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仕組まれた9・11 【13】 なぜアメリカは戦争を企図するか

  田中 宇

 本書では、911事件とそれに関連することがらについて、いろいろな角度から分析してきた。その結果分かったことは、アメリカ政府の上層部にとって、911事件は「奇襲」ではなかった可能性が大きい、ということである。
「米当局が知らないうちにアラブ人の若者たちによって準備され、アメリカの防衛網の盲点を突いて実行された」という、一般に信じられているようなストーリー展開では説明できないことが多すぎる。そうではなくて、アメリカ政府の上層部は、9月11日に大規模なテロ事件が起きると知りつつ意図的に放置したか、もしくはテロ事件の計画そのものに関与していたと考えた方が無理がない。

 なぜアメリカ政府は、911テロ事件の発生を黙認(または誘発、もしくは企図)したのだろうか。この問題を分析する人々の中には、ブッシュ一族とその周辺が私服を肥やすためにアメリカをテロと戦争に引っ張り込んだと見る向きもある。「カーライルを儲けさすために戦争を誘発した」といったような考え方である。
 だがブッシュ家は、祖父の代からアメリカ政界の中枢にいた人々である。自分たちの利益のためにアメリカをぶち壊すようなことはしないだろう。ブッシュ一族は今後も政界の中枢に存在し続けると予測される以上、彼らが私服を肥やすなら、一族が儲かるだけでなく、アメリカの国益にもなる、という方法を選ぶだろう。ブッシュ一族にとって、アメリカ合衆国は金の卵を産む鶏なのだから、それを殺すようなことをするはずがない。
 ブッシュ大統領やその配下の高官たちが、911事件の発生を事前に知りながら黙認したり、あるいは911の発生を誘発もしくは企図したとしたら、それはアメリカの国益にプラスになると考えたからに違いない。国益にかなっているからこそ、アメリカのマスコミも911とその後の戦争をめぐる疑惑の数々を指摘することもせず、政府発表を鵜呑みにする体制翼賛的な報道に徹しているのだと思われる。

 罪もない人々が何千人も死んだ911事件が、アメリカにとってプラスになるというのは、どういう考え方に基づいているのか。その問いに対する明確な答えはなかなか見つからないが、それを解くためのカギとなりそうな、いくつかのポイントは存在する。
 その一つは「経済」である。911事件の当時、アメリカ経済はハイテク産業の「IT革命」が「ITバブル」だったことが明らかになり、このままでは不況になるという状態だった。そこに911事件が起き、それがテロ戦争へと発展したことで「経済」というテーマはブッシュ政権に対する批判の対象から外れてしまった。
 アメリカの経済が回復する見通しは薄いにもかかわらず、米財務省は「あと1年もすれば景気は回復する」と予測し、それを疑問視する声は大きくなっていない。911事件によって不況が回避されたのではないものの、問題にされなくなった。アメリカの大手マスコミでは、日本経済の「欠陥」についてはさんざん批判されても、アメリカの経済システムが問題にされることは少なくなった。

 「アメリカなど先進国の経済発展には限界が存在し、永遠に経済発展し続けることは不可能である以上、それを乗り越えるためには、政治や軍事など、経済以外の方法がとられる必要がある」という考え方は、1970年代からアメリカに存在していた。1975年、アメリカの学者サミュエル・ハンチントン(ハーバード大学教授)を中心に、ヨーロッパと日本の学者も参加して「民主主義の統治能力」(The Crisis of Democracy)という本が書かれた。(日本語版はサイマル出版会から刊行)
 この本は、当時のカーター政権が日米欧の有力者を集めて作った「三極委員会」の報告書として書かれたもので、工業生産を主体とする従来の経済発展はいずれ成長の限界点に達する、と予測している。その一方で、民主主義という政治体制も衆愚政治に陥って効率が悪くなり、それが経済の悪化と重なると社会不安や反乱が起き、政治経済がますます不安定になるため、経済危機が起きたら政府は民主主義に制限を加えることが不可避となる、と論じている。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Keyaki/8451/sekai/minsyusyugi.html

