ミンダナオ和平の希望と不安

1997年1月19日

 以下の記事は、以前の記事「フィリピンは400年間の宗教戦争を解消できるか」(1996年8月2日)を読んだ後で読まれた方が分かりやすいと思います。


 イスラム教徒ゲリラの指導者を自治区のトップに据え、ミンダナオ島の内戦を終わらせて、ゲリラ戦によってフィリピンで最も貧しい地域となったミンダナオ島を経済発展に導こうというラモス大統領の計画は、実行されつつある。

 フィリピン政府は9月、ミンダナオに3つあるイスラムゲリラのうち最大のMNLFとの和解協定に調印し、10月末にはMNLFのリーダー、ヌル・ミスアリ(元大学教授)が、対立候補が誰も立たなかった選挙を経て、イスラム・ミンダナオ自治区(ARMM)の知事に就任した。だが、ミンダナオ島に平和が訪れるかどうか、不安にさせる材料が、まだ多く残されている。

 その一つは、ミンダナオの人口の過半数を占めるカトリック教徒による反発である。カトリックとムスリム(イスラム教徒)との衝突は、その後報道されていないが、双方とも依然として大量の武器を持っており、今後、小さな衝突が全島に及ぶ内戦再発にもつながりかねない。

 カトリックが大量にミンダナオに移ってきたのは1960年代だが、これはカトリック主導の国であるフィリピンからの分離独立思想を持っているムスリムを人海戦術で封じ込める政策として実施され、その結果、今では島の人口の過半数はカトリックになっている。

 フィリピン政府は、ムスリムの土地をカトリックに与える際、アメリカ人がインディアンの土地を奪った時や、日本が朝鮮半島で朝鮮人から土地を奪った際と同じ方法を使った。つまり、支配者側政府の「近代的」な土地登記制度を導入した後、一定期間内に登記しなかった土地を政府が没収し、それを支配者側の移民に分配するというやり方である。

 フィリピン政府に敵対しているムスリムは当然、フィリピン政府の役所を訪れて自分たちの土地を登記するようなことはしないから、政府は「持ち主のいない土地だ」と主張して、土地をフィリピン中部や北部の貧困層出身の入植者に分けてしまった。(日本は1910年代、朝鮮に自分たちの土地登記制度を導入し、登記が遅れた朝鮮人の土地を、日本の貧しい農家の次男、三男出身の入植者に分配した)

 一方、もう一つの不満者は、ミンダナオの完全独立を夢見るムスリム自身である。その中心は、MNLFから分派したMILF(一字違いなので混同しやすい)とアブ・サイフという二つのゲリラ組織で、いずれもMNLFより過激な主張をしており、フィリピン政府との和平交渉も、少なくとも表向きは拒否している。

 昨年12月初旬、MILFが拠点としている地域の中にあるスルタン・クダラットという町で、10万人規模のイスラム教徒が集まり、ミンダナオの完全独立を求める大集会を行った。MILFは集会は自分たちが開いたものではないと言っているが、フィリピン政府はMNLFとの和平合意に続き、MILFとも合意しようとしており、政府との交渉を有利に運ぶために、MILFが集会をアレンジしたのではないかと、新聞などでは報じられている。(MILFとフィリピン政府の交渉は、かつてゲリラを支援していたリビアが仲介している)

 この集会には、MNLFの指導者から知事に転じたミスアリ氏は呼ばれなかった。裏切り者扱いされ出したのである。

 ミスアリ氏は、難しい立場に追い込まれている。彼は、なるべく早くミンダナオのムスリムの生活レベルを押し上げて、不満を解消しなければならない。今回の和平合意は、フィリピン政府からの新たな出費を伴っておらず、外国の企業を誘致して島の経済発展を実現しようという計画だ。だが、MILFやカトリックの敵対は続いており、ミンダナオに進出しようという海外企業はまだ非常に少ない。こうした状況が続けば、人々は豊かになれず、不満が高まって再び内戦に逆戻りしかねない。

 そんな中で、ラモス・ミスアリ両氏が頼みの綱としているのが、マレーシアの存在だ。外資導入政策によって経済発展を成し遂げたマハティール首相はその後、世界各地のイスラム教の発展途上国に、自国がやったのと同じ方法を広めようとしている。マレーシアのすぐ北にあるミンダナオも、その対象となっている。マレーシア企業の進出が計画されているほか、中東のオイルダラーの投資先として、マレーシアがミンダナオを紹介する可能性もある。マレーシアは製造業中心から、国際金融も重視する政策になっている。

 昨年のラモス・ミスアリ合意は、イスラム諸国で構成するイスラム諸国会議が仲介したもので、マレーシアはその有力国であり、和平交渉の火付け役だったとみることができる。

 歴史的に見ると、ミンダナオは隣のボルネオ島の北部と一体の地域で、一時はブルネイのスルタンが支配していた。植民地時代になって、ミンダナオはスペイン領フィリピンに、ボルネオ北部は英国領サバ州となった。こうした経緯から、独立以来、マレーシアはミンダナオの領有を、フィリピンはサバ州の領有を主張して対立していた。1960年代以来、マレーシアは、イスラム教徒の同胞であるという立場もあり、ミンダナオのイスラムゲリラを支援していた。

 最近になって両国は、武力対立がミンダナオの経済発展の可能性を阻んでいることを重視するようになった。両国は95年に相手国に対する領土主張を同時にやめた。そして、東南アジア諸国の賃金が上昇していることを利用して、貧しいがゆえに賃金の安いこの地域に、一気に企業誘致や観光開発を実施しようとしている。(環境破壊が懸念されている)

 ラモス・ミスアリ合意によって実現しつつあるイスラム・ミンダナオ自治区の考え方そのものが、マレーシアのブミプトラ政策に似ている。ブミプトラ(地元民優先政策)は、マレーシアの人口の4割程度しかいないマレー系とオラン・アスリ系の人々を、もともとマレーシアに住んでいたことを理由に、第一国民的な高い立場に置き、植民地時代に移民としてやってきた中国系、インド系に比べ、住宅ローンや国営企業の株式保有などの経済面、公務員の就職枠や国立大学入試枠などの面で、より大きな権利を与えている政策である。

 ミンダナオに適用される自治区でも、少数派のムスリムに政治的な優位を与えることになった。マハティールがラモスに対し、ミンダナオの経済発展に向けてマレーシアがてこ入れするのと引き換えに、ムスリムに政治的な優位を与えるよう持ち掛けたのではないかとも勘ぐれる。

 


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