回復困難なアメリカ経済2009年1月20日 田中 宇いよいよ、待ちに待ったオバマ政権の就任だ。米国民、そして日本を含む世界の多くの人々が、オバマが大統領なれば、米国はブッシュ前政権時代の失敗した状態から立ち直り、再び超大国にふさわしい経済力や信頼性を取り戻すだろうと期待している。 しかしここ数日、米英発のメディアの記事をネットで読んでいる私は、そんな期待に冷や水を浴びせかける指摘にいくつも出くわした。私は「オバマは米国の覇権衰退を見届ける(軟着陸させる)政権になるだろう」という昨年来の自分の予測を、改めて思わざるを得なかった。 たとえば、米経済学者で国連で世界経済改革を担当しているジョセフ・スティグリッツは、オバマが予定している8千億ドル規模の景気刺激策について、1月15日のFT紙に「景気対策の総額の4割近くは減税政策だが、米国民の受給年金が減り、失業やローン破綻が増えているときに減税しても、それによって増えた手取り所得は消費に回りにくい(貯金や借金返済に回るだけ)」などと、政策効果を疑問視する論文を載せた。消費が増えないと景気対策にならない。 スティグリッツは、人気者のオバマを批判せず、すべてをブッシュ政権のせいにして逃げを打ちつつ、次のように書いている。景気対策としての減税は昨年2月にも行われたが、減税総額のうちの半分以下しか、消費に回らなかった。最貧層に対する減税だけは効果があるが、それはまだ政策に入っていない。法人税も減税対象だが、赤字企業は納税しないので減税効果がない。過去5年間に払った法人税の総額を減税対象にすることが検討されているが、赤字補填の資金は新規投資に回りにくく、景気対策にならない。銀行界は救済策としての減税を望んでいるが、減税は公金投入よりも透明性がなく、どこがどれだけ救済されたか見えにくい。(Joseph Stiglitz; Conversations on the credit crunch) ▼国債返済不能で国力衰退 スティグリッツは、景気浮揚効果の薄い減税は財政赤字を増やし、すでにGDPの8%を超えている財政赤字がさらに急増してしまうとも警告している。財政赤字の急増を放置すると、どうなるか。それは、最近読んだ別の論文に書いてあった。 「大国の興亡」など覇権の歴史分析で知られる米政治学者ポール・ケネディは1月14日のウォールストリート・ジャーナル紙に「財政赤字の急増が続くと、今後何年かの間に、米政府は国債発行による借金を返せなくなり、国力衰退につながる」「米国衰退の主因は、異常に巨額な財政赤字と経常赤字(双子の赤字)だ。国家経済規模と比べた場合の米国の赤字率は、すでに破綻しているアイスランドや発展途上国と同じだ」という主旨の論文「米国の力は衰退中」を載せた。彼は以前から米国の衰退を予測し、ネオコンなど右派から「衰退主義者」(declinist)と揶揄されてきた。今回の論文の結論部分で彼自身、自虐的に衰退主義者を自称しているが、この自虐は彼の自信の表れだ。いまや事態は、彼が予測した方向に動いている。 (Paul Kennedy: American Power Is on the Wane) ケネディによると、米政界は景気回復を優先するあまり、財政赤字の急増を放置し、オバマにも追加支出せよと圧力がかかっており、非効率で間違った財政の大盤振る舞いに陥りそうだ。財政出動策の効率について、米国内の誰も把握していないのも危険だ。今の米国の財政赤字増はあまりに急速で、40年間の大国興亡史の研究を経た彼の目から見ても、前代未聞の速さだという。今年の前半ぐらいは、株式投資から逃避する資金が国債に乗り換えるので、米国債はよく売れるだろうが、鋭い分析者はすでに、今後発行する米国債(オバマ・ボンド)は売れゆきが悪いと予測している。米国債を中国に買ってもらわねばならない事態そのものが、米国の衰退を象徴している、と彼は書いている。 米国経済の儲け頭だった金融界は、もう以前の姿には戻れないという指摘も、1月16日に最大手のシティグループが分割を決めた直後のニューヨークタイムスに「金融界の姿は変わる」という記事として出た。(The End of Banking as We Know It) 記事によると、シティの分割によって、あらゆる金融事業を手がける総合メガバンクや、儲かる金融ビジネスのモデルは崩壊し、米金融界は「国有化」と呼ばざるを得ない新事態に入っている。銀行は、本来あるべきつまらない姿に戻りつつある。金融界の事業の成長率はGDP成長率と同水準まで下がるが、経営者だけを富ませる預金者無視のビジネスモデルが壊れたのは良いことだと、記事は書いている。これと似た指摘は、以前の私の記事に書いたように、すでに昨年6月、英国の銀行協会の会長が予告しており、事態はその通りになってきた。(「米英金融革命の終わり」) ▼幽霊銀行が歩き回るウォール街 米国では、不動産価格の下落が住宅分野から商業施設分野へと拡大し、ビルを担保に融資してきた金融界の貸し倒れが増え、昨年9月のリーマンブラザース倒産による危機が11月ぐらいに一段落していた金融界は、オバマ就任を前に危機が再燃している。米銀行の破綻は、投資銀行から大手商業銀行へと拡大しそうだ。