大門小百合のハーバード日記(最終回)卒業式 2001年6月14日 あっという間に10ヶ月が終り、ハーバード大学は卒業式をむかえた。 私はフェローなので、一般の学生と一緒に卒業のガウンを着て行進はしないが、その前にニーマンフェローだけ、直接ハーバード大学のニール・ルーデンスタイン学長から終了証書が渡された。 とうとう留学期間も終りかと思うと悲しい。 ところでハーバードの卒業式はなかなか見物である。4年制のハーバードカレッジだけでなく、ビジネススクールやロースクールなど全てのスクールの卒業生がハーバードの中庭に会す一大イベントだ。 中庭には3万以上の席が用意されているのだが、それでも卒業生の両親などをいれると席はとてもではないが足りない。 そこで、まるでコンサート会場のようにチケットを持っているものだけが入れることになっている。 当日は快晴。ハーバードの卒業式は雨が降ったことがないといわれている。 この人数で雨でも降られたらたまったもんじゃない。 ひとまず良かった良かった。 この日卒業した学生は、4年制の学部、大学院、博士課程なども含めて、全部で6194人。 卒業式の会場が巨大なのもうなづける。 まるで、全米から、いや全世界から卒業生の家族がお祝いに駆けつけたようだ。 わが子の晴れ舞台を一目でも見ようと早くからそれぞれの席とりに励む。 アル・ゴア前副大統領の娘さんも今年卒業するようで、ゴア氏も両親の席に座っていた。 次期学長に選ばれたローレンス・サマーズ元財務長官の姿も見受けられた。 他のハーバードの著名な学者も含め、有名人も勢ぞろいである。 ハーバードのそれぞれのスクールの卒業生が、真っ黒な卒業ガウンに身を包み、これまた黒のひし形の帽子を頭にのせ、式場に入場してくる。 なかなか荘厳な雰囲気だった。 全体での卒業式はルーデンスタイン学長がそれぞれのスクールの名前を呼ぶと、スクールの学生が全員起立する。 そして、学長がお祝いの言葉とともに代表者に卒業証書を手渡していた。 学生が一人一人卒業証書を手にするのは、午後に行われるそれぞれのスクールでの卒業式だ。
午後には、たまたまこちらで再会した大学時代の友人の裕子がビジネススクールを卒業するので、彼女の卒業式に参加した。 また、台湾の旗問題で気になるケネディスクールの卒業式ものぞいてみた。 (詳しくは ケネディスクールの国旗騒動を参照) 卒業式では、黒のガウンに身を包んだビジネススクールの学生はそれぞれの国のミニチュア国旗を手に持っていた。 国際色豊かなことの表れだろうか。 もちろんビジネススクールの中庭の卒業式会場のまわりには、国連のようにズラリと各国の旗がポールについて立てられていた。 その中には日本の旗も台湾の旗も見受けられた。 今回卒業するのは847人。 景気の先行きがあまりよくないとはいえ、ビジネススクール卒業後の進路を尋ねるとシリコンバレーに向かう人が多いようだったので、正直いって少し驚いた。 次はケネディスクール。 こちらは486人が卒業する。 フォーラムという大きなホールに卒業生の国の旗が飾られていたが、中国の学生に配慮してか予想通り台湾の旗はない。 そこで、会場であるケネディスクールに隣接するジョン・F・ケネディパーク(公園)に足を運ぶと、もう卒業式は始まっていた。 緑の芝生の上にはイスがずらっと並び、卒業生が一人ずつ名前を呼ばれると前に行き、卒業証書を受け取っている。 「あれ、台湾の旗じゃないか?」 と一緒にいた夫が前方の卒業生が証書を受け取っているステージの左手を指差して、叫んだ。 よく見ると台湾の大きな旗が二本のポールに留められ、青くすみわたった空を背景にしっかりとはためいているではないか。 それも一番前の左端の目立つ位置だ。 私たちは狐につままれたような気になっていた。 周りを見回してもその2枚の旗以外は、国旗のようなものは会場にはない。 一瞬、台湾が特別な待遇を受けたのかと目を疑った。 あっけに取られて我々が立っていると、サングラスをかけたアジア系の男性がビラをもって近寄ってきた。 