50年たって暴かれるナチス財宝の謎・スイス編

97年12月5日  


 「スイス」という国名を聞くと、みなさんはどんなイメージを持つだろう。雪をいただくアルプスの山々。精密で几帳面さが自慢の職人の国。平和を愛し、有事の際には国民皆兵で防衛する永世中立国。・・・などなど、良いイメージを持っておられる方が多いだろう。

 だが、そんな誇り高きスイスに対して今、かつてない大きな汚名が着せられようとしている。永世中立国のはずのスイスがナチスドイツを助け、ナチスがガス室に送り込む前にユダヤ人から剥ぎ取った財宝 -- 結婚指輪や金歯までも -- を、スイスの銀行が買い取ってマネーロンダリングをほどこした後、何食わぬ顔をして国際市場で売りさばいたり、ドイツに代わって調達した戦争用資材の購入代金として受け取っていた、というのである。

 そして、スイスが第2次世界大戦中も永世中立国であり続けられたのは、こうしたナチスの協力があってこそのことだった、となれば、これはまさにスイスの国家としての名誉を揺るがす事件である。

●冷戦が戦後処理を中途半端なものにした

 この問題が騒がれ出したのは、一昨年からだ。最初はナチスのホロコーストの犠牲者となったユダヤ人の遺族が、スイスの銀行に対して、殺された家族が銀行に保有していたはずの口座について教えてほしい、と頼んだが、断られたことに始まる。疑惑はその後、ナチスドイツがスイスの銀行に貯め込んだ財産が、戦後もそのまま銀行内に存在し、銀行にとっては所有者不在のまま、利子を生む財産と化している、という指摘へと広がっていった。

 スイスの銀行がナチスの戦費調達に協力していたという疑惑は、終戦直後からあった。1946年には、連合国がスイスに対し、ナチスドイツから預かった財産をすべて売却し、その収益の半分を戦争犠牲者の救済基金として連合国に差し出すように求めた。

 スイスは求めに応じて連合国と協約を結んだが、結局はほとんど約束を果たさなかった。冷戦が始まり、アメリカは戦争犯罪の処理よりも、ソ連に対する西ヨーロッパの結束を固めることの方を重視し、スイスに対して厳しく要求しなかったのである。そのため、ユダヤ人団体がアメリカ政府などに働きかけても、スイスの銀行に眠る口座についての情報が開示されることはなかった。

 その後、ソ連の崩壊により、情勢が変わった。1995年には戦争終結から50年がたち、機密を解かれて公開される戦時中の公文書が増えた。さらには今年、アメリカでユダヤ系のオルブライト女史が国務長官に就任するなど、ユダヤ人の発言力が外交の表舞台でも増してきたとみられることも関係しているようだ。

 昨年、スイス政府は、戦時中にナチスと協力関係にあったことを認めた。そして、1億9000万ドル(約200億円)の基金を作り、ユダヤ人ら犠牲者への賠償に当てること、スイスの歴史学者の手で、スイスがナチスに対してどのように協力したかを調べること、などを約束した。

 その後約1年たった12月1日、歴史学者たちによる調査の結果が発表された。ナチスが戦争中に占領した国の政府やドイツ内外の個人から没収した金塊や財宝の総額は、今の資産価値にして80億ドル(約1兆円)。そのうち約6分の1を占める13億ドルは、ユダヤ人などの個人から没収した。80億ドルのうち75%はスイスの銀行に持ち込まれ、そこから連合国側の国々を含む国際市場で転売された。・・・というのが調査結果であった。スイスは資金面でナチスの戦争続行を助けていたのである。

●連合国側もスイスを利用していた

 ナチスドイツ軍は、周辺諸国を侵略し、占領するたびに、その国の中央銀行などにしまってあった金塊を没収していった。そうした被害に遭ったのはベルギー、オランダ、ルクセンブルク、ポーランド、チェコ、スロバキア、ギリシャ、オーストリアなど15カ国にのぼる。これらの国々の金塊はドイツ国内で鋳造し直され、ナチスのカギ十字の紋章を押した上で、スイスに持ち込まれていた。

 とはいえ、戦時中にスイスを資金作りの場として使っていたのはドイツだけではない。フランスやイギリスなどの連合国側も、戦費調達のためにスイスの銀行を使っていた。戦後、スイスは「世界の金庫番」として、中東のオイルダラーやロシアマフィアの口座、パキスタン前首相の不正疑惑のある蓄財など、灰色の巨額資金を引き受ける存在になったが、そうした素地は、戦争中に作られていたのである。

 戦後、アメリカとイギリスがナチスの残存資産を没収し、集めてみると、337トンの金塊になった。米英はフランスと協力し、3カ国でこの金塊を元の持ち主に返すことにしたが、その対象は国家だけで、個人は対象外とされてしまった。その後のユダヤ人団体からのクレームは、冷戦という事情から無視された。

