北京でも失われる近所づきあい 96/07/19

 日本でも、大都市のマンションや新興住宅街が増えてから、昔ながらの近所付き合いがなくなったといってこぼす人が多いが、資本主義風の高度経済成長が始まって10年もたたない中国でも、早くも同様の変化が始まっている。
 新華社が実施し、6月中旬に報じた対面調査の結果によると、対象となった600人の北京市民のうち、近所の人々の全員をよく知っていると答えたのは、わずかに18%にとどまった。逆に、近所の人を全く知らないと答えた人が2%いたという。
 また62%の人々は、近所の人と会っても会釈をする程度の関係で、大半の回答者が、近所の人のうち友達と呼べる人は1%ぐらいしかいないと答えた。

 北京の伝統的な住宅街は、細い路地をはさんで平屋建ての長屋が並ぶ「胡洞(フートン)」で、かつては近所の人々の生活ぶりはお互いに手にとるように分かってしまうものだったが、劣悪な住宅事情を少しでも改善するため、当局が長屋を壊して80年代から4−5階建て以上の集合住宅を建てる都市計画を進めている。その結果、こうした大都市にありがちな人々の疎遠化が進んだ。とはいえ、調査結果から分かるように、その度合はまだ東京と比べるとかなりましなようだ。
 近所付き合いが疎遠になっているということは、それだけ共産党の指導、あるいは監視が行き届かなくなっているということだ。フートンでは共産党員の老人たちが、夫婦喧嘩やもめごとの仲裁、一人っ子政策の徹底のための女性に対する月経チェック、こっそり自宅で外国の短波放送を聞いたり、共産党批判をしている奴がいないかどうかなど、あらゆる面で住民の生活を監視、監督、指導していた。これが、人々が勝手なことをできないようにする重要なチェック機能だった。
 近所付き合いが薄れているということは、その機能がなくなりつつあるということを示している。89年の天安門事件後、中央は再びそうした機能を取り戻そうとしているようだが、もはやうまくいっていないことは、容易に想像がつく。
 この文はロイター通信が6月17日に新華社の転電として流したものを参考にした。新華社はこの調査により、社会秩序が失われていくことに警鐘を鳴らそうとしたのではないか。