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大門小百合の東京日記(10)

 中国 オールド&ニュー(後編)

2003年10月31日

 北京は今、建築ブームだ。町におしゃれなバーやレストランもどんどんできて、北京っ子でも把握するのが大変なくらいだ。

 ドリンク一杯40元(約500円強)。決して安い価格ではない。10年前なら考えられないことだ。

 知り合いに北京で今はやっているという音楽バーに連れて行ってもらった。そのお店のオーナーは、音大卒業でアーチストだ。自らアコーディオンを手に客の間を歩きながら熱の入った演奏で観客を魅了する。

 彼の店が流行っていると聞くと世の常ではあるが、似たような音楽バーが登場する。それに負けじと次は手品師を動員してお客に見せる。するとそれをまねる競合相手がまたでてくる。最近では、オークションを始めた。中国の掛け軸や絵などをオークション方式でお店で飲んでいる客に入札してもらうのだ。それ自体がパフォーマンスだ。

 「新しい物を次々と導入しないとやられてしまう。だからつねに新しいことを考えて実行しているんだ」さすが、中国人だ。そんな彼は商売相手との競争を楽しんでいるように見えた。彼のおかげでお店は平日にも関わらず、音楽にあわせて楽しそうにグラスを傾けるお客達でにぎわっていた。

 そんな商売の競争の話を聞くと、この国はもう完全な資本主義の国なんだという錯覚に陥る。しかし、農村はまだまだ貧しいし、彼の昔の友人達も小さな村社会に今も生きているという。

 彼の幼少時代の話を聞くとさらにうーんとうなってしまった。文化大革命の最中、両親も音楽家だったため一家は田舎の町への引越しを余技なくされる。また、アーティストの息子だということで学校でいじめられることはしょっちゅうだった。芸術がタブーだった時代。ましてやその芸術でいつか商売ができるなんて、そのとき誰が考えただろう。

 彼は、兵士達を慰問するためアコーディオンを担いで、ベトナム戦線まで行ったこともあるそうだ。

 「音楽が兵士達を勇気ずけられると思ったから」と語る彼にとても純粋なものを感じた。彼らの心を癒すために戦場まで出かけていく音楽家。だから彼の演奏は、時には物悲しくもあり、時には何か凄い情熱に取り付かれたようでもある。

 彼の話はそんなに昔の話じゃない。私と彼の年もおそらくそんなにかわらないだろう。しかし、厳しい時代を生き抜いてきた彼の勢いには、私なんかでは到底かなわない何か圧倒されるものがあった。日本の若者のように平和な時代を生きてきたのとは違う強さだった。

▼北京のコンサート

 北京っ子は、音楽好きだ。そんな若者達にバーだけでなく、コンサート会場でも出会う機会があった。日中友好記念30周年の記念コンサートに招待してもらったからだ。日本からは、坂本龍一の娘の坂本美雨、中国からは、人気ロックグループ黒豹、ビジュアル系のシルバーアッシュなどが参加していた。

 シルバーアッシュは今ライブハウスなどでとても人気があるという。美少年グループだが、顔を昔のアメリカのグループキッスや日本のXジャパンのように塗りたくっていた。彼らがでてくると、北京っ子のキャーという黄色い声が会場を埋め尽くす。グルーピーもいるらしいし、会場にいたファンの女の子達はすごい興奮状態だ。なーんだ日本の若者と全然かわらないじゃないと思って見ていたら、突然制服を着た公安が現れて、ステージの近くに行こうとするお客を押し返し始めた。やっぱり中国だ・・・

 コンサートの後、大使館の方のはからいで幸運にも出演したアーチスト達と話す機会に恵まれた。早速ミーハーな私はシルバーアッシュの格好よい男の子にかけより、日本のどんなアーチストに影響されたかを尋ねてみると、「グレイ」「Xジャパン」という答えが返ってきた。なるほど、彼らのあの派手なメークにもうなずける。

