カザフスタン民営化の紆余曲折
(96.12.18)

ソ連が崩壊して約5年が過ぎたが、旧ソ連邦の各国では人々の生活が豊かになる希望がまったく見えず、困窮の度合いがますます高まっている。どのようなしくみでそうなるのだろうか。12月17日付けのフィナンシャル・タイムスに、そのヒントになりそうな事例が出ていたので、それを紹介する。

ベルギーの電力会社、トラクテベル社は今年8月、中央アジアのカザフスタンの国営電力会社、アルマトイ・エルルゴをそっくり買い取り、経営を始めた。アルマトイ・エネルゴは、カザフスタンの首都アルマトイと、その周辺地域の65万世帯と1万5千社の企業に電力を供給してきた。
トラクテベルが払った金は、アルマトイ・エネルゴの資産に対して500万ドル(約5億円)のほか、エルルゴが抱えていた借金(ガスや石油といった燃料代の未払金など)の返済を肩代わりしたため、合計で700万ドル(270億円)だった。かなりの金額だが、この手の買収としてはかなり安い方らしく、高い利益が出ることは間違いないと考えられていた。だが、事は全く簡単ではなかった。

買収時にカザフ政府と結んだ契約では、余剰な従業員を自由に解雇しても良いということになっていた。そこでトラクテベルは手始めにエネルゴの従業員500人を解雇したところ、激しい反対にあい、解雇者の一人が会社の前でガソリンをかぶって焼身自殺してしまった。この事件はアルマトイ市民の同情を集める事態となり、トラクテベルは「金に任せて勝手なことをしにやってきた外国人たち」との印象を持たれ、憎しみの対象となった。市民の間に電力料金の不払い運動が広がり、それに対して滞納家庭への送電をストップしたため、対立が深まってしまった。
電力会社を売却した政府への批判も高まり始めたため、慌てた政府はトラクテベルに対し、追加の解雇を行わないよう圧力をかけた。結局、予定していた合理化は進められず、滞納者への送電も再開せざるを得なくなった。

さらに予定が狂ったのは、燃料の調達が意外に難しいことだった。中央アジアは石油、天然ガス、石炭など資源の宝庫なので、燃料の手当てには困らないはずだった。だが、その読みは間違っていた。
エネルゴがそれまで使っていた燃料は、隣国ウズベキスタンからパイプラインで送られていた天然ガスだった。だが、カザフ政府がウズベク政府にガスの代金を滞納していたため、ガスの供給を止められてしまっていた。供給再開にはカザフ政府がガス代を払う必要があったが、政府にはその金がなかった。
仕方がないので石炭を貨車輸送して入手しようとしたが、炭鉱のストライキや、鉄道のダイヤが乱れたままになっていて定期運行ができなくなっており、思うように手に入らなかった。石油精製所から発電所まで石油を運んでこようとしたが、道路の補修もろくに行われていないため、最も近い製油所までタンクローリーで3日がかりの道のりだった。もう少し遠い製油所までは8日も走り続けねばならなかった。これでは、燃料の供給が需要に追いつかない。初霜が降りた11月、トラクテベルは電力需要の64%しか発電できず、市内の広い範囲で停電が起きた。
市民は従来、調理や暖房にガスを使っていたが、ウズベクからのガス供給が止まり、ガス器具は一切使えなくなっていた。人々は皆、電気ストーブを使い出し、需要が急増したのだった。
トラクテベルは急きょ、ザンブルという国内の別の町にある発電所から電気を送ってもらおうとした。だが、双方の発電所をつなぐ送電線は途中でキルギスタンという別の国の領内を通っており、事実上、送電線が使えない状態になっていた。旧ソ連時代には、共和国間のエネルギーのやり取りは全く問題がなく、送電やガス供給が無料で行われていたのだが、各共和国が独立したため、代金の請求や未払いがあちこちで発生して対立を生むようになったことが、問題の背景にある。
こうしてアルマトイではしばしば停電が起きるようになり、人々は零下の冷え込みの中、毛布に包まってじっとしているしかない状態だ。
こんな状態でも、トラクテベルはカザフから撤退する気はないという。トラクテベルの幹部は「われわれが現在苦労していることは、パイオニアとして必ず経験せねばならない試練だ。今は厳しいが、だんだんとうまくいくようになると信じている」と言っている。灯の消えたアルマトイでは、こうした希望だけが唯一の光なのかもしれない。

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