中国のパレスチナ、新疆の悲劇

96/07/10

 中東にあるパレスチナは非常に有名だが、中国にもパレスチナのように、イスラム教徒が圧倒的な異民族の権力の前に、絶望的な戦いを続けている場所がある。中国西北部の新疆ウイグル自治区である。ここに住むウイグル人たちは、80年代の終わりから分離独立運動を盛んにやるようになったが、中国全土で人々の間に共産党離れが進んでいる最近になって、中国政府は特に運動への弾圧を強めている。イスラム原理主義の影響でウイグルの方も爆弾テロ、漢民族の幹部やウイグル人で当局寄りの幹部を狙った暗殺事件を起こすなど、テロ化の傾向を強めている。

 今年になって起きた事件で最も大きかったのは5月末、自治区の政治商協会議(行政に助言する政府組織)のアロンガン・アジ副主席が、自治区西部の町、カシュガルで2人組みの男に襲われて重傷を負ったことだ。この副主席はウイグル人で、同胞社会を裏切って当局の要職についているため、若者の攻撃対象になった。この事件が、折りから中国政府が始めていた「犯罪撲滅100日キャンペーン」の格好の対象となり、5月だけで2000人以上(当局発表)が当局に拘束された。トルコ中部のカイセリという町に本部を置く亡命ウイグル人組織「東トルキスタン文化団結協会」の発表ではこの数はもっと多く、5月だけで5000人が処刑されたとしている。
 「東トルキスタン」というのはウイグル人からみた新疆の呼び名で、中ソ両権力の空白期だった1910年ごろに一時期存在していた「東トルキスタン共和国」にその由来をとっている。ちなみに「西トルキスタン」とは旧ソ連領にあるカザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、トルクメニスタンなどの地域を指す。東西トルキスタンの住民は、その名前から連想できるようにトルコ系の人々で、もともとは遊牧民だったが、アレキサンダー大王がこのあたりまで遠征してきたころには、シルクロード交易を担う商人だった。

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