分解するイスラエル:2種類のユダヤ人

1999年5月28日  田中 宇


 イスラエル3大都市の一つ、テルアビブは、地中海に面した、すごしやすい街だ。気温は冬でも10度前後までしか下がらず、夏も30度ぐらいで、海水浴にちょうど良い。

 ヘブライ語で「春の丘」という意味を持つこの街は19世紀末、初めてのユダヤ人の町として都市計画され、建設された都市だ。

 18世紀末のフランス革命後、西欧では長く続いたユダヤ人に対する弾圧をやめ、ユダヤ人を社会的に受け入れるようになったが、東欧のロシアなどでは、ユダヤ人虐殺(ポグロム)が続いており、西欧のユダヤ人らの協力で、東欧から逃げたユダヤ人が、パレスチナ(今のイスラエル)へと移住する動きが、19世紀末になって始まった。

 そうした流れの中で、テルアビブの都市建設も開始された。今世紀に入り、ナチスによるホロコーストが始まると、ヨーロッパから何万人ものユダヤ人が移住し、街が拡大していったが、計画的に作られた町であるため、ゆったりとカーブする並木道が、美しい町並みを保っている。

 海岸に出れば、どこまでも続く砂浜で、夕方には地中海に沈む夕日を眺めながら、語り合う恋人たちや、犬を連れてゆっくりと散歩する人、ジョギングする人などが、人生を楽しんでいる。

 この街に住んでいる人々、特にこの街の北の方に広がる高級住宅街に住んでいる人々の多くは、イスラエル人の中でも「アシュケナジー」(Ashkenazi)と呼ばれる系統の人々だ。彼らはヨーロッパ方面から移民してきた人々で、イスラエル社会の中ではエリート層を占めている。

 彼らと対をなす系統として存在するのが、「スファラディ」(Sephardi)である。この人々は、中東・北アフリカというイスラム圏から、移住してきた。彼らは、主にブルーカラー層を形成しており、アシュケナジーに比べ、失業率も高い。2つの系統の人々は、社会的な階級という意味でも、対照的な存在だ。

 政治家、医師、マスコミその他知識人のほとんどは、アシュケナジーであり、建国後、スファラディが首相になったことは、まだ一度もない。

 スファラディの人々が多く住んでいるのは、たとえば砂漠のなかにあるビルシェバといった町だ。スファラディの人々がイスラエルに移住してきたのは、一般にアシュケナジーの人々より遅く、イスラエルが建国され、世界中からユダヤ人を呼び寄せるようになった、1950―60年代より後のことだ。

 ヨーロッパのユダヤ人たちによって建国運動(シオニズム)が始められ、その結果建国されたイスラエルは、当初からヨーロッパ風に作られた国だった。イスラム世界に住み、ヨーロッパ風の近代的な生き方を身につけていなかった多くのスファラディの人々は、高収入を得る方法もなく、悪い条件の街に住まざるを得なかった。

 冷戦終結後は、ロシアからの移民流入もあって、最近また人口が急増しているビルシェバは、テルアビブからバスで1時間半の近さにもかかわらず、夏には40度を超える時もある、ほこりっぽい街だ。

●寛容なイスラム世界と弾圧の欧州

 イスラエル人のうち、アシュケナジーは30%、スファラディが40%を占め、2大勢力となっている。両者ともユダヤ教徒には違いはないのだが、宗教的な傾向は、だいぶ違う。

 アシュケナジーは、ユダヤ教の戒律などを厳しく守ることを重視しない(もしくは否定する)改革派系のユダヤ教徒が多い。一方スファラディは、オーソドックス(正統派)、ウルトラオーソドックス(超正統派)と呼ばれる、厳格な律法や習慣を守り続けている人が多い。

 ヨーロッパのユダヤ人は、中世のユダヤ人追放令から、ナチスのホロコーストに至るまで、キリスト教徒が多数派をなしている社会・国家の中で、厳しい弾圧と差別を受け続けてきた。

 (キリスト教が、ユダヤ教の非公認分派として誕生したという出発点が、「本家筋」への虐待というかたちになって表れているのが、キリスト教徒によるユダヤ人差別の根幹だと筆者は思う)

 そのため、ヨーロッパに住んでいたユダヤ人たちは、本来のユダヤ教の律法・習慣を守り続けて差別を受けるより、なるべくキリスト教に近い生活を送った方が、苦労せずにすんだ。こうした背景から、アシュケナジーの人々は、改革派系のユダヤ教徒が多くなったのではないか、と筆者は分析している。

 一方、スファラディが住んでいたイスラム世界は、マホメットが最初のイスラム帝国を築いて以来、異教徒に対して自治を認めることが多かった。イスラム教は、ユダヤ教の預言者であるモーゼと、キリスト教の預言者イエス・キリストを、マホメットより前に、神がこの世に遣わした預言者として認めており、ユダヤ教やキリスト教にも、一定の敬意を払っている。

 イスラム世界に生きていたユダヤ教徒は、イスラム教の政権から弾圧されず、自治を認められたため、伝統的な律法・習慣を守る姿勢を崩す必要がなく、今も伝統的なユダヤ教の信仰を続けている。

