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中東和平と戦争のはざま

2007年7月14日   田中 宇

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 7月10日、パレスチナ自治政府(ファタハ)は、ガザにおける治安担当長官だったモハメド・ダハランが、病気治療のため、エジプトからドイツに移動したことを明らかにした。ドイツで十分な治療が受けられない場合は、さらにアメリカに移動すると発表されており、病気治療を理由にした「亡命」という観が強い。(関連記事

 ダハランは、ガザにおけるファタハの軍勢を率いていた人で、6月中旬にハマスがガザを武力で占拠し、ファタハを追い出すまで、ガザ最強の人物と言われ、マフムード・アッバス大統領の後継者とも目されていた。ダハランは、ガザが占拠される少し前に、アメリカの支援を受けてファタハの軍勢を軍事訓練する名目でエジプトに出国しており、ガザ陥落時にはガザにいなかった。

 ダハランだけでなく、その傘下のファタハ幹部の多くは陥落時にガザにおらず、5日間の戦闘の前にエジプトにボートなどで逃げ出しており、ハマスと最後まで戦ったファタハの勢力は、下っ端の歩兵ばかりだった。ガザ陥落は、戦闘前に逃げ出たダハランらの責任だという声が、パレスチナ人の間で大きくなっている。(関連記事

 ダハランへの非難は、それだけではない。ドイツ行きが発表されたのとほぼ同時に、パレスチナ自治政府は、ダハランの銀行口座にあった700万ドル(約8億円)の資金を、横領された公金であるとして没収した(ダハラン以外に、数人の幹部が同様の容疑を持たれている)。(関連記事

 ガザを占拠したハマスは、ダハランの事務所などを家宅捜索し、ダハランが1993年のオスロ合意以来、アメリカやイスラエルの諜報機関と定期的に会合を持ち、アラブ諸国やハマスに関してファタハが得た諜報を米英イスラエル側に流していたことが確認されたと発表した。パレスチナ自治政府は、中東各国に大使館的な代表所を置いており、そこを拠点に中東各国の情報を収集してきたが、その情報は自治政府の諜報責任者だったダハランを通じて、米英イスラエル側に筒抜けだったことになる。(関連記事

▼表面化するファタハの腐敗

 ハマスは以前から、ダハランは米英イスラエルのスパイだと主張してきた。ダハランの敵だったハマスが、ガザを占拠した後で「ダハランの事務所を捜索したら、スパイだった証拠が出てきた」と主張しても、それだけでは事実とは認めがたい。敵を悪者に仕立てるためのねつ造かもしれない。しかし、この件についてはイスラエルのマスコミも、ダハランは米英イスラエルのスパイだったことを指摘する記事を、ガザ陥落後、何度か出している。

 エルサレム・ポスト紙によると、欧米やイスラエルの政府担当者たちは、パレスチナ人の間で人気が高いうえに「現実的(米英イスラエルの命令を聞くという意味)」なダハランが、アッバスの後継者としてうってつけだと考えていた。同紙はダハランを「オスロ合意の象徴的な存在だった」と指摘している。(関連記事

 オスロ合意体制下のパレスチナで権力と金力を持ったのは、ダハランだけではない。現大統領のアッバスや、前大統領で故人のアラファトも同様である。2006年1月の議会選挙でハマスに惨敗して民意の支持を失い、先月には武力でもハマスに負けてガザを失ったファタハの内部では、ダハランだけでなくアッバスを含めた幹部全体の腐敗を糾弾する声が強くなっている。

 6月末には、自治政府の元内相でアッバスの顧問だったハニ・ハッサン(Hani al-Hassan)が、アッバスを含むファタハ幹部の腐敗体質を非難するとともに、ダハランを「米英イスラエルの協力者」と非難し、アッバス顧問を辞任した。ハッサンによると、ダハランは米イスラエルの後ろ盾を受け、パレスチナ政界でのし上がった経歴の持ち主である。(ハッサンは同時に、ハマスとの連立政権の維持を拒否したアッバスの政策を非難した)(関連記事

