世界を支配するNGOネットワーク

1999年12月13日   田中 宇

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 この記事は「シアトルWTO会議をめぐる奇妙な騒乱」の続編です。

 1994年10月、スペインのマドリッドで開かれたIMF・世界銀行(世銀)の設立50周年総会は、大荒れだった。世銀はもともと、貧しい国々を支援する資金援助を行うための国際機関だったが、冷戦時代を通じ、アメリカが西側陣営の発展途上国に対して、社会主義化を防ぎ、親米政権を守るための支援をする機関として機能していた。

 冷戦後、そうした歪んだ機能を見直すべきだと主張する、200以上の欧米の市民団体(NGO)が1994年、IMF・世銀の50周年総会の会場周辺に集まり、「50年でたくさんだ」(50 Years is Enough)と称する統一反対運動を起こし、最後は一部の活動家が会議場になだれ込むという事態にまで発展した。

 この運動は、世銀に大きな影響をもたらした。世銀は、組織の意思決定プロセスに、多くのNGOを参加させるようになった。今では、世銀の事業の半分以上の運営に、NGOが参加している。

 国際機関に対して、欧米を中心とする世界のNGOが集団的に働きかけたり、襲撃型の反対運動を展開したりして、自分たちの統一要求を認めさせるという手法は、冷戦終結とともに始まった。最初の成功は1992年のリオデジャネイロ環境サミットであり、次に目立ったのが、94年の世銀総会だった。

 その後、NGOの国際ネットワークは、対人地雷の禁止条約を成立させたり、先進国が進めようとした投資に関する国際協定「多数国間投資協定」(MAI)の実現を潰したりといったプロジェクトを展開した。いずれも、貧しい国々の人々を救うという理由で、キャンペーンが展開された。

 NGOの矛先は、国際機関や政府だけでなく、多国籍企業にも向けられた。発展途上国に粉ミルクを売ってきたネスレや、遺伝子組み換え作物の種子を独占販売しているモンサントなどが、無数のNGOから集中砲火を浴びてきた。

▼インターネットとともに急成長したNGOの国際戦線

 NGOの国際戦線は、インターネットの普及によって、急速に展開していった。たとえば、以前の記事「遺伝子組み換え食品をめぐる世界大戦(2)」の末尾で紹介したが、遺伝子組み換えに反対するいくつもの団体が、モンサントを攻撃するウェブサイトを作っている。

 また今年5月、遺伝子組み換えトウモロコシの花粉が、害虫ではない蝶の幼虫を殺してしまうという実験結果が発表された後、ヨーロッパで遺伝子組み換え作物に対する猛烈な反対運動が起きたのは、イギリスなどのNGOが、インターネットなどを使って、フランスやドイツのグループに、統一的な反対運動を呼びかけたからだった。

 こうしたNGO集団の動きには、大企業も政府も対抗し切れない。というのは、誰が運動を企画し、煽っているのか突き止めにくいし、運動の中心点がいくつも存在しているため、対策を打つことが難しいからだ。結局、NGOの主張を受け入れるしかない。

 パソコンが10万円台で買え、個人が負担できる程度のお金でインターネットが使えるようになってから、まだ4-5年しかたっていない。だが今や、ネットを情報交換の道具として駆使する組織が、政府をしのぐ力を持つようになっている。「Yearbook of International Organizations」によると、国際的な活動を展開するNGOの数は、1990年の6000から、今年は26000にまで急増した。

 それが良いことばかりならかまわないのだが、良いことかどうなのか、十分議論を詰める必要があるテーマに対しても、感情的な反対運動が広がってしまうことは問題だ。たとえば、世界の多くの人々は、遺伝子組み換え作物という存在が、人類にとってプラスなのかマイナスなのか、深く調べて考えず、企業や政府を敵視する態度を先行させているように見える。

 地球温暖化の主因が二酸化炭素なのかどうか、はっきりしないのに、97年の京都会議の結果を、無前提に推し進めようとしている人々も、同様である。(これについては「地球温暖化京都会議への消えない疑問」を参照)

 NGOには、当局側に劣らない専門家たちも参加している。世銀に対しては、国家財政の専門家がNGOにもいて、世銀が公開した情報を生かし、対案や反論を出している。環境団体にも、大学の研究者が多い。とはいえ、当局側は失敗したら、(少なくとも建前上は)非難されるが、NGOは「一般市民」と称することが許される人々の集まりなので、人々を煽っておいて、後でよくない結果になっても責任を追及されないという、いびつさがある。

