オバマの多極型世界政府案2008年12月16日 田中 宇来年1月20日に就任する米国の民主党オバマ新政権の世界戦略の原型となりそうなものが、今年9月に出されていた。民主党系のシンクタンク「ブルッキングス研究所」が中心に進めた研究事業「世界的不安定管理」(もしくは「世界規模の不安定さを管理する」、Managing Global Insecurity、MGI)の報告書「転換後の世界における国際協調新時代の行動計画・2009−10年とそれ以降」(A Plan for Action - A New Era of International Cooperation for a Changed World: 2009, 2010, and Beyond)である。 この報告書のまとめ役は、民主党クリントン政権の国務長官だったオルブライトだが、共和党政権の元高官であるアーミテージやスコウクロフトもメンバーに含まれており、超党派の形式を取っている。後述するFT紙の記事によると、報告書の中身を練った中心人物の一人は、クリントン大統領の首席補佐官だったジョン・ポデスタ(John Podesta)で、彼はオバマ陣営の政権移譲チームを率いる人物だ。 この報告書は国連を重視しているが、オバマ次期大統領は、オルブライトの弟子の一人で、報告書をまとめたブルッキングス研究所の出身であるスーザン・ライスを国連大使に指名している。彼女は以前から、国際紛争を解決するために国連を強化すべきだと主張している。オルブライト自身、クリントン政権で国連大使から国務長官に昇格した。(関連記事その1、その2) スーザン・ライスはクリントン政権で国務省にいたが、今回の大統領選挙ではクリントン陣営を離脱してオバマを支持し、オバマの外交顧問となった。そのため、国務長官になるヒラリー・クリントンはスーザン・ライスを嫌っており、国務長官と国連大使という米政府の世界戦略を体現する2人が敵対するという見方がある。しかし実際のところ、ヒラリーの姿勢は、夫の政権出身で今回はMGI報告書を作ったポデスタやオルブライトに近い。ヒラリーとスーザン・ライスは本質的に対立せず、むしろ報告書の戦略に収斂するだろう。(関連記事その1、その2) ▼内政不干渉の原則は「古くさい」 この報告書は「今後50年間の世界を安定繁栄させるための戦略」とされるが、その特徴の一つは「内政干渉」を容認する点だ。国家主権より上位に「世界政府」(婉曲表現では「グローバル・ガバナンス」)のようなものを組織するためである。その根拠は以下のようなものだ。 現在の世界が抱える問題の多くは国際的であり、国際テロや核兵器技術の拡散、環境問題、金融破綻など、一つの国の国内問題が放置されると、他の国々に悪影響を与える。第二次大戦の終戦時に定めた現在の世界体制では、国家主権を重視するあまり、ある国が他国の内政に干渉するのを禁じたが、内政不干渉の原則を神聖視すると、国際問題の解決が難しくなる。内政不干渉の原則は、もはや古くさい。世界各国は国内問題だけに責任を持てば良い時代は終わった。世界各国は、国際問題にも責任を持たねばならない。この新しい概念を「責任国家主権」(世界に責任を持つ国家主権。responsible sovereignty)と呼ぶ。他国に迷惑をかける国は「責任国家主権」の義務を果たしておらず、他国から内政干渉されても文句を言えない、というのが報告書の主張である。 「悪い国の内政には干渉して良いんだ」という考え方は、ブッシュ政権の「単独覇権主義」と同じである。その前の「国際協調主義」だったクリントン政権でも、オルブライトが国務長官になったときに「ならず者国家」(アフガニスタンやイラク、北朝鮮など)の概念として出ており、MGI報告書は、クリントン型に戻っただけとも言える。しかし、クリントン時代は「米英中心体制」が基調だったのに対し、今回は「多極体制」が基調となっている点が違っている。 MGI報告書では、米英中心のG8は時代遅れ(outdated)だと規定し、G8に代わるものとして、G8に中国、インド、ブラジルのBRIC諸国や、南アフリカなどを加えたG16の新設を提案している。この提案は、すでに11月15日に開かれたG20金融サミットとして実現している。 