歴史から取り残されたブルガリアの悲劇
(97.01.11)
1989年に失脚するまで35年間、東欧のブルガリアに君臨し続けた共産党のジフコフ書記長は、ソ連がペレストロイカの美名のもと、東欧諸国への支援を減らす方向に動き出したとき、ゴルバチョフ書記長に対して、ブルガリアをソ連邦の一国に加えてほしいと頼み、冷笑とともに断られたという。(*2)
ゴルバチョフ氏がペレストロイカを通じて変革しなければならないと思っていたことはまさに、ソ連内や東欧諸国にすっかり浸透していた、こうした中央への依存症だった。(戦車や鉄条網で縛ったくせに、その後で依存症になるなと命じるのもおかしなことだったのだが)
そして、最近のブルガリア情勢をみると、この国はどうやら、ゴルバチョフ氏に振られたときから、あまり変わっていないということが分かる。
ブルガリアの歴史をみると、この国が周辺の国に対する依存症にならざるを得なかった経緯がうかがえる。ブルガリア人はもともと、ハンガリー人に近いフン族系の人々で、アジア方面からやってきた遊牧民だったのだが、10世紀前後にスラブ系の文化を受け入れ、14世紀からはオスマントルコの領内に組み込まれ、19世紀にトルコが弱体化すると今度はドイツに近づいた。第二次大戦の際は当初、ナチスドイツの側についたのだが、ソ連に宣戦布告されると3日後にあわててソ連側にくら替えし、今度はドイツに宣戦布告した。そして戦後はソ連に対して東欧で最も従順な国となった。 (*5)
ハンガリーやチェコ、ポーランドの人々がソ連に対して一度ならず反抗的な態度をとったのと比べると、ブルガリアの人々は特に従順、あるいは他国依存症の気が強いとも思える。
冷戦時代を通じてソ連共産党は、社会主義政権が作られた世界各地の国を自分の陣営につなぎとめておくために、資金をつぎ込み続けてきた。その傾向が強かったのが、冷戦の主戦場地となった東欧だった。
1980年代に入り、ソ連の社会主義経済の不効率さが目に余るようになったため、ゴルバチョフ氏は、地方分権をゆっくりと進めて経済の効率を上げるとともに、ソ連中央の経済的な負担を軽くする政策に転換した。米国との冷戦を終わらせて軍事費の負担を減らすとともに、ソ連内の各共和国や、東欧の衛星国に徐々に政策の自主性を持たせて、中央に依存する経済体制を終わらせようとした。ところが、ゴルバチョフ氏は少しずつ自由への蛇口を開けるつもりだったのだが、少しひねっただけで中の水圧が強すぎて蛇口自体が吹き飛ぶ事態となり、ベルリンの壁とともにソ連は崩壊してしまった。
ソ連崩壊により、東欧諸国への援助の流れは止まり、経済的な全体主義から、国や企業の独立採算体制への変更が必要となった。他の東欧諸国では、民主各派が政界に登場して共産党を倒し、市場経済を導入していった。だが、ブルガリアは少し違っていた。ソ連に対して最も従順な国だっただけに、共産党に対抗できるだけの勢力が国内に育っておらず、民主主義連合(UDF)という民主諸派の連合体が92年から94年まで政権をとったものの、なかなか一つにまとまることができず、その後は社会党と名前を変えた旧共産党勢力が政権を握ることになった。(*5)
これは、単に政権党が変わっただけではない。他の東欧諸国をみると、共産党を権力から追い出すことで、旧共産党幹部たちが特権を維持するとともに、国営企業を私物化することを防ぐ結果となった。だがブルガリアではそのプロセスが進まず、旧共産党が政権に返り咲いたことで、逆に彼らに国を私物化されることになった。
問題は、国営企業の民営化を装って起きた。政府幹部が国営銀行から金を借りて新たな投資会社を設立し、国営企業に対してそこに経営を任せる契約を結ばせる。そして、国営企業の資産を投資会社に安い価格で移し、その資産を今度は海外により高い市場価格で転売する。さらに、国営企業の信用力をバックに国営銀行から金をさらに借り、石油や鉱物資源などを、国営企業の工場が使うように装って購入し、それを海外などに転売する。銀行も国営だから、金を借りても催促はない。たまった金は欧州などの銀行に預ける。
こうやって(旧)共産党幹部が国営企業をしゃぶりつくしてしまう手法は、ソ連や少し前のバルト3国、中国などでもみられる。
アングラマネーをめぐる権力内の暗闘も激しくなった。昨年10月には共産党の元首相が白昼に撃たれ、暗殺されたが、これはアングラマネーをめぐる内紛が背景にあるとみられている。 ブルガリアは、ベルリンの崩壊後の東欧で、最も政治的に腐敗した国だといわれるようになった。(*3)
今や、ブルガリアの経済状態は、東欧の中でも戦争地域を除き、最も悪い。インフレは昨年が150% (*3)、今年の予測が60−70% (*4)である。UDFが政権についていた94年までは比較的経済が安定していたのだが、昨年初めから食糧事情が悪くなり、食料品店の前に長い行列ができるようになった。昨年夏には、大手国営銀行のいくつかが経営危機に陥った。すでに、国営銀行47行のうち16行が、倒産状態となっている。 (*2) 国営銀行が発行した日本円建て債も支払い不能に陥り、日本の機関投資家などに影響が出た。さらにこの冬はエネルギー不足が深刻になり、石油や石炭が手に入らないので、暖房用に使おうと、公園や街路樹などのポプラまで切られてしまうことになった。(*3)
ブルガリア政府は、競争力のない国営企業を倒産させることを以前から国際的に約束していたが、ほとんど実行していない。企業の私物化もさることながら、倒産させれば大量の失業者を生むことになり、政府の支持率は急落してしまうと予測されているからだ。共産党幹部は国営企業を食い物にしながらも、最低限の賃金は従業員に払い続けてきた。
先進国を代表して、国際通貨基金(IMF)はブルガリアに資金援助をしてきたが、援助の前提条件である国家の運営効率向上がみられないので、IMFは昨年、国営企業の清算や民営化を進めない限り、これ以上の資金援助をしないとブルガリア政府に通告した。
政府は仕方なく、国営企業の中ではまだ将来性が残っている国営電話会社や化学品メーカーを、外国資本に売却する手続きを進めている。とはいえ、その他の工場や銀行の中には、食い物にされて資産価値がなくなっている企業が多く、売却は難しい。
また昨年12月には、社会党内の権力闘争から、37歳のビデノフ首相が突然、辞任した。ビデノフ首相は共産党青年団(日共の民青と同様の組織)の委員長出身で、(かつての民青と同じく)組織内の権力闘争にはたけているが、政策は旧共産党のやり方を受け継いでいる。彼に対抗する勢力は、EUやNATOへの加盟を目指す、欧米型の政策を掲げている。野党勢力が弱いので、社会党内部で左右に分かれることになった。 (*1) 決着はまだついていない。歴史の流れから取り残された状態のブルガリアの悲劇は、当分は続きそうだ。
なお、執筆にあたり参照した記事や資料は次のとおり。本文中の参考にした個所に、米じるし番号を打った。
(*1) FT 96.12.23 (*2) WSJ 96.10.31 (*3) NY Times 96.10.28 (*4) FT 96.11.04 (*5) Houghton Mifflin Almanac 1997
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