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仕組まれた9・11 【9】 炭疽菌と米軍

  田中 宇

 9月11日に大規模テロ事件が起きる1週間前の9月4日、ニューヨークタイムスは、アメリカ国防総省が生物兵器として炭疽菌の開発を行っているとする記事(U.S. Germ Warfare Research Pushes Treaty Limits)を載せた。
http://www.nytimes.com/2001/09/04/international/04GERM.html

 この記事によると、炭疽菌の開発は、ロシアの生物兵器に対抗するためのものだった。旧ソ連は炭疽菌の開発をしていたが、ソ連崩壊後、ロシアはその技術を使った生物兵器(小型爆弾)を開発し、武器の国際ブラックマーケットに流そうとしている可能性が強まった。
 米国防総省はこの生物兵器爆弾の性能を調べるため、1995年ごろ、CIAに対して武器商人などを装ってこの爆弾を買ってくるよう依頼したが、CIAはそれを達成できなかった。そのため国防総省は、この爆弾に関する情報をもとに、同じものを米国内で作ってみることにしたという。そして、その中に入れるための炭疽菌も製造することにした。

 第二次大戦後しばらくの間、アメリカは生物兵器の開発に力を注ぎ、炭疽菌の開発も手がけていた。だが1969年に生物兵器開発を永久に止めると宣言し、その後は生物兵器禁止条約に世界中の国々を入れようと動くことで他国の生物兵器利用を止める側に回った。核兵器などに比べ、生物兵器は技術水準が高くない国でも開発できるため、アメリカにとっては自国で開発するより他国の開発を止めた方が軍事的に有利になるからだった。
 この条約に加盟しているアメリカにとって、生物兵器の製造は条約違反である。だがこの条約では、生物兵器の攻撃を防ぐための防御的な開発は許されている。米軍は、ロシアが開発したのと同じ炭疽菌を作ってみることで、炭疽菌に対するワクチンを作るというのが目的だから「防御的開発」だとして、炭疽菌爆弾の開発を条約違反ではないと考えた。
 「クリアビジョン計画(Clear Vision)」と呼ばれたこの計画は、当時のクリントン大統領にも全貌を明かされないまま、秘密裏に進められた。国防総省はネバダ州の砂漠の中に生物兵器の爆弾の外側部分を作る簡単な工場を作るとともに、オハイオ州のバイオ製品メーカーに炭疽菌の製造を発注した。

 大統領府(ホワイトハウス)はこうした計画の進行を後から知り、無断で進めた国防総省を批判したものの、大統領府と国防総省の法律担当者が再度、条約違反かどうか検討したところ、結局違反していないという結論になり、炭疽菌などの開発はそのまま続けられた。
 開発はブッシュ政権になっても続けられた。「テロリストやテロ国家の真似をして生物兵器を作ってみることが、テロ防止に役立つ」という理由で、生物兵器禁止条約で許されている防御用開発の範囲内だという正当化が続いた。国防総省は、従来より効力の強い新型の炭疽菌を開発し、それに対するワクチンを作ることに意欲を持ち、今年9月下旬には、大統領が主宰する国家安全保障会議の認可を経て、新型炭疽菌の開発が始まることになっていた。

 だが、アメリカ政府はこれらの事業を秘密にしたため、思わぬところで歪みが生じることになった。かつてアメリカが主導してきた生物兵器禁止条約の強化を、アメリカ自身が妨害することになったのである。
 この条約は、加盟国がこっそり生物兵器を開発しているかどうか、国際査察によって調べる制度を条項として持っていない。生物兵器を持っている国が限られていた冷戦時代にはそれで良かったが、冷戦終結後、秘密裏に生物兵器を開発していると思われる加盟国がいくつか出てきた。そのため査察の制度を新設する検討が1994年から続けられ、今年7月に新制度が決定される見通しだった。
 ところが、アメリカは土壇場で査察制度の新設に反対し始めた。査察制度が確立したら秘密の炭疽菌開発がばれてしまうから、というのが反対の本当の理由だったが、表向きはそう言えないので「査察はアメリカのバイオビジネスの企業秘密を侵害しかねない」「検討されている査察体制は、イラクや北朝鮮などに甘すぎる」などという理由をつけて反対した。