 この報告書を受け、カーター政権は1979年に大統領令によって「緊急事態管理庁」(FEMA)という新しい政府組織を作った。カーターは三極委員会のメンバーで、FEMAの具体的な構想を考えたのは75年に本を書いたハンチントン教授だった。
 FEMAは、アメリカが緊急事態に陥ったとき、混乱が広がらぬように対策をとり、大統領の権限を強化する役割などを担っている。

緊急事態としてまず想定されているのは、地震や暴風雨など自然災害で、FEMAは実際、1989年のサンフランシスコ大地震や、1992年のフロリダ州の暴風雨被害の際に出動している。
 しかし、FEMAはこれらのいずれの事件の際にも、地元の自治体や住民から、十分な働きをしたとは見られていない。被害者を助けるより、緊急事態が発生したときにどのような大衆心理が発生するかを調べることに主眼が置かれていたからだった。
http://www.kaput.com/html/fema_as_big_brother.html

 「経済成長と民主主義体制には限界がある」「限界が露呈して危機が発生したら、政府は民主主義を制限する必要がある」というハンチントン論文の趣旨と「緊急事態の際に大統領権限を拡大する」というFEMAの目的とをつなげて考えると「災害復旧」とは別のFEMAの顔が見えてくる。「有事になったら民主主義の限界を乗り越えられる体制を作る」という目的である。
 FEMAは、有事に政府の各行政機関を動かす合計100人のリストを持っている。緊急事態になったら、大統領の配下にある「安全保障会議」(NSC)が、この100を動かして交通や通信、マスコミ、発電所などのエネルギー源などをおさえ、議会を通さずに法律を制定し、裁判所に代わって司法権を発動し、国民を兵役その他の仕事に強制動員できることになっている。

 非常事態においては、政策決定に時間がかかる民主主義体制より、こうした独裁に近い体制の方が効率が良いことは確かだが、その一方で、この有事体制はハンチントンらのいう「経済成長と民主主義を乗り越える方法」としても、うってつけのものになっている。
 FEMAによって有事体制は確定したものの、実際に有事が起きなければ、FEMAの体制は発動されない。「経済発展と民主主義には限界がある」と考えられる以上、危機を誘発してまでも、民主主義を超えるFEMA体制を創設した方が良いという考えが出てきても不思議はない。
 FEMAはカーター政権時代に設立されたが、その後ブッシュ・シニアの政権になってFEMAとその上部機関であるNSCの権限が強化された。そうした有事体制の強化の後、ブッシュ政権はクウェートにサダム・フセインを挑発させ、湾岸戦争を起こしている。

 FEMAに対しては、米国内でも批判が多く出ている。その一つはFEMAの設立が議会を通さず、大統領が自分の権限だけで発令できる「大統領令」によっていることだ。FEMAは有事に議会を無力化する力を持っているだけに、議会からは批判が絶えない。もう一つはFEMAの実態についての情報の多くが機密指定されていることである。自然災害からの復旧などが主眼の組織なら、情報を機密指定する必要などないはずだ、という批判である。
http://www.newnetizen.com/fema/blueprintfortyranny.htm

 日本でも国会などで「有事立法」について議論が戦わされてきたが、FEMAが作られる最初のきっかけがアメリカ中心の日米欧の三極委員会だったことを考えると、アメリカは自国だけでなく、日本と西欧にも同じような体制を組ませたがっており、アメリカの要請に基づいて日本政府が「有事立法」を進めているとみることができる。

 FEMA創設の知恵袋だったハンチントン教授は、1993年に「文明の衝突」という有名な論文を書いた人としても知られている。この本は、アメリカを中心とする「民主主義体制の国々」と、イスラム主義との間で対立が激化することを911の前に予測したものとして注目されたが、75年の「民主主義の統治能力」(原題を直訳すると「民主主義の危機」)と、93年の「文明の衝突」、それからFEMAの存在とを結びつけて考えると「民主主義には限界があり、それを乗り越えるためにはFEMAの有事体制が必要で、有事体制を発動するために文明の衝突が起こる」というシナリオが浮かび上がる。

