顕在化するドルとポンドの崩壊2009年3月27日 田中 宇3月24日、英国政府が行った国債入札で、13年ぶりに国債が売れ残った。これまで英国債は、英国で発行されている債券の中で最も信頼され、入札時には、発行額よりはるかに多い応募があるのが常だった。 しかし、昨年以来の金融危機の悪化で、英政府は金融機関を救済する資金を作るため、国債発行を急増させており、投資家の間には英政府が本当に国債を償還できるのかどうか懸念が広がった。24日の国債入札に対する応募は史上最低だったと、英テレグラフ紙が報じている。英国債はこれまで「トリプルA」の最優良格付けだったが、国債の売れ残りは格付けの引き下げにつながるかもしれないとも指摘されている。 (City alarm as Treasury fails to sell Government gilts) 英国債の売れ残りは、タイミング的にも、悪いときに起きている。英国は4月2日からロンドンで開く2回目のG20金融サミットの主催国だ。英政府は、英米協調で、財政赤字を急拡大させても金融機関救済と景気対策に必要な巨額資金を作ることで、今の未曾有の世界恐慌からの立ち直りを模索するのが良いと主張し、G20の場で、世界各国に対し、財政赤字を急拡大させる金融経済対策をやれと呼びかけようとしている。 ドイツを中心とするEUや、ロシア、中国などは、英米が主張する財政赤字急増策に賛成していない。EU議長をつとめるチェコのトポラーネク首相は3月25日、仏ストラスブールの欧州議会での演説で「オバマ(米英)がやっている(財政赤字を急増させる)財政出動策は、国際金融市場の安定をぶち壊す地獄への道だ」と、強烈な米国(米英)批判を展開した。 (E.U. President Calls U.S. Stimulus the `Way to Hell') トポラーネクは、この演説の前日、経済難に苦しむ本国のチェコで、経済政策を批判されて議会で内閣不信任を可決されている。トポラーネクは、不信任された腹いせに、欧州議会で米英式の財政大出動策を酷評したのではないかとも見られている。 しかしトポラーネクの事情とは別に、EU内ではドイツ政府なども、米英式の財政大出動による世界経済建て直し案を危険視しており、ドイツのメルケル首相は、来週のG20サミットを欠席する。G20の内部では、財政出動策を主張する英米と、それに反対する独露中などとの対立がある。この対立を乗り越えて、財政出動策をG20の決定事項にしようと考えている英政府にとって、G20サミットの直前に自国の国債が売れなくなって財政出動できなくなることは、戦略の破綻になってしまう。 (US stimulus plan one way ticket 'to hell') 英国ではすでに、中央銀行の総裁が、国債が売れ残った日に「財政出動や減税による経済テコ入れ策をこれ以上続けることはできない」と、財政出動策が行き詰まったことを認める発言を行っている。英中銀は3月初めから、売れ残りを回避するため英国債を買う政策を展開してきた。3月中旬までは、この政策が功を奏し、英国債の価格は下がらずにすんでいたが、好調さは1カ月も続かず、3月24日の売れ残りとなってしまった。 (Britain Monetizes Its National Debt) 今後、英国債の格付けが最優良から落とされ、国債価格が下落して長期金利の高騰が起きると、まさに財政破綻となる。EU議長のトポラーネクが、英米の急速な財政赤字の拡大を「地獄への道」と酷評したのは、実は腹いせの発言ではなく、単純な事実を述べていただけだった。 ▼経済学を真に受けるな 財政破綻という地獄への道を歩んでいるのは、米国も同じである。英国債の売れ残りを英中銀が買っているのと同様に、米国債の売れ残りは米連銀が買っている。そして、英国と同様に米国でも、連銀が売れ残りを買っているにもかかわらず、米国債は供給が需要を上回る事態が起きており、3月25日の国債入札では、10年ものと5年ものの国債の価格が予想を下回る下落となった。「米国債は世界一安全な投資先」という考え方は、すでに過去のものだ。 (Treasuries Fall on Supply Concern as Seven-Year Sale Looms) 米政府は今週、金融機関の不良債権を買い取る金融救済策を発表したが、この政策の問題は、金融機関が持っている不良債権を今の市場で売ろうとすると、買い値(簿価)の2割ぐらいの超安値でしか売れないのに、金融機関は「今の市場は投資家が萎縮しているので、正しい価格になっていない。自分たちが持っている不良債権は、買い値の8割の価値がある」と主張し、米政府は、金融機関から不良債権を買い取る価格を買い値の8割にせざるを得ないことだ。 (Geithner's Crappy Bank Plan Coming Monday) 今後もずっと、不良債権が売れる価格が買い値の2割しかないと、政府の買い取り価格と最終的な売却価格との差額(簿価の6割)は、米政府の損失、つまり納税者である米国民の負担となる。 (One Small Problem With Geithner's Plan: It Will Bankrupt The Banks) 要するに、米政府は不良債権の「高値掴み」をやっている。