騒がしいお客様時折、恐ろしいほど大きな声で話をするお客様が御来店になる。その声の大きさたるや、皆さんまるで100メートル先の人と話しているのではないかと思うほど凄まじい。大声で話している方が連れの方の上司だったり、接待だったりすると、回りの方は誰も注意できない。また、皆さんがかなり酔っていたりすると、大声で話していることに気が付かなかったりする。 僕はこのBARの船長、キャプテン涼一である。他のお客様の航海の安全を守る義務がある。お客様に快適な(心の)船旅を楽しんでいただくために、騒がしい方に静かに話して下さるようにお願いしなければならない時がある。とはいえ、大声を出している方自身には全く自覚が無いケースが多いため、うかつに注意はできない。注意するのに注意が必要なのだ。 今日は、他のお客様に迷惑をかける「騒がしいお客様」の例をいくつか御紹介してみたいと思う。 ▼実例 1店の奥のテーブル席にお掛けになった4名の会社員。年齢は30代が2名、40代が2名である。この方々全員の声が大きいのだ。どのくらい大きいかというと、そのテーブルから僕がいるレジまでの距離、およそ12メートル位あるのだが、話の内容がはっきりわかるほどである。大声で興奮して喋り続けている。 通常、一時的に盛り上がって騒がしくてもしばらくすると静かになることがあるので、少し様子を見ることにしたのだが、これが一向に静まらない。他のお客様の数はそう多くなかったが、明らかに気分を害しているのがわかる。そろそろ注意しに行かなければならない。他のお客様が直接文句を言いに行ったりしたら、大変なことになってしまう。 注意する時に「他の方の御迷惑になるので」などと言ったりしたら、「誰が迷惑なんだ! そいつを連れてこい!」と言われかねないし、お願いする相手を間違えると「誰に言ってるんだ!」と同席者がキレかねない。だからこういう場合はとても気を使うのだ。 次の騒ぎがピークに達した時、僕はそのお客様の席に行った。伝える方を決めて「お話中、大変申し訳ありませんが、少々声のボリュームを下げてお話いただけるようお願い申し上げます」と小声で丁重にお願いをした。お客様は一斉に不満そうに僕を見たが、しぶしぶ了承して少し静かになった。そのお客様はそれから30分程でお帰りになったのだが、その際、レジで一波乱あった。 30代の1人がからんできた。 「オレ達さあ、今までいろんな店へ行ったけど、バーで静かにしろなんて言われるのは初めてだよ! 誰がうるさいって言ったんだよ! お前が勝手にそう思っただけじゃねーのかよ!」 僕は呆れた。今のセリフは出来れば居酒屋で言ってほしい。例えば、つぼ八などの大型店で「居酒屋で静かにしろなんて言われるのは初めてだよ!」と言うのなら、これはアリだと思うが、当店は静かな雰囲気でカクテルを楽しんでいただく店である。そんな無茶苦茶なことを言われても困ってしまう。 こんな時はこれ以上相手を刺激しないように、ひたすら「申し訳ありませんでした」と謝るしかない。しかし、あまりこちらが下手に出ていると「どうせ客には逆らえないんだから」と、どんどん強気になって攻撃してくる可能性があるので、毅然とした態度で望むことも必要である。こういう時に僕の長身が役に立つ。相手の目を見据えたまま丁寧にお詫びしていたら、「ばかやろー!」と捨てぜりふを残して帰ってしまった。やれやれである。 ▼実例 2開店後まもなく来店した3名のお客様がカウンターで飲んでいた。そのうちの1人が大きな声で喋っている。まるで獣が吠えているかのようだ。僕は厨房で休憩をとっていたのだが、その声が次第に雄叫びに変わるのを聞いて、慌てて店内に戻った。 カウンターのお客様の1人が、興奮して副店長に噛みついていた。どうやら少し前に、副店長がその方を注意したらしく、それに腹を立てたお客様が難癖をつけていたのだ。 「なんだと! オレがうるさいって? 迷惑をかけてるってのか! どんなふうにうるさいんだ! こんな感じか! うおおおおおおおおおおおおおおっ! うわああああああああああああっ! こうか! こんな感じか! ぐああああああががががああああっ!!」 お客様は絶叫マシンと化してしまった・・・ もう誰にも止められない状態だ。(これじゃまるで大声コンテストだ)地鳴りが起こりそうな絶叫を聞いて、僕はそう思った。 さて困った。店内にいる数組のお客様は、皆、怯えた目でこちらを見ている。今は、帰ることさえ憚られる状態である。このような時に僕がしゃしゃり出て行っても、新たな絶叫を呼ぶのは目に見えている。そこで、懸命に謝り続ける副店長の視界に入る位置に立ち、いざという時に飛び出して行けるよう、待機することにした。アルバイトには指示を出し、すでに他のお客様は、そっと奥の席に移動(避難)してもらっている。よし、これでいつでもOKだ。とは言え、飛び出して行っても僕が謝るだけなのだが・・・ その後、絶叫するお客様は約10分程わめき続けた。しかし、副店長の「申し訳ありませんでした」の回数が、そろそろ100回に達しようかという頃、疲れてしまったのか、次第にトーンダウンしてきた。さらに10分後、遂に他の2人を残して帰ってしまった。興奮してアルコールが回り、気分が悪くなってしまったようだ。ざまあ・・・いや、お気の毒に。 ▼実例 3とある金曜日のことである。