イスラム世界で根強い「ダイアナ謀殺説」97年11月10日 | |
8月末のダイアナ元妃の死去以来、世界中でダイアナさんをしのぶ本が無数に発行されている。ダイアナさんと一緒に死去した富豪のドディ・アルファイド氏の出身地だったエジプトでも同様の傾向だ。だが、エジプトの場合、日本や欧米と決定的に違う特徴がある。ダイアナさんがイギリスなどの諜報機関によって殺害されたという説を展開する本が多いのである。 このうち、「誰がダイアナを殺したか・・・王宮からの司令」(Who killed Diana? By Orders of the Palace)、「プリンセスの苦悩」(The Torture of Princess)、「恋に殺されたダイアナ妃」(Diana, A Princess Killed by Love)という3冊は、エジプトではベストセラーになっている(日本語タイトルは筆者が原タイトルを和訳したもの)。「イスラム教徒に改宗していたダイアナ妃」(Diana's Conversion to Islam)などという本もある。 ●ダイアナ死去の直後から流れた謀殺説 いずれの本にも共通しているロジックは、次のようなものだ。 ダイアナさんが殺されたのは、恋人のアルファイド氏がイスラム教徒だったから。アルファイド氏と結婚するならば、ダイアナさんはイスラム教徒に改宗することをイスラム教の側から強く求められる。だが、彼女が改宗すれば将来、イギリス国王の母がイスラム教徒だということになってしまう。このことに強い危機感を覚えたイギリス政府と王室は、二人がいよいよ結婚する決意を固めたため、交通事故に見せかけて殺害してしまった・・・。 こうしたダイアナ謀殺説が最初に流れたのが、エジプトだった。エジプトは中東のアラブ地域では、最も欧米社会に対して開かれた国の一つであり、欧米、アラブ、ロシア、中国など各国の情報機関が中東で情報を集める際の拠点となっている。 そのため、カイロの外交関係者の間では、普段からさまざまな国際情報が流れている。こうしたルートで、ダイアナさんらが死去した翌日には、すでに謀殺説が流れはじめていた。 数日後には、リビアの最高指導者カダフィ大佐が、ダイアナ謀殺説を支持する発言を行い、これを機に謀殺説が世界に広がった。インターネット上にも多くの謀殺情報サイトが作られ、一時は世界中で約300のサイトが謀殺説について載せていたという。 ●確たる根拠はないものの・・・ 謀殺説はいずれも、確たる根拠を持ったものではない。そのことをはっきりさせた上で、謀殺説の内容について触れる。 まず、事故が起きたいきさつについては、ダイアナさんが乗ったベンツが事故現場となったトンネルを通り抜けようとする直前、路面に滑りやすい薬品がまかれたという主張がある。ベンツの後ろからパパラッチ(追っかけカメラマン)に扮したイギリス諜報部員がバイクに乗って急接近し、ベンツの運転手が避けようとして滑り、壁に衝突したという。 ダイアナさんは、9月中にアルファイド氏と結婚する予定で、すでにエジプトのテレビによく出演するイスラム教の聖職者によって改宗を済ませていた、という説もある。イギリス王室の反対にもかかわらず、ダイアナさんが改宗を強行したことが、イギリス政府に「最後の手段」を取らせることになったのだという。 食習慣がキリスト教などと大きく異なるイスラム教では、イスラム教徒以外の人と結婚することは歓迎されない。イスラム教徒の男性は、キリスト教とユダヤ教の女性とは結婚しても良いことになっているが、妻とその親族がイスラム教に対して理解を示すことが必要とされ、相手の女性が結婚する前にイスラムに改宗することが望ましいとされる。(女性は異教徒とは結婚できない) ドディ・アルファイド氏の父親、モハメド・アルファイド氏は、サウジアラビアやブルネイの王室の資金運用を任された結果、富豪になったとされている。いずれの王室もイスラムであることを非常に誇りとしており、当然ドディ氏の結婚相手がキリスト教徒のままでは不快に思うはずだ。2王室との関係を考えると、ダイアナさんがアルファイド氏と結婚したければ、イスラム教に改宗しなければならない、ということになる。 