政府が国民のことを考えているのなら、こんな高値掴みをするはずがないので、オバマ大統領やガイトナー財務長官やバーナンキ連銀議長という米政府の金融責任者たちは、実は金融機関の回し者にすぎないのだ、という反政府的な言説が、当然ながら出ている。最近、ジョセフ・スティグリッツやジェフリー・サックスといった著名な学者たちが「ガイトナーの案は大間違いだ」「何千億ドルもの税金泥棒だ」と言い出している。 (Nobel Laureate Dr. Joseph Stiglitz Says "The Geithner Plan Amounts To Robbery Of The American People") (Jeffrey Sachs: Obama's bank plan could rob the taxpayer) 米連銀のバーナンキ議長は、財務長官のガイトナーよりましだと思われているが、私が見るところ、ガイトナーの失策は言い間違いや演出の失敗といった表層的なものだが、バーナンキの失策は「経済理論」そのものの中にあり、深層的なだけに、より危険である。 バーナンキは「米ドルはいくら刷っても価値が下がらないのだから、ドルをどんどん刷って世界をドルであふれさせれば、どんな経済難でも解決できる。解決できないとしたら、それはドルを刷る量が足りないからだ」と考えている。バーナンキが率いる米連銀は、米国内でのドルの流通量を15倍に増やす過程にあると指摘されている。 (How big a deal is the loss of the dollar's reserve status?) 連銀は、資金難に陥っているIMFに代わって、各国の中央銀行に、各国の国債を担保としてドルを大盤振る舞いで貸し出す政策を展開し、ドルを世界にばらまいている。バーナンキの理論は、一つの「真実」の経済理論として以前から信用され、多くの高名な経済学者がバーナンキの説を支持している。 (U.S. Injecting Billions Into Foreign Central Banks) しかし私には、かつて「財政赤字を急増させると民間経済が潤い、税収増となって財政は黒字化する」という「レーガノミックス」が「真実」だと思われていたのが、実は単に米財政を破綻に向かわせるだけのインチキだったのと同様、バーナンキの理論も、世界をドルであふれさせた挙げ句に超インフレを引き起こし、世界経済を丸ごと破綻させる、失敗必至の「大実験」ではないかと思われる。 (Terence Corcoran: Is this the end of America?) 経済が好きな日本人の多くは、米国で発明された経済理論を、まるで昔の日本人が中国から輸入した仏教の経典を丸ごと信奉したのと同様の姿勢で、丸ごと信じて疑わない。しかし実際には、言葉巧みな理論を作って人々を信じさせ、それによって利を得るやり方は、アングロサクソンが得意とするプロパガンダ戦略の一つである。環境問題や人権問題、ジャーナリズムなどと同様、経済理論も、真実追求のアカデミズムのふりをした巨大な詐欺であると疑うべきである。特に、この40年ぐらいの間に米英で作られた理論は、真に受けない方が良い。疑いを持つ人に対して「あいつは勉強が足りない」という不勉強のレッテルが用意されている点も、アングロサクソン的である。 (拡大する双子の赤字) (アメリカは破産する?) レーガノミクスが破綻しても、それを教えていた経済学者が失業することはなかった。日本で「民営化こそ至高の政策」「ゆうちょや政府系金融機関を民営化せよ」と、今では間違いだとわかった市場原理主義の政策を推進した高名な学者らは、今でもテレビに出ている。詐欺が判明した後も、そのこと自体が人々に広く伝わることすらない。プロパガンダの根が深いのが、米英中心でやってきた現代世界の一つの本質である。 ▼代わりの通貨を考えずに崩壊するドル しかし同時にいえるのは、米英中心の世界体制が、すでに余命幾ばくもないということだ。ドルは世界の基軸通貨としての地位を失いかけている。米欧から経済制裁されて超インフレの経済難に陥ったジンバブエでさえ、米ドルを忌避して、自国通貨のリンク先を南アフリカの通貨ランドに変えた。「ドルに代わる通貨がないのだから、ドル崩壊はあり得ない。世界がドル崩壊を食い止める」と信じている人がまだ多いが、世界はドル崩壊を食い止められない。代わりの基軸通貨のことなど考えずに、ドルは勝手に崩壊しつつある。 3月24日に中国の中央銀行(人民銀行)の総裁が、ドルを基軸通貨として使うことをやめて、代わりにIMFの特別引出権(SDR)を国際基軸通貨として活用すべきだという、ロシアと協調した新提案を発表したが、これは自然な流れである。実際には、SDRは各国の中央銀行で自国通貨と交換した上でないと使えず、現状では国際通貨になり得ないと指摘されている。SDRの件は、G20サミットで今後の国際通貨体制を話し合う際のたたき台にしかならないが、ドル崩壊が不可避になっていく中で、議論の方向性そのものは現実的である。 (China and the dollar) 世界の発展途上国の間では最近、軍事面だけでなく経済面でも、米政府の戦略に対する懸念が急拡大している。世界中の発展途上国の盟主を自認する中国は、このような途上国の懸念を代表する戦略の一環として、ドル破棄の提案を発したのだろう。 (China Takes Aim at dollar) また中国自身、外貨準備として巨額のドル建て資産を持っている。