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大門小百合の東京日記(5)

フェアレディZと片山さん

2002年1月7日

 昨年インタビューに出かけたのだが、久しぶりに元気をもらって帰ってきた。 お相手は日産インターナショナルの顧問でいらっしゃる片山豊さん。なんと92歳だ。 この方、戦前のできたてほやほやの日産自動車に入り、初代北米日産社長、そしてダットサン240Z(日本ではフェアレディZとよばれている)を立ち上げ、スポーツカーとしては単体での生産世界一にまでしてしまった方だ。最近は色々なところで取り上げられ、有名人になりつつあるようだ。

 ただ、それだけ貢献したのに役員にもなれず、24年前に日産を退社。当時の社長や組合から煙たがられたせいといわれているが、長い間この人の話をするのは日産ではタブーとまで言われてきた。

 ところが、日産の社長がゴーンさんになって変わった。日産は生産中止になっていたZを新しく作ると発表し、昨年片山さんはZのアドバイザーとして、日産に再度迎えられた。そして今年、新しいZが誕生する。  まず、大森にある彼のオフィスに伺った。Zのファンが見たら泣いて喜びそうなZグッズやZの父と呼ばれる片山グッズがずらりと並んでいる。中に入ると、白髪だが、体はがっちりしていて、182センチの長身で貫禄のある片山さんがニコニコと迎えてくれた。

 正直いって、「え?ほんとに92歳?」という感じ。「最近はひざが痛くてね。車の運転のし過ぎですよ」っと茶目っ気にいう。そのお年でひざぐらいしか悪くないなんて、すごい。とにかく車が好きで、20世紀の車業界を丸ごと今まで見守ってきた。

 「戦後は自動車業界にとって面白い時期でした。車も日進月歩という感じで、どんどん毎月よくなっていくんです。車も作れば売れるというそんな時代でした」はっきりとした口調で話す。

 毎週のように新しいギアが開発されて、どんどん車の質が向上していく。そうすると新しいギアだけを買いたい人とか出てきて、車がつぎはぎになってしまう。でも面白い時代でしたと彼はいう。

 片山さんの話を聞いていて、欧米に追いつこうとして、技術革新を繰り返していた時代にタイムスリップしている自分に気がつく。アメリカだって、フォードが大量生産をはじめ、アメリカの自動車業界も大きく変わっていった時期だ。

 しばらくは宣伝畑を歩いてきた片山さんは1960年にアメリカに行く。そして、北米日産を立ち上げる。当時は輸入車で売れていたのはフォルクスワーゲンぐらい。日本製品も安かろう悪かろうのイメージがもたれているころだった。

 当時、商社に輸入販売を委託していたのだが、「自動車は牛肉や本と違う。ただ売ればよいのではない。車は壊れるし、事故にあうかもしれない。そしたら直してあげないといけないし、アフターサービスが必要だ」という片山さんは、アメリカで独自の販売網を築くことに成功し、顧客サービスに力をいれる。そうやって日産のダットサンブランドの車がアメリカで売れていった。

 今でさえ、アメリカではGMやフォードの力が強い。そういえば私は、数年前デトロイトに出張に行った時、全米自動車組合のUAWの本部の前を通ったことがある。駐車場の入り口にはしっかり、「No Foreign Cars(外車お断り)」の立て札があって驚いた。 それから、知り合いの日本人の記者が組合のデモ現場に取材に行った時のことだ。レンタカーを借りていったのだが、それがトヨタの車だったので、一応労働者たちに配慮して遠くに駐車してから、デモ現場まで歩いていったそうだ。ところが、現場に近づくと「お前は今日何の車に乗ってきた?」と聞かれる始末。さすがにそのこだわりにはあっぱれだったそうだ。

 そんな中でのアメリカ営業だ。

 「アメリカのビッグスリーの力はすごくありませんでしたか?」と思わず聞いてしまった私に、「もちろんですよ」と答える。

 そうやって、日本車を一生懸命売ってくれた人がいて、今の日本の自動車産業があるのかもしれない。

 あるアメリカ人の教授がいっていたのだが、彼の小さいとき、すなわち戦後まもなくは日本の製品は安かろう悪かろうだったという。今じゃ考えられないが、すぐ壊れると評判だったそうだ。

 20世紀、日本車にとってはさぞかし色々あっただろう。最初は質がよくないといわれ、光化学スモッグの存在が確かめられ、排ガス規制によって環境配慮をしなくてはいけなくなった。オイルショックで自動車業界はもうだめだといわれ、でもここまできた。

 「日本の技術者は欧米に行って、先端の技術を本当に熱心に学んでいましたよ」と片山さんは当時を振りかえる。その技術革新への熱心さ、今も続いているのだろうか。今や韓国製品が日本を追い上げている。中国製もよくなって、日本は負けてなどいられない。

 20世紀の技術革新を肌で感じてきた片山さんと話しながら、競争や様々な試練の中でたくましくなってきた日本の産業の歴史に21世紀の我々も多くを学ぶべきことがあるのではと思う。

 最後に「人生色々達成されてきたと思いますが、片山さんにはまだ夢ってありますか?」と尋ねてみた。

 「もちろんたくさんありますよ。なかったらこんなところにいないで、家のコタツで寝てますよ」と笑いながら答えてくれた。

 Z復活も彼の夢だった。そしてそれももうすぐ実現する。夢とかいうとちょっと照れくさい感じもするが、やっぱり夢を持ち続けてがんばらなくっちゃダメだとあらためて思った次第である。



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