アジアからうつされたブラックマンデー10周年の株価暴落

97年10月29日  田中 宇


 10月19日は「ブラックマンデー」10周年だった。ブラックマンデーとは1987年10月19日月曜日、ニューヨーク株式市場で史上最大の暴落が起きたこと。10周年にあたる今年は10月に入り、世界各地の経済紙や市場関係者たちの間で、ブラックマンデーは再来するのか、という議論がひとしきり続いていた。

 10年前の暴落に至るまでの相場の上昇カーブが、最近の上昇カーブに似ている、というのが、近いうちに再び暴落する、と主張する人々の根拠だった。一方、アメリカ経済の現状は当時よりかなり良い、というのが、暴落しないと考える人たちの理由だった。

 たとえばアメリカのインフレ率は今、年率2%強で低下傾向にあるが、10年前は4%を超えて上昇していた。金利も当時の方が高かった。(金利が高いと資金が株から債券に移動するので株安になる) これらの材料から、状況は10年前と違うので、暴落はありそうにない、という結論が多いように見受けられた。

 だがそんな中で10月27日、ニューヨーク株式市場が暴落した。ブラックマンデーをしのぐ、史上最大の下げ幅だった。東京やロンドン、香港など、世界の株式市場が軒並み大幅安となった。やはり10年目の再来はあったのだ、と多くの人が思ったのも無理はない。この記事を書いている間にも、株式市場は下落を続けている。

 とはいえ、今回の下落は、本当にブラックマンデーの再来なのか。暴落に至る経緯を見ると、当時とは大きく異なる点がいくつかある。

 最大のポイントは、アジアの金融危機が引き金になっているということだ。10年前はアメリカ経済と株価のアンバランスが暴落の背景となったとされており、理由はアメリカ国内にあった。だが、今回は外国、しかも以前は「アメリカがくしゃみをすればアジアは肺炎にかかる」といわれるようなアメリカ従属型の経済であった東南アジアや東アジアの市場が、逆にアメリカ市場に大打撃を与えている。

●ペッグ外し屋の横行がきっかけ

 今回の暴落に至る、ことの起こりは、タイ通貨下落に始まる東南アジアの金融危機であった。東南アジアの通貨危機は、各国通貨の為替レートが米ドルに対して大きく動かないよう、金融当局が調節する「ペッグ制」といわれるシステムをとっている。アウトドアが好きな人ならご存知だろうが、ペッグとは、テントが風に飛ばないように地面に刺す、クギのことだ。(洗濯ばさみという意味もある)

 テントのペッグが強風で抜けるように、通貨のペッグ制も、投機筋などからの売り圧力が強まりすぎると、当局が買い支え切れなくなって崩壊し、為替相場は急落する。ペッグがどのくらい抜けにくいかは、その国の経済状況から考えたあるべき為替相場の水準と、現実の相場との間に、どのくらいの開きがあるか、による。

 東南アジアでは日本型のバブル経済が発生し、銀行が企業や個人にどんどん金を貸していた。銀行はその金を海外から調達していた。ペッグ制で為替相場が安定しているのを利用したのである。そのうちに借金が多すぎる状態になった。自由な相場なら通貨は下落するのだが、ペッグ制だから為替は動かない。

 とはいえ潜在的にペッグは抜けやすい状態になっている。そこを国際投機筋が見抜き、売り攻勢をかけた。投機筋は通貨を急落させる前に空売りしておき、実際に下がったところで安く買い戻し、儲けるのである。こうして今年の夏以来、タイ、フィリピン、インドネシアと、次々にペッグが抜けていった。

 (当サイトの以前の記事「インドネシア通貨危機の裏に政治危機」を参考)

●香港を引き取った中国の最初の経済試練

 10月に入ると、東アジアも攻撃対象となった。10月18日には台湾元のペッグが外れ、21日には韓国ウォンの対ドルレートも史上最低となった。

 この2国は、通貨が下がって輸出競争力がついた東南アジアに対する危機感から、自国通貨の下落を容認したふしがある。韓国、台湾と東南アジア諸国の企業は、パソコン部品などの輸出価格を少しでも下げようと、し烈な競争をしている。(だから秋葉原のパソコンが安くなる) 自国通貨がライバルより高くなるのは、まずいことなのである。

 そして、アジア地域で米ドルとペッグしているのは、香港ドルだけとなった。10月中旬以降、投機筋の売り圧力は香港に集中した。

 香港ドルはイギリス植民地時代の1983年から、米ドルにペッグしていた。中国に返還された後も、中国政府はペッグ制を続ける方針を発表している。だが、イギリスは自由な為替市場の運営に慣れていたが、中国政府はその方面の経験をあまり積んでいない。中国元の為替は、今も管理されており、自由な相場ではないからだ。そうした中国の弱点も投機筋の狙い目だった。

 だが香港は、他の国とは事情が違った。東南アジアや台湾、韓国は、経済の中心が輸出用の製造業で、為替は安い方が有利になる。一方、香港は金融や商業といったサービス業が中心で、為替相場は安定していることが望ましい。

 しかも香港は、当局が通貨を買い支えるための外貨準備も潤沢だ。ここで負けたら、中国は香港経済を運営するだけの能力がないと言われ、香港から企業が逃げてしまう。そんな切迫した事情もあり、香港の金融当局は10月23日、短期金利(オーバーナイト)をそれまでの6%から一気に200%にまで引き上げるとともに、市場介入を実施し、ペッグを守り抜いた。(金利を上げると、その国の債券や預金が得になるので売り圧力が減る)

●香港の為替を守った副作用で株が暴落

 だが、その副作用がひどかった。金利が上がると、株価が下がってしまうのである。株式より債券で運用した方が有利になり、資金が株から債券に移動するからだ。香港株式市場は10月23日、史上最大の10.4%の下落となった。

 翌24日は当局がペッグを守り抜いたことが好感され反発したが、週明けの27日、28日と再び急落。これをきっかけにニューヨークの株価が暴落し、下落は世界中に広がった。中国は今後の世界の経済成長を支えると予測されており、多くの欧米企業が進出している。その中国を象徴する香港株が下落したことが、世界中の投資家の不安を煽ったともみられている。

 とはいえ、香港もアメリカも、経済状態は良い。香港については、当サイトの以前の記事「返還から100日、香港の意外な安定」(10月14日)で紹介したとおりだし、アメリカは失業率もインフレ率も低い。

 しかも、10年前のブラックマンデーの教訓から、人々は株価が暴落してもパニック売りに走らないようになった。10年前の暴落後、ニューヨーク株式市場は翌年には上昇基調となり、その後も上がり続けた。暴落したときは投げ売りするより、そのまま株を持っていた方が得策だ、という教訓を得たのである。

 一方、暗い材料としては、東南アジア経済の回復が、かなり先になりそうだという予測がある。東南アジアが直面している日本型のバブル崩壊から抜け出すには、不良債権を抱えて事実上破綻している金融機関をきちんと潰して整理することが必要だが、日本の銀行再編がゆっくりとしか進んでいないように、整理には時間がかかるからである。

  

 
田中 宇(たなか・さかい)





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