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インタースクールによるインタビュー

通訳者・翻訳者を育成しているインタースクールが発行するメールマガジンのインタビューを昨年末に受けました。以下はその転載です。インタースクールのウェブサイトはこちら

異文化コミュニケーション心得帖

◇◆Vol. 43 The Japan Times記者

大門小百合さんに聞く<後編>◆◇


●魅力
――ニーマンフェロー(※1)で、学ばれることになったきっかけを教えてください。

 記者からデスク(※2)に入って一年たった頃、主人の知人の英文記者にニーマンフェローを受けてみたらと言われたのがきっかけです。当時は、英語を書くことはともかく、話す機会がめっきり減ってしまっていたので、どっぷり英語に浸かりたいという気持ちもありました。記者として国会にいますと、毎日日本語を話す機会しかありませんでしたし、国会議員達が使う色んなお国訛りが飛び交っていました。それはそれで東京生まれ東京育ちの私には、耳に心地良く響くものだったのですが、英語を話すことからは程遠い世界でした。

 社会人が学ぶ場として、大学院で国際関係やジャーナリズムを専攻するという方法もあるのでしょうが、その時の自分にはピンとこなかったんです。しかしニーマンフェローなら、世界のジャーナリストが何を考えているか直に触れられるいいチャンスですし、英文で記事を書いている以上、アメリカのジャーナリズムの書き方ひとつとってみても勉強になるだろうと思いました。また日本にいると、“アメリカのジャーナリズムは素晴らしい!”という幻想を何となく抱いてしまいがちでしたので、世界からジャーナリストが集まるハーバードに行き、この目で見て確かめたいという気持ちもありました。

 フェローは学生の立場ではなく、社会人の立場で学べたので、色んな権利も与えられていました。例えば教授達だけが集まる会合に呼んでもらえたり、社会人として現場の意見を求められたりもしました。さらに同伴者もフェローと同じように授業を受けられるシステムでしたので、国際関係のジャーナリストである夫にとっても魅力でした。自分がやりたいことが出来、知りたいことに応えてくれ、その上夫婦で共に学べるといった好条件がそろっていたのです。

 またハーバードは、アメリカの政治の中枢と近い環境でしたので、それも魅力でした。ニーマンに行く前は、日本のドメスティックな話題には精通していましたが、私にとってはワシントンというのが実感として遠かったのです。ブッシュ大統領が何か言っていても、一体どうなるんだろうかとはっきりとは見当がつかない感じでした。ハーバードにいくと、新聞やテレビの中で見ていた世界を動かしている人が、すぐそこにいました。大統領経験者本人や、クリントン元大統領のスピーチライターをしていた人、歴代の大統領と近かった人が、目の前で講師をしているのです。そして政権が変わるたび、入れ替わるように新しい政権の関係者が来て、あらたな話しを聞けるというのが、日常の出来事でした。こういう人たちをウォッチしない手はないと思い、国際政治の文献を読みあさり、講座をとって貴重なレクチャーを受け、時には“ご飯を食べませんか”とこちらから無謀なお誘いをしたこともありました(笑)。

●共通項?
――実際ご自身で体験したニーマンフェローは、どうでしたか。

 チリのフェローが日本のアニメ“キャンディー・キャンディー”や“母を訪ねて三千里”を知っていたのには驚きました。韓国や香港で日本のアニメが放映されているとしても、分かる気がしますが、“チリでも?”と新鮮な驚きでした。 キャンディー・キャンディーの主題歌のメロディーも、日本と同じでしたので、彼女はスペイン語で、私は日本語で歌い、大いに盛り上がりました(笑)。南米から来た彼女と東洋からきた私が、アメリカで出会い、同じ歌を違う言葉で歌うという妙な感激もありました。他にもマドンナやマイケルジャクソンの歌など、ここ20年くらいの間に流行った曲は、ほとんどのフェローが知っていたので、文化の共有が出来たというと大げさですが、歌がきっかけでフェロー同士の距離がぐっと近づけた気もします。

 他に記者と政治家の付き合い方が、韓国と日本で似ているというのが興味深かったです。アメリカの記者は、日本の政治記者がするような“夜討ち朝駆け”(※ 3)はせず、政治家と一線をかくす傾向があります。韓国の記者が“夜討ち朝駆け”をするかどうかは、確認しませんでしたが、韓国の政治家も親しくなった記者には話そうという雰囲気があるようです。ですから韓国の記者も、日本の記者と同じように政治家と親しくし、2次会3次会その後にカラオケに行くというような付き合いがあるようです。ちなみに私は、以前カラオケが苦手で“なんでこんなにカラオケが、好きなんだろう?”と思っていました。しかし記者クラブ回りをするようになってからは、そうも言っていられず“政治家とカラオケがワンセットという文化なら、受けて立ってやる!”と意識を改め、今ではすっかり板についています(笑)。

●フェローネットワーク
――フェロー同士の話を聞かせてください。

 命をかけて仕事をしているフェローに会えたことも、いい刺激になりました。 日本では残念ながら出会えませんでした。仮に取材等で命をかけて仕事をしている方に会っていたとしても、限られた時間では話を掘り下げて聞けなかったりもしますし。その点、まるで寝起きを共にするように、フェローとして1年間じっくりと、自分の体験や将来のことを語りあいながら一緒に暮らしていると、フェロー同士個々の性格や、その人がそれまでしてきた取材の仕方が何となく分かってきます。

