戦争か対話か・中東戦略の目くらまし2009年3月6日 田中 宇2月23日、ニューヨークタイムスに、ロジャー・コーヘンというコラムニストがイランの古都イスファハンのユダヤ人(ユダヤ系イラン人)に会いに行く記事が載った。イランには古くからユダヤ人が住み、1979年のイスラム革命後に多くがイスラエルに移住したものの、今でも推定2万5千人が住んでいる。コーヘンは、自分自身がユダヤ人であると記事の中で表明した上で、ユダヤ人として、イランのように暖かい態度で人々から接してもらった国は、ほかになかったと自らの経験を書いている。 (Roger Cohen: What Iran's Jews say) イランは反イスラエルの塊のような国だが、イラン人は自国のユダヤ教徒に礼節をもって接し、ユダヤ人は比較的静かで安定した状況下で生きており、一人の国会議員枠も持っている、と彼は書いている。記事では「私はイスラエルの親戚を訪問したりしているが、全く問題なく43年間、自分の店を経営しています。ガザ侵攻の時には、私も一人のイラン人として、イスラエル非難のデモに参加しました」というイスファハンのユダヤ人の談話を紹介している。 この記事は、従来の米マスコミの論調との比較で考えると、日本の大手新聞の記者が北朝鮮の日本人妻を取材して「こちらでの生活は大変だが、まわりの人々はみんな親切です。日本はもっと北朝鮮の苦境を理解してほしい」などという談話の記事を載せるのと同じくらいの意外さがある。当然ながらニューヨークタイムスには「イランには自由が全然ない。あんな国を擁護するな」という、読者からの投稿が届いている。 (The Jews of Iran: How Much Freedom?) ニューヨークタイムスは、なぜこんな心温まる感じを演出するコーヘンの記事を出したのか。イランでユダヤ人が差別されていないことは、ずっと前からイラン政府が自慢してきたことだ。コーヘンの特ダネではない。 ▼米イラン対話を妨害する右派 そう思っていると、一週間後、米オバマ政権は、アフガニスタンの占領失敗を防ぐ目的で、アフガン隣国のイランと対話していく方針を打ち出した。米国は、3月末にオランダで開催予定の国連主催のアフガン関係国会議にイランも招待する方針を打ち出し、アフガン問題を皮切りに、米国はイランと対話することを決めた。これまで米軍にとってアフガンへの唯一の補給路だったパキスタンの混乱が深まり、米国はパキスタンと反対側にあるイランに協力を求めざるを得なくなった。 (Clinton Wants to Include Iran in Afghan Talks) (パキスタンでは、アフガン国境から何百キロも離れた港湾の大都市カラチまでが、すでにタリバン系の勢力によって乗っ取られようとしている) (Police Report: Taliban May Take Over Karachi) 米オバマ政権は、今までさんざん敵視してきたイランと関係改善する必要に迫られ、ニューヨークタイムスにイランをめぐる心温まる話を書かせて世論の修正を模索し、もしくはNYタイムス側が米政府の転換を知って方向修正的なコーヘンの記事を出し、その一週間後に米政府の方針転換が発表されたという流れに見える。 では、なぜNYタイムスのイラン擁護記事のテーマが、イランのユダヤ人なのか。私が見るところ、その理由は、米国がイランに接近することを最も嫌い、それを全力で阻止しようとしているのがイスラエルだからだ。コーヘンの記事は、これまでさんざん米マスコミに圧力をかけてイラン敵視記事を書かせてきたイスラエル右派を揶揄する意味を内包している。 イスラエル政府は、米イラン対話をしぶしぶ了承している。米政府に命令する力を持っているイスラエル政府は、3月3日に自国を訪問したクリントン国務長官に対し、米国がイランと対話する際に守るべきことを示した。(1)対話は、経済制裁を続けながら行わねばならない(2)イランと対話する前に、国連安保理5カ国で、もし対話が失敗したらどう制裁するかを決めねばならない(3)対話による交渉は期限を区切って行わねばならず、チャンスは1回限りだとイランに通告せねばならない、という3つの条件で、イスラエルは米国がイランと対話することを容認した。6月のイラン総選挙より前に対話しても意味がない、とも指摘した。 (Israel to present Clinton with 'red lines' on talks with Iran) イスラエルの中でも政府(中道派)は米国がイランと対話するのをしぶしぶ認めたが、右派は徹底して対話を阻止する構えだ。在米イスラエル右派は、今にもイスラエルがイランを空爆しそうだという情報をばらまいている。イランはロシアから地対空迎撃ミサイルを買う予定で、それが配備される前に空爆せねば、という話になっている。 米政界では「イスラエルを米国の核の傘に入れると宣言してやれば、イランとの戦争を回避できる」との提案があったようだが、イスラエル右派は「それではイスラエルの軍事的な自由度が低下するのでダメだ」と突っぱねている。米国に庇護されるのではなく、米国を支配せねばならないというわけだ。