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大門小百合の東京日記(9)

 中国 オールド&ニュー(前編)

2003年10月21日

 遅い夏休みを確保してやっと成田を飛び立ったのは、10月5日。今回の旅は夫との北京旅行。10月の北京は少し肌寒い感じがしたが、町は人と自転車とそして自動車であふれていて活気があった。

 私は北京は初めてだが、広東省には数年前に行ったことがあった。中国のイメージは、ちょっと申し訳ないが、トイレが汚いということ。なかなかきれいなトイレを探すのに苦労した経験がある。旅する女性にとってはこれは死活問題だ。

 ところがSARS効果とでもいうのだろうか。なんと北京は生まれ変わったように衛生的になっていた。最近では政府もトイレ対策に乗り出して、トイレに格付けをしたりして、我々も4ツ星つきのトイレというのも見かけた。SARS騒動以後、中国はちょっとした殺菌ブームになっていて、たとえば電子レンジや洗濯機でも消毒機能つきというのがあるのだそうだ。なんだかおかしかった。

 また、北京に10年以上住んでいる方から話を聞いたのだが、最近は中国の若者、特に外資系に勤めている人はお金持ちになった。お父さんやお祖父さんたちは依然として、北京の胡同(フートン)と呼ばれる細い路地沿いの昔ながらの小さな家が密集した地域に住んでいる(この地域の住民は、トイレもないので、たいていは公衆トイレを使っている)が、彼らは両親の稼ぎの倍以上もらっているというケースもあるそうだ。

 様々な規制も緩和され、車も50万円ぐらいの額で買えるようになったので、マイカーを持つ層も増えているという。ほんの4−5年前まで、お金がないからタクシーさえ使わずに、地下鉄を使っていた人達の生活が変わっているそうだ。日本の高度成長期もこんな感じだったのだろうか。

▼旧満州に色濃く残る日本

 数日後、北京を離れて東北の町、長春に行った。ここは戦前、満州国の首都で新京と呼ばれていた。戦前、中国のラストエンペラーである溥儀を政権に据え、傀儡国家として日本が作った国。もちろん、国家といえる代物ではなかったのかもしれないが、今でも長春にはその面影を残すべく、当時の建物がたくさん残っている。

 我々は長春につくとすぐ、駅前の春誼賓館にチェックインした。このホテルの前身は満州国時代の大和ホテル。1909年にオープンしたこのホテルは、溥儀や当時の日本の政治家、軍の幹部、李香蘭なども泊まったことのある由緒あるホテルだ。戦後はロシア人や共産党幹部など多数の政治家も使ったそうだ。

 ホテルのロビーは荘厳な感じで、2階へあがって我々の部屋(新館)に行き着くまでに様々な宴会場や会議場の前を通りぬけた。それらの部屋にはなぜか「東京」や「広島」などと日本の都市の名前がついていた。

 長春の町にでてみると、町中に当時の政府関係の建物が散在していて、驚いたことにそれらの建物のほとんどは壊されずに、まだ現役として立派に使われているのだった。旧関東軍司令部は吉林省共産党委員会の本部としてそのまま使われているし、旧国務院跡は、吉林大学が校舎として使っていた。

 溥儀の住居、そして政治の中心だった宮殿は今は博物館になっていた。そこには、溥儀の使った家具や様々な写真が飾られていて、決して幸せではなかったと思われる溥儀の人生を垣間見ることがきる。庭には鉄筋コンクリート作りの防空壕まであり、戦争末期はよく家族をつれてそこに避難したという。

 満州国は日本の傀儡政権と呼ばれ彼自身、数々の屈辱を味わいながらも、清朝復活という野心を持ち、溥儀なりに日本を利用しようとしていた部分もあったのかもしれない。そして、終戦、ロシア軍に占領され、多くの政府関係者がシベリアに抑留された。戦後、中国共産党のもとでは、「皇帝をよい共産党員として人間にすることに成功したのは、世界中でも中国のみである」というある種の政府の宣伝にも彼は使われた。それでも癌で死ぬまで立派に戦前、戦後を生き抜いた。溥儀の宮殿は、そんな溥儀の思いを映し出すかのように、美しくて豪華な外観と裏腹になんだか物悲しい雰囲気がただよっていた。

▼現代に生きる

 数日後、幸運にも溥儀の親戚に会うことができた。日本に住んでいたこともあって、その90才過ぎのご老人は本当に美しい日本語で私たちを出迎えてくれた。日本からのお菓子を手渡した私に、「ほー、これはおいしそうだ」とニッコリ笑ったやさしそうな顔は印象的だった。

 とても品のよい紳士だった。昔のことを多くは語らなかったが、当時のことが書かれたものや、映画などは、だいぶデフォルメされている、そして溥儀は優しい人だったと彼はいう。

 私は彼の人生を溥儀のたどってきた人生と無意識のうちに重ねてしまっていた。彼の人生もまた溥儀と同じように、中国の近代史の軌跡のような気がする。日本の統治下で生活し、シベリア抑留を経験し、そして中国共産党政権下での文化大革命。彼のような知識人にとってはさぞかし大変な時代だったろう。しかし、そんなことはあまり表に見せず、最近ではパソコンでインターネットやメールもやるぐらい活発だ。

 そして、私の夫が自分の著書である国際情勢の本を彼に渡すと、それをぱらぱらとめくりながら、「911はなんで起きたんですか?イスラエルのせいですか?」との質問が真顔でとんできた。我々の勝手な思い込みとは裏腹に、彼は時代を超えて、現在の世界情勢を気にかけながらもたくましく生きているのだ。本当に素敵な老人だった。

 古いものと新しいものが混在する国、中国。もちろん本当はどの国もそうなのかもしれないが、それをこんなに強く感じさせてくれるからこそ、この国が魅力的なのかもしれない。

(中国 オールド&ニュー 後編に続く)



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