▼奔流に飲まれたWTO

 最近、こうした奔流に飲まれたのが、WTO(世界貿易機関)だ。先日アメリカのシアトルで開かれたWTO閣僚会議は、NGO集団の反対運動が一因で、成果を挙げられず失敗した。

 この反対運動は、究極の目標が統一されていたわけではない。「WTOが推進する自由貿易体制は、発展途上国からの輸入増につながり、アメリカ人の雇用に悪影響を与える」と考える労働組合から、「自由貿易は大企業の儲けにしかならない」と言う「反資本主義」の人々、「環境保護に配慮した国しか、自由貿易体制に入れてはいけない」と主張する環境団体まで、主張はばらばらだった。

 彼らをつないだのは、インターネットなどによる情報交換で、「The Ruckus Society」などのNGO系サイトが、究極の目標が全く異なるNGOどうしを、「シアトル会議に反対する」という一点でつないでいった。

 彼らの目的は何であったか。1994年の世銀総会への乱入事件からの流れを踏まえると、「世銀同様、WTOでも、NGOが意思決定に参加できるようにする」という目標が見えてくる。だが、WTOを攻撃して、組織内部に入ろうとした彼らの反対運動は、WTOの体制そのものを壊す、という結果になってしまった。

 だが、これはNGO側だけの責任ではない。WTO内部はシアトル会議の前から、分裂状態が続いていたからだ。WTOはもともと、国際貿易の紛争処理を目的としており、紛争をなくすためのルール作りとして、ウルグアイラウンドや、シアトル会議で作ろうとした新ラウンドの協議があった。

 自国製品に環境保護の費用や高い労賃が上乗せされている先進国と、それらがない発展途上国とでは、利害は対立する。輸出するための農産物を作っているアメリカやブラジルと、輸入をなるべく減らして農産物の自給を目指してきた日本やヨーロッパ諸国との間も、論争になる。

▼アメリカのWTO不要論

 こうした対立はこれまで、各国が互いに「輸出を増やすために、輸入品への規制をある程度緩和する」という譲歩をすることで、何とか解消されてきた。だが今回の会議を前に、これまで自由貿易を主導してきたアメリカの国内に、もう自由貿易なんて不必要ではないか、という意見が出てきていた。

 任期満了を来年に控えたクリントン大統領は、マイクロソフトやボーイングといった、自由貿易体制を謳歌する輸出産業が立地しているシアトルで、WTO会議を開いて成功させ、世界の自由貿易体制を発展させた功労者として、歴史に名を残したかった。

 だが米国内には「アメリカは経済をめぐる競争でも、世界の覇者になり、好景気が続いているのだから、これ以上、世界に対して譲歩する必要はない」という考えの、政治家その他の人々が増えてきた。

 80年代には脅威だった日本経済も、長引く構造的な不調に悩んでいるし、ヨーロッパは経済統合してもアメリカをしのぐ勢いはない。東南アジアは金融危機の影響が残っているし、中国の経済改革も一進一退の状態だ。それを見て、アメリカでは再び、自己充足と内向きの議論が目立ってきている。

 そんな中で、来年秋に大統領選挙が行われる。自由貿易推進派のクリントン大統領が率いる民主党内部では、自由貿易派を受け継ぐゴア副大統領が候補になりそうだが、労働組合など、自由貿易に反対する勢力も強い。

 シアトルに結集し、WTO会議に反対する民主党内の人々に対して、クリントンは「反対する人々の意見も聞く必要がある」とか「国際的な労働基準を守らない国は、いずれWTOによって制裁される」といった意味の発言を行い、選挙対策のリップサービスを展開した。交渉の席上でも、アメリカはほとんど譲歩しなかった。

 この戦略は、あまりに内向きだった。会議に参加した発展途上国の代表の多くは、NGOとクリントンの主張は先進国の価値観を押しつけ、先進国の労働者保護を目的としたものでしかないと反発した。アメリカが譲歩しないため、日本やヨーロッパ諸国も譲歩せず、会議は決裂のうちに終わった。

 戦後、世界的な自由貿易協議は毎回、アメリカの主導で行われてきた。WTOは今後、ジュネーブ本部に各国の実務者が集まり、引き続き協議を続けるが、アメリカの動きが選挙前で鈍る以上、大統領選挙が終わるまで、新たな結論は出ないと予測されている。




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