また、ダイアナさんがアルファイド氏との結婚を急いだのは、おなかに赤ちゃんがいたからだという説もある。 ●ポイントはダイアナさんのイスラム改宗 改宗についての情報は、事故そのものに関する情報より、信ぴょう性が高い。というのは、ダイアナさんが以前、パキスタンを公式訪問した際、モスクの聖職者に対して、イスラム教への改宗意志をみせたといわれているためだ。 イスラム教への改宗を希望する人は、パキスタンかエジプトに行き、しばらくそこに住んで改宗するよう、アドバイスされることが多い。ダイアナさんがエジプトだけでなく、パキスタンの聖職者に改宗を相談したとすれば、それは理にかなったことというわけである。 そして実は、イスラム世界の人々にとって、ダイアナさんの死にまつわる話の中で最も重要な部分は、彼女がイスラム教徒に改宗した、もしくは改宗しようとしていた、という点である。そして、その直後の死。この二つが結びつくことによって、イスラム教徒、特にアラブの人々は、謀殺説がピンときてしまうのである。 アラブの人々がピンとくるのは、イギリスがフランスとともにアラブ世界を分割統治した19世紀の植民地時代以来の、陰謀の歴史があるからだ。イギリスは言葉巧みにアラブ世界の統治者たちを相互に対立させ、その後は武力で土地を割譲させ、植民地としてきた。 20世紀に入り、アメリカとイスラエルがイギリスのあとを継いでからも、アラブの支配者たちは、いいようにあしらわれ続けた。アラブ側が結束を誓い合っても、やがてアメリカが撒く資金援助などの誘惑に引っかかり、分裂してしまう。イスラエルの情報力にも負け続けている。 ●背後にはアラブとヨーロッパの歴史的対立 アラブとヨーロッパとの間には、宗教、文明を挙げて敵対し続けた歴史がある。中世には、マホメットの軍隊がイスラム教を掲げてスペインまで遠征し、ヨーロッパから来た十字軍がキリスト教の名のもとに中東を荒らし回った。今、中東でおきている出来事も、こうした敵対の延長にある。 数次にわたる中東戦争は、欧米の代理であるイスラエルとアラブとの戦いであり、アラブ人の多くは、親戚や友人の中に、この時に難民となった人々がいる。アラブ人は、今も対立の歴史を背負って生きている。ダイアナ死去もその文脈で読み取れば、欧米寄りの第三者である日本人から見るのとは、全く違う事件に映ってもおかしくない。 しかも、イスラム社会では、モスクの聖職者が説教の中で、政治的な話をする。モスクの説教は、日本の法事の際のお坊さんのお話や、欧米の日曜日のキリスト教会での説教と同じように、人々にとっては身近な存在だ。 モスクの説教では、世界の出来事を分かりやすく解説してくれるのだが、その論調はイスラムに敵対する欧米やイスラエルを攻撃するものだ。ダイアナ死去の物語をイスラム的に説けば、イスラム教徒になろうとしていたところを殺された、ということになる。分かりやすいので、イスラムの人々は皆、この筋書きを信じることになった。 一方、イスラムを敵視する欧米からみれば、キリスト教世界を象徴するような慈善事業にいそしみ、しかもヨーロッパ文明の中心の一つであるイギリス王室に属するダイアナ妃が、イスラム教徒に改宗するということは、悪夢にほかならない。 キリスト教世界から見れば、仇敵であるイスラム世界は、テロリズムや「野蛮な」公開処刑、女性差別といったものに満ちあふれていなければならない。ダイアナさんの慈善事業がイスラム教に基づくものというイメージになってはまずい。イスラム側に寝返る前に、消えていただきたい、という考え方は、彼女の死が謀殺だったかどうかにかかわらず、存在する。 こうしてみると、ダイアナさんが死んだ後、イギリスが王室を挙げた葬式をしなければならなかった理由が見えてくる。彼女はイスラム世界の人間じゃない、キリスト教世界の人間なのだ、ということを、世界に示さねばならなかったのである。
MARRAIGE BETWEEN MUSLIMS AND NON-MUSLIMS
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