他の記事を読む

イギリスの崩壊

2009年1月24日  田中 宇

 記事の無料メール配信

 米国オバマ政権の就任と時期を合わせたかのように、英国の金融崩壊が急速に進んでいる。昨年9月のリーマン倒産を機に一気に悪化した米国発の国際金融危機は、それまでのレバレッジ金融の金余りによって高値になったロンドンの不動産などの相場を急落させた。その後、昨年末の決算時に英金融機関の資産の時価評価額が減り、いくつもの大手銀行が事実上の債務超過に陥っていることが、今年に入ってわかった。

 ロンドン不動産など英国に投資して儲けていた資金の3分の1は、外国からの流入だった。たとえば昨秋に財政破綻したアイスランドの金融界は、国家経済規模(GDP)の10倍もの資金を全欧から集めていたが、その主たる運用先は英国だった。金融危機がひどくなるにつれ、世界から英金融界に入っていた資金は流出し、英ポンドは下落した。世界金融の中心として300年の歴史を持つ英金融界と英政府は、アイスランドの銀行家のような「素人」とは違って手練手管を持っており、英金融界はリーマン・ショック後すぐには崩壊しなかったが、今年に入ってさすがに状況が厳しくなってきた。

 英政府の失敗は、昨年10月に公金投入を中心とする金融救済策を打った際、救済策は間違いなく効果があがると考えて、銀行の株を買って国有化するとともに、政府が銀行に無制限の保証を行うことを決めたことだと、英デイリーメール紙が指摘している。いくつかある英大手銀行のうち、たとえば破綻寸前になっているロイヤル・スコットランド銀行グループ(RBS)一つだけで、英国の経済規模の2倍以上の2兆ポンドの債権を持つ。この債権の1割が不良化(買い手がつかず価値喪失)するだけで、英政府の国民健康保険(NHS)の年間予算の2倍の額が吹き飛び、英国民の公金を使って穴埋めせねばならない。英政府が財政破綻に瀕するのは当然だ。(We're a nation on the brink of going bankrupt

 ウォールストリート・ジャーナル紙も「英政府の金融救済策は、目標とは正反対の効果をもたらした。英金融界は立ち直らず、むしろ銀行株とポンドは急落している」と書いている。同紙は「英政府は2月末までに新たな救済策を打つというが、それではあまりに遅すぎる。不安がこのまま放置されるほど、預金流出や債券売却による銀行破綻と、英ポンド崩壊という二重破綻の可能性が増す」と書いている。事態は緊急だ。(Restoring Confidence in the U.K.

▼「もう英ポンドは終わりだ」

 米英は同じ金融システムを持つが、同じ通貨を持つわけではない。米ドルは世界の基軸通貨で、今のところ、米連銀はドルを過剰に刷ってもドル安やインフレにならないし、米国債は株や社債を嫌気した資金の国際的な逃避先として重宝され、米政府が過剰に財政赤字を増やしても米国債は売れる。しかし英ポンドは、ドルのような覇権通貨ではない。すでに英政府の財政赤字残高は4000億ポンドで、その対GDP比率は、前回英国が財政破綻してIMFに救済を求めた1976年当時より大きい。英政府は、もう赤字を増やせない。

 英政府は、国民の預金を守るため、金融界に公金を投入して金融崩壊を防がねばならないが、国債発行による資金調達の道はふさがれている。そのため英政府は、中央銀行にポンドを増刷させ、その金で銀行の不良債権を吸い上げる(不良債権を担保に金を貸す)政策を強化することにした。これは米連銀がやっている救済策と同じだが、基軸通貨でない英ポンドの過剰発行は、通貨破綻につながる。(Treasury gives go-ahead to `print money'

 米の著名な投資家ジム・ロジャーズは1月21日「もう英ポンドは終わりだ。ポンド(建て資産)を持っている人は、すぐに全て売った方が良い」「ポンドを支えてきたのは、北海油田とロンドンの金融界だったが、今やいずれも枯渇している。もはや英国は、何も売るものがない」「シティ(英金融界)も終わりだ。国際金融の中心はアジアに移っている。今や、世界のすべての資金はアジアにある。何故その資金をわざわざ欧米の方に戻す必要があるのか?。ロンドンなんか不要だ」と宣言した。

 ロジャースは数年前、中国中心のアジアが経済的に勃興することを予測して拠点を米国からシンガポールに移し、多極化に賭けた人である。英国の経済力(経済謀略技能)は意外と強く、その後、中国株が大幅下落したりして、事態は彼の予測した速度では進んでいないが、英国が崩壊するとなれば、世界経済の多極化も進むだろう。彼は、崩壊する英国に対して「ざまあみろ」と思っているに違いない。(Jim Rogers: 'Sell any sterling you might have. It's finished')(Jim Rogers: `UK has nothing to sell'

 ロジャーズの発言は、誇張ではない。英国の野党党首は1月23日に「このままだと英国はIMFに救済を頼まねばならない」と表明した。またブルームバーグ通信は、すでに昨年大晦日に流した今年の予測のひとつに、英国が金融対策に失敗してIMFに救済を求めることを挙げている。(We'll have to go begging to the IMF, says Cameron)(Britain to Go Broke, Russia to Join OPEC in 2009

