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大門小百合の東京日記(6)

緊急入院、そして生と死と・・・

2002年7月10日

 このたび入院してよかったこと、それは死というものが身近になったことかもしれない。今まで大きな病気もせずに生きてきて、自分の死はまだまだ先だと過信していたところがある。死ぬということも、また、霊感とは程遠いと思っている私は、死んだ後の世界ということすら考えてもみなかった。

 何もたいそうな病気をしたわけでもない。3週間前の夜、突然左下腹部に激痛がはしり倒れて、そのまま病院に救急車で運ばれ、輸血をしながらの緊急手術で命拾いした。子宮外妊娠だった。救急車のサイレンの音。病院に着いたときの看護婦さんやお医者さまのバタバタした雰囲気。看護婦さんが私の血圧を数分おきに測るのだけど、その数値が目の前でどんどん下がっていくのがわかる。ウッソー?こんなことってあるんだと苦痛とおぼろげな意識の中で思う。本当に自分の血圧なのだろうか?こら!あがれーっと言いたくなるが、そんなもの力を入れてもあがるわけがない。私の意志に反してどんどん下がっていく。ドラマみたい・・・でもこのまま下がり続けたらどうなるんだろうと思う。

「輸血の準備!」と誰かが叫んでいたのが聞こえた。自分の周りがあわただしさを増してきているようだった。

 そして、夫と両親が現れる。「大丈夫だから。ね? がんばって」「うん」と必死に痛さの中で答える。後で聞いたところによると、私、青白い顔をしていたらしい。まるで死人のような・・・

 手術の準備が迅速に行われ、手術室に入る。点滴が行われ、看護婦さんが足を包帯でぐるぐる巻きにし始める。エコノミー症候群を防ぐためだという。足を動かさないと血栓ができてしまって、それが肺等に入ったら命取りになるとか。足は元気なのに変なの・・・と思う。そこで、私の意識は途絶えた。

 次に気がついたのは、ほっぺをピタピタとたたかれ、誰かに起こされたときだった。心地よい眠りを楽しんでいたのに誰だよう!と文句をいいたくなる感じで、きわめて不機嫌に目がさめる。はっとした。目をあけてみると、口には酸素マスクがつけられ、鼻とのどには管が入っている。両手は点滴。そして尿管も入っていて、包帯ぐるぐる巻きの足には、電動マッサージ機がウイーンウイーンと、時折音を立てて動いている。まったく身動きできず、まるで重病患者のようだ。昨日までの私と別人じゃないか。

そばには両親と夫の心配そうな顔がある。「心配したんだぞ。簡単な手術だって言うのになかなかでてこないから」と父が言った。

 よく聞いてみると、最初は簡単な手術で1時間半ほどで終わる予定だったらしい。ところが、卵管が破裂し、おなかの中にはかなりの血が出血していた。血圧はどんどん下がり、輸血をしながらの手術で、明け方までかかったらしい。もう少し遅かったら、危なかったといわれた。結局、体の半分以上の血(2400cc)を輸血してもらい、助かった。

 輸血をしているので、術後24時間は要注意といわれ、看護婦さんや、医師が、10分おきぐらいに様子を見にくる。ボーっと天井を見つめていたら、手術の前の夜のことが思い出された。

 「手術では片方の卵管を取らないとならないですよ」と看護婦さんにいわれ、あせって「次の妊娠は大丈夫なんですか?」と聞いた記憶がある。片方は残っているから大丈夫っと言われ、ひとまずほっとした。

 そっか・・・ もう半分ないんだと、病室の私は、自分の体ながら、不思議な気がしていた。

 横で夫が、「子供を生むって命がけだよな・・・」とつぶやく。そんな風に考えたことが今まであっただろうか。自分の周りの人が普通に妊娠して、子供を生む。誰にでもできる行為のように勘違いしてはいなかっただろうか。仮に子宮外妊娠でなかったとしても、切迫流産とかその他もろもろの危険が出産するまでにはたくさんある。

しかし、子宮外妊娠で死にさらされるというのは、少なくとも私の辞書にはなかった。病院に運ばれた時だって、自分がそんなに重大な事態に直面しているとは思っていなかったので、「ご両親に連絡しましょう」と言ってくれていたお医者さまにも、「たいしたことないと格好悪いから、まだ連絡はしなくていいです」と答えていた。

 全身麻酔のおかげで、手術が仮に失敗し、自分が眠りからさめなかったとしても、全然違和感なくあの世に行けたかもしれない。そう思えるくらい、自然だった。血圧がどんどん下がって、痛みもなく、そのままスーッとあっちの世界に眠ったままいけたかも、と思うとこんなに楽な死に方はないとも思える。

 数日後、夢をみた。どこか緑の芝生に覆われた庭みたいなところに立っている私。壁なのか門なのかよくわからないものがたっていて、そこから白い服に身を包んだ人が見え隠れする。その人の姿を見ると、なぜだか磁石みたいにそっちへ引き寄せられていきそうになる。自分が抵抗しても、足で踏ん張れない、空気をけっているような感じ。そして、自分の周りにいた夫や友人に、 「お願い。あの白い人が出てきたら、あっちに吸い寄せられちゃうから、私の手を捕まえてて!あの人の所に行ったら、私死んでしまうから・・・」と、私は泣きながら何度も何度も懇願していた。

