陽炎か現実か、巨大油田開発にゆれる中央アジア

98年1月26日  田中 宇


 カザフスタンは、日本から中国を通って中東方面に向かう歴史の道、シルクロード沿いの中央アジアにある、旧ソ連の共和国だった国だ。カザフスタンの人口の44%を占める主要国民のカザフ人は、モンゴル民族とトルコ民族の混血で、日本人と顔立ちが似ている人も多い(残りはロシア人など)。とはいえ一般には、サッカー大会で時々対戦すること以外には、日本からみると関係がかなり薄い国といえる。

 そんなカザフスタンが日本に売り込めると思っている商品がある。石油である。カザフスタンの油田地帯から日本までは6000キロ以上の距離があるが、中国の沿岸までの約5000キロ以上をパイプラインでつなぎ、中国沿岸から日本へとタンカーで運ぶという壮大な構想を、カザフスタン政府は持っている。

●1960年に発見された未開発の油田

 カザフスタンの油田は国の西端、カスピ海の北側沿岸地域にある。この地域では1960年代に石油の存在が発見されたが、今日までのところ、大々的な開発はされていない。

 埋蔵量は2000億バレルと推定されるが、これは世界最大のサウジアラビア(約2500億バレル)に続く世界第2位で、第3位のイラン(約1000億バレル)の2倍という膨大な量である。世界で確認されている石油埋蔵量は合計で約1兆バレルだが、カザフスタンはその2割を占めている。実は、石油のない日本にとって「そんな国は知らない」などと言っていられない存在なのである。

 カザフスタンは人口が1640万人で、サウジアラビアとほぼ同じ。つまりカザフスタンは、オイルダラーを豊富に持つサウジアラビアのような金持ち国になれるということだ。(イランの人口は7000万人近いので、一人当たりの埋蔵量からすると、はるかに豊かになりにくい) ただし、カザフの人々が豊かになるには条件がある。地下に埋もれている石油を掘って運び出し、金に換えることが必要なのである。

 そんなことは簡単なことだろう、と思う方もいらっしゃるかもしれない。だが、世界地図を広げていただきたい。カザフスタンは海に面していない。しかも、カザフスタンで掘った石油をタンカーに積むため、どこかの港まで運び出そうとすれば、ロシア、イラン、アフガニスタン、中国の、いずれかの国を通らねばならない。

 そしてこれらすべての国は、石油の主な消費国である欧米(そして外交的にアメリカの傘下にある日本)にとって、決して味方とはいいがたい立場にある。カザフスタンから石油を運び出すためのパイプラインをそれらの国々に引こうとすれば、何らかの世界的な外交面の変化が必要になってくる。

 石油は、現代社会になくてはならない資源である。中東の産油国が会議をして決めた石油価格の値上げが石油危機という形で日本や欧米に大きな打撃を与えたことをみても分かるように、石油を握るものは世界を握るといえる。

●分離独立の「陰謀」がロシアへの懸念に

 カザフスタンはソ連から独立して7年しか経っていない。ソ連時代は、政治経済の重要事項がすべてモスクワからの司令によって決まっていた。そのため、カザフスタンは油田を開発し、パイプラインを敷設するだけの技術力を持っていない。

 現在、カザフスタンから輸出される石油はほとんどすべて、ロシアのパイプラインを経由している。だがロシアのパイプラインを通じて運び出せる量は限りがあるし、カザフスタンとしては、ソ連から独立し、ロシアへの依存度を低くしたいとの意志が強い。

 カザフスタンの人口の約35%はロシア系で、主にロシア国境に近い北部地域に住んでいる。ロシア系国民の中には、北部カザフスタンの分離独立とロシアへの編入を目指す人々がいる。北部地域は銅、鉄、石炭などの鉱物資源が豊富なため、ロシア政府もカザフ北部を自国に編入したいと思っているのではないか、とカザフ政府は懸念している。カザフを強国にしてくれる石油の運び出しをロシアに依存することは、カザフにとって危険なことといえる。

 カザフスタンでは昨年12月、首都を南部のアルマトイから北部のアクモラに移した。その理由は表向き「アルマトイは今後10年間に大地震に襲われると予測されるから」ということなのだが、本当のところはロシア系の分離独立運動ににらみを利かせるためと思われている。(地震予知が本当の理由なら、日本も首都移転を本気で考えた方がいい、ということになってしまう)