 ハッサンら、ファタハ内部からの非難を受け、アッバス大統領は、ダハランを切り捨てざるを得なくなった。その表れが、7月10日の、自治政府による事実上のダハラン亡命発表だった。(関連記事

▼オスロ合意体制はパレスチナ傀儡化

 このようなダハランへの非難と、ファタハに対する内部批判を総合して考えると、そもそも1993年から現在まで続いてきたパレスチナをめぐるオスロ合意体制とは、パレスチナ人に国家を与える代わりに、新国家の指導者には米英イスラエルの言うことを聞く人物を据えるという、米英イスラエルによる傀儡国家構想だったことが感じられる。

 アラファトもアッバスもダハランも、表向きイスラエルを非難する姿勢を採ってきたが、それはパレスチナ人が反イスラエルの感情を強く持っているので、イスラエルを非難する人しか指導者になれないからである。表向きはイスラエルを非難するが、その裏で隠密にイスラエル支配に協力する人物が、パレスチナの指導者として、米英イスラエルにとって望ましかった。

 米英イスラエルは、傀儡になってくれるパレスチナ人の指導者が、パレスチナ国家建設のために欧米や日本からもらった支援金を着服することを黙認した。その結果、ファタハの上層部全体が腐敗した。

 アラファトは、ゲリラ出身の巧妙な政治家だったので、パレスチナ国家建設が達成されるまではイスラエルに協力しても、その後パレスチナ国家の力がついたらイスラエルに反逆しようと思っていたふしがある。イスラエルはアラファトの本質を知っていたので、ダハランをけしかけてアラファトを暗殺させようとしたこともあると報じられている。(関連記事

 6月中旬のハマスによるガザ占拠によって、オスロ合意体制は半分崩壊した。パレスチナの半分を占めるガザは、イスラエルを潰そうとするイランに支援されたハマスが支配する地域になった。この半崩壊によって、ダハランらファタハ首脳の本質と、オスロ合意体制の本質が暴露している。

▼議員を逮捕して多数派を崩す

 イスラエルやエジプト、ヨルダンは、オスロ合意体制を何とか維持したいと考え、ファタハのアッバス政権を支援しているが、うまくいきそうもない。(親米の傀儡的政権であるエジプトとヨルダンは、ガザだけでなく西岸でもファタハが負けてパレスチナ全体がハマス政権になると、その隣にある自国でも反米イスラム主義が台頭して自分たちの政権を潰しかねないので、アッバスを支援している)

 ハマスが勝った2006年の選挙以来、パレスチナ自治政府は、ハマスとファタハの連立政権だったが、ハマスにガザを奪われた後、西岸ではファタハだけで新政権(サラム・ファヤド首相)が組まれた。新政権は、一般のパレスチナ人にほとんど支持されていないと、アメリカのマスコミでも報じられている。(関連記事

 多くのパレスチナ人は、ファタハはイスラエルによる占領を維持するために存在する腐敗した組織だと感じている。ガザを失い、民心に離反されているファタハは、米英イスラエルに依存する傾向を強め、ますます支持されなくなり、代わりにイスラエルに迎合しないハマスへの支持が強まっている。

 パレスチナの憲法では、新しい内閣は発足後30日以内に議会の承認を得る必要がある。06年の選挙以来、パレスチナ議会の多数派はハマスなので、ファタハだけで結成された新政権は、議会を通らない。定員132人のパレスチナ議会のうち、74議席はハマスが占めている。しかし現実には、ハマス議員のうち41人は、イスラエル軍によって拘束された状態で、議会に出られなかった。ハマス議員で出席可能なのは33人となり、42議席を持つファタハに負けている。イスラエル軍は「パレスチナの治安維持」を口実にハマス議員を拘束しているが、実はそれはファタハ支援になっている。