 ユダヤ人は、古くから商才を持った人々として知られ、紀元前4世紀にアレクサンダー大王に重用されたことなどをきっかけに、当時の地中海世界の各地に居住地を作り、貿易を営んだ。その後、ユダヤ王国は滅亡し、ユダヤ人はヨーロッパから中東、アフリカにかけての世界(地中海世界)の中で、離散して住むことを余儀なくされた。

 その後、ヨーロッパに生きた人々は、「ゲットー」に押し込められた長い弾圧の歴史を経て、フランス革命などを機に、近代化したヨーロッパ社会の一員となっていく。一方、中東や北アフリカに住んだ人々には、このような変化はなく、それがアシュケナジーとスファラディという2系統の分岐を生んだ。

 (アシュケナジーは、古代のユダヤ人とはルーツが違うという説もある。8-10世紀に中央アジアにあった「ハザール汗国」が、国を挙げてユダヤ教に改宗し、その子孫がアシュケナジーだという説で、「アシュケナジーは本当のユダヤ人ではない」という、スファラディ側からの攻撃事項の一つとなっている。この問題は、イスラエル内外で議論が続いており、結論は出ていない)

●エリートと“くず”

 このように、社会的階級も、信仰の形態も異なる2つの集団は、政治的な信条も対照的だ。

 イスラエルの2大政党のうち、労働党はアシュケナジーを中心とする政党として成り立ってきた一方、リクードはスファラディを主な支持母体とする「反エリート政党」というイメージを出して存続してきた。

 とはいえ、リクードの創設者であるベギン元首相から、先日の選挙で破れたネタニヤフ前首相まで、リクードの党首はすべて、スファラディではなくアシュケナジーだった。

 イスラエル建国以来、最初の30年間は労働党政権だったのだが、1977年の選挙で初めてリクードのベギン政権ができ、その後は1992年まで(一時的な挙国一致内閣もあったが)リクードの政権が続いた。その後4年間、労働党政権になったが、1996年には、再びリクードのネタニヤフが勝利している。

 イスラエルの労働党とリクードの対立というと、さる5月17日のイスラエル首相選挙で、労働党のバラク候補が勝利し、リクードは議会での勢力も大幅に縮小した、というニュースが思い出される。選挙期間には、アシュケナジーとスファラディが対立する構図が、何回か浮き彫りになった。

 たとえば、投票2週間前の4月30日、労働党が支持者の芸術家などを招待してテルアビブで開いた集会で、壇上にいた女優のティキ・ダヤン(Tiki Dayan)という人が、スピーチの中で「(イスラエルには)われわれとは違う種類の人間がいる。市場で働いている人々や、人間のくずのような人々、絶対にネタニヤフしか支持しないという人々だ。彼らに対しては、彼らが理解できるような、はっきりした荒っぽい言い方をしなければならない」と発言した。

 労働党は昨年、バラクが党首になってから、党内に長年のアシュケナジー中心主義と、スファラディに対する差別感情があったことを認め、公的に陳謝していた経緯がある。それなのにこの発言は何だ、とばかりに、リクード側から非難が巻き起こった。

 問題発言に対して、リクード候補のネタニヤフ首相は、ビルシェバでの演説で「テルアビブの北の郊外に住んでいる傲慢な左翼たちは、自分たちでなければ政治はできないと思っている」と反撃し、「私も“くず”の一人であることを誇りに思う」と締めくくり、会場の支持者から熱狂的な拍手を受けた。その後はリクードの宣伝カーに「“くず”こそ誇り」いうステッカーが貼られるようになった。

 とはいえ実は、問題発言をしたダヤンはスファラディで、発言を非難したネタニヤフはアシュケナジーだという、逆転構造になっていた。そんなこともあり、問題発言をきっかけとしたネタニヤフの作戦は、得票増加にはあまり結びつかなかった。

●選挙を左右するロシア系住民

 今回の選挙、そして最近のイスラエルの政治動向は、労働党対リクード、アシュケナジー対スファラディという、2項対立だけでは、語れなくなっている。

 1990年代、ソ連の崩壊後に、ロシアやウクライナなどから移民してきたロシア系の住民が、今やイスラエルの人口の14%を占めており、彼らがどちらに投票するかが、勝敗を決めることになった。ロシア系の人々は、系統的にはアシュケナジーなのだが、長い冷戦時代を東側で生き抜いてから移住してきただけに、アシュケナジーの人々とは違う存在としての、アイデンティティを持っている。

 イスラエルでは、人々の出自によって、支持政党が決まってくる。多くの有権者が、生まれ落ちたときには、すでに支持政党は定まっていたのである。そんな中で、新しくやってきたロシア系住民の「浮動票」が、最も重要な存在となっている。

 この傾向は、1990年にソ連が崩壊して以来、続いている。1992年の選挙で、労働党が僅差で勝ったものの、その次の96年の選挙でリクードが勝ったのは、もっと僅差だった。いずれも、ロシア系住民の投票動向がわずかに変化して、勝敗が決まったのだった。

 「誰がユダヤ人かをめぐる陣取り合戦」に続く)

 


 

参考になりそうなサイト

ユダヤ人とユダヤ教

 「ユダヤ人とは誰か?」など。ユダヤ・イスラエル関係の書籍・雑誌の出版社「ミルトス」のサイトにある。





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