50年たって暴かれるナチス財宝の謎・南米編97年12月6日 | |
11月26日、ブラジル・サンパウロの国営銀行「バンコ・ド・ブラジル」の金庫の中で、一つの保管箱の鍵が開けられた。金庫の前では、銀行幹部のほか、ブラジル政府当局者、学者、弁護士、新聞記者などが、固唾を飲んで箱が開けられるのを見守っていた。 保管箱の中には、総額約5億円分の資産が入っていた。居合わせた人々が見守る中、テーブルの上に並べられたのは、宝石がはめ込まれた金の指輪、ブレスレット、ブローチ、金時計など、宝飾品が104点。金貨が100枚に、いくつかの金塊、ドル紙幣など。そして、50個以上の金の差し歯も、紙に包まれた状態で入っていた。 さらに、この保管箱の持ち主の日記と思われる書類や、パスポートもあったが、このパスポートが、保管箱の財宝をめぐる疑惑について、雄弁に物語っていた。表紙には、カギ十字の紋章。ナチス時代のドイツのパスポートであった。 ●5億円の資産を持ちながら無縁墓地に埋葬された男 この保管箱の持ち主は、ドイツ出身のアルバート・ブルーム(Albert Blume)という人で、1983年にすでに死去している。その人生は、親戚たちにも分からない不可解な部分があった。 彼は1938年にドイツを離れ、ブラジルに渡る。その後1960年代には質屋を営んでいた。だが死ぬ間際の生活は貧乏そのもので、一部屋きりの安アパートに一人きりで住み、77歳で死去した後、市内の無縁墓地のようなところに埋葬された。5億円の財産を持っている人の晩年とは、とても思えないのである。 ブルーム氏の死後、彼の莫大な遺産の存在を聞きつけて、27人もの人が、親族であると名乗りをあげた。だがニセモノばかりだったようで、裁判所が調べた結果、本当の親族は今年95歳になる、おばのマルガリータ・ブルームさんだけということになった。 マルガリータさんはブラジル国内に住み、毎月3万円程度の年金で暮らしている。彼女は遺産の相続を求める裁判を起こしており、今年中に相続が認められるのではないかとみられていた。 そこに待ったをかけたのが、ブラジル在住のユダヤ人団体の働きかけによって作られた公的な組織"National Commission for the Search of Nazi Monies in Brazil"であった。 ナチスは第2次世界大戦が終わる前後、ブラジルやアルゼンチンなどの南アメリカに資産と幹部を移転させ、そこでナチスの再興を図ろうとする計画「オデッサ作戦」(Operation Odessa)を進めていたとされる。この組織は同作戦が行われていた証拠をつかむことなどを目的に昨年結成され、持ち主不在の銀行の休眠口座の調査などを進めていた。 この組織によると、アルバート・ブルーム氏はナチス党員で、オデッサ作戦を進めるためのエージェントとして、財宝とともにブラジルに送り込まれたのではないかという。ブルーム氏が保有していた財宝は、ナチスがヨーロッパの占領国やユダヤ人たちから奪ったものだった可能性が高いというのである。 また、これに似た見方として、ブルーム氏とよく似た名前の人物がナチスの幹部にいて、アルゼンチンに亡命したのだが、その後連合国側によって逮捕され、ニュルンベルグの戦争裁判にかけられており、ブルーム氏はその人物に代わって、名前だけ財宝の所有者にさせられたのだ、との推測もある。 一方、マルガリータさんの弁護士などによると、ブルーム氏はドイツにいたころ、一時的にナチス党員だったことがあるが、ホモセクシュアルだったため、それがナチス当局にバレると大変なことになると考え、ナチスを離れ、ブラジルに渡ることにしたのだという。ブルーム氏の財宝は、1960-70年代に質屋を開いていた時の担保の品々であり、担保であることを証明する書類も、一緒に金庫内に入っているはずだと主張している。 11月末に開けられた保管箱の中にあったブルーム氏の日記を読めば、彼がどのようにしてこの財宝を所有するに至ったのかが分かるはずで、今後2ヶ月かけて保管箱の中身を調べることになっている。 ●オデッサ作戦の断片 昨年から今年にかけて、ブルーム氏の財宝の一件に代表されるように、南アメリカのあちこちで、ユダヤ人団体によって、ナチスに関係する歴史の徹底調査が進められている。ブラジルの銀行界にはブルーム氏の保管箱のほかに、14の休眠口座があり、合計で1500万ドル(20億円弱)の資産が眠っている。