 この状況は不公正なので、ハマスは、アッバス大統領が7月11日に召集した議会に出席しないと表明し、議会は最少定数を満たせず開催不能になった。議会が開けないので、議会が新政権を不信任にする決議を出すこともなく、その意味での新政権崩壊の可能性はなくなったが、その半面、新政権は民主的な正統性を欠くものになった。皮肉なことに、この状況はブッシュ政権の「中東民主化政策」の結果である。(関連記事

 議会が開けず、政治解決の道が閉ざされたため、次に西岸で動きがあるとしたら、それは政治的な和解ではない。軍事的な、ファタハとハマスの内戦になる可能性が大きい。それは、イスラエルを巻き込んだ戦争になるかもしれない。イスラエル政府はハマスと戦争する気がなくても、西岸の入植地の右派(過激派)のイスラエル人と、ハマスとの間で戦闘が起きるおそれがある。

▼ファタハを見捨てるサウジアラビア

 イスラエルはアッバスのファタハを支援しているものの、同時にファタハがいずれ民意の支持を得るため「反イスラエル」の側に転じ、ハマスと結合してイスラエルを攻撃してくるのではないかとも恐れている。そのためイスラエルによるアッバス支援は消極姿勢で、イスラエルが凍結しているパレスチナ自治政府の資金のうち一部だけを凍結解除した。アッバスはその資金でパレスチナ自治政府の職員に1年半ぶりに給料を支払い、離反する民意を何とかつなぎ止めようとした。(自治政府は、パレスチナ経済の中で圧倒的に最大の雇用先)(関連記事

 これまでファタハとハマスを仲裁していたアラブの盟主サウジアラビアは、すでにアッバスのファタハに対して事実上の縁切りをしている。サウジは従来、ファタハとハマスの連立政権を強化し、パレスチナ国家建設を立て直した上で、イスラエルとの和平を実現しようとしてきた。しかし、ガザを奪われた後、アッバスは仲裁者のサウジに約束していたハマスとの連立維持を拒否し、ハマスを排除して新政権を組んだ。サウジ側はこれを不快に思ったようで、6月末にヨルダンで、アッバスとサウジのアブドラ国王の会談がセットされたが、アブドラはアッバスを待ち惚けにさせたまま、会談の場に現れなかった。(関連記事

 イスラエルのオルメルト首相は今年4月、サウジのアブドラ国王と会って中東和平について話し合いたいと異例の発表を行い、それ以来イスラエルとサウジの首脳会談の可能性が模索されてきた。しかし6月末には、エジプトのムバラク大統領が「イスラエルは、もうサウジ国王と会うことはあきらめた方が良い」と表明した。反イスラエル感情が高まった結果、事態はもはや、メッカを擁するイスラム教の盟主であるサウジアラビアの国王が、イスラエル首相と会える状況ではなくなったと、ムバラクは説明している。(関連記事

 従来、サウジ王室内では、親米的なバンダル王子(Prince Bandar Bin Sultan)の勢力は、アメリカ(チェイニー副大統領ら)に頼まれて、ガザのダハランを資金援助してファタハを支援してきた。これとバランスを取るかたちで、親イスラム主義的なトルキー王子(Prince Turki al-Feisal)の勢力は、ハマスを支援していた。ハマスがガザを占拠し、ダハランが権力を失ったことで、サウジ王室内の対パレスチナ政策は、バンダル系が弱くなり、トルキー系が強くなったと推測される。(サウジ王室内の状況は外に漏れないので、確定的なことは分からない)(関連記事

 パレスチナの情勢は全体として、しだいにハマスに有利、ファタハに不利になっている。このままだと、いずれハマスが西岸の権力も握るようになると予測される。その時点でオスロ合意体制は完全に終わり、パレスチナ人は、米英イスラエルの傀儡から、イランに支援されたイスラム主義勢力の側に転じることになる。