ここ数年、BRICや南アなどは、非米同盟的な色彩を強めているので、G8をG16に転換することは、多極化の推進である。来年のG8サミット開催国はイタリアだが、イタリアの現政権は「ロシアをEUに入れるべきだ」「ドルの覇権は終わった。次の国際通貨体制を早く検討すべきだ」などと主張しており、サミットではG8をG16(もしくはG20とか、世銀のゼーリックが提唱するG13)に拡大する話が出るかもしれない。 ▼多極型世界政府に反対する英国 報告書は「国際協調体制を再活性化できるのは、世界の中で、米国だけである」として、米国が世界を主導する体制に戻ることを主張している。だが今後、米国が率いる世界は、以前のような英国が黒幕的に存在し、米英の下に日欧など他の先進国が並び、その下にBRICなど新興諸国や発展途上国が並ぶという英米中心体制ではない。今後の米国は、欧日より対米従属傾向が低い新興諸国や途上国が台頭する多極的な世界を率いることになる。 報告書は、題名が「転換後の世界における国際協調新時代の行動計画」となっているが「転換後の世界」とは、多極型に転換した後の世界のことである。この転換は、ブッシュ政権が金融危機を悪化させ、イラクやアフガンの占領を失敗させて、米国の覇権が崩壊し始めた結果として起きている。 米国の覇権体制には、当初の1940年代から英国がとりつき、70年代からは(おそらく英国の代理勢力として)イスラエルもとりついて、事実上、英イスラエルが米国の世界戦略を牛耳る「米英中心体制」だった。冷戦終結によって、この体制が振り切られるかに見えたが、英イスラエルは依然強く、クリントン政権は国際協調主義が掲げたものの、反ロシア的なコソボ紛争など英国好みの紛争が誘発され、中東も常に不安定だった。協調主義とは名ばかりで、実質的には米英覇権体制だった。 だがその後、ブッシュ政権が英イスラエルに好都合なはずのテロ戦争(第2冷戦)やイラク侵攻を、過激に無茶苦茶にやって失敗させたおかげで、今や英国もイスラエルも弱体化している。今回オバマ政権になるとともに、MGI報告書によって再び国際協調主義が掲げられたが、その本質は、クリントン時代とは全く異なっている。英イスラエルは影を潜め、米国が協調する相手は、中国やロシア、中南米諸国、イスラム諸国など、米国が傀儡化できない勢力となっている。ブッシュ政権がやったことは結果的に「英イスラエル外し」であった。 報告書は世界各国に国際社会への貢献を強いるとともに、国連に、国際紛争を軍事的に解決するための5万人程度の軍隊(予備軍)を創設することを提案している。国連を強化して「世界政府」的な色彩を強めようとしている観がある。しかし、世界政府案の中身は、クリントンやブッシュの時代とは大きく異なる。以前の世界政府案は、NATOが世界軍になり、G7が世界政府になるという米英中心型だった。だが今回の世界政府案は、NATOがアフガニスタンで壊滅に向かい、G7がG16またはG20に変身し、国連が反米の左翼とイスラム主義に乗っ取られる中で出てきている。今後、世界政府を思わせる動きが拡大するとしたら、それはBRICが台頭して米国と肩を並べる多極型となる。 MGI報告書は「世界を主導するのは米国しかいない」とぶち上げるが、米国は今後、金融と軍事占領の崩壊拡大で弱体化が進むと予測される。それと合わせて考えると、米国の指導力は限定的となり、ロシアや中国の助けが不可欠となる。常設の国連軍が創設された場合、そこでは米軍がロシア軍や中国人民解放軍と協調せざるを得なくなる。欧州では、NATOがすたれ、今後形成されるであろうEU統合軍が重要になる。英国は「欧州の辺境」に戻る。 英国のFT紙は12月9日、MGI報告書について、世界政府計画のにおいが感じられると指摘する記事「世界政府が提案される時が来た」(And now for a world government)を出した。記事は「EU統合を世界に広げると世界政府となるが、EUは、国家主権の放棄に反対する各国の民意を無視し、統合推進が国民投票で否決されても、可決するまで再投票させるインチキぶりだ。世界政府とは、民主主義を踏みにじる独裁的なものだ」という主旨で、オバマが推進しそうな多極型の国連強化による「隠れ世界政府主義」を批判している。