中東大戦争前夜(2)2008年3月13日 田中 宇3月4日に前回の記事「中東大戦争とドル崩壊の同期」を配信してから、大戦争が起きるかどうかをめぐる中東の事態と、ドルの信用不安・アメリカ金融危機の深化という、私が同期していると感じる2つの事象は、大きく揺れ動き続けている。 金融の方は、3月11日に米連銀が、米金融機関が保有する不動産担保債券(今は最優良格だがいつジャンクに格下げされるかわからない債券)と米国債を交換する金融救済策を打ち出し、株価は大きく上昇した。だが上昇機運は1日しか続かず、むしろ連銀が景気対策といいつつ景気に効き目のない大幅利下げを再びやり、ドルの信用不安とインフレを煽りそうだという予測から急速にドル安となり、この記事を書いている間にも、どんどんドルは下がっている。(関連記事) 原油価格は史上最高値を更新し、金融界ではデリバティブ市場が崩壊しそうだという話も出て、危機が深化している。3月初めに発表された米雇用統計などを機に、米経済は不況入りしていることも確実となった。(関連記事) 米連銀のバーナンキ議長らが、議会の公聴会などの場で、経済の悪化ぶりをあけすけに認め、銀行が潰れるかもしれないなどと言うので、EUの金融当局者たちは、米連銀が意図的、もしくは無意識の失策のうちに、ドルを急落させようとしていると危惧している。(関連記事) 1971年夏にブレトンウッズ体制を崩壊させたニクソンショック(金ドル交換停止)が起きる前にも、米当局はドル崩壊を誘発しているという懸念が欧州の当局者の間で広がったが、それと似た危機前の状況が繰り返されている。金融大崩壊が近い感じがする。 ▼アラブに中東和平を任せるアメリカ 中東の方は、イスラエルが、ガザのハマスと非公開の停戦協定を結んだようなので、大戦争の可能性は低下したかに見える。しかし、実際に起きていることはもっと複雑だ。(関連記事) イスラエルとハマスの停戦協定は、エジプトが仲裁したものだ。エジプトによる仲裁の態勢は、3月4日にアメリカのライス国務長官がエジプトとイスラエルを訪問した際に、話をまとめていったものだ。イスラエルはライスに、ハマスと停戦協定を結びたいので仲裁してくれと頼んだが、ライスは、ハマスはテロ組織なのでアメリカとして仲裁することはできず、代わりにエジプトに頼むのが良い、と反応し、ライスから頼まれて、エジプトは仲裁役を引き受けた。(関連記事) パレスチナの和平交渉はこれまで、アメリカが仲介役だった。反イスラエルの言動をした政治家は次の選挙で落選させられるなど、イスラエルに政界を牛耳られているアメリカは、表向きは公正な仲介役を演じつつ、実際には完全にイスラエルの味方だった。アメリカが仲介役である限り、和平交渉でイスラエルに不利な結果が出ることはなかった。だが、アメリカがエジプトに和平交渉を任せるとなると、話は全く変わってくる。エジプトは一応イスラエルと国交関係を持っているが、それはエジプト政府がアメリカから経済援助をもらうためであり、本心ではイスラエルを嫌悪している。 イスラエルとハマスの間を仲裁しようとしているのは、エジプトだけではなく、その背後には黒幕としてサウジアラビアがいる。サウジアラビアは、エジプトだけでなく、ヨルダンやシリアなど、他のアラブ諸国とも協議し、ハマスを支援している非アラブ国家のイランとも相談しながら、アラブ主導でガザなどのパレスチナ問題を解決しようとしている。(関連記事) サウジの動きは全く報道の表面に出てこない。サウジは、完全な黒幕として動いているが、援助金を気前良く出すので、秘密裏に動いていても「黒幕はサウジだろう。貧乏なエジプトには、こんな金はない」と感じられる。たとえば最近、エジプトがガザに、ヨルダンが西岸の町エリコに電力供給することを検討している、という話が典型だ。これはおそらく、サウジが石油をエジプトとヨルダンに供給し、その石油で発電した電力をガザとエリコに供給するという、サウジが資金源の話である。(関連記事その1、その2) エリコは、イスラエルが占領している西岸のうち、最もヨルダンに近い場所にある町で、イスラエルは以前から、エリコだけ切り離して自治させたり、ヨルダンに返しても良いと考えていた(西岸は1967年までヨルダン領だった)。