天皇と国民との、新たなる契約を

1999年11月19日   内田研四郎 ("愛ある"社会主義者)


 世は今、平成大不況の真っただ中である。この原因を「米ソ冷戦構造後の戦略を持たなかった、わが国の指導者の怠慢だ」と言う識者が多いが、いかに条件が悪くとも、戦後の焼け跡から立ち上がった日本人の国民性を考慮すれば、そういった外的要因に理由を求めるのは、整合性がない議論であろう。

 アメリカとの経済戦争に、あっさり敗れてしまった今の日本は、かつて大東亜戦争を戦った日本や、戦後40年で経済大国になった、あの活力あふれる日本とは、違う国なのか?

 答えを先に言えば、違う国なのである。くしくも「違う」と言うことを真っ先に宣言をした男が首相をしている今、なぜ平成になって、こう不況になったか、活力を失ったかを考えてみたい。

 まず、この議論の最初に、平成が不況であると決め付けているが、実はそう考えるよりむしろ、国家としての真の実力からいって、「昭和」(戦後)が異常にテンションの高い時代であったと著者は考えているのである。

 国民と「現人神」ヒロヒト天皇との契約が終わり、新たな契約が結ばれてない無秩序な時代、それが「平成」であり、それを理解すれば、昨今の「不況」について、今の政権や、まして米国に文句をつけるのは、お門違いであることがわかる。

 ここで、昭和天皇がまだ御在位していた時の日本は、ホメイニがいた時のイラン以上の、狂信的な神聖国家であったことを主張したい。

▼「天皇というファンタジー」を理解しなかった明治の元勲

 人間という動物は恐ろしいもので、やり甲斐を与えると、利害を超えた行動を引き起こすが、そのやり甲斐の源泉には、必ずといって良いほどファンタジーがある。「天皇というファンタジー」について言えば、その神話構造と堅牢性、歴史的由緒正しさという面で、実に美しいファンタジーであり、その伝統と格式を、全世界に誇るべきである。

 強いてライバルを上げるとすれば、いささか商売っ気がありすぎる「旧約聖書」ぐらいのものであろう。そのようなファンタジーがない大抵の国々は、国民が「ハレ」の状態に入り込むために、強烈な個性を持ったファンタジーを作る人間(ファンタジスタ)を必要とする。

 その例をあげればナポレオン、ヒトラー、リンカーン、毛沢東など、歴史的人物として見る分には良いのだが、自分と同時代の人間としては、存在してほしくない方々ばかりである。「天皇というファンタジー」は、このような一代の天才=ファンタジスタを出現させない安全機構を内包していることは、織田信長の一件で証明されたと考えて良いであろう。

 今、多くの日本人は「天皇」をタブー視している。これは先の大戦の、苦い記憶からくるものだが、本来はもっと声高に天皇好きを宣言して良いはずである。

 そもそも「天皇というファンタジー」を正確に理解していなかった明治の元勲たちが、本来「教皇(Pope)」と訳すべき天皇に、近代化のための非常手段とはいえ、西欧の「皇帝(Emperor)」の役割を負わせ、明治が終わっても明治憲法を改正しなかったことが、あの悲惨な大戦を引き起こしたと考えるべきだ。

 もともと暴力を必要としない、日本の風土文化で生まれたファンタジーに、余分なものを添加した場合の例として、後世に語り継ぐべきであろう。

 「天皇というファンタジー」は、ファンタジスタの台頭を許さないし、後醍醐天皇の例でわかるように、天皇みずからがファンタジスタになる意思をも、否定している。

 だが、昭和(戦後)は違った。取り立てて才能があったわけでもないヒロヒト天皇を、強い受身的ファンタジスタとして我々に与えた、大変幸福な時代が昭和であった。

▼屈指のファンタジスタ、ヒロヒト陛下

 人間としてのヒロヒト天皇を、ひとことで表せば「愛すべきダメダメ男」である。なんとなく反対しながらも戦争を起こし、破れたとはいえ、自分の名の元に遂行した聖戦の責任をとることも許されずに、アメリカの道具として生きることを余儀無くされた、文字どおりの負け犬である。