 アクモラは人口30万人の「大草原の小さな町」である。冬に極寒の地となる田舎町であるため、どうしても移転しなければならない公務員以外、新首都への移住はほとんど進んでいない。そんな場所に首都を移さねばならないくらい、カザフにとつてロシアの脅威は大きい、ともいえる。石油を運び出すためには、他の欧米諸国などと組まねばならない、ということになる。

●売り込み激しい中国の事情

 今後、どの国のどの石油会社の技術を借りるのか、パイプラインはどの国を通るのか。世界の埋蔵量の約2割という膨大な石油の利権をめぐる国際争奪戦が始まっている。カザフスタンではすでに、世界から50社以上の石油会社が事務所を構えている。

 そんな中、昨年から売り込みが激しいのが中国勢である。昨年9月、李鵬首相がカザフスタンを訪問し、カザフと中国を結ぶパイプラインを敷設する計画について合意した。日本に石油を売り込む構想も、その計画の延長線上にあるものだ。

 中国にとってカザフの石油が重要なのは、いくつかの理由がある。一つは、中国のゴビ砂漠で発見された油田の埋蔵量が、当初予想されていたよりはるかに少なく、その穴を埋めるためにカザフの石油が必要だということだ。

 経済成長が著しい中国では、石油の需要が急増しているが、大慶油田など、かつては豊富な生産量を誇っていた国内の油田の生産に陰りが見え始めている。

 またもう一つ、カザフスタンと中国との国境沿いにある、新疆ウイグル自治区で続いている、中国からの分離独立を目指すウイグル人のゲリラ闘争(中国からみればテロ行為)との関係もある。ウイグル人は新疆だけではなくカザフスタンにも住んでおり、カザフから新疆へ、秘密裏に武器や資金が搬入されていると中国当局はみている。

 このため中国は、カザフスタンの悲願である石油輸出に協力することで、カザフから新疆へのゲリラルートを止めたいとの意志を持っている。実際、昨年9月に李鵬首相がカザフスタンを訪問した後、カザフの国防大臣は、中国の新疆に対する反政府活動の鎮圧に協力すると発表した。

 中国にとって、カザフスタンなどシルクロード沿いの中央アジア諸国は、歴史的にみて自国領土の「裏庭」である。歴史上、中国は勢力が強大になるたびに、中央アジア(西域)へと勢力を拡大し、その後国内が分裂混乱すると、西域支配を放棄する、ということを繰り返してきた。

 「新疆」という呼び名自体、「新しい領土」という意味で、清王朝時代に勢力が拡大した際、中国領に編入された歴史を物語っている。その後、苦難の時代を経て、現在の中華人民共和国は、清朝以上の経済力、外交政治力を持ち始めている。

 そんな中国が中央アジアを自らの勢力圏内に置きたいと考えることは、歴史的にみれば何の不思議もない。これまで中央アジアを支配してきたロシアが、ソ連崩壊によって弱体化している今こそ、中国にとって中央アジアを取り戻すチャンスというわけである。

●アメリカとイランの対話再開の裏にもカザフ油田

 一方、欧米の石油会社も、アメリカやヨーロッパ各国の政府を巻き込んで、カザフスタンの石油利権を獲得するために動いている。欧米勢が考えているルートは2つある。一つは、ロシアを通って黒海沿岸の港までパイプラインを引き、そこから地中海方面にタンカーで石油を運び出すこと。

 もう一つはイランとアメリカの対立を終わらせて、カザフからイランを抜け、トルコ方面にパイプラインを伸ばす計画である。この関係から、フランスやドイツはすでにイランへの敵視をやめる方向に動いている。アメリカも最近、イランとの国交回復に向けて動き出した。(以前の記事「敵と味方が逆転しはじめた中東情勢」参照)

●石油はカザフの政治そのもの

 こうしたカザフスタンの石油をめぐる利権争いは当然、カザフスタン国内の政治をも支配している。カザフスタンの首相はバルギンバエフ(Balgimbayev)という人だが、首相になる前はカザフスタンの国営石油会社、カザフオイル(Kazakhoil)のトップをつとめていた。その前には石油ガス産業大臣もしており、カザフスタンの石油産業を支配しているといわれる人物である。

 バルギンバエフ氏が首相になったのは昨年10月のこと。それまで首相をしていたカジェゲリジン氏(Kazhegeldin)は、ソ連時代からの国営企業をなるべく急いで民営化するとともに、市場経済システムを導入するという急進改革派であった。