1990年代にアメリカの仲裁でパレスチナ国家建設による中東和平構想が出てきた時も、まずガザとエリコにパレスチナ自治政府が作られた。 ▼占領地をアラブに返したいイスラエル 従来、エリコを含む西岸とガザはイスラエルの占領地だったので、電力供給もイスラエルが行っていた。だが90年代のパレスチナ国家建設による和平計画が、01年の911以後のテロ戦争の失敗によるイスラム主義の高まりの中で崩壊し、もはや親イスラエル的なパレスチナ国家の建設は無理だとイスラエル政府が考えるようになり、代わりに02年ごろからイスラエル内で検討され出したのが、ガザをエジプトに、西岸をヨルダンに返す構想だった。 05年のイスラエル軍と入植者のガザ撤退は、この構想の具現化の一つであり、今回のサウジ・エジプト・ヨルダンによる電力供給の肩代わり案も、その具体化の一つである。 イスラエルの閣僚は3月4日に「ガザをエジプトに、西岸をヨルダンに暫定統治してもらうことになるかもしれない」と発言した。(関連記事) エジプトはこれまで、イスラエルからガザを譲渡されることを嫌がっていた。ガザのパレスチナ人の多くはイスラム過激派のハマスの支持者であり、彼らの自由往来を許したら、エジプトの世論はイスラム主義化が進み、エジプトの親米独裁的ムバラク政権は倒されてしまう。だが、すでに今年1月に、ガザとエジプトの国境の壁がハマスによって崩され、10日間にわたってガザ市民がエジプトに流入する事件が起きた。エジプトの世論はガザへの同情を強めている。エジプト政府が、ガザの引き受けを拒否し続けることはできなくなった。(関連記事その1、その2) エジプトと対照的にサウジアラビアは、西岸とガザをアラブ側で引き受け、サウジが金を出して再建する代わりに、イスラエルを占領地から全撤退させ、中東を安定させる構想を好んでおり、02年からこの構想をサウジ和平案として出している。サウジの和平案はパレスチナだけでなく、イスラエルの北の敵であるレバノンも含んでいる。サウジはレバノンで、イランやシリアの傘下にいるヒズボラを含めた連立政権を組み直し、イスラエルや欧米にもレバノン不介入の約束をさせ、安定化を実現しようとしてきた。(関連記事) イスラエルは、アメリカの後ろ盾がある間は、サウジ和平案を無視していたが、アメリカが弱くなり、代わってイランがハマスやヒズボラなどの代理勢力を使ってイスラエルを潰そうとしている中で、サウジ案に乗らざるを得なくなった。(関連記事) ▼米のアラブ任せは「北朝鮮方式」 3月4日のライスの訪問を機に状況が進展し、エジプトが仲裁し、ハマスとイスラエルの停戦協定が実現した。アメリカがハマスをテロ組織に指定している限り、イスラエルがハマス敵視をやめるわけにはいかないので、イスラエルもハマスも、停戦協定など結んでいないと言っている。だが、無力なので外されている西岸のパレスチナ自治政府のアッバス大統領が3月10日、腹いせに停戦協定の存在を暴露した。アッバスによると、イスラエルはハマス幹部の暗殺を試みない代わりに、ハマスはイスラエルにミサイルを撃ち込まないという停戦協定が結ばれた。(関連記事) 米ブッシュ政権にとって、中東和平の主導権をアラブ諸国に任せることは、北朝鮮問題の6者協議の主導権を中国に任せた(押しつけた)のと同様、覇権の多極化策の一環である。アメリカが中東和平を主導している限り、中東の覇権は米英イスラエル中心体制であり、アラブ諸国は親米で、反米のイランなどは封じ込められて弱い、という状態が続く。しかしアメリカが和平の主導権をアラブに任せると、アラブはイランと結束し、イスラエルに譲歩を迫り、英仏に中東への介入をやめさせ、サウジ、エジプトが中心のアラブと、非アラブのイラン、トルコが協調して中東の覇権を自律的に維持する体制(アラブ+2)へと移行する。(関連記事) アメリカが来年、次の政権になったら、ブッシュが放棄した覇権の再獲得を試みるかもしれない。だがもはや、米英イスラエルの言いなりになるパレスチナ政府を作ることは無理だ。親米のパレスチナ自治政府は、欧米や日本からもらう援助資金の分捕り合戦による内部分裂と腐敗がひどく、世論の支持も失って弱体化している。