1日でも長く米国に庇護され続けたいと画策し、対米自立を呼びかけた小沢一郎をスキャンダルで潰そうとする日本から見ると、イスラエル右派の態度は想像を絶するものだ。 (Report: Israel nears attacking Iran) ▼イランは核兵器を持ちそう?まだまだ? 米国は、イランと対話するとともに、パレスチナ国家の創設を急ぎ、イスラエル周辺を安定させようとしているが、イスラエル右派はこれも阻止しようとしている。右派が牛耳るイスラエル住宅省は、パレスチナ占領地(ヨルダン川西岸)のユダヤ人入植地を急いで倍増させる計画を推進している。右派は、内閣の決定など無視して動いている。 (Study: Israel Plans to Double West Bank Settlers) イスラエル右派は米政界にも強いネットワークがある。オバマ政権は右派からの攻撃をかわそうと、いろいろな「目くらまし」を打っている。たとえばクリントン国務長官は3月2日に「米国が交渉を呼びかけても、イランが乗ってくるとは思えない」と表明した。イランは以前から「米国が真摯な態度で臨むなら、ぜひ対話したい」と言い続けており、このクリントンの発言はお門違いだ。右派を惑わすプロパガンダ作戦に見える。 (Clinton: US Doesn't Expect Diplomacy to Work With Iran) 国防総省では3月1日、ゲイツ国防長官が「イランが核兵器を作れるだけの濃縮ウランを蓄積するまで、まだ当分かかる。外交交渉をする時間はかなりある」と、NBCテレビの番組に出て発言した。これまでの米政府の公式見解は「イランは間もなく核兵器を作れるようになる」だったので、ゲイツの発言は大転換にあたる。 (Iran "not close" to nuclear weapon: Gates) しかし、その1時間前には、ゲイツの部下であるミューレン統合参謀本部長がCNNの番組に出て「イランは核兵器を作るのに十分な核物質をすでに持っている。イランは核兵器を持ちつつある。世界にとって非常に悪いことになる」と発言している。 (Mixed US Signals on Iran's Nuke Capability) この事態を「テレビに出る前に2人で打ち合わせぐらいしろよ」などと真に受けてはいけない。状況全体のタイミングから見て、2人は情報の混乱を生じさせるため、意図的に食い違う発言を発したと思える。孫子を引くまでもなく、戦争の要諦は情報操作にある。誰が敵で誰が味方かということも、誤魔化すべき情報の一部である。米軍は、イラクでもアフガンでも、何とかうまくやろうと思ったら、イラクとアフガンの間にあるイランとの関係が大事である。しかし同時に、国防総省に対して大きな影響力を持つのは「軍産イスラエル複合体」である。国防総省内も複雑だ。 ▼反イラン派と反イスラエル派を同時に起用 オバマ政権の中東政策は、人事の面でも目くらましに満ちている。2月24日、オバマはイランとの交渉担当として、在米イスラエル右派の牙城であるAIPACが作ったワシントン近東研究所にいたデニス・ロスを起用した。クリントン政権で中東特使を担当していたロスは、イラン敵視の立場の人で、これではイランとの対話がうまくいくはずがない。当然ながら、AIPACと親しいネオコン(軍産イスラエル複合体系の言論人)たちは大喜びしている。 (Return of the War Party: Patrick Buchanan) だがその半面、オバマ政権は、大統領府の諜報担当の責任者である国家情報会議(NIC)の議長に、元サウジアラビア大使で親アラブ・反イスラエルといわれるチャールズ・フリーマンを指名した。これは右派から強い反発を招いている。 (Obama's spy ruffles hawks' feathers) オバマ政権は、イランと対話する姿勢を見せながらも、イランを敵視する人材を対話担当者に据え、対話の失敗を運命づけている。その一方で、米国の中東戦略にとって最重要な大統領府の諜報担当責任者に反イスラエル親アラブの人材を据え、イスラエルとの協調をあらかじめ失敗に追い込んでいる。この2つの人事を矛盾なく読み解くことは難しいが、私にはピンとくるものがある。 米国の中東政策は、ブッシュ政権時代から、意図的かどうかは別として、結果的に「イランを敵視しすぎて逆に強化し、イランやヒズボラ、ハマスといったイラン系の勢力の台頭を招き、親米のエジプト、ヨルダン、パレスチナ自治政府、サウジ王家を不利にしている」「イスラエル右派が米政界を牛耳るままにさせ、表ではパレスチナ和平をやりたいと言いつつ裏では失敗させ、イスラエルをイラン系の勢力と戦争するしかない状況に追い込んでいる」「米軍は中東への過剰派兵で疲弊し、自滅していく」という状況を生んでいる。 これらの傾向はイラク戦争以来ずっと続き、オバマになっても変わっていないため、私には、重過失的な未必の故意に見える。おそらく最終的には、中東はイスラム主義勢力のものになり、サウジ王室や、エジプトの独裁者ムバラク父子などは、しだいに反米に転じて生き延びるか、さもなくば倒される。石油利権は反米勢力に乗っ取られ、彼らはロシアやベネズエラと結託し、欧米から石油利権を剥奪する。