 似たような状況は、イスラエルの北にあるレバノンでも起きている。レバノンでは、親米(反シリア)のシニオラ政権より、反米反イスラエル(親シリア)のイスラム主義組織ヒズボラの方が民意を得るようになっている。シニオラ政権は民意を失った分、欧米からの支持に頼るようになり、さらに民意を失っている。

▼イスラエルを強化するといって窮地に追い込んだ右派

 パレスチナ国家を作り、そこに米英イスラエルの傀儡になる指導者を置くというオスロ合意体制の戦略は、米英イスラエルにとって都合の良いものだったはずだ。しかし今や、その体制は失われようとしており、その結果イスラエルは国家的な危機に陥っている。先日エルサレムで開かれたユダヤ人の国際会議では、過激なイスラム主義勢力の勃興によって、イスラエル(ユダヤ人)は、1930年代のナチスの台頭以来の危機に瀕しているという指摘がなされている。(関連記事

 なぜ、オスロ合意体制は失われたのか。オスロ合意体制を潰したのは、イスラエルとアメリカの右派(過激派シオニスト)である。イスラエルでは「入植者」「リクード右派」であり、アメリカでは「ネオコン」である。ブッシュ政権では、ネオコンを傘下に置いていたチェイニー副大統領である。右派は、イスラエルを強化すると言いながら、実は窮地に追い込んでいる。

 オスロ合意を締結したイスラエルのラビン首相は、締結翌年の1995年に暗殺されたが、ラビンを暗殺したのは右派の青年(Yigal Amir)だった(イスラエルの諜報機関シンベト Shabak のエージェントにそそのかされて暗殺を挙行したとの見方がある。イスラエルの諜報機関、軍など政府要職には、多くの右派が潜り込んでいる)。(関連記事

 ラビン暗殺後、イスラエルの政権はリクード右派に支持されたネタニヤフ首相になり、その政権下でさらにオスロ合意体制が崩され、パレスチナ国家建設は妨害され、西岸やガザの入植地が急拡大した。

 2001年からの米ブッシュ政権では、911事件を機に、今度はアメリカが、中東のイスラム教徒を怒らせて過激なイスラム主義を扇動するようなことをやり出した。ブッシュ政権は06年1月、イスラエルやアッバスが止めるのも聞かず、パレスチナで選挙をさせ、その結果ハマスが圧勝し、今につながるハマスの拡大とファタハの凋落を誘発した。

 6月中旬のハマスによるガザ占拠も、過激なイスラム主義勢力を扇動する政策の結果である。アメリカのチェイニー副大統領の側近であるエリオット・アブラムスは、中東の親米穏健派と反米過激派を内戦させる作戦を中東各地で展開しており、その作戦がガザで失敗した結果、ガザはハマスに奪われた。アブラムスは、ダハランが率いるガザのファタハの軍勢を訓練し、武器を供給してハマスと戦わせることを画策していた。ダハランがガザ陥落前にエジプトに行って監督していた軍事訓練は、チェイニーとアブラムスが企画したものだった。(資金はサウジアラビアのバンダル王子が出していた)(関連記事

 西岸では、イスラエル軍がハマスの議員を次々に逮捕していたが、ガザではこの逮捕作戦をダハラン傘下のファタハの軍勢が挙行することになっていた。この作戦が事前にハマス側に漏れ、ハマスが先制的にファタハに攻撃をかけた結果、ファタハが破れ、ハマスはガザを占拠することになった。この間、アッバスは「ハマスとの連立関係を切れ」とライス国務長官らから圧力をかけられていた。ダハランやアッバスは、ブッシュ政権に命じられてハマスとの敵対に入り、敗北した。その意味では、ダハランやアッバスは、右派が動かすブッシュ政権の(故意の?)失策の犠牲者ということになる。

 チェイニーとアブラムスによる、中東の穏健派と過激派と内戦させる作戦はレバノンでも行われており、それがレバノン北部のパレスチナ難民キャンプで続いている銃撃戦につながっている。(関連記事

【続く】



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