中国は最近、世界中の鉱山や油田を買収しまくり、ドルを急いで「現物資産」と交換している。中国のドル破棄提案は、脅しではなく、資産防衛策の一環である。日本政府も「対米従属」という自縛がなければ、同じことをやるだろう。 (China's plan to end the dollar era) この中国提案をめぐっては、米財務長官の「青二才」ガイトナーが、またもや表層的な演出間違いをやらかした。ガイトナーは、3月24日の米議会の公聴会では、ドルを棄てるべきだという中国案を支持しないことを表明したのに、翌日のCFR(外交問題評議会)でのフォーラムでは、ドル破棄の中国案について尋ねられて「提案の内容は見ていないが、人民銀行総裁は良いことを言う人で、彼の提案は傾聴に値する」と言ってしまった。 (Geithner Affirms dollar After Remarks Send It Tumbling) この発言はすぐに報じられ、たちまちドルは下落した。これは大変だとばかり、フォーラムの司会者(元クリントン政権高官)が、しばらくして再びガイトナーにドルに関する質問を発し、ガイトナーに「ドルは今後も長いこと基軸通貨であり続けると思う」と言わせたので、ドル相場は元に戻った。 (US willing to look at China currency proposal - dollar wobbles on Geithner's `loose talk') ロックフェラー家やキッシンジャーといった中国好きの隠れ多極主義者の巣窟であるCFRは、以前からドルを潰して世界通貨を作ることを画策してきたと、陰謀に詳しい人々の間で思われてきた。それだけに、この騒動自体も、CFRによる世界通貨創設の謀略の一環ではないかと勘ぐられている。 (Two-Faced Geithner Assures CFR Puppet Masters He's "Open" To Global Currency) (Obama Denounces Global Currency While Creating The Very Means For Its Introduction) ▼危機は好機 4月2日にロンドンで開かれるG20金融サミットは、ドルが基軸通貨として延命できるかどうかを決める、世界の金融市場にとって大きな岐路になる。投資家のジョージ・ソロスは最近、米議会の公聴会で、そのようなことを言っている。 (Soros: G20 a "make or break" event for markets) ドルが延命できるとしたら、それは英米が最近主張してきた「世界各国が大規模な財政出動をやって世界経済をテコ入れする」というやり方ではない。そのやり方は、英米の国債の売れ行きが悪化して財政出動できなくなったことで放棄せざるを得なくなっている。ドルが延命できるとしたら、それは米英が、中国やロシア、ドイツ、発展途上諸国の主張に合わせていくしかない。為替投機の資金源となってきたヘッジファンドやタックスヘイブンを潰し、人民元やペルシャ湾岸諸国の通貨のドル離れ・国際化を促して、多極的な基軸通貨制度への軟着陸を模索するしかない。 おそらく、そういった展開にはならず、G20サミットは失敗するだろう。ソロスは、G20が国際金融システムの端々にある新興市場の破綻を救う現実的な政策を打ち出せない場合、市場は再び危機を迎えると予測している。G20サミット失敗後、今夏にかけて金融危機の悪化が予測される。 しかし、独メルケル首相は最近発表したコラムで「危機(クライシス)の、古代ギリシャ語での語源は、人々が明確な意志決定をせねばならない画期的な瞬間のことだ。その意味で、危機は機会である。世界経済を、もっと均衡のとれたシステムに移行していく(つまりBRICの台頭を容認する)良い機会である。この何十年かで急速に国際化した経済の体制に、国際政治の体制が追いつく必要がある。それが実現できる好機である」と書いている。 (Road map out of crisis By ANGELA MERKEL) 今の危機は、100年に一度(第一次大戦前後以来)の危機と言われているが、それよりもっと根本的であり、英国の産業革命によって資本主義の金融体制が始まって以来の危機であるとも指摘されている。 (Why the Turner report is a watershed for finance) 産業革命から現在までの200年あまり、世界は英国の覇権下にあった(第1次大戦までは顕然とした英国覇権で、第2次大戦後は英国の戦略を米国がやる隠然とした英国覇権)。今、英国が財政破綻に瀕し、米英中心体制が崩壊しつつあることを考えると、産業革命以来の大転換が起きていると感じられる。 当面は、先進国より発展途上国の方が経済難の悪影響が大きく、この10年あまりでせっかく中産階級になりつつあった途上国の人々が、再び貧困生活に逆戻りさせられるというマイナス面の方が大きい。だが長い目で見ると、英国を中心とする先進国の都合で途上国の発展が阻害されてきた従来の状態から、世界経済が解放され得るという意味で、今の大危機は、人類全体にとって好機である。 (The second shockwave for developing world) 田中宇の国際ニュース解説・メインページへ |