 そこで、目が覚めた。あの白い人は特段、怖い人ではなかった。きわめて自然に違和感がない人だったように思える。でも、夢の中の私は、泣きながら必死に周りの人にその人のところに引き寄せられないように頼んでいた。

 何なんだろうこの夢は。手術の時に無意識の中で見ていた風景なのか?それとも、手術後知った死への恐怖心が、私の頭のなかで夢を作ったのか?とにかくこんな種類の夢は、今まで一度も見たことがなかった。

 ちょうど一月前、私のとても好きだった京都のある老人が肺がんで亡くなった。京都で生まれた在日朝鮮人、宋斗会(そう とかい)氏。戦前、日本人として満州に渡り、日本の軍隊が何をしてきたかを、目の前でみてきた。戦後、日本政府に抗議して、外国人登録証を焼き捨てた。戦後まもなく起こった浮島丸事件の訴訟をおこしたリーダーだった。従軍慰安婦の問題を表にしたのも彼だった。新聞に意見広告を打ち、日本政府に謝罪を求めた。歴史に葬り去られた過去のことをわざわざ掘り起こして日本政府に突きつけるところ、ちょっと悪ガキのような活動家だった。

 「中国で終戦をむかえたとき、日本人会の会長は本当は守らなくちゃいけない日本人女性をロシア兵に差し出して、生き延びた。女性たちも日本人を守るために、それを運命のように受け入れた。でも、そんなこと何年たっても誰も言わない。恥部だから」

 こんな風に86歳とは思えないくらいはっきりした口調で、長くて白いひげをはやし、青いハンテンをきたこの老人は、彼の目からみた歴史を語っていた。

 亡くなる少し前にお会いしたとき、彼は、「真実というものは一つじゃない」とも言っていた。「真実というのは何十層にもなっていて、その一つを切って断面から見たものも真実。でも、その他の断面もみな真実」

 彼が語っていた歴史もそのいくつもの断面の一つだったのだろう。その断面を日本人に突きつけるのをライフワークにしてきたような変なおじいさんだった。国家という言葉をよく使った。今は、国家を語る若者がいないと嘆いていた宋さんは、日本と朝鮮の間にたちながら、実は日本という国を人一倍、憂いていたのかもしれない。

 年齢からいうと決してもう長くはないと思われる宋さんは、ボケるということから程遠く、茶目っ気たっぷりで、なぜか私には、彼の死がすぐに訪れるとは思えなかった。でも、不思議なことに、亡くなる数日前から自分の誕生日のことを話していたらしい。まるで、自分の死を予言するかのように。

 そして、6月8日、彼の87回目の誕生日。計ったように、親しかった人に囲まれ、静かに息を引き取った。何事をやるにも計画性のあった宋さん。浮島丸の訴訟が結審して約1年、自分の中で一つの仕事をやり終えた気がしていたのかもしれない。そして、一日も狂わず自分の死期まで決めて、逝ってしまった。逝く少し前までは自分で息をしていた宋さんだったけれど、息がだんだん薄くなって止まってしまったその後は、温かかった体から潮がひくように熱がひき、あっという間に冷たくなってしまった。そのほんの数分のうちに宋さんはあっちの世界にいってしまったのだろうか。あっぱれな最後だった。

 そんな風に、自分で死期を決められる人がどれだけいるのだろう。大半は、こんなに早く死ぬつもりじゃなかったけど、事故や病気等で死んでしまうのかもしれない。そんな時、果たして人間はどれだけ後悔するものなのか。

 手術が終わって家族の顔を見たとき、やっぱり生きていてよかったと思った。私は今まで献血すらしたことがないのに、何人もの人が献血をしていてくれたおかげで、自分はこうやって生きている。たくさんの人の血をわけてもらって、生かされている。病気になって初めてわかる弱者の気持ち。今まで生きてきて、私は、命というものについて何にも考えていなかったとさえ思う。命というのは、自然に存在するものであるような気がしていたが、でも自然じゃないのかもしれない。色々な人に生かさせてもらっている命なのだ。

 手術後数日たって、少し歩けるようになった私に看護婦さんが言った。

 「ここは婦人科だけど、このすぐ隣の病棟は産科ですよ。赤ちゃんもたくさんいて、もし嫌じゃなかったら、そこまで歩いて見ます?」

 ああそうか。救急車で運ばれてきたので、自分が病院内でどこにいるかも把握していなかった。私は幸いたいしたことなかったけど、ここ婦人科には、子宮ガンの人など、死と隣り合わせの人もたくさんいる。新生児室が隣なんて、すこし皮肉な気がした。

 それにしても、自分が赤ちゃんをなくしたのに、他人の赤ちゃんを見る元気があるのだろうか。そんなことを気遣ってくれた看護婦さんのやさしい言葉だった。

 いや、私は平気、そう思って、新生児室の前までゆっくり、ゆっくり歩いてみる。ガラス窓の向こうに、天井にむかって元気よく泣いている赤ちゃんがたくさんいた。まだ、目も開いていない、お母さんのおなかから出てきたばっかりの赤ちゃんたちだ。

 じっと見ていたら、なぜだかわからないけど涙が出てきてしまって、看護婦さんに見つからないように涙をふいた。

 生命ってやっぱり神秘的だ。



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