 911事件の際、FEMAの職員たちはニューヨークに出動したが、そうした現場の出動以外には、議会の力が制限されたり、行政機関の統括権がNSC配下の100人に移ったりという有事体制の発動は、少なくとも表向きは起きていない。しかし、911の後、大統領権限が急拡大し、言論の自由や、司法上の人権が侵害されている(逮捕状なしに1000人以上が逮捕された)。完全ではないが、FEMAの有事体制の一部が隠然とした状態で発動されたと考えることができる。

 これらのことを、アメリカの自滅行為であると言うこともできるが、有事体制を誘発した目的が「民主主義の限界を乗り越えるため」であったとしたら、それはアメリカの国益に合致しているということになる。
 ただ、この場合注意しなければならないのは、アメリカの国益には合っていても、アメリカ以外の国々の国益にとっては必ずしもプラスではないということだ。911事件の発生は、少なくともアフガニスタンやパキスタン、中東諸国の多くにとっては、大迷惑なことである。日本にとってもプラスなのかどうか、アメリカ当局の発表を鵜呑みにせずに分析した方が良いだろう。

▼アメリカ理想主義の限界

 古代のローマ帝国で共和制が行き詰まって帝政になったように、民主主義には限界が存在していても不思議はない。しかし「民主主義という体制を続けていくと悪い結果になるから、別の体制に移行した方が良い」というFEMAの思想は「民主主義は最高の政治体制だ」という教育を受け続けてきた現代人には、受け入れがたいものだ。その傾向は、アメリカで特に著しいと思われる。

 アメリカという国家は、イギリスの植民地から独立することで成立し、中西部のフランス植民地や、スペインの植民地だったテキサスやフロリダを合衆国の中に併合しながら巨大な国になっていった。そうした建国の過程を支えた思想は「植民地の人々はヨーロッパ本国の支配から逃れて自由になる権利がある」という「反植民地主義」だった。アメリカ大陸にあるヨーロッパの植民地はすべて独立し、アメリカ合衆国に入るか、その同盟国になるのが理想だという考え方である。植民地主義(帝国主義)に反対するアメリカが掲げた理想の政治体制が「民主主義」だった。

 アメリカは19世紀後半には西海岸まで領土を拡張し、北米大陸内ではこれ以上の拡大ができなくなった。当時、西欧諸国はアジアやアフリカに植民地を広げ、帝国主義どうしの拡大競争が起きていた。「反植民地主義」の国家理念を掲げるアメリカが植民地拡大に走るのは矛盾しているので、アメリカは「理想主義」を掲げ、植民地拡張競争に参加することになった。「ヨーロッパの植民地になった世界各地の独立を助けるため、アメリカが介入する」という考え方が採用された。1898年にはキューバがスペインから独立しようとする戦争に介入して米西戦争を起こし、キューバやフィリピンをスペインから奪って支配下に置いた。また「中南米諸国はアメリカの影響下にある地域だ」と宣言し、中南米から西欧列強の影響力を排除した。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/pr/pub/geppo/pdfs/00_2_1.pdf

 その後100年近く、中南米はアメリカの影響下に置かれ続けた。だが中南米諸国の庶民の中で、アメリカを礼賛する人は非常に少ない。アメリカの支配に抵抗して独自の国家運営をしようとした国々に、アメリカは残虐で手厳しい制裁を科した。チリのアジェンデ政権はアメリカが協力した軍事クーデターで倒され、ニカラグアではアメリカが訓練した反政府ゲリラが暗躍した。キューバに対しては長期間の経済制裁が行われている。
 これらの冷戦時代の出来事はいずれも、中南米の人々がアメリカの支配から逃れようとすると、アメリカから「共産主義者の策動」とレッテルを貼られ「自由主義を守る」という名目でアメリカが介入するという経過をたどっている。「理想主義」からはあまりに遠い実態があることが分かる。
 アメリカは「西欧諸国の支配から植民地の人々を救う」という理想主義を掲げながら、実際には、西欧諸国が植民地支配をやめた後も、アメリカだけは事実上の植民地支配を続けている。

