政治が激動する時期に入ったインドネシア
(97/01/21)
96年12月末、ジャカルタから200キロ東南にあるタシクマラヤという町で暴動が起きた。警察官がイスラム教学校の先生を殴ったことに反発したイスラム教徒たちが商店(ほとんどは中国系が経営している)やキリスト教会などを焼き討ちし、数人が死亡した。
インドネシアでは中国系の人々は金持ちの象徴としてみられている。キリスト教はイスラム教に対抗するものとして敵視の対象となっているほか、インドネシアに圧力をかけてくる欧米の象徴でもある。そのため、発端は関係ないことでも、中国系とキリスト教会がやられてしまう。
2ヶ月前には同じジャワ島のシトゥボンドという町で暴動があり、やはりキリスト教会や中国系の商店が襲撃されている。インドネシアの人々は、次第に少しのことで暴動に発展するような火のつきやすい状況になっている。政治的な腐敗が進むとともに、貧富の差も広がっているため、人々の不満が高まっているとの指摘もある。
98年には大統領選挙が予定されているが、スハルト大統領は高齢のため、出馬しないとみられている。そのため、お父さんが政権から降りた後に備えて、スハルト一族は各種各様の方法で蓄財に熱をあげている。これがまた、政治的な腐敗に拍車をかけているとの指摘もある。
スハルト政権末期、97年は大統領自らが年頭演説で「政治の季節がきた」と言っている。インドネシアはしばらく目を離せない状態が続くだろう。
(96.12.30 Asian Wall Street Journal など参考)