この事件の背景には、今年になってリビア国民の間に、カダフィ政権への不満が高まっていることがある。カダフィ氏は27歳だった1969年にクーデターを起こして政権を奪い、その後27年間にわたって最高実力者として君臨し、イスラム教系のテロ、ゲリラ組織への支援などを通じて欧米各国による世界支配に反対する動きを続けてきた。リビアには豊富な石油資源があり、それが国家財政を支えていた。
88年に米国のパンナム旅客機がスコットランドの空港で爆破され、270人が死ぬという事件があった。このテロの容疑者がリビア人で、母国に逃げ帰っていることが判明したため、米国が容疑者の引き渡しを求めたがカダフィ氏は応じず、米国は問題を国連に持ち込んだ。国連はリビアに武器や石油生産関連機材の輸出を禁止することを決議し、その後現在に至るまで3年間、経済封鎖が続いている。
欧州の国々の中には、地中海対岸のイタリアなど、エネルギー供給の一部をリビアからの石油輸入に頼っている国もある。そのため、欧州では米国主導のリビア制裁を厳格には守っていない部分がある。とはいえ経済制裁でリビア国内での輸入品価格は高騰し、石油の売上げも落ちたため、人々の生活は苦しくなっている。サウジアラビアなど、石油収入に潤う他のアラブ諸国の人々の生活レベルが非常に高いことと比べると、リビアの人々が反カダフィに傾いてもおかしくはない。
こうした事情を背景に、リビア東部にある第2の都市、ベンガジでは、今年に入って反カダフィのゲリラ組織が作られ、東部の山岳地帯ではゲリラ戦の訓練も行われるようになった。軍関係者の中にも、トリポリのゲリラを密かに支援している人々がいるとされ、そこから武器供給や軍事訓練などの援助が行われたようだ。
サッカー場虐殺事件に先立つ7月4日、ベンガジで反体制ゲリラと警察隊の間で銃撃戦となり、12人が死んでいるし、その前にはゲリラがベンガジの軍駐屯地を襲撃するという事件も起きている。ベンガジのゲリラたちは自らの行動を「インティファーダ(民衆蜂起)」と称し、イスラム教徒とはいえない存在になったカダフィを倒すのだ、と主張している。
トリポリ、ベンガジともにローマ時代からの古い港湾都市で、地中海沿岸の都市は歴史的に独立性が高かったことを考えると、ベンガジの人々の間にはもともと、カダフィ氏のお膝元で首都としての恩恵を被るトリポリへの反感があったのかもしれない。トリポリでは、サッカー場事件までは、目だった反カダフィ行動は起きていないとされている。
また今回の事件には、父親の威を借りて横暴に振る舞っているであろうサイディへの反感もある。アラブ世界では、イラクのサダム・フセイン大統領の息子、ウダイが身勝手な悪者とされ、気まぐれに人を射殺してしまうような輩であるといわれているが、これと似たようなものであろう。
イラクのウダイ同様、サイディもカダフィ氏の後継者とされており、こんな奴に独裁政権を任せたら大変なことになる、という危機感が軍や政府高官の間に広がっている可能性もある。北朝鮮の金正日から、日本の2世政治家や故・君島一郎の息子たち(話のレベルが違うか)に至るまで、「偉大」な父親の息子たちというのは、まったく困ったものである。
リビアは石油が出ない隣国のエジプトやスーダンと比べると、まだ幾分か仕事があり、それらの国々から出稼ぎ労働者がきている。リビアの人口約500万人のうち、150万人が外国人労働者である。カダフィ政権は、反カダフィの動きを外国人によるものと規定したいらしく、昨年には、治安上の理由から数千人のエジプト人、スーダン人を母国に追い返している。
それとは別に、リビア人の間には、隣のアルジェリアなど他の中東イスラム諸国の人々と同様、根強い反欧米意識がある。キリスト教対イスラム教、欧州の帝国主義と植民地の被抑圧者という流れをくむ対立である。サッカー場を出た後に人々が外国人所有の自動車を壊したのは、こうした背景がある。
一方、ロンドンなどには亡命リビア人勢力というのもある。これらの人々も反カダフィを叫んでいるのだが、本国との連携は薄い。というのは、これらの海外組織の多くは、カダフィ氏に忠誠を疑われて消されかかって亡命した公安関係者や元リビア政府関係者によって構成されており、国にいたころは人々を弾圧していたという人が多い。だからリビアの国内の人々はこれらの組織を信用していない。こうした傾向はイラク人亡命組織などにもある。
また、国内の反カダフィ勢力も、イスラム原理主義あり、欧米流の民主主義を導入したい人々ありで、打倒カダフィの後に目指している方向はまったく異なっているいくつかのグループから成っている。結局、カダフィ氏の政権は簡単には壊れないというのが現実のようだ。
なお、この文は7月17日付けフィナンシャル・タイムス、7月14、15日付けロイター通信の記事3本などを参考に書いた。