 なぜこんな状態なのかといえば、それはアメリカ国内の人々が、表向きの「理想主義」を信じているからである。外交政策に関して、アメリカの為政者は、実際には帝国主義的な、かなり汚いことをやったとしても、国内に向かっては理想主義にのっとった筋書きで説明することで、許されてしまっている。この点が、アメリカの理想主義の欺瞞であり、限界であるといえる。911事件とその後の「テロ戦争」もまた、こうした手法の延長に存在している。

▼帝国主義こそ解決策?

 アメリカの政策決定にかかわっている人々の中には、こうした二枚舌政策には無理があると考えている人がいる。911以降「アメリカはこっそり帝国主義をやっている現状を改め、堂々と帝国主義国への移行を宣言すべきではないか」という論調が、右派陣営から出されるようになった。災害復旧のふりをして帝国主義をやるような回りくどいことはやめてしまえ、ということである。
 その手の主張は最近、英米のいくつかの右派系メディアで目につくようになった。その中で最も「読みごたえ」があったのは、10月中旬にアメリカの新聞「シカゴ・サン・タイムス」に載った「帝国主義こそ解決策」という論説だ。
http://tanakanews.com/b1114suntimes.htm

 この論文によると、イギリスやフランスはかつてインドやアフリカに対しては植民地として直接統治したが、その後支配した中東に対しては、より安上がりな間接統治を行い、それは中東諸国が独立した後の今日まで続いている。地元の統治者に権力を維持させ、それを背後からコントロールするのが間接統治だが、地元の統治者は、西欧が直接統治する場合に比べて腐敗がひどく、今日まで地元の人々に苦しみを与え続けているという。

 そして論文は「地元の統治者は、エジプトのムバラク大統領に象徴されるように、自国のマスコミが自分を批判することは許さないが、マスコミがアメリカの悪口を書くことは自分に批判の矛先を向けさせないためのガス抜きとして許している。だからアメリカがいくらエジプトを経済支援しても反米意識が強まるばかりで、間接統治は失敗した。9月11日以降、それがはっきりした以上、アメリカは帝国主義に戻り、アフガニスタンやその他の中東の反米諸国を直接統治すべきだ」と主張している。
 論文は、直接統治に戻す行為を「新植民地主義」と赤裸々に呼ぶことに抵抗があるなら、クリントンやブレアの得意技だった呼び名だけ美しく飾る手法をまねて「国際社会による支援策」などという名前をつけてやればいい、と結論づけている。

 多くの人々にとって「植民地」とは過去の遺物であり、民族主義の高まりによって独立が勝ち取られた以上、植民地は二度とよみがえらない方がいいものだろうが、この論文はそうした価値観に立っていない。
 それどころか、少なくとも中東では「独立」は欧米が間接統治を続けるための表面的な変化にすぎなかったと指摘し、欧米が必要と思えば、武力で中東諸国の独立状態を破壊し、直接統治に戻す権利を英米が持っているのだと主張している。

 一方、この論文が見落としているのは「間接統治」そのものが「腐敗」の原因となっているということである。たとえばエジプトのムバラク政権が腐敗していて、しかもアメリカの傀儡だということはエジプト人も事実として認めるところだろうが、アメリカが間接統治をやめれば、ムバラク以外のもっとまともな指導者が出てきて、エジプト政府の腐敗も減るかもしれない。しかし、そもそも間接統治というものは、傀儡になるしかない指導者が権力を握っているからこそ成り立っている。エジプトで有能な統治者が出てきたら、間接統治も機能しなくなる。

 似たような主張は「ウォールストリート・ジャーナル」や「フィナンシャル・タイムス」「ガーディアン」などにも出ている。
 ウォールストリート・ジャーナルは10月9日に「テロリズム対策の決定打は植民地主義」という記事を出した。筆者はポール・ジョンソンという「ユダヤ人の歴史」などの著作で知られるイギリスの歴史学者である。
http://tanakanews.com/b1112wsj.htm