(Empty offices are on the rise) 米経済学者のポール・クルーグマンは、1月18日のニューヨークタイムスのコラムで、米国には不良債権を償却(時価評価)したら債務超過(経営破綻)に陥る大銀行がいくつもあると示唆し、大銀行が破綻すると昨秋のリーマン倒産後のような大惨事になるので、米政府は銀行救済を続け、実質的にはすでに死んでいる「幽霊銀行」を生かしていると「ウォール街の幽霊信仰」(Wall Street Voodoo)と題する記事で書いている。また、銀行救済策は、銀行の株式を公的機関が買い取って国有化してから行うのがよいが、米政界にはまだ「自由市場原理」に縛られて国有化を忌み嫌う勢力が強く、国有化を避けて救済をしているので、救済金(公金)が銀行の株主や経営者に無償贈与されていると批判している。(Wall Street Voodoo By PAUL KRUGMAN) 私が見るところ、昨年10月以来の米財務省による7000億ドル規模の金融救済策(TARP)は透明性が低く、腐敗臭がある。たとえば救済策を行うに当たっての財務省から外部への業務発注額は、1月に入って5倍近くになった(12月末560万ドル、1月末見込み2660万ドル)。増分の多くは、外部の金融専門家に対する委託費だ。金融界出身のポールソン財務長官が、任期末に、同業の知人たちに異様に高い外注費を大盤振る舞いしている感じだ。(Costs to Run TARP Expected to Jump) この金融救済策は、そもそも名前からして怪しい。TARP(タープ)を小文字の英単語として読むと、工事現場で覆いに使われたり、テント設営時の雨よけに使ったりする防水シート(tarp、tarpaulin)のことだ。腐敗した金融界をシートで覆った上で救済するという隠れた意味があるのではないかと、冗談半分に思ったりする。 ▼欧州の経済難で崩壊しそうな欧米軍アフガン占領 金融危機が拡大しそうなのは、米国だけではない。ドイツのシュピーゲル誌は「独銀行界は3000億ユーロ分の資産を不良債権として処理したが、これは不良債権全体の4分の1にすぎないことが、独連銀の報告書でわかった」という記事を最近出した。(German banks face billions more in losses) ドイツが金融危機や経済難に見舞われている一方で、経済成長率が比較的高い中国は、ドイツを抜いて世界第3位の経済規模となった。中国は、いずれ日本をも抜き、米国に次ぐ第2位に上がると予測されている。ここでも金融危機は、国力の逆転と覇権構造の転換につながっている。(China becomes third largest economy) ドイツなど欧州諸国は、米軍と一緒にNATO軍としてアフガニスタンの軍事占領に派兵しているが、金融危機と経済難に見舞われる欧州各国政府は、アフガン派兵の戦費を負担できなくなり、早期に突然撤退する可能性があると、NATO司令官が1月10日に表明した。これも、経済と軍事・覇権構造がつながっている例である。(NATO fears EU Afghan pullback) 欧州ではドイツも大変だが、それよりずっと大変なのは英国である。英国は80年代のサッチャー政権以来、米国と同じ金融システムを全面的に採用し、金融界の大きな利益が英国経済の根幹で、金融に頼る度合いは米国以上だった。ドイツは、米英から「欧州大陸型の金融システムは利幅が少ない。儲かる英米型を導入せよ」と圧力をかけられても、慎重に英米型を導入していた。 英国は、07年夏までの金融の儲けも大きかった代わりに、その後の金融危機による経済全体への打撃も巨大だ。英政府はうまく情報を隠し、金融危機の全容を見せずにいるが、いずれ全崩壊を隠しきれなくなるだろう。英国のシンクタンクによると、英経済は今年2・7%のマイナス成長という、1931年以来の大不況が予測され、経済は「自由落下状態」だという。(UK is in freefall, warns think-tank) これを書いている間にも、バブル的な資産を増やしすぎた英国のロイヤル・スコットランド銀行(RBS)が、英企業として過去最大の損失を発表し、同行の株価が急落、英政府が公的資金の追加注入(政府の株式持ち分を58%から70%に増やす)を検討せざるを得なくなっている。英政府は、金融危機と経済難で税収が先細る中で、金融システム崩壊防止のための公金注入増を余儀なくされ、財政破綻に向かっている。(RBS Plummets Amid Concern Bank May Be Nationalized) オバマは、英国の困難な状況に拍車をかけている。ブッシュ政権までの米国は、英国との関係について、ほとんど唯一の「特別な関係」を明言してきた。だが、オバマはこれを解消して「米国にとって特別な関係の国はいくつもあり、英国はその中の一つにすぎない」という方針に転換すると表明した。英国外務省は、この転換が脅威であると認めている。(Obama Plans to Make US/UK Relationship Less Special Than Before) このオバマの転換は、非常に深い意味を包含している。米国が第二次大戦以来の「米英中心主義」を捨てることを意味しうるからである。私が以前から予測してきた「米国が、米英中心主義から多極主義に転換する」ということが、オバマの就任とともに片鱗を見せ始めた観がある。これについては、次回に分析する。
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