このうちいくつかは、ナチスの財宝なのではないか、とユダヤ人団体は推測している。 そして、この記事の前編にあたる「50年たって暴かれるナチス財宝の謎・スイス編」で紹介したナチスの金塊をめぐるロンドン会議(12月2-4日)は、ヨーロッパと南アメリカで進んでいる、こうしたナチスによる戦争犯罪の洗い直しにはずみをつけるためのものである。 現在までに分かっている「オデッサ作戦」についての断片は、次のようなものだ。 ナチスの南米におけるネットワーク作りは戦争中から始められた。ドイツの敗戦がほぼ確実なものとなってくると、ナチス幹部の南米への移住が始まる。 ドイツからイタリアやスペイン、ポルトガルを経て、アルゼンチンとブラジルに渡る、というのが大方のルートだった。イタリアとスペインからアルゼンチンへ、ポルトガルからブラジルへは、当時多くの人々が移民として渡っており、その流れの中に紛れ込んだ。合わせて50人ほどのナチス幹部が南アメリカに渡ったとみられている。 このほか、1945年から1955年にかけて、敗戦後の破壊されたドイツからアルゼンチンへと、約4万人が移住しており、この中にも元ナチス党員が混じっていた可能性もある。当時のアルゼンチンのペロン大統領は、こうした動きについて知っていたとみられるが、ドイツ人の優秀な技術力と、ナチスの資金が入ってくるのは好ましいことと考え、むしろ受け入れに積極的だったとの見方もある。 ペロン大統領は、映画になった「エビータ」(エバ・ペロン)の夫である。ペロンがナチスの協力者なら、エビータの名誉にも泥がつく。またアルゼンチンでは、ペロン大統領の思想を受け継ぐ「ペロニスト」と呼ばれる人々が、今も政治の中心部にいる。ペロン大統領がナチスの協力者だったとしたら、アルゼンチンの現在の政局や外交にまで、悪影響を与えかねない。ヨーロッパの国でもないのに、アルゼンチンがロンドン会議に代表を送り、ホロコースト犠牲者のための基金への寄付を申し出るのは、こうした背景があるためだ。 ナチスの資金を南アメリカに運ぶ際は、スイスが国を挙げて手伝った可能性が強い。最近公開されたアメリカの機密文書によると、1946年に、スイスのビジネスマンが、2000万ドルの財宝をスイスの外交文書用郵袋に詰めて、アルゼンチンに持ち込んだのだが、この財宝はアルゼンチンに亡命していたナチスの元幹部ヘルマン・ゲーリング(Hermann Goering)に宛てて送られたのではないかとみられている。 このほか、ナチスの秘密警察であるゲシュタポ長官だったクラウス・バルビー(Klaus Barbie)は1983年に逮捕されるまでボリビアで実名を使って暮らしていた。 またアウシュビッツで人体実験を指揮したジョセフ・メンゲレ(Josef Mengele)は、最初はアルゼンチンで、次にブラジルに渡って、偽名を使ってヤミの医者を続け、1979年に死去するまで逮捕されることはなかった。彼の存在は死の翌年、1980年に新聞で報じられた。ユダヤ人団体は、ブラジル当局が彼の存在を知りながら、見て見ぬふりをしたと攻撃している。 ●アンデス山中のUFOとの関係は? 南アメリカとナチスといえば、ナチスが戦時中に実験していたUFOの技術を戦後、南アメリカに持ち込んでアンデス山中の秘密実験場で飛行に成功させた、というような話に思いが至る。 その話が本当であるかどうか、筆者には分からないが、ナチスの元幹部が、ヤミの医者をしていたとか、安アパートで一人寂しく死んだといった話を聞くと、どうも南アメリカに渡ったナチスは、それほど大したことはできなかったのではないか、と感じる。 そして一方、ニューヨークタイムスなど、「クオリティ・ペーパー」と呼ばれるアメリカの新聞は、ナチスの元幹部の話になると、かなり情緒的になり、ナチスをできるだけおどろおどろしい存在として描こうとしているように感じられる。 あまり立ち入ったことは書けないが、南アメリカでのナチスの話題が、どのような思惑で「陰謀」に仕立てられているのか、ということを考えるのも必要かもしれない、と思う。
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Operation Odessa
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