 この論文では、イスラム原理主義テロリストを19世紀の地中海の海賊にたとえている。18世紀末、北アフリカやアラビア半島などイスラム教徒の領土を拠点にした海賊が、英仏など西欧諸国の商船を襲う事件が相次いだ。これに対し、フランスは海賊を根絶するために北アフリカを植民地にした。またイギリスはアラビア半島のイエメンなどを植民地にし、そこを拠点に中東を支配し、海賊や盗賊の横行を防いだ。西欧諸国にとって、植民地主義とは、商業を妨げる海賊を退治する行為と密接に結びついたものだった。
 そう分析した後、この論文では、今回の戦争でもアメリカとその同盟国は、アフガニスタン、イラク、リビア、イラン、シリア、スーダンといったようなテロリストを擁護する国々を一時的に軍事占領するだけでなく、短期間で民主主義に移行できないようなら、行政的に統治する必要がある、と主張している。つまりここでも、欧米による、中東諸国に対する植民地支配が提唱されている。

 ところが、19世紀の世界では、西欧から見ればアラブの船は「海賊」だが、アラブから見れば西欧が「海賊」だった。海賊退治や宣教師保護(今でいう「邦人保護」)は、西欧諸国が植民地を拡大するときに常用する大義名分だった。そういう観点を、この論文は故意に見ないようにしているように思える。
 ポール・ジョンソンは中東諸国に対する「新植民地主義」を提唱する一方で、「イスラムの教えそのものにテロリスト的な要素が含まれている」と主張する論文を、アメリカの右派メディア「ナショナル・レビュー」に書いている。
http://www.nationalreview.com/15oct01/johnson101501.shtml

 これらの論調からは、イスラム世界と、アメリカを中心とする欧米キリスト教世界(プラス日本など)が対立を深め、その結果欧米がイスラム世界を再び植民地支配する新しい世界が成立すれば良いと考えていることが読みとれる。こうした状況が生まれることは、パレスチナ問題で行き詰まっているイスラエルなどにとっても好都合だろう。

 ガーディアンに載った論文「新しい帝国主義の時代がきた」は、ニアル・ファーグソンという、ロスチャイルド家の研究などで知られる英オックスフォード大学の歴史学の教授が書いたもので、「アメリカは非公式な帝国から、おおっぴらに帝国主義を行う帝国へと変わるべきだ」という副題がつけられている。
http://www.guardian.co.uk/comment/story/0,3604,583872,00.html

 この論文によると、新しい帝国主義は「政治的グローバリゼーション」という美名をつけられて、東チモール、コソボ、ボスニアなどで「国際社会」によってすでに実施されている。今後アフガニスタンだけでなく、パキスタンやサウジアラビアなどでも、欧米が手をつけられない状態になる前に、欧米の植民地にしてしまった方が良く、アメリカが支払うコストから見ても帝国主義は実は安上がりだ、とこの論文は書いている。

 一方、こうした「新帝国主義」への反論も出始めている。たとえば「アジア・タイムス」にペペ・エスコバルというコラムニストが書いた論文である。
http://www.atimes.com/c-asia/CK06Ag01.html

 エスコバルによると、新帝国主義者の戦略は、最初に「文明の衝突」に代表されるようなイスラム世界と欧米との対立構造を(でっちあげて)描いておいてから、9月11日以降、イスラム世界がテロリストを擁護しているという理由でイスラム諸国を攻撃し、英米が直接統治する植民地に戻してしまおうとするものだ。英米は、独仏や日中などに対してこの戦略をほとんど説明していないが、この戦略はやがて世界から反対を受けることになる、と指摘している。
 この論文は、アメリカのアフガン戦争がベトナム戦争のように泥沼の失敗に終わるだろうとも予測し、アメリカという大帝国はすでに大きくなりすぎて、没落への道をたどり始めている、と述べている。

【14】三都物語



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