすぎた。シーア派政治は隠微で奥義があって興味が尽きず、イランの国内政治だけでかなり長くなってしまった。続きは改めて書くつもりだ。



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