自治政府がハマスに潰されるのは時間の問題で、来年まで持たないだろう。自治政府が潰れたら、米イスラエルは交渉の相手がいなくなり、欧米主導の中東和平は完全に終わる。(関連記事その1、その2) 3月4日のライス訪問後、翌5日にはサウジとエジプト、イランの外相がカイロに集まって会議を開き、その結果を聞きにアメリカの国務次官補も飛来するなと、アラブ主導の中東和平交渉が進展するかに見えた。アラブ諸国は3月末にシリアで「アラブ連盟会議」を開くことになっており、そこにイランも参加してパレスチナとレバノンの問題が話され、アラブ主導の中東安定化が実現していくのではないかという希望が見えた。(関連記事その1、その2) ▼急に強気になるアラブ しかし、そんな楽観的なシナリオは3日も持たなかった。アラブ側の内部でのイスラエルに対する憎しみはすでに非常に強く、イスラエルがアメリカに頼れなくなっていると見るや、アラブのあちこちから、イスラエルに多大な譲歩を迫る姿勢が噴出した。ハマスは、イスラエルとの1カ月間の暫定停戦には応じたが、和解は拒否した。シリアは、ヒズボラを説き伏せてレバノンの親米シニオラ政権に協力させるというサウジ構想への協力を拒否した。(関連記事その1、その2) アラブ連盟は3月5日には「イスラエルが核兵器を持っていることが確認されたら、アラブ諸国は集団で核拡散防止条約(NPT)を脱退する」と宣言した。イスラエルは核兵器の保有を公式に認めておらず、NPTにも加盟していないが、欧米の専門家の間では400発の核弾頭を持っていると推測されている。(関連記事) 最近、イランの核開発疑惑をめぐり、実はイランは核開発をしておらず、中東ではすでに核兵器を持っているイスラエルの方が危険であり、イランの核疑惑が濡れ衣であることが確定したら、次はイスラエルを核査察すべきだという見方が、国連での非欧米諸国の代表らの議論の中で強まっている。ハマスとの停戦を欲しているイスラエルの弱体化を見たアラブ諸国は強気になり、イスラエルの核保有が確認されたらNPTを脱退すると決議したのだろう。 アメリカの後ろ盾がない状態で、イスラエルがアラブ側との和解交渉の座についたら、イスラエルはほとんど無限の譲歩を迫られる。イスラエルはパレスチナのアラブ人を追い出して作られた国であり、イスラエル国家の存続そのものを認められないと主張するアラブ人は多い。もしくは、イスラエルは300万人のパレスチナ難民が国民として帰還することを引き受けさせられ、パレスチナ人の政党がイスラエルの与党になる事態が起きうる。「ユダヤ人のための国」を絶対の国是とするイスラエル側が受け入れられる条件ではない。 アラブ側は、イスラエルが強い間は難民帰還を要求しないだろうが、イスラエルが弱くなったら、容赦なく要求をつり上げるだろう。中東大戦争がイスラエルに急激な終焉をもたらすのに対し、アラブ主導の和平はイスラエルに緩慢な終焉をもたらす。アメリカの後ろ盾がなくなったら、国家としてのイスラエルは終わりである。国家がなくなっても、旧イスラエル国民のユダヤ人は、アラブ社会の中で少数派として生きることを許されるだろうが、従来のような傲慢は許されない。 ▼ファロン司令官の辞任 イスラエル側の強硬姿勢もあって、アラブ主導の和平案の頓挫が報じられるようになり、私は途中まで書いた原稿を破棄した。どうなるのだろうと思っていると、3月11日に、米軍の中東担当軍(中央軍)司令官のウィリアム・ファロンの辞任が発表された。ファロンは、昨年3月に中央軍司令官になった後、米軍がイランを空爆することに何回か反対を表明した人物として知られてきた。(関連記事その1、その2) 米政府内では、チェイニー副大統領らがイラン空爆の計画を推進してきたが、ファロンはその計画に反対する米軍内の制服組幹部として最高位の人物だった。ファロンの辞任は、分析者の間で「チェイニーがファロンを辞めさせ、いよいよイラン空爆が実行されるのではないか」という憶測を呼んだ。(関連記事その1、その2) ファロンの辞任が発表されたのは、イスラエルのリブニ外相が訪米し、チェイニーに会った翌日のことだった。チェイニーはアメリカ単独でイランを空爆するのではなく、イスラエルを誘って米軍と共同で、もしくはイスラエルに空爆を実行させたいと考えてきた。