 337トンの金塊は、被害に遭ったヨーロッパ各国へ、順番に返還され、残っているのは5.5トンのみとなった。(現在の価格で5400万ドル相当) これも間もなく15カ国に返還される予定だった。だが、昨年からスイスに対する攻撃と並んで、ユダヤ人団体のロビー活動の力点は、この5.5トンを国家にではなく、個人に返すべきだ、という運動に向かった。

 この動きには米英も同調した。米英が敗戦後のドイツから没収した財宝の中には、金の指輪やネックレス、義歯など、個人の財産だったとみられるものが含まれていた。だが、米英の政府はその後長いこと「ドイツから没収した財産は、占領した各国政府から奪った財産しか含まれていない」と発表していた。嘘をついていたというバツの悪さから、ホロコースト犠牲者のための基金作りに賛同しないわけにはいかなくなっていた。

●欧州経済統合を前にして必要になった清算

 スイスの歴史学者が1年間の調査結果を発表した翌日の12月2日から4日まで、ロンドンでホロコースト犠牲者のための基金をめぐる会議が開かれた。5.5トンの金塊を受け取る立場にあったスイス、他の中立国だったスウェーデン、ポルトガル、スペイン、トルコ、戦後に亡命ナチス幹部を受け入れたとされるアルゼンチン、そしてイスラエルなど41カ国が参加。犠牲者となったユダヤ人とジプシーの団体も出席した。

 ナチスに占領された15カ国には、5.5トンの金塊を受け取ることを放棄してもらうとともに、他の国々からはナチスに関する戦時中の機密外交文書などを公開してもらう、というのが会議の趣旨だ。会議は来年春にはニューヨークで再び開く予定で、徐々にナチスの謎を解き明かしていこうというものだ。

 現在ヨーロッパには、ナチスの迫害を超えて生き残ったユダヤ人が35万人おり、東欧や旧ソ連の国々には、何の補償も受けていない人も多い。5.5トンの金塊が認められれば、こうした人々への補償に使われることになる。

 今回の会議は、ヨーロッパの戦後処理の総決算ともいうべきものである。スイスに象徴されるように、ナチスの戦争に加担していながら、戦後もそのことについて非難されることなくすんできた事柄は多いとみられている。強大なナチスドイツの前では、北欧などの周辺国は、何らかの協力をせざるを得なかったにしろ、ナチスをめぐる歴史はヨーロッパにとって「原罪」ともいうべきものになっている。

 ヨーロッパでは、2年後の1999年から大規模な経済統合が始まる。ナチスについての曖昧さを清算するには今しかない、というわけだ。

●ヨーロッパの異様な厳格さ

 とはいえ、こんなに厳格にヨーロッパ諸国が過去の過ちをめぐってお互いを傷つけ合うのは、無責任体質が強い日本人の一人である筆者にとっては、意外な感じを受ける。日本政府が731部隊や南京大虐殺などについて、事実を再検証せずにいるのに比べ、ヨーロッパのナチスの行為については、かなり詳しく記録されているからだ。

 推測させてもらうと、中央銀行と金塊といえば、筆者は自分が12月2日に書いた記事「輝き失いつつある黄金神話」を思い出す。その記事では、中央銀行にとって金塊があまり重要でなくなっていると書いたが、そうだとしたら、中央銀行としては、金塊を所有し続けることにこだわるより、原罪を晴らすことに使った方がいい、と考えても不思議はない。

 また、中東問題について関心がある筆者としては、イスラエルがパレスチナ占領地で、中東和平合意に違反して勢力を拡大していることとの関連も気になる。強硬派のネタニヤフ首相はこのところ、欧米からの反発を強く受けるようになっている。ヨーロッパには、フランスなど、石油を目当てにイランやイラクに接近している国もある。イスラエルとしては、ヨーロッパ人に対して「原罪」を思い出してほしいところなのではないか。

●スイスとともに日本も悪役に

 ナチスをめぐるスイスの汚点には、実は日本も登場する。アメリカとイギリスは戦争中、日本軍の捕虜になった兵士のために使ってほしいとして、中立国スイスを通じて、当時の金で300万ドルを日本に渡してきた。

 スイスと日本は1944年8月に密約を結び、この金のうち40%は日本がスイスで調達した物資などの支払いにあて、残る60%を日本側で使う、と取り決めた。

 この話は、在アメリカのスイス大使館が1945年に本国と交信していた暗号電文をアメリカが解読し、機密文書にしてあったが、12月2日のロンドン会議で、スイスの条約違反をたたく目的で公開された。

 スイスは本来、永世中立国として、米英から託された金を捕虜の待遇改善に使ってくださいと言って、日本に渡さねばならなかったのに、それを自国の商売のあがりとして使ってしまったというわけだ。

 そして、この話の延長にあるものは「日本は戦時中、連合軍の捕虜をどう扱っていたのか」というテーマである。ナチスに対する裁きが一段落したら、日本の戦争犯罪について、再びクローズアップされるかも知れない。日本政府も、戦争中の歴史検証をしておかないと、やっかいなことになるかもしれない。

 
田中 宇

 


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