多極化によって振り落とされる英国の国益を代弁するかのような記事だ。 ▼各地域の多国間組織を強化する MGI報告書はまた、国連安保理の常任理事国が持っている拒否権システムを自己改革すべきだと主張する一方で、安保理の議席拡大は良いことだが、それを09年にやるのは時期尚早だと言っている。なぜ時期尚早なのか、報告書には書いていないが、今後、時期があとになるほど、世界経済の構造転換によってインドやブラジル、アラブ諸国などが台頭する半面、欧州や日本の相対的地位は下落する。ドイツや日本ではなく、インドやブラジル、サウジアラビアなどを常任理事国にしたいという多極化の意志があるなら「09年は時期尚早」と言うのは当然だ。 報告書は、これまで安保理や米英中心体制で解決が試みられることが多かった世界各地の地域紛争を、その地域の多国間組織によって解決する方向に転換することも提唱している。これも、多極化の方向である。中南米では反米的な多国間組織が立ち上がるだろう(エクアドルを皮切りに反欧米的な債務不履行宣言が広がるかも)。北朝鮮核問題では、オバマ政権は中国中心の6者協議を重視するだろう。クリントンは北朝鮮と直接交渉したが、オバマがその体制に戻ることはなさそうだ。(関連記事) オバマは同様に、日米同盟よりも、日中韓が協調し、その協調体制と米国が連携する形を好む可能性が大きい。折しも先日、初めての日中韓のサミットが福岡で開かれた。今後、米国が関与せず地域内の諸国のみで問題解決を図るという、日中韓サミット型の地域組織が重要になりそうだ。実は、日本を日米同盟偏重から離脱させて地域諸国との関係強化にいざなう米国の動きは、ブッシュ政権からのことだ。ブッシュ政権は、日本がオーストラリアやインドと安全保障上の関係を強化することを望み、対米従属一本槍から乳離れさせようとした。(関連記事) 報告書は、パレスチナ問題に関しては、ブッシュ政権が作った、米国・EU・ロシア・国連の4者(カルテット)が主導する「アナポリスサミット体制」を継承し、以前の米英主導には戻らない。ブッシュ政権は先日、国連安保理で、ロシアと連携して、カルテット主導の中東和平のやり直しを提案したが、これはまさにMGI報告書が提案したとおりの動きである。ブッシュ政権は、オバマ政権がやりそうなことの先鞭をつけている。米国の世界戦略は、超党派体制で、米英中心体制から多極体制への軟着陸を目指している。(関連記事) 中東和平に関して、米英はイスラエルの側に立ち、アラブをだます傾向が強いが、ロシアや国連や中国はもっと中立的である。中東和平は多極体制になるほど、イスラエルに不利になる。MGI報告書は、最終的にはイスラエルとイスラム諸国が協調できる中東地域の多国間安保体制の枠組みを作るのが目標だと書いているが、それができるまでには、入植地撤去、エルサレム分割、難民帰還など、イスラエルは多くの譲歩を迫られる。 オバマは、就任したらイスラム世界に対して「協調しよう」と呼びかける構想を持っている。しかし、これはおそらく逆効果になる。米国のイラク侵攻後、イスラム世界は反米反イスラエルの世論を強め、イスラエル周辺でもハマスなどのイスラム主義勢力が強くなったが、イスラエルはこれらの台頭に対抗してパレスチナ人に対する抑圧を強めざるを得なくなっている。オバマがイスラム世界に「協調しよう」と呼びかけたら、イスラム側からの返事は「協調したいなら、まずイスラエルにパレスチナ抑圧を解除させろ」となる。ロシアや、反米左翼とイスラム主義者に乗っ取る国連も「そうだそうだ」と言うだろう。(関連記事) 米政府は来年以降、財政難やドル不安にも襲われるだろうから、そんな中でのオバマの対イスラム協調路線は、米国の外交力の弱体化を象徴するものにしかならない。米国の後ろ盾を失い、イスラエルは弱くなる一方だ。リクード右派は「消滅させられる前に、最後の先制攻撃をすべきだ」という「サムソン・オプション」の主張を強めるだろう。イラン・イスラエル戦争の可能性がしつこく残る。 ▼地球温暖化重視は茶番劇? MGI報告書は、IMFについては、今後の主たる役目を、世界的な貿易不均衡を解消するために世界各国の為替政策を調査監督するサーベイランス機能とすることを提案している。