メガワティ女史は、インドネシアを独立に導いた「建国の父」スカルノ前大統領の長女で、国民からの支持があつく、1998年に予定されている次の大統領選挙に立候補すれば、ゴルカルにとって大きな脅威となることは間違いない。
圧倒的な権力を持つスハルト氏だが、スカルノ人気に乗るメガワティ女史の存在は脅威だ。大統領選挙より前の来年5月には、国会議員選挙も予定されており、各政党はその手続きを始めなければならない時期にきている。そのため、この時期にメガワティ女史を追い落とそうとしたのではないか。
PDIの党大会は、反主流派のファティマ副総裁らが開いたものだが、インドネシアの内務大臣が開会式で挨拶し、軍の最高司令官も出席、政府が大会運営の資金を提供するというのが、この大会が「与党政府肝入り」である実態を表している。PDIではもともと、主流派と反主流派の対立があったが、これをスハルト大統領が利用した形だ。
メガワティ女史を辞任に追い込もうとする政府の動きには、国民からかなりの反発が出ているようで、20日、メガワティ女史を支持する人々約5000人がジャカルタ市内で集会を開き、デモの途中で警官隊と衝突、1人が死亡、20人前後が負傷、数十人が逮捕された。デモ隊は市民の声援を受けながら行進したという。
インドネシアでは人々に政治的な自由がなく、スハルト大統領による独裁国家体制が長く続いてきた。PDIも最近まで、体制に従順でスハルト氏が承認した、野党とは名ばかりの存在だった。だが、スハルト政権を支援している米国などから国内を民主化するように求める圧力が強まった結果、インドネシア政府は90年代に入り、次第に民主化を容認するようになった。
この流れを受けてPDIは92年の国会議員選挙で、スハルト一族が親族を政府系企業のオーナーに据えて金儲けをするファミリービジネスを批判し、議席を伸ばすなど、政府に対立する色あいを強めた。だがインドネシアでは、1965年に政権奪取を狙った共産党を壊滅させて以来、政府が政党の執行部人事に対して拒否権を持っており、93年のPDI党大会で、政府は前総裁のスルヤディ氏の再選を阻んだ。
後任の総裁選出をめぐり、メガワティ女史が立候補した一方、政府は自分たちの意向をくむ候補を立てたが、投票の結果はほとんどの支部がメガワティ女史を支持し、結局政府もそれを承認した。この時からインドネシアの民主化は新たな段階に入っていたといっていい。今回の事態はこの流れをくんだ、政府側からの反撃である。
今後、メガワティ女史が拘束されたりした場合、ビルマのアウンサン・スーチー女史のような、人権抑圧から国民を救おうとする「女神」的な存在になっていかないとも限らない。スーチー女史はビルマの「独立の父」と呼ばれ、現政権の筋の人々によって暗殺されたアウンサン将軍の娘だから、「独立の父の娘が現政権の腐敗と抑圧を糾している」という点で、インドネシアとビルマは奇しくも似た状況にある。
もう一つ、ビルマ政府は最近、インドネシアをモデルとする経済発展を目指しはじめており、両国は体制側としても似た者同士であるようだ。「インドネシア型モデル」とは、共産党系ではない勢力による政治的な一党独裁(と政権の腐敗)を維持したまま、政府系企業を中心に経済発展をしていくというやり方らしい。
また、今後インドネシアの政治は「女の戦い」となるかもしれない。というのは、スハルト大統領のあとを継ぐとみられているのが、ゴルカル副総裁をしているスハルト氏の長女、シティ・ハルディヤンティ女史だからだ。だが、今の国民感情からすると、インドネシアの「女の戦い」は、かつてのフィリピンの「女の戦い」(アキノ対マルコス)と同様、現政権側が「悪者」で反体制側が「正義の味方」、最後は「正義」が勝つ、というシナリオになるのかもしれない。
インドネシアではこれまで、東の辺境である東チモールやイリアンジャヤ、西の辺境であるスマトラ島アチェなどで、一般の人々を含む広い規模の反政府運動があったが、これらはいずれもジャワ島を中心とするインドネシアのメジャーな社会とは異なる宗教や歴史を持った人々の独立運動だった。それ以外では、少数の知識人が時おり運動を起こし、投獄されたりしてきたが、大衆の幅広い表立った支持を受けるまでには至っていない。その意味では今回のことも、どの程度広がりを持った動きになるのかは、まだ日本からはよく見えない。
ここ2、3ヶ月間だけでも、台湾で民主化が進み、インドでも大衆が初めて投票で自分たちの意志を明らかにしたように、アジアでは経済だけでなく政治も少しずつ豊かになり、人々の発言力が高まり始めている。これまで政治的に従順だと言われてきたインドネシア人も、いよいよ動き出すのかも知れない。