06年夏には、チェイニーはイランとの戦争の前哨戦だとしてイスラエルをそそのかし、レバノンのヒズボラと戦争させている。こうした経緯からは、チェイニーは訪米したリブニに対し、一緒にイランを空爆して潰そうと提案し、リブニが了承したので、イラン空爆に反対してきたファロンを辞めさせたのではないかと推測できる。(関連記事) 06年夏のヒズボラとの戦争で残虐な空爆を繰り返した挙げ句に勝てず、国際的な評判を大幅に悪化させたイスラエルは、その後、イランやその代理勢力との戦争をやりたがらなくなった。しかし今回、リブニが訪米してチェイニーと会い、その直後にファロンが辞めさせられた流れからは、リブニはアメリカにはしごを外されて単独でアラブに無限の譲歩をさせられるより、チェイニーの戦争案に乗る方を選んだことがうかがえる。 3月16日からは、チェイニーが「イラン包囲網強化」を目的に、イスラエルを訪問する(同時にサウジなども歴訪する)。リブニとチェイニーの相互訪問によって、イランやヒズボラとの戦争計画が決まり、4月までに開戦するのではないかという予測が成り立つ。(関連記事) ▼許されるイラン、悪者になるイスラエル 明らかなことは、リブニとチェイニーの相互訪問、それからファロンの辞任という事実だけだ。それらの出来事と対イラン戦争計画との関係については全く明らかではない。私の読み違いかもしれず、米イスラエルによるイラン侵攻は起こらない可能性もある。 しかしその一方で、イランが核兵器開発疑惑の濡れ衣を解かれるのが間近になっている観もある。国連のIAEA(国際原子力機関)は2月下旬、イランが現在核兵器を開発していると考えられる根拠は何もないとする報告書を発表した。(関連記事) 残っている案件は、イランが過去に核兵器を開発したことがあったかどうかという問題で、これに関してアメリカは「イランの反政府組織ムジャヘディンハルク(MEK)がイラン政府から盗み出した(とされる)ノートパソコンに、核兵器の設計図が入っていた」ということを唯一の証拠として「イランは過去に核兵器を開発していた」と主張してきた。 ところが最近、問題のノートパソコンは、イラン政府から盗んだものではなく、イスラエルの諜報機関モサドが、それらしいニセモノのデータをノートパソコンに仕込み、MEKに渡した疑いが強いことがわかってきた。このでっち上げがもっとはっきり暴露されていくと、イランの濡れ衣は晴れ、代わりにイスラエルによるでっち上げが国家犯罪行為として浮かび上がる。イランは正義に、イスラエルは悪になる。(関連記事) すでにイランは、米軍占領中のイラクで、反米ゲリラを操って、米軍よりも強い影響力を持っている。イランの核兵器疑惑が正式に濡れ衣だということになったら、ブッシュ政権は驚いたふりをした後、イラク占領でイランの力を借りたいと正式に言い出すだろう。すでに3月初めには、イランのアハマディネジャド大統領がイラクを訪問し、米傀儡のはずのイラク政府は大歓迎し、米政府は黙認している。(関連記事) イスラエルがチェイニーの誘いに乗ってイランを空爆しない場合、イランは、国際的に許され、イスラム世界では米イスラエルの謀略に勝った国として英雄視され、アメリカはそれを黙認し、アラブとイランは結束し、イスラエルに強く譲歩を迫るだろう。やはり、リブニはチェイニーから「イランに潰されたくないなら、これが最後のチャンスだ」と言われたのではないか。 3月12日には、ガザからイスラエルに対するロケット砲撃が再開された。ハマスはイスラエルと停戦しているが、ガザにはハマスより小さいが過激な勢力として「イスラム聖戦団」がおり、こちらはイスラエルと停戦協定を結んでいない。イスラエル軍が前日にイスラム聖戦団の幹部を殺したので、その報復として聖戦団がイスラエル側にロケット砲を撃ち始めた。(関連記事) ガザにはいくつもの武装勢力があり、全員がイスラエルを敵視している。イスラエルがすべての勢力と停戦するのは不可能だ。ガザでも早晩、戦闘が再開される。イスラエルにとって和平の選択肢は失われつつある。
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