 黒豹のリーダーに同じような質問をしたら、なんと「アリス」という答えが返ってきた。「25年前にアリスを初めて聞いて、世界にはこんな素晴らしい音楽もあるんだと思った」という。文化的に閉ざされた社会に生きていた彼らにとって、アリスの音楽が新鮮だったのだろうか。

 音楽に国境はない。日本の音楽が中国の若手アーチスト達に影響を与えることができたんだと思うと、日本人としてちょっぴり嬉しい。

▼アーチスト達の戦い

 しかし、最近はだいぶ政府の規制が緩和されたといっても、まだまだ中国のアーティストは気をつかいながら活動しているのだった。数年前、黒豹が公園でコンサートをやったときは大変だったという。

 「僕がシャツをステージの上で脱いで上半身はだかになると、警察が飛んできてつかまっちゃったんだ」と黒豹のリーダーは笑いながら言う。その後、事務所のマネージャーが「もう2度とそんなまねはしません」という誓約書を書かされてひとまず一件落着したとか。

 また、アルバムを作っている時には、10曲あったアルバムは、中国政府の厳しいセンサーにかかり売り出すときにはいつも9曲になっていたという。政府は、政治的なメッセージがないか、綿密にチェックする。コンサートを開けば、音楽と音楽の合間のトークについても事前に何を話すのか提出しなければならない。あの派手なステージの裏で意外と厳しい統制がおこなわれていたのである。

 しかし、「若者が好きなものを止めることはできない」と彼らは口をそろえていう。音楽を作りつづけ、うたい続けることが自分達のチャレンジなのだと信じているのだろう。

 アコーディオンの音楽家、そして中国を代表するアーチスト達。みんな許される範囲のなかで、精一杯エネルギーを伝えようと頑張っているようで、なんだかジーンときてしまった。

▼中国のゆとり

 いよいよ帰国する前夜、一人でタクシーにのった。いつもは多少中国語のできる夫と一緒だが、その日は一人。夜もかなり遅い。最初は緊張して乗り込み、筆談と覚えたての片言の中国語で自分の行きたいところを伝える。そうすると、運転手のお兄さんは、お前は外国人か?とか、どこの国だ韓国か?など色々と聞いてくる。困った。うまく答えられない。あとは身振り手振りで会話をしながら、目的地に着いた。

 私が料金を払うと、おつりを余分に渡される。なんだ運転手さん細かいお金の持ち合わせがないのかと思い、私は自分の財布をあけて紙幣を数枚だして彼に返そうとした。すると、彼はニッコリ笑っていらないという。え?もしかして、負けてくれるの?北京のタクシーはメーターがきちんとついた負けようもないシステムのハズである。うっそー?外国でタクシーの料金を負けてくれるなんて初めてだ。それも中国でなんて。一昔前だったらどうなんだろう。みんな生活に苦しくて、外国人から少しでも多くのお金を取ることを考えていたのではないのだろうか。

 確かに短い時間だったが、私の筆談で彼は運転しながら結構笑ってくれたのである。その間にお互いなんだか親近感が沸いてしまったのかもしれない。言葉はなかなか通じなかったけれど、運転手さんの優しさにふれて、なんだ中国には良い人はたくさんいるではないかと思ってしまた私は、お人よしなのだろうか。

 短い旅の間に遭遇した中国はめまぐるしいスピードで変わっていた。新しい文化が外国からどんどん侵入し、古きよき中国が脅かされているようにも見えた。その一方で、人々の心には今までになかったゆとりができ、新しい文化とともに新しいエネルギーが生まれてきているようにも思える。

 「民主主義」と「市場経済」。これらの言葉は、日本と違って、中国人の心にはきっと切実に響いているものなのだろう。表向きのスピードとは違いこれらの言葉の本当の意味での実現には、まだまだ遠いのかもしれない。それでも、懸命に生きているアーチスト達に触れ、様々な人に出会い、ゆっくりではあるが、これらの言葉が着実に人々の心の中に浸透してきているのだと感じた。

 次に私がこの国を訪れるとき、この国は一体どんな顔の国になっているのだろう。



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