香港の中国語新聞「明報」6月4日号に載った記事などによると、大福集団社長の楊さんが初めて大陸に行ったのは7年前の1989年、天安門事件があった年のこと。上海の国営材木メーカーと合弁で木材加工業に乗り出したのを皮切りに、天津、長春、瀋陽、武漢などの国営企業と次々に合弁企業を作った。いずれも加工の精度や木材管理が悪く、小規模な個人経営の加工業者がどんどん出現してくる中で、経営不振に陥っていた企業ばかりだった。
楊社長は中国側と合弁会社を設立し、国営企業の工場の一部を借り、機械設備の一部は台湾から持ち込んだ新しいものに替えて操業し、質の高い製品を作る方法をとった。これは合弁企業としては普通のやり方だが、大福が持ち込んだ製品管理方法や経営への考え方は国営企業本体にも定着していった。合弁相手の13社合計の年間売上高は当初2000万元(2億6000万円)だったのが、今では4億元(52億円)にまで急増した。
国営企業の経営難は、中国政府の大きな悩みの一つとなっている。都市人口の3分の1以上が、今も国営企業の従業員とその家族だといわれる。大きな国営企業は、従業員用にアパート群や病院、学校などを併設しており、国営企業が潰れると従業員は給料だけでなく家も失い、病院にも行けなくなってしまう。だから国営企業は潰せない。
かといって、幹部から従業員まで、働くふりだけすれば許してもらえる社会主義精神が染み付いている中で、企業改革は非常に難しい。外国企業と合弁を組んでも、中国側としては、できるだけ多くの資金や新型機械を外資から取ってやろうという考える場合も多く、必ずしもうまくいっていない。そういう中で、大福集団のような成功例は珍しいため、「神話」になってしまうのである。
合弁企業を作って中国企業の立て直しを実現している外資系企業としては、香港の中策有限公司(英文名はチャイナ・ストラティジック・ホールディングス=CSH=)が、以前から有名だ。こちらは比較的有力な中国の企業に直接資本参加したり、合弁事業を組んで資本参加した上で、同じ業態で技術を持った海外企業にその資本の一部を売ることで、中国企業と外資系企業の橋渡しをしている。日本ではアサヒビールが、中国のビール会社数社の株を中策から売ってもらい、中国進出を果たしている。