アラブ世界の女性解放は一進一退1999年12月2日 田中 宇ペルシャ湾に面した中東の小国クウェートの政治は、「ディワニヤ」(diwaniya)と呼ばれる地域の寄り合い所がベースになっている。クウェートが石油成り金の国になる前、人々が砂漠の遊牧民ばかりだったころ、ディワニヤはテントだった。 夜になると、男たちが集まってきて、コーヒーやタバコ、お菓子などを楽しみながら、政治談議に花を咲かせる。その運営費用は、地域の有力者の寄付でまかなわれ、国王(首長)も、ときどき各地のディワニヤを訪れて、国民の不満や希望を聞いて回る。 クウェートは、ペルシャ湾岸のアラブ諸国の中で、議会制民主主義が一番進んでいる国だ。通常だと4年に一度行われる議会選挙のたびに、立候補者は冷房を効かせた大きなテントを張って、にわか作りのディワニヤを設営し、人々を集めて支持をお願いする。 今年6月の国会議員選挙の際も、そんな光景が展開した。だが、この選挙運動が始まる2週間前、ディワニヤ政治が日本や欧米の政治とは決定的に違う、一つの面を感じさせる出来事があった。 国王が「次の次の選挙から、女性にも参政権を与える」と宣言(布告)したのである。クウェートでは、女性は立候補することも、投票することもできない。ディワニヤでの政治談議も、男だけの世界である。そんな中で発せられた国王の命令は、多くの人々を驚かせ、選挙前のディワニヤ内は、その話題ばかりとなった。 選挙の結果は、クウェート国会の50議席のうち、女性解放を支持する改革派が、選挙前の4議席から14議席へと躍進した。だが一方で、女性解放を嫌うイスラム主義派が20議席を維持した結果、議会では国王の布告に反対する勢力が強く、11月下旬、国王の布告は議会で否決されてしまった。 完全な否決ではなく、国王の布告に代わる選挙改革案を、議会で決めることになっているが、投票権は与えるが立候補の権利は与えないといった、部分的な解放となる可能性が強い。 ▼女性を味方につけたい王室そもそも、ディワニヤでの政治論議に男性しか参加できない伝統をやめない限り、クウェートでの女性参政権は生きてこない。たとえ女性が立候補できても、現状では、各地のディワニヤを回ってあいさつすることも、抵抗を受けるだろうから、当選は難しい。 中東でも保守的なペルシャ湾岸諸国では、公的な場所で男女が一緒にいることは、イスラムの教えに反しているとされ、ディワニヤの中で男女が討論することを嫌がる男性が多い。 隣国サウジアラビアでは10月、国政に対する助言機関である諮問評議会に、初めて女性が参加することを許された。だがその際も、女性は別室にいてテレビで会議を傍聴し、発言するときだけ議場に入ってくるようにすべきだという意見が出ている。 ペルシャ湾岸地域では、少しずつだが女性の政治参加が進められている。カタールでは、今年3月の地方議員選挙から、女性の参政権が認められるようになった。オマーンでもサウジ同様、国王が任命する諮問会議員に、女性が含まれるようになった。 ペルシャ湾岸以外のアラブ諸国でも、今年7月に就任したモロッコの新国王が、就任後の最初のスピーチで、女性解放に力を入れることを宣言し、改革派を喜ばせるとともに、イスラム主義者たちを落胆させた。 アラブ諸国全体で、政府が女性解放に力を入れ出したことに対しては、うがった分析もある。政府や王室は金遣いが荒くなりがちで、反イスラム的であるとイスラム主義者から攻撃されることが多い。その対策として、女性に参政権を与えて味方につけ、イスラム急進派を抑えようとする王室の意志があるのではないか、という見方である。 だが、女性が立候補できるようになっても、すぐに女性政治家がたくさん出てくるようには、なりそうもない。カタールの地方選挙では、29議席の中央市議会(Central Municipal Council)の議席をめぐり、221人の男性と6人の女性が立候補したが、女性は1人も当選しなかった。 女性自身、女性候補にはあまり投票しなかったわけだ。その背景には、教育を通して「女は男より劣っている」という価値観が、女性の意識の中にも残っていることがある、との指摘もある。 ▼経済面では女性の活躍が始まる政治的な女性解放はこれからだが、女性に関する経済面の開放は進みつつある。たとえばサウジアラビアでは、女性で仕事を持っている割合は、1976年の6%から、1995年には23%に上がった。 女性企業家も増えている。彼女たちの多くは、インターネットを活用してビジネスを展開している。サウジのインターネット人口に占める女性の割合は3分の2、という調査結果も出ている。日本での女性比率が2―3割、ネット先進国と言われるアメリカでも女性は半分前後であることを考えると、サウジの女性比率は異様に高い。 サウジでは従来、インターネットは西欧の乱れた文化を運んでくるとして禁止されていたが、今年初めに解禁された。それにいち早く飛びついたのが、宗教的な理由で行動の自由が規制されている女性たちだった。 近年の石油相場の下落で、サウジは石油以外の民間経済を発展させる必要に迫られ、人々に起業を奨励している。ファッション小売店を中心に、女性の企業家も増えてきた。だが、イスラム教の決まりでは、女性が出歩くときは、親族と一緒であることが望ましい。サウジでは、女性が自動車を運転することも禁止されている。 女性企業家たちは、営業や打ち合せに行こうにも自由に出歩けず、事業の障害となってきたが、電子メールなどのインターネットを使えば、そうしたマイナス面を補えるというわけだ。 最近では、女性の経済力向上に呼応するかたちで、女性専用のショッピングセンターも、サウジやUAEに新設されている。女性専用なら、中に入ってからベールやチャドルを脱ぎ、身軽になることができる。センターの入り口には、インド人やフィリピン人の女性警備員が立ち、男性の入場を阻んでいる。 アラブ世界の市場やショッピングセンターは、男女が混在してぶらぶらしている数少ない場所であり、若いカップルが目立たずに一緒に歩ける場所であると同時に、男たちが女性たちをぶしつけな視線で眺める場所でもある。そうした視線をうっとおしく感じる女性たちにとっても、女性専用のショッピングセンターは、楽しく買い物できる場所になっている。 ▼過去30年停滞したアラブの女性解放中東のイスラム社会全体で見ると、女性はまだ抑圧された存在だ。夫が妻を離縁しようと思ったら、そう宣言するだけで可能だが、妻から離婚を言い出すと、決着がつくまで法廷で何年も争わねばならない国が多い。 妻の方から離婚したがっていることを公にしたら、夫の親族に殺されてしまう可能性もある。一族の名を汚した者を殺しても、罪に問われないことになっているからだ。遺産相続も、女性は男性より少ししかもらえないケースが多い。 厳格なイスラム社会を目指した国の中でも、イランでは、クウェートやサウジなどに比べ、女性の権利が認められており、女性の国会議員もいる。サウジの女性たちは、自動車を運転する権利を求めている一方で、イランでは女性のバス運転手まで誕生している。イランでは1978年のイスラム革命より前にいた国王(シャー)が、イスラム色を排除して西欧型の国作りを目指したため、その影響が残っている。 中東のイスラム諸国の女性解放は、今年で100年目を迎える。だが近年は、1967年にイスラエルとの中東戦争が始まってから30年以上、ほとんど女性の地位は向上しなかった。 イスラム教徒からみると、中東戦争は、ユダヤ教徒やそれを支援する欧米のキリスト教徒との戦いだった。そのためイスラム諸国では、西欧文化を排除し、より厳格なイスラム社会を作ろうとする急進派の力が増した。彼らは女性解放運動を西欧かぶれの考え方だと批判し、女性の地位向上に反対した。 だが、暗礁に乗り上げたままだった中東和平交渉が進展し始める一方、爆弾テロを多発させるイスラム急進派への批判も強まっている。サウジで今夏、王子が女性の運転禁止を批判する発言をして話題になるなど、中東諸国が、再び女性解放を進める素地はできつつあるといえる。
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