営業後まもなく来店した初老の男性と中年女性が、カウンターに座ってワインをがぶがぶ飲みながら議論している。お2人とも杯を重ねる度に饒舌になり、議論が論争に、そして激論へと高まっていった。それと同時に声が大きくなってゆく。その後、かれこれ2時間ほど経った頃、カウンターはカップルで満席になった。 問題のカップルはヒートアップを続け、今度は2人で英語でがなり立て始めた。英語が堪能らしいのだが、酔っているため呂律が回らず、英語もブロークンだ。その騒がしさはもはや限界を超えた。僕はカウンターの中から、他のお客様に聞こえないように小声で注意した。すると、お客様は察して下さったようで、「わかった。もう帰る」と言って立ち上がり、出口へ向かうと思いきや、突然叫びだした。 「オレたちは全然大声なんて出してないぞ! 非常に心外だ! 静かに飲んでたじゃねーか! 誰がうるさいって言ったんだ! 言ってみろ! オレ達が何時から飲んでると思ってるんだ! 何年前からこの店に来てやってると思ってるんだ! ふざけるのもいい加減にしろよ、このヤロー!」 言っていることが支離滅裂なのは仕方ないとして、これ以上、このお客様を刺激せずに早く帰ってもらうためには平謝りに謝るしかなかった。しかし許してもらえないどころか、「店員の誰かが小声で(帰れ)って言いやがった! 誰が言ったんだ! そいつを出せ〜〜!!」と、被害妄想になってわめき始めた。 もう手が付けられない。米搗きバッタのように謝ること約10分。言いたい放題言い続けた後、僕の「お代は結構ですから」の言葉に反応して、やっと帰ってくれた。 その後、カウンターのお客様1組1組に謝って回った。皆さんに労いの言葉を掛けられてホッとしたのも束の間、今度は電話攻撃が始まった。 「おい!今おまえの店を追い出された者だ! オレはY製薬の◯◯◯だ! 逃げも隠れもせん! お前の店はいったい何なんだ! 静かに酒を飲んでる客を追い出すってのは、どういうことだ〜〜!! オレ達は断じて騒いでなんかいない! お前の店の社長の名前を教えろ! 事務所の電話番号を教えろ! オレはお前を許さないからな〜!!」 強面だったのでどういう筋のお客様かと思っていたら、そうか、製薬会社にお勤めの会社員なのか。僕は少し気が楽になった。とはいえ、電話の向こうでは男性と女性が交互に出ては、同じ様な口調で「バカヤロー!このヤロー!」と延々と罵るのだった。公衆電話からかけているようで、途中で切れてはまたかけ直してくる。何度切れてもまたかけてくる。これでは営業妨害も甚だしい。 しかし、下手なことを言って逆上させて、また店にやって来られてはかなわないので、ずっと謝り続けるしかなかった。 そのうち「おまえの隣にいたヤツが、帰れと言ったんだ! そいつを出せ! いいから出せ!」と、しつこくまくしたてるので、そんなことを言っている筈も無いのだが、副店長に電話を代わって僕は仕事に戻った。 程なくして副店長が電話を終えて戻って来た。「何でそんなに早く終わったの?」と聞くと、「僕が電話に出たら、ああ君か、君は僕と喋った人だね、君はそんなことを言うような人じゃない、わかった、と言ってました」 それを聞いて、ああよかった、これで終わったと胸をなで下ろすと、「また店長に電話を代われって言ってました」と言う。げげっ、まだ電話は繋がったままなのかよ! 電話に出ると、今までわめき散らしていた人とは別人のような普通の声で、「彼が帰れと言ったんじゃないのはわかりました。でも彼は帰れと言っていたんです。口には出さなかったが、目が言っていました。僕はもうあなたの店には行くことはありませんが、これからも頑張って下さい。それじゃ」と電話は切れた。 深い悲しみとと虚脱感が僕を襲った。ちくしょ〜、どいつもこいつも勝手なこと言いやがって・・・ いい年して、もっと自分を知れよ! 自分が良けりゃ、回りがどうなってもいいのかよ。酒乱に限って大酒飲みやがって。さすが酔っぱらい天国、日本だよ。は〜〜〜っ、と僕はため息をついた。 その後、未だにY製薬の薬を服用する気にならない・・・ ちょっとしたトラウマである。 ▼とある一流ホテルの例ある常連の方から聞いた話である。その方が、とある一流ホテルのバーで飲んでいたところ、10名ほどの団体が店内で大きな声で騒いでいた。従業員は誰も注意することなく見守り、その客が帰ってから他の客を1組ずつ謝って回ったそうである。 常連曰く「いやあ感動したねえ。騒いでいても全然注意しないで、我慢して帰るのを待ってるんだぜ。それで、うるさい連中が帰った後に、ちゃんと謝って回るんだ。やっぱり一流ホテルは違うよなあ」 どこが良いんだ、そんなのが。僕はその発言を聞いて腹が立った。一部の客が騒いでいたら、それを注意して他のお客様を守るのが、従業員の使命ではないのか。騒いでいる客も大切にして、マナーを守って飲んでいる善良なお客様に迷惑をかけて、その上我慢を強いるのか。それがサービスマンといえるのか。騒がしい客を静かにさせてこそ一流といえるのではないのか。僕はそう思った。 これから忘年会シーズンになり、普段お酒をお飲みにならない方が悪酔いするケースが頻出する。くれぐれも、我を忘れるまでお飲みにならないようにと願うばかりである
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