 同じ目標を持って共に学んだ仲間が、今、世界に散らばっています。日本にい ますと、同業他社はライバル的存在になりがちですが、ニーマンフェローで出会った仲間は、同業他社でしかも国が違っていながら、強い協力関係で結ばれた仲間意識があります。得がたい友であり、家族のようでもある不思議な関係です。 これから取材したい人がいた時などは、フェロー同士がお互いにその足固めになるでしょうし、困ったことがあった時には、協力を惜しまないだろうと思います。 ニーマンフェローを通して、外の世界へさらに広がりがもてるようになると思います。

 日本に戻ってから、ニューヨークの9・11テロ事件がありましたが、フェロー達の書き込みサイトには、“どうした?大丈夫?東京より”“大丈夫です。ワシントンより”といったフェロー達の声が、どんどん書き込まれました。と同時に、体験者としてどうだった、記者としてこうだったという書き込みも次々とされました。今や世界中に散らばってしまった仲間ですが、こうして瞬時に連絡を取りあえるので、現在のインターネット時代には感謝しています。

●考え方の変化
――ハーバードから戻られて、変わったことはありますか。

 アメリカでは“あなたの代わりに観てきたのよ”という“物語風”とでもいうような、ナレイティブジャーナリズム(narrative journalism)が流行っているので、その講座をとりました。そこでは、読ませる文章を書くコツなどを教えられたので、工夫して書くようになりました。それまでは、自分がネイティブでない分、多少苦労もあったので、なるべく上手くてきれいな英語を書く努力をしていました。でも、ハーバードで記事をたくさん読みこんでいると、記事を書いた記者の見方や考え方が見えてきました。そしてその時に、大事なのは上手くてきれいな英語より、こういう書き方なんだと思いました。日本の記事は、概して何が起こったという事実は書かれていますが、実は何も言っていないように思えたのです。この事実には、こんな意味があって、こうなのではないかという記者自身の view、つまり見方や考え方がないような・・・。その点New York Timesなどのアメリカの新聞は、独自のレポートの仕方があって、こういうことがあったという単なる事実の羅列だけでなく、これにはこんな意図があったのではないかというところにまで踏み込んで書いてある。さらに読み込んでいくと、次はこうなるのではないか、ホワイトハウスは、きっとこう考えているのではないかと、読者が予測できるように書かれています。それ以来、国際情勢を深読みし、行間を読むようになりました。表だけでなく裏も見たいと思い、そのクセもつきました。以前は、例えば小泉首相が北朝鮮を訪問したというようなことに関して、アメリカが関知しているのかどうかということにまで、瞬時に考えが及びませんでした。日本で起きていることを点で捉えていたんです。しかし読み方が変わったことで、考え方も変わってきましたので、以前より世界のニュースが自分に近くなったように感じられ、世界を見る目も変わってきました。

●これから
――今、興味のあることを教えてください。

 日産フェアレディZの復活に貢献され、Zの父と呼ばれている片山豊氏に取材でお会いして、ショックを受けました。彼は苦労も経験し、常に順風満帆だったわけではなかったのに、Z復活のためにずっと努力され、90歳を過ぎた今でもそのエネルギーを持ちつづけています。歳にもエネルギーにも驚かされました。自分が 80、90歳になったら、何をやっているんだろう。果たしてその歳になっても彼のようにエネルギーを持ちつづけ、充実した人生を送っているだろうかと。 1929年、片山さんは大恐慌時のアメリカにいました。私が生まれる前の歴史を体験して、自分の記憶を今につなげて話されるので、たくさん学ぶものがあって、逆立ちしてもかなわないと、すっかり魅了されてしまいました。

 終戦直後、戦没者の遺骨を集めて歩かれたことのある首相経験者から、その時の様子を伺った時も、自分が経験していない歴史を経験している人の話は、それだけで力があり、教えられることがたくさんあると思いました。私自身早くに祖父母を亡くしてしまったことや、それまで幸いにも健康だった自分には実感として遠かった生死を意識させられる経験を最近したからということもあり、余計そう感じるのかもしれませんが、これからも、自分が生まれる前の歴史を体験している元気な方々に会って、今のうちにたくさん話を聞きたい、今聞いておかないとという焦りのようなものもあります。

 人によっては目標を遠くまで設定して、それに近づくというやり方が向いている方もいるかもしれませんが、私自身は何年後にどうするか、何をやっているかを考えるより、次に何をするかショートサイトで見て、ぎゅっと凝縮して目の前のことをこつこつとやる方が向いているようです。また仮に、先の目標を設定したとしても、そこに至るまでの道筋が、今は見えてこないような気がします。英語が好きになったのも、近所にアメリカンスクールがあり、日本語と英語を話している人たちを見て、しゃべれたらかっこいいなとか、英語が通じると楽しいだろうなと思ったからなんです。その時は英語で何がしたいとか、何ができるかというところまでは、考えられませんでした。でもずっと英語が好きで勉強し続けて、今、好きなことを仕事にしています。これからも今、目の前のできることに一生懸命取り組んでいたら、好きなことをしていたという歩みでいけたらと思っ ています。


※1ニーマンフェロー:バーバード大学で1年間行われるジャーナリストプログラ ムを特別研究員として受けられる権利。アメリカ全土より12名、その他の国か ら12名の計24名が選ばれる。このプログラムに選ばれることが、ステイタスに もなる名誉あるもの。今まで日本人女性記者が選ばれたのは、大門小百合氏を 含めて数名だけである。 ※2デスク:記者の記事を編集する等、記者達の統合役。 ※3夜討ち朝駆け:取材先の家に朝や夜押しかけて話しを聞く。