 そして民営化計画の最大の対象となったのは石油とガスのエネルギー産業だったのだが、これに強く反発したのが、バルギンバエフ氏をはじめとする、石油利権を握る人々であった。首相交代の表向きの理由は、前首相の健康問題であったが、その背景には石油利権をめぐる権力闘争があったと考えられている。

 カザフスタンの地下には、巨万の富と交換できる石油が眠っているというのに、地上の人々のほとんどは、非常に貧しい暮らしをしている。ソ連時代は、政治経済のすべてがモスクワからの司令で動き、ソ連の各共和国は手足として機能していた。一つの製品を作るのに、ある部品はリトアニアで作り、別の部品はカザフスタンで作り、それらをロシアの工場で組み立てる、といったような形である。

 だが、ソ連崩壊によって、カザフスタンは、モスクワの司令なしに、しかも他の共和国との緊密な関係が失われた状態で生きていかねばならなくなった。当然、カザフスタンの工場が従来と同じ部品を作っても売れないから、多くの工場は廃業に近い状態になっており、失業者(10%前後)や賃金の未払いが増えている。

 また、企業を定年退職した後の年金はこれまで、モスクワから届いていた。そのため今や、年金の支給が中断されたまま、生活がどんどん苦しくなっている、というのが、カザフスタンの多くの老人たちの現状である。昨年は、年金未払いに抗議する市民のデモ行進も起きた。国際赤十字の調べによると、カザフスタン国民の73%は、政府が定めた貧困水準より低いレベルの窮乏生活を強いられている。

 生活が苦しくなるばかりであるため、国外に移住してしまう人が増え、カザフスタンの人口は過去5年間に7%も減ってしまった。中でも流出が激しいのがドイツ系国民で、多くの人々が祖国ドイツに帰った結果、1989年に110万人いたドイツ系国民は、今では40万人に減っている。

 (カザフスタンのドイツ系国民は、18世紀に中央アジア開発に力を入れたロシア皇帝の政策により、ドイツから移住してきた。その後ドイツ系の人々がナチスの手先として動くことを恐れたスターリンによる、虐殺や強制移住の犠牲になった人も多い)

●石油によって貧しい人が豊かになれるか

 経済難への対策として、改革派のカジェゲリジン前首相が目指したのは、エネルギー産業など国営企業を民営化して外国資本を入れ、その際の株式売却収入などで、国家財政を立て直そうとするものだった。これに対してバルギンバエフ現首相は、石油会社を国営にとどめたまま、パイプラインの敷設などを急ぎ、石油の販売収入により、国家と国民を潤そうという構想を持つ。

 カザフスタンの最高権力者は、首相の上に立つヌルスルタン・ナザルバエフ大統領である。ナザルバエフ大統領は、ソ連時代にカザフスタンの共産党書記長であったが、独立後の選挙で大統領に選ばれ、その後もさらに再選されて7年間、カザフスタンを支配している。最近評判が悪いインドネシアのスハルト大統領のやり方に似ていると欧米メディアに評される、権力一極集中型の指導者である。

 昨年10月の首相交代は、以前は国民の支持を得ていた経済改革が、失業の増加や年金未払いなどの問題から、支持を急速に失っていることに大統領が気づき、改革のスピードを落とした方が良いと考えたため、と思われる。

 カザフスタンの中心都市アルマトイでは、しだいに貧富の格差が目立つようになっている。町中の公園や大通りの道端では、失業者の群れがすることもなく座り込んでいる。資源大国だというのに、送電線システムやガス配管が古いため、停電やガスの供給停止もしばしばだ。

 一方、市内にはきらびやかなホテルやオフィスビルがいくつも建設され、外資系企業の従業員や石油産業の関係者は、おしゃれなスーツを着てメルセデスを乗り回している。

 パイプラインができれば、こんな現状が、国民全体が満足な生活を送れる状態へと変わっていくのだろうか。莫大な石油の富は、多くのカザフスタン人にとって、結局はカザフの砂漠の陽炎のように、近づいたら現実ではないことが分かってしまうものではないか、とも思えるのである。

 
田中 宇

 


関連ページ

 カザフスタン以外の石油埋蔵量については1990年のデータを参考にした。(日本語)

 カザフスタンの概要が載っているページ (日本語)

 カザフスタンに関するリンク集 テキサス大学オースチン校のロシア東欧関係の研究センターのページ。リンクの量がものすごい。(英語)

 カザフスタンの総合案内 「東方観光局」





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