ロシアと仲がよい中国などBRICや、その他の発展途上国は、この非米同盟に参加していく。日本はどっちつかずの態度(いないふり)をして敵視を逃れ(うまくいけば)何とか多極化に対応する、という覇権多極化の展開が予測される。 世界を欧米中心でない体制に転換させることで、途上国は欧米による成長抑止から解放され、世界経済は米英覇権の破綻期をすぎた後、長期的な発展が見込める。こうした展開の根幹に、ブッシュ政権以来の米国の自己破綻的な外交政策(隠れ多極主義)があると私は分析している。オバマ政権の今の中東政策は、ブッシュ時代からの隠れ多極主義の流れとしてみると、一貫している。オバマ自身が、失敗することを理解して動いているわけではないだろう。ブッシュもオバマも、側近や顧問たちによって失敗へと誘導されている。 ▼シリアをめぐる駆け引き 話が覇権論の方にそれた。中東情勢に戻る。米国は、シリアに対しても複雑怪奇な中東政策を展開している。3月3日、クリントン国務長官は、シリアに2人の特使を派遣し、対話を開始すると発表した。米民主党はこれに先立ち、ケリー上院議員がシリアを訪問し、アサド大統領と会っている。ブッシュ政権時代、イスラエル政府はシリアと交渉して和解したかったが、米政府は「シリアはテロを支援している」と言って和解をさせず、右派を喜ばせていた。 (Syria Talks Signal New Direction for U.S.) オバマはそこから脱却しているかに見えるが、右派の反撃も強い。右派は米政府内や国連、IAEAなどの場で、イスラエルが07年9月にシリアの核兵器開発施設であるとして空爆した施設の跡地から、ウランの痕跡を見つけたという話を仕立てている。シリア政府は「ウランの痕跡は、イスラエルが投下した爆弾の外皮に使われていた劣化ウランだ。空爆された施設が核兵器工場だった証拠として米政府が発表した人工衛星写真はねつ造された画像だ」と言い続けている。 (U.S.: Evidence mounts of Syrian nuclear cover-up) 米イスラエルでは「シリアの言い分は隠蔽工作だ」と反論されているが、もしシリアの言い分が正しかった場合、イスラエルが劣化ウラン弾を使って核兵器施設ではないシリアの施設を空爆した上、米国と組んでシリアに濡れ衣をかけたことになり、イスラエルが悪者にされる。米国の主張は「イラクが大量破壊兵器を作っている」も「イランが核兵器を作っている」も事実に反する濡れ衣だった。その流れで考えると、シリアに関しても、米イスラエルの主張は疑った方が良いものである。 イスラエル政府としては、米国がシリアの核疑惑を言い続けるほど、「核施設」を空爆したのがイスラエルであるだけに、シリアと和解するのではなく、米国がシリアを敵視することにつき合うという、右派の戦略に迎合せざるを得ない。しかし、おそらく最終的にはこの核疑惑が濡れ衣だとばれていき、そのころには米国は中東から撤退する方向に動いており、イスラエルだけが、シリアと和解する機会を逸したまま悪者として取り残される。米国のやり方は、親イスラエルのふりをしたイスラエル潰しである。 年初のガザ戦争以来、イスラエルは国際的に悪者にされる傾向が加速している。国連では4月にジュネーブで世界人種差別撤廃会議(ダーバン2)を開く予定だが、そこではイスラム諸国など途上国が結束し、イスラエルのパレスチナ人に対する人権侵害を非難する決議が準備されている。イスラエルの圧力を受け、米国はダーバン2を欠席することにした。だが米国が不参加だと、むしろ反米諸国主導となって、残りの国々でやりたい放題なイスラエル非難決議を出すかもしれない。 (Syria Talks Signal New Direction for U.S.) 先進諸国の中では、米国と並んでカナダがイスラエル右派の傀儡らしく「断固イスラエル支持」を表明させられているが、国際的にこれだけ反イスラエルの論調が強まると、カナダの親イスラエル表明は、むしろ不自然で哀れな「やらせ」にしか見えなくなっている。 (Canada backs Israeli attack on Iran?) カナダと異なり、国際政治に精通する狡猾な英国は、表向きはイスラエルに対して理解を示しつつ、裏ではヒズボラやハマスを認知する準備を進めている。英国は、イスラエルが悪者になっていく流れの中で、どこかの時点でイスラム諸国の側につくと予測され、中東がイスラム主義に席巻されても「石油収入をロンドンに流してもらえば高利回りで運用しまっせ・・・・、いやいやイスラム金融ですから利回りではなく配当と言わねばなりませんな、とにかく儲けてさしあげます」と言えるようにしている。 (Britain re-establishing contact with Hezbollah) イランをめぐる昨今の動きには、ロシアやイラクも重要な登場人物だ。イスラエルも2月10日の総選挙後、連立政権の組み合わせで紛糾し、どのような政権ができるのか不透明な状態が続いている。これらも書きたいのだが、まだまだ長くなるので、改めて書くとして、とりあえず今回はここまでにする。 田中宇の国際ニュース解説・メインページへ |