 アメリカには、これまで生物兵器禁止条約の強化のために奔走してきた専門家が多くいる。彼らはブッシュ政権の姿勢に怒っており、その怒りがニューヨークタイムスに対する情報提供につながり、9月4日の記事の暴露記事となったと思われる。
 翌日、ワシントン・ポストが後追い報道をしたが、そこでは国防総省の広報担当者が炭疽菌開発を事実として認めた上で「生物兵器禁止条約で許された範囲内の研究だ」と主張している。このほか、数人の軍事関係者も開発の事実を認めている。
 イギリスの新聞タイムズは、ラムズフェルド国防長官も開発プロジェクトの存在を認めたと報じている。これらのことから、報道は誤報ではなく、国防総省が炭疽菌を持っていることは事実として確認されたと考えてよいだろう。

 これらの記事が出てから1週間後、大規模テロ事件が起きた。そして9月下旬から、炭疽菌がアメリカ国内にばら撒かれ始めた。ニューヨークタイムスなどの告発記事との関連で考えて、米軍関係者の関与が疑われても不思議はなかったが、9月11日のテロ事件は、アメリカの政治社会の様相を一変させていた。
 テロとともに始まったブッシュの戦争は「政府を批判する者はテロリストの支援者だ」という雰囲気を作り出し「米軍も炭疽菌を持っている」「それが持ち出されたのではないか」などと指摘することは、アメリカのマスコミには許されないことになっていた。

 米議会のダシュル上院議員あてに届いた炭疽菌は「知られている炭疽菌の中で最も強力で、生物兵器として作られた等級のもの」だと報じられた。
http://news.bbc.co.uk/hi/english/world/americas/newsid_1601000/1601754.stm

 だが、これを国防総省の「クリアビジョン計画」と結びつける報道は皆無で、イラクやロシア、北朝鮮など、アメリカ以外の国々が疑惑の対象として列挙されるばかりだった。米軍は炭疽菌の製造を1969年の宣言とともに全廃した、という建て前のみが報道され、信じられる状態が続いた。

 ニューヨークタイムスで9月4日の記事を書いた記者の1人のところにも10月中旬に炭疽菌まがいの白い粉が封書で届いたが、そのことを本人が書いた記事には、9月4日の記事との関連は何も書かれていない。
http://www.nytimes.com/2001/10/14/national/14LETT.html

 とはいえ、この記事にはビル・パトリックという、1950−60年代に国防総省の主任研究員として炭疽菌を兵器にする研究開発にたずさわっていた中心人物が登場する。兵器としての炭疽菌には、肺に吸い込ませるものと、皮膚から入るものがあるが、肺から入れる炭疽菌は非常な微粒子にしなければならないので、作るのがものすごく大変だ、とパトリックはコメントしている。

 この指摘は、その後のニューヨークタイムスの「反撃」のベースとなった。同紙は、アフガニスタンでの戦争が一段落して「報道が米軍の安全を脅かしている」と政府から苦情を言われる可能性が少し減った2001年12月9日、パトリックのコメントを使って「アメリカ国内でばらまかれた炭疽菌は、米軍が開発した菌だった可能性が高い」と報道した。
http://www.nytimes.com/2001/12/03/national/03POWD.html

 この記事は「米国内にばらまかれた炭疽菌は、テロリストが作れる範囲をはるかに超えた完成度の高いもので、かつて米国防総省が開発した炭疽菌と同じ水準の完成度を持っていることが分かった」と報じている。

 この記事によると、米議会のダシュル上院議員あてに届いた炭疽菌は、1グラムあたり1兆個の胞子からなる高密度のもので、現在の人類の科学水準では、このくらいの密度が上限だろうと思われていたものだった。一方、テロリストが開発しうる炭疽菌は、1グラムあたり500億個の胞子ぐらいの密度になるのではないか、と2年前に専門家が作成した報告書に記載されている。
 また、旧ソ連の炭疽菌開発にかつてたずさわり、今はアメリカで生物兵器禁止運動に携わっている専門家ケン・アリベクによると、ロシアやその他の国々が兵器として開発できる炭疽菌は、1グラムあたり1000億-5000億個の胞子のものが上限だという。
 1グラムあたりの胞子の数が多いほど、一つの炭疽菌の胞子は小さく、空気中を漂って人の肺に入り、発症させる可能性が高くなる。上院議員に届いた炭疽菌の威力は、在野のテロ組織が開発できる炭疽菌の20倍、ロシアやイラクなどの国家が開発できる炭疽菌の2倍のものだった、ということになる。

