東西のスパイ組織は信頼しあえるか98年2月5日 田中 宇 | |
昨年10月、ポーランドの首都ワルシャワで、一つの「再会」がマスコミによって世界に報じられた。 1990年8月の湾岸戦争の際、クウェートとイラクの国境近くには、秘密の任務についていたアメリカCIAの要員が6人いた。だがイラクがクウェートに侵攻したため、彼らはイラクから国外に出ることができなくなってしまった。 その後しばらく、イラク当局の目を盗んで、バクダッド市内などを転々としていたが、しだいにイラク当局に捕まる可能性が増えていった。連絡を受けて救出に乗り出したCIAがとった策は、ポーランドの情報機関、国家安全局(State Security Bureau)に手伝ってもらうことだった。 ポーランド国家安全局は、イラクが1970年代にソ連寄りの国だった影響で、イラク国内にエージェント網を持っていた。そこにアメリカは目をつけた。ポーランド側はCIA要員のためにニセのパスポートを6冊用意し、バクダッド郊外にあるポーランドの建設会社の工事現場内に6人をかくまった。その後6人は、その建設会社の関係のポーランド人になりすまし、イラク国外へと脱出することができたのである。 昨年10月のワルシャワでの再会は、この時お世話になったCIA要員が、ポーランド国家安全局を訪れて当時のお礼を言う、というものであった。 ●スパイ小説か政治ショーか この話はスパイ小説を読んでいるようで興奮させられるが、よく考えてみると、なぜ湾岸戦争から7年もたってから再会が行われるのか、という疑問が湧く。 その疑問の答えになりそうなことがある。ポーランドが近く、アメリカと西ヨーロッパの軍事同盟であるNATO(北大西洋条約機構)に加盟することになりそうだ、ということだ。 ポーランドは、同じ東欧のチェコ、ハンガリーとともに、NATO創設50周年にあたる1999年に加盟する可能性が強い。だがソ連崩壊直後の1991年まで、これら3カ国はNATOの宿敵だったワルシャワ条約機構に加盟していた。(同機構は91年に解散した) NATOはかつての宿敵を「仲間」として迎え入れても大丈夫なのか、という懸念が、西側関係者の間にある。 かつて東欧各国の情報機関は、西側の情報をスパイして集めることが、重要任務の一つだった。東欧3国がNATOに加盟すれば、情報機関の人々は、NATOの情報を自由に見ることができるようになるのである。彼らを信頼できないと思っている人々は、新加盟の国に対しては、従来からの加盟国に比べ、重要情報へのアクセスに制限を加えるべきだ、と主張する人もいる。 こうした懸念に対してアメリカが行った政治ショーが、昨年10月のワルシャワの再会劇だった、と考えることができるのである。 ●アメリカがほしい情報を持っているポーランド アメリカ政府は東欧3カ国のNATO加盟に積極的だ。特にポーランドは、ベラルーシとウクライナという、旧ソ連2国と長い国境を接していることもあり、クリントン政権は、加盟予定の3カ国の中で最も重視しているといわれている。アメリカとしては「ポーランドの情報機関は敵ではない。その証拠に、湾岸戦争の時、CIA要員を助けたのですよ」と言いたいのであろう。 ポーランドの情報機関はイラクのほか、リビアにも情報収集のための要員を持っている。イラクとリビアの情報といえば、アメリカにとって非常にほしいものであろう。 またポーランドでは、1990年にいったん社会主義政権が崩壊し、連帯のワレサ議長が大統領になったが、1993年の選挙で再び共産党系の政権が誕生した。その後、昨年9月の選挙で再び反共産党の政府になっている。アメリカは反共産党の政権が返り咲いたのを機に、ポーランドのNATO加盟を積極的に推進する姿勢をとり始めた、という背景もある。 ●思想よりカネが世界を動かす とはいえ、東西のスパイ機関が本当に信頼しあえる状態にあるのかといえば、怪しい部分もある。 NATO加盟が有力視されている東欧3カ国のうち、ポーランドとハンガリーの情報機関は、社会主義時代からの組織と要員を基本的にそのまま引き継いで、今日に至っている。ポーランドの国家情報局の場合、社会主義政権が崩壊した後の1990年に、ソ連寄りの姿勢をもった職員と、そうでない人を分け、国外にいる約1000人の要員のうち、約600人との関係を断ち切ったという。だが、誰がソ連寄りで、誰がそうでなかったか、などということを正確に判別するのは簡単ではない。 しかも情報機関の運営の難しいところは、その仕事を長く続けた人でないと、良い情報を集められないということだ。チェコでは、社会主義崩壊後の政府が、情報機関の解体を実行した。かつての情報要員はすべてお払い箱となり、それまで情報機関で働いたことのない人々が新たに職についた。ところがそれにより、情報収集能力は著しく落ちてしまい、今では関係者の間で、チェコの情報機関は能力がない、というレッテルを貼られている。 また、世界に純粋な社会主義国などなくなってしまった今、共産主義か反共か、などという人々の思想に関することは、もはや情報機関にとっては大した問題ではなくなっているということもある。 今、一番重視すべきもの、それはカネである。新たにNATOに加盟する東欧の情報機関の要員が、職務で集めた国家機密を、誰かに売ったりしないだろうか、という懸念の方が大きいといえる。だがそういう話になってくると、そもそも西側の情報機関のモラルは大丈夫なのか、という不安の方が先に立ってしまう。冷戦は終わったが、今度はまったく違う種類の、難しい世の中になっているのである。
関連ページポーランド・クラクフ在住の羽生 康一郎さんによる評論。NATO加盟に対するポーランド国民の考え方なども盛り込まれており、読み応えがある。ポーランド情報局「波源郷」のサイト内にある。 ポーランドに関するリンク集。リンク先の多くは英語。北海道大学スラブ研究センターのサイト内にある。
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