IMFの「サーベイランス機能」と聞いて思い出すのは、世界の貿易不均衡を通貨体制の調整によって解消する目的で、06年4月にIMFに作られた、米国・EU・中国・サウジアラビア・日本で構成する、多国間協調のサーベイランス組織である。この組織は、中国やサウジアラビアや日本に通貨の切り上げや国際化を進めさせようとしたが、各国とも対米従属の希望が強くてやる気がなく、機能しなかった。(関連記事) あれから3年近く経ち、この間、米金融危機によってドルの潜在危機が強まっている。ヘッジファンド規制などの国際投機規制が実施されれば、中国やアラブ諸国が通貨を国際化したがらなかった元凶の理由も解消される。オバマ政権下でドル危機が顕在化すれば、国際通貨体制の転換の準備を行うIMFのサーベイランス機能が、再び重視されることになる。いずれ、国際通貨体制は多極化していくだろう。 MGI報告書は「地球温暖化問題」についても、強い対策を提唱している。国連の気候変動枠組み条約会議の成功と、排出ガス規制の条約化を目指すとしている。しかし現実をみると、これは実現しそうもない。12月13日にポーランドで行われた国連の温暖化対策会議では、会議参加者ら世界の650人の科学者が、国連や欧米日が「事実」と決めつけている温暖化人為説について「事実と断定するのは間違っている」と主張する報告書を連名で出した。(関連記事) またこの会議では、発展途上国の代表たちが「先進国が主張する、温室効果ガスの排出に国際的に課税する策は、途上国の貧困層をますます貧しくする愚策だ」と劇的に反対した。今後、G7がG16になったりして、BRICや途上国の政治力が強くなるほど、排出ガス課税の実施は難しくなる。世界不況の悪化も「温暖化対策」を棚上げさせる効果をもたらす。(関連記事) そもそも、実際には確証の少ない仮説の一つにすぎない「二酸化炭素など人類の排出ガスのせいで地球が温暖化している」という説を「事実」として確定し、排出ガス課税を世界的な義務にしようという策略は、BRICや途上国の経済成長をピンハネしようとする、英国主導の日欧先進国による政治戦略だ。この件はマスコミ報道も、事実のふりをしたプロパガンダが強い。「温暖化対策」が実施されなくても、実際に環境面で人類が困ることはない。オバマは、温暖化対策を重視すると何度も表明しているが、これはひょっとして実現できないことを承知で、英国筋などを煙に巻くための戦法なのではないかとも思う。(関連記事) ▼反露強硬路線を進むほど行き詰まる MGI報告書は、実際のオバマ政権の高官が採りそうな方針と、食い違っている部分がある。たとえば国防長官になるゲイツは、ミサイル防衛計画(ミサイル迎撃ミサイル)を東欧に配備する件と、グルジアやウクライナのNATO加盟を推進しそうで、これは米露関係の好転と、多極化への軟着陸を阻害する。国務長官になるクリントンも、対ロシア強硬派になると予測されている。(関連記事) またゲイツは、米軍が核兵器の開発を再開することを提唱したが、MGI報告書は米露が率先して核兵器の削減を行い、世界の核拡散防止につなげることを提唱している。(関連記事) しかしこれらの点は、米国が単独覇権主義を過激にやりすぎて覇権を衰退させ、その結果、世界が多極化していることを考えると、矛盾とは言えなくなる。米国が単独覇権的な核兵器再開発やロシア敵視を続けるほど、米国は世界からの反発を強く受けるようになり、覇権の衰退が進み、最終的な多極化につながるからである。その意味では、穏健的なオバマではなく、過激派のマケインが大統領になっていたとしても、最後には多極化を容認せざるを得なくなる点で、同じ結果になっていたとも考えられる。 最近、米政府の国家情報委員会(NIC)がまとめた未来予測「グローバルトレンド2025」では、冒頭から「多極型の世界システムが出現する」と宣言し、2025年の世界は中国などのBRIC諸国が台頭すると、明確に多極化を予測している。実際の今の中国は、それほど強い国ではないので、この予測自体が「多極主義者が書いたシナリオ」とも受け取れるが、今までに書かれた多極化のシナリオは大体そのとおりになっており、一蹴するのは間違いだ。オバマ政権の最重要課題が「世界多極化への対応」になるのは、ほぼ確かなことである。 田中宇の国際ニュース解説・メインページへ |