 でも、そんな失敗の連続にもめげずに「教皇」であり続けた。きっと、我々臣民のことが、たまらなく好きなんだろうな、と誰もが心の底で思えたのではないか。

 こんな神話がある。戦後焼け跡を巡幸されたヒロヒト天皇は、一人の少年と会う。「家は無事なのかね?」「焼けました」「ご両親はご健在かね?」「死にました」「教科書は、教科書は無事なのかね?」「はい、空襲の時真っ先に持ち出しました」「そうか、なら勉強は出来るね、しっかり勉強して立派な大人になって下さい」「はい分かりました」。

 いわゆる左翼なら、このエピソードに対して「自分の責任を棚に上げ、何もない所からの再建を強要する欺瞞だ」と言うだろう。そんなことは、誰もが瞬時に理解できる。左翼が革命を成功させられなかった原因は、まさにここにある。

 多くの国民は、さらにこの神話から、自分が何も出来ないことに絶望して、なおも「臣民に何かしなければならない」とお悩みになっている、ヒロヒト天皇のお心内を察して「自分が陛下に替わってこの国を良くしよう」という決心をしたのである。

 卑近なたとえで恐縮だが、新工場と新製品で一気に大きくなるつもりだった「日本工作所」の3代目ボンクラ若社長が、経営に失敗し多額の借金を抱えたという例を、考えてほしい。ライバルの「アメリカ製作所」の資本が入り、経営に口を出すようになった。

 でも、株を売らずに再建への道を選んだ若社長がひとり、本社工場の倉庫の前で、売れると思っていた新製品を手に持って、泣いていたのである。当然、本社工場の人間はみんな言うだろう。「一緒に再建しましょう」「アメリカ製作所なんかに負けないぞ」と。

 つまり、戦後の昭和で我々は、形を変えたが日本の国是である「八紘一宇」の実現と「大東亜共栄圏」の確立を目指して「打倒アメリカ」を目標に、奮闘努力してきたのである。われらがヒロヒト陛下は、その臣民と「悔しさ」を共有することで、屈指のファンタジスタになっていたのである。

▼今上天皇と国民との、新たなる契約を

 彼が他界して、すでに10年がたった今、今上天皇にファンタジスタであることを望むこと自体が、不敬であろう。だが、前の方を知る者としては、何とかあの、熱かった日々を戻せないかと思うのである。

 ここでお上に上申したい。

 ヒロヒト天皇の、屈辱の象徴としての押し付け憲法を改正するなり(その内容は今と同じで良い)、改元するなり(平成が嫌いな訳じゃない)、潰れた中小企業の所へ、今上天皇が出向いて熱心に話を聞いていたという神話を作るなりして、今上天皇と国民との、新たなる契約を結ぶ必要がある。これ以外に国家再建の道はないと思っていただきたい。

 ここでさらに議論を進めれば、ボンクラ若社長の借金のカタに取られた、新工場に勤めてた従業員は今、どう思っているだろうか

 ボンクラ若社長の代では、行動を起こすことをおそれるのは理解できるのだが、新社長になったのである。もう一度、こちらからアクションを起こしてみるのも良いのではないか?

 きっと彼らは、見捨てられたことを根に持っているだろうし、本社工場の人間のことを嫌っているだろう。そこには嫉妬もあるというか、むしろ嫉妬そのものであると、著者はにらんでいる。

 馬鹿な話に聞こえるかも知れないが「イギリス型連邦の元首として天皇を考えて見ては?」と提案すると、案外、話が進むのではないだろうか?

 その際には、皇室だけでバチカン市国のような国家を作ったり、朝鮮李朝の末裔との御婚姻とかも考えなくてはならないのであるけれども、覇権が国是の中国と、毎日が戦争状態のアメリカとに挟まれた日本と朝鮮は、仲良くする以外に道はない。

 両国の共通のアイデンティティとして、水田と桜と「天皇というファンタジー」は決して悪くないと思える。何しろ、2大超大国が危険視してるほどであるのだから。


(筆者の内田研四郎は、このサイトの運営者である田中宇の友人です)


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