「誤爆」が照らした米中の二重対立

99年6月15日  田中 宇


 この記事は「民主が愛国に塗り替えられた中国の十年」の続編です。

 今からほぼ1年前の昨年6月下旬、アメリカのクリントン大統領が中国を訪問した。江沢民国家主席との共同記者会見は、笑顔で相手国の尊厳を認め合う二人の首脳の姿が中国全土に異例のテレビ中継された。講演に訪れた北京大学では、クリントンは学生たちに大歓迎を受けた。

 思えばあのころが、米中関係が良好だった頂点の時期だった。その後1年、今ではNATO軍のベオグラード中国大使館爆撃を機に、官民挙げての反米集会が開かれる事態となっている。

 一方、アメリカでも、中国が過去20年以上にわたり、アメリカの核兵器技術を盗み出していたとする報告書を議会が作り、中国に対する警戒感を強める言論が目立つようになった。

 アメリカ下院特別委員会(コックス委員長)がまとめた「コックス報告書」と呼ばれるこの調査書は、NATO軍が5月7日にベオグラードの中国大使館を爆撃した翌日から、内容がアメリカの主要新聞にリークされ、大々的に紙面を飾るようになり、5月25日に正式発表された。

 大使館への「誤爆」に、中国が国を挙げて怒っているのをみて、アメリカ国内の世論が中国に同情的になり、NATOのユーゴ空爆への反発が強まることを防ぐため、反中国派の傾向が強い共和党が力を持っている米議会が、報告書の内容をマスコミに流したのであろう。

 もしくは最初から、中国大使館を故意に「誤爆」して、中国側が怒ったところで、コックス報告書を出して米国内の反中国感情を煽り、クリントン政権が維持しようとしている米中関係を、破壊しようとする目論見だったのか。

 中国大使館への爆撃が、本当の間違いだったのか、それとも間違いに見せかけた故意だったのか、それはまだ、アメリカとNATOの最上層部の人々にしか分からないことなのだが、コックス報告書が手際良く出されてきたという点で、怪しげなものが感じられることは確かだ。

 とはいえ、アメリカは世界最高の軍事技術を持ちながら、攻撃目標に関する情報は、不正確なことが、すでに分かっている。昨年8月、アメリカは「テロリストが毒ガスを作っている工場だ」と考えて、アフリカ・スーダンの化学品工場をミサイル攻撃したが、この工場は、実は毒ガスなど作っていなかった。

 アメリカ政府は今年2月になって、この攻撃が誤りだったことを、公式に認めている。こうした、調査のずさんさからすると、NATO軍の中国大使館爆撃も、本当に誤爆だった可能性もある。

●米中関係この10年の浮き沈み

 「誤爆」をめぐるナゾとは別に、もう一つ、昨年6月からわずか1年の間に、米中関係がこんなに悪くなってしまったこともまた、理解しにくい。だがこちらの問題は、この間の中国の状況変化をみれば、洞察することができる。

 中国とアメリカの関係はもともと、1989年の天安門事件を機に、急激に悪化した。89年といえば、世界中の社会主義国が連鎖的に崩壊し始めたときだ。11月には、ベルリンの壁が崩れている。

 社会主義が崩壊した国々に対し、アメリカを中心とする西側諸国は、民営化政策を要求しながら経済援助を行い、自分たちの陣営の末端に取り込んでいった。だが、世界中がアメリカナイズされていく中で、大きな国としてはただ一つ、社会主義体制のまま残ったのが、中国だった。

 中国の体制が生き残ったのは、中国政府が天安門広場に集まった人々に発砲して、黙らせたからだった。そこでアメリカや西欧諸国は、天安門事件を「人権問題」だとして声高に非難して経済制裁を加え、中国の社会主義政権を兵糧攻めにしようとした。これは「人権」という武器を使った、東西冷戦の延長戦だったともいえる。

 だが中国では、