彼の胸には台湾の旗のマークが描かれたバッジがある。 聞くと彼は台湾の旗を掲げる運動をしているという。 「でもあれは台湾の旗でしょう。どうしてあそこにあれだけがかかっているの?」 と私がたまりかねて聞くと、 「あれは我々が立てました」 「つまり、学校側は卒業式に台湾の旗を掲げることを認めたわけ?」 「さあ? とりあえず、何にも言われていないので、いいってことかもしれませんね」 と曖昧な返事。 彼は、ハーバード・デザインスクールの学生で、ハーバードの台湾人会の会長なのだそうだ。 ちなみにデザインスクールは?と聞いたら、どこの国の旗も飾らないのが方針らしいといっていた。 ところがほんの10分ぐらいして、ステージの横に目をやるとさっきまではためいていた旗がない。 一瞬のうちに消え去っているではないか。 やっぱり、学校側に取り去られたのだ。 残念だけど、やはり学校には学校の方針があった。 しかし、しばらくして私はまた目を疑った。 今度はずっと小さいが台湾の旗が4本、ステージの脇の人ごみの向こうに揺らめいている。 「ねえ、見て!今度は小さいけど4本だよ」 と夫に向かってささやく。 よく見るとさっきの台湾の学生とその友人と見られる人が自分たちの手に旗を2本ずつ持って高く掲げている。 今度は人間の手がポールの代わりだ。 私は思わずプッとふき出してしまった。 台湾人の執念にはあっぱれである。 ここまでやられたら、きっと学校側も真面目に怒ることができないだろう。 案の定その4本の旗は、式の最後まで生き延びることができた。 式が終ると台湾の卒業生ウエィチャーを見つけた。 彼のガウンの上には台湾の旗が前と後ろに縫い付けてある。 「おめでとう」 「ありがとう」 彼のメガネの奥の目はすがすがしく笑っていた。 やっぱりやりましたね・・・
そして、その日は一日中、学校内のあちこちで抱き合って別れを言う姿が見受けられた。 これから彼らにはそれぞれどんな人生が待ち受けているのだろうか。 短い間ではあったが、私にとっても国際色豊かなこの学校で学んだことの意義は大きかったと思う。 授業を通じて様々なバックグラウンドの学生と知り合った。 様々な国の政府の役人や外交官、政治家、NGOの代表者、軍から派遣された人たち、ビジネスマン、弁護士の卵たち、日本を熱心に勉強している東アジア研究の学生たちなど・・・ 一緒にプロジェクトをやり、勉強会を作り、苦しかったけど楽しかった。 アメリカのエリート教育に感心したり、時には嫌気がさしたりしながらも、雲の上の人だった教授たちとも知り合うことができた。 しかし、私にとって最大の財産は、やはりニーマンフェローたちだ。 10ヶ月前には全くの他人であったのに、この10ヶ月間それぞれ自分の国のことや、メディアの抱える問題、自分たちの将来などについて語り、一緒に笑い、勉強した仲間たちは、私にとってかけがえもない友人であり、同志になっていたのである。 卒業式の後最後のパーティが終ると、フェローも1人、また1人と自分たちの国に帰っていった。 Eメールで世界がつながっているといっても、もう一緒に会って馬鹿騒ぎをすることもない。 グッバイの代わりにSee you again(また会いましょう)と言ったのだが、涙が次から次へとあふれ出てきて止まらなかった。
*********************************************** 6月末に私は帰国します。 とりあえず、ハーバード日記という形での原稿は、今回で最終回ということにさせていただきます。 たくさんの方にメールをいただき、とっても励みになりました。 本当にありがとうございました。 中には書きつづけてほしいというメールもいただきましたが、帰ってからのことは、仕事の忙しさもありまだ不透明です。 また何か良いテーマを思いついたら、HPに時々掲載したいと思っています。 その時はまたどうぞよろしくお願いいたします。
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