今年になって起きた事件で最も大きかったのは5月末、自治区の政治商協会議(行政に助言する政府組織)のアロンガン・アジ副主席が、自治区西部の町、カシュガルで2人組みの男に襲われて重傷を負ったことだ。この副主席はウイグル人で、同胞社会を裏切って当局の要職についているため、若者の攻撃対象になった。この事件が、折りから中国政府が始めていた「犯罪撲滅100日キャンペーン」の格好の対象となり、5月だけで2000人以上(当局発表)が当局に拘束された。トルコ中部のカイセリという町に本部を置く亡命ウイグル人組織「東トルキスタン文化団結協会」の発表ではこの数はもっと多く、5月だけで5000人が処刑されたとしている。
「東トルキスタン」というのはウイグル人からみた新疆の呼び名で、中ソ両権力の空白期だった1910年ごろに一時期存在していた「東トルキスタン共和国」にその由来をとっている。ちなみに「西トルキスタン」とは旧ソ連領にあるカザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、トルクメニスタンなどの地域を指す。東西トルキスタンの住民は、その名前から連想できるようにトルコ系の人々で、もともとは遊牧民だったが、アレキサンダー大王がこのあたりまで遠征してきたころには、シルクロード交易を担う商人だった。
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