 こうしたニューヨークタイムスの報道に、アメリカの他のマスコミは沈黙したままだったが、イギリスの新聞インディペンデントが後追い報道した。それによると、捜査当局の中にも「かつて米軍内で生物兵器開発に携わっていた科学者が関与した事件だというのが、最もありそうなシナリオだ」とコメントしている人がいる。FBIはすでに米国内の実験室などを捜査対象に含めている。
 その一方で「アメリカで作られたものであるはずがない。米軍の炭疽菌開発は1969年に終わっており、関係者がその後30年間も炭疽菌を保存していたとは考えられない。炭疽菌はアメリカ製ではなく、イラク製だ」と主張している専門家もいる。ところが、米軍は5年ほど前から秘密裏に炭疽菌開発を再開しているのだから、この指摘は当たっていないことが分かる。

 もう1人、米軍との関係を指摘している人物がいる。生物兵器の禁止運動に力を入れているバーバラ・ローゼンバーグ(Barbara Rosenberg)という科学者で、彼女が最近書いた報告書について、科学雑誌ネイチャー( http://www.nature.com/nature/ )が報じている。彼女は報告書で、かつて米国防総省が炭疽菌を兵器として使える純度まで高める培養工程で使っていた化学薬品と同じ成分が、上院などに送りつけられた炭疽菌を調べたところ検出された、と指摘している。

 これらのことから、米国内で郵送された炭疽菌は、米軍が開発したものである可能性が高いことが分かる。具体的には、米軍の研究室の炭疽菌を誰かが盗んだか、米軍内部の専門家がテロ組織に炭疽菌の作り方を教えたか、もしくは米軍が組織的に仕組んだか、のどれかである可能性が高い。

 ここまで調べて私が感銘を受けたことは、ローゼンバーグら何人かのアメリカの科学者たちは、命をかけてこれらの事実を発表したであろうということだ。科学者として生物兵器の専門家である彼らは、一方で生物兵器の残虐さを知っており、生物兵器禁止条約の強化を提唱してきた。
 冷戦時代の1970年代に作られた生物兵器禁止条約は、冷戦終結後、時代の変化に合わない部分が大きくなってきた。冷戦時代は、生物兵器を持っている国はアメリカやソ連といった大国しかなかったので、条約にはどの国が生物兵器を持っているか査察する機能をつける必要がなかった。
 ところが冷戦後、小国が生物兵器を開発・保有しているのではないか、という疑惑があちこちで出始め、条約に査察機能をつける必要が出てきた(生物兵器は開発が比較的簡単なため「貧者の核兵器」と言われる)。この条約改定は1994年に始められた。

 冷戦後、生物兵器を持っていそうなのはイラクや北朝鮮など、アメリカが敵視する国ばかりだったので、アメリカは当初、この条約改定に賛成していた。ところが、条約改定によってアメリカも生物兵器の有無を調べる査察を受けねばならないかもしれない状況になると、アメリカ政府は急に条約改定に反対し始めた。
 ブッシュ政権は、核兵器禁止条約(ABM条約)や生物兵器禁止条約など、自国の軍事体制の「自由さ」を制限しそうなものにはすべて反対を表明している。この傾向は911後に強まり、2001年12月7日にジュネーブで開かれた国際会議で、生物兵器禁止条約の改訂は、アメリカの強い反対によって延期されることが最終的に決まった。
 これには、アメリカ代表団の中の学者たちも怒り出し、ブッシュ大統領のやり方を批判した。義憤にかられたアメリカの学者たちはニューヨークタイムスに情報を提供し、12月9日の記事が出ることになった。

 炭疽菌の事件に関しては、最初は「イラクの関与」を言っていた捜査当局が後になると「極右など国内の単独犯ではないか」と言うようになり、結局誰がやったのか迷宮入りしている、という点も気になる。「極右の単独犯行」というキーワードで思い出すのは、1995年のオクラホマ爆破事件であり、そして「オクラホマも911も同一人物たちの犯行だ」というシッパーズ弁護士の言葉であるからだ。

【10】ブッシュ一族



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