3月の総統選挙で台湾に実現した民主主義政治を崩壊に導くかも知れない最大の要因は何だろうか。総統選挙を武力の脅しで粉砕しようとした中国政府だ、と思う人が多いかも知れない。だが、それに負けずに脅威となっているのが、政界進出をもくろむ暴力団である。
中国語では暴力団などの秘密結社を「幇(パン)」と呼ぶ。台湾には現在「竹聯幇」「天道盟」「四海幇」「松聯幇」の4大暴力団がある。8月7日付けの台湾の新聞「中国時報」によると、この4つが最近、連合して政党組織を作る準備を進めている。その名も「正義党」。
台湾政府はこれに対し、法務部長(法務大臣)が「暴力団(中国語では黒道組織)が政党の皮をかぶり、不法な組織が合法的に振る舞おうとすることは許されない」と発表した。とはいえ大臣は「人々に政党を結成する権利があることは、十分に尊重されねばならないが」という前置きをつけないわけにはいかなかった。
日本でも京都の暴力団「会津小鉄会」が、暴力団新法で暴力団と認定されたことで人権侵害を受けていると主張し、国連の人権小委員会に報告書を出したりしているが、こうした動きと同様、民主主義と暴力団の予備的な取り締まりとの間の矛盾をなくすことの難しさを物語っている。
暴力団が政党結成に動いている背景には、以前の台湾政治は暴力団とかなり深い関係にあったのが、最近では政治が暴力団を外してクリーンなものになろうとしており、これに危機感を強め、反発した暴力団が、自ら政治の表舞台に出ようとしたものだ。
実際、台湾の「民衆日報」によると、国会にあたる立法院や、国会の上院に似た組織として憲法改正や総統の選出(今年3月に公選制に移行し、この権力は失われた)する国民大会の議員には、暴力団との関係が深い人、暴力団出身の人も多くいるとしている。国民党や、そこから分離独立してできた「新党」だけでなく、野党の民主進歩党の中にも、暴力団とつながりがある議員や職員がいる。日本の暴力団、山口組の幹部が先月、台湾を訪れた際には、台湾の4大暴力団が催した歓迎の宴に国会議員が出席したことが確認されている。
国民党支配下で恐怖政治が行われていた1980年代中ごろまでは、国民党自体が暴力団を積極的に利用して、国内統治をしていた。そして民主化が始まり、多党制になった80年代後半から最近までは移行期で、各党ともクリーンな政治よりも、党勢の拡大を目指すのが先だった。総統の公選制が始まり、本格的な民主主義体制が始まった最近になって、クリーンな政治を目指すようになり、各党は暴力団とつながりがある人物を議員や職員にすることを制限し始めている。
暴力団が政治の表舞台に出ようとしている理由はもう一面ある。それは経済、金儲けに関することである。政府は最近、暴力団がゲームセンターを運営し、そこでゲーム機賭博をやって金儲けをすることを取り締まり始めた。この資金源は暴力団にとって大きかったらしく、取り締まりに反発したことが、政党結成の一つの原因となったという。
台湾の高度経済成長の中で、暴力団も経済重視の企業形態をとり始めている。ゲームセンターだけでなく、売春ブローカー、麻薬売買、マネーロンダリング、選挙介入の下請けなど、日本の山口組などと同様、「裏サービスの総合請負会社」ともいうべき存在になっている。
もし、こうした企業化した暴力団が表の政治に出てきたらどうなるか。暴力団政党の議員は、国や地方行政府の予算編成や公共事業の発注業者選定の際、表裏両方から圧力をかけて、暴力団系の企業が受注できるようにするだろう。しかも、暴力団に圧力を加える法規制を全力でつぶすようになるだろう。こうなると、台湾にせっかく作り出されている民主政治体制が崩れることになりかねない。
こうした経緯は日本と似ている。日本でも戦前の政治のダーティーな部分を受け継ぎ、戦後は右翼と暴力団を兼務する団体が、自民党政治の裏を支えていた。それが経済大国となってからは政治のクリーンさが重要視されるようになり、特に裏と表の両方がガッポリ儲けることができたバブル経済が崩壊してからは、政治の側から「政暴分離」の動きが進められている。とはいえ、暴力団側は利権を手放そうとせず、たとえば住専処理の競売を妨害している勢力の多くが暴力団とその系列である。
台湾の暴力団の起源は、国民党を作った孫文が、資金面などで広東省の暴力団に支えられていたことに始まる。そうした政暴一体の関係は国民党政権が台湾に移ってきてからも続き、民主派勢力を暗殺するのにも暴力団系の組織が使われた。
台湾の人は、日本から国民党へと支配者が変わったことを「犬が去って豚がきた」というように、国民党の汚い圧政を嫌っている人が多いが、暴力団は圧政の実働部隊として機能していたのである。そのため国民党が、長く続いた暴力団勢力との関係を清算することは、台湾のあり方が大きく変わることをも意味している。