 英国の大手銀行の中でも、HSBC(香港上海銀行)は不良債権が比較的少ないが、これはもともと英国の中国支配システムの一部だった同行のアジア部門が香港にあり、香港返還後は中国政府の傘下にある香港金融管理局(HKMA)の監督を受けていたおかげで、不良債権の拡大が防がれてきたからだ。この件を報じた英ガーディアン紙は「英国の預金者は、香港に感謝せねばならない」と、皮肉っぽく書いている。英金融界は、最近まで中国当局の金融行政能力を馬鹿にしてきたが、今や立場は逆転しつつある。(Unless we are decisive Britain faces bankruptcy

▼ユーロ加盟しなかったばかりに

 今や英国の弱点となったことのもう一つは、ユーロに入っていないことだ。英国がすでに通貨をポンドからユーロに切り替えていたら、今回の金融危機で財政赤字を過剰に増やしても、通貨急落に襲われることはなかった。EUではユーロ加盟国に対し、財政赤字を一定以下に抑えることを義務づけているが、今のような経済有事には、この規則は事実上、緩和されている。

 ユーロ圏では、スペイン、イタリア、アイルランド、ギリシャなどが金融救済策として財政赤字を急拡大しており、ギリシャやアイルランドはユーロ離脱を迫られるかもしれない。ユーロから追放された国は経済破綻するので、それに比べるとユーロに入っていない英国の方が危機は軽度だと、英タイムズ紙が指摘している。(It's a bitter chill but Britain is not Iceland

 私はタイムズの説とは異なり、いったんユーロに加盟した国が、ユーロ圏から追放される可能性は低いと考えている。ユーロ加盟国は加盟時に、国権である通貨発行権、短期金利決定権を放棄し、財政政策権(財政赤字の拡大権)など広範囲な経済面の国家権力をEUから制限されることを容認している。EU各国の上層部は、EUを作る際、各国から国権を剥奪・統合してEUを作ることを覚悟し、意志一致している(欧州を強くて安定した地域にするのが目的)。政治的に覚悟を決めて欧州統合を開始した以上、EUが経済破綻した国をユーロ圏から追放することは考えにくい。(EUはまだ人類初の実験途上なので、何が起きるかわからないが)

 加盟国がユーロ圏から追放されない前提で考えると、同じく金融危機や不動産急落に見舞われても、ユーロ圏に入っているスペイン、アイルランド、ギリシャなどの方が、ユーロ非加盟の英国やアイスランドよりも有利になる。アイスランドとアイルランドは、同程度の金融危機だが、アイスランドは通貨クローナが増刷で急落して破綻したのに比べ、アイルランドは経済難だがユーロなので通貨破綻しない。

 今後、英ポンドが破綻的に価値を喪失していくとしたら、英国では「ユーロ加盟しておけば、こんなことにならなかったのに」という批判が出るだろう。前出のガーディアン記事は「英政府は、金融危機が一段落したらユーロ加盟すると約束しない限り、金融市場での信用を回復できない」と指摘しているが、ポンド下落後のユーロ加盟は英国人の資産が安めに評価されることを意味し、やはり「ポンドが高いうちにユーロ転換しておけば良かったのに」という話になる。中国の新華社通信は、もう英国はユーロに参加できないのではないかと分析する記事を流した。(News Analysis: Are Britain's hopes to join euro dashed?

▼百年の英米暗闘の最新断面

 とはいえ、金融危機が始まるまで、英経済は15年以上の成長を持続し、英国では「国権を剥奪されるユーロに入る必要なんかない」という論調が強かった。英国では、90年代には、創設中のユーロへの加盟をめぐる議論がさかんだったが、ユーロ誕生直前の98年ごろから、英米イスラエルでは、イスラム世界との新冷戦体制を強化して単独覇権的な世界支配を拡大する戦略が出てきて、それは01年の911事件で一気に開花した。英国はユーロ加盟して欧州の盟主をめざす(つまり米国とやや疎遠になる)多極型戦略を捨て、米イスラエルと一緒に世界支配する一極型戦略を選択した。結局、イラク戦争の失敗と金融危機の発生によって、この一極型戦略は劇的に崩壊し、米英イスラエルはこぞって窮地に陥っている。

 英国は第一次大戦後、第二次大戦後、そして1970年代と、何回も財政破綻に瀕している。いずれの時も、破綻から立ち直る方法は、米政界を動かして英国好みの戦略をとらせることだった。第一次大戦の後には、うまくナチスを悪者に仕立てて米国を第二次大戦に参戦させた。第二次大戦後には、冷戦が用意され、米国をソ連との恒久的対立に駆り立てた。英経済は第二次大戦で破綻したが、英政府は米国から資金調達して「ゆりかごから墓場まで」国家が面倒見る新体制を作り、民間経済の機能不全を政府が肩代わりした。戦後の「高福祉政策」は、それまで自由市場経済の有利さを力説していた英国としては、やむをえず採った戦略だった。

 70年代には、英国の代理勢力としてイスラエルを米政界に食い込ませ、ベトナム敗退後に米政界で台頭しそうだった多極主義を抑えた。その結果、米英中心の世界体制が維持され、85年のビッグバン以降、米英には同じレバレッジ金融システムが導入され、07年まで続く米英金融の大儲けにつながった。しかし今、金融危機によって米英中心体制が崩れ出すとともに、米国では再び多極主義が隠然と出てきて、英国は政治的にも外され出している。

 オバマ新大統領は就任後、欧州諸国の指導者の中で最初に会う相手を、フランスのサルコジ大統領とドイツのメルケル首相にすると決めた。英国のブラウン首相は後回しにされた。英政府は表向き「面会の順番争いは、子供の喧嘩と同じで意味がない」と強がったが、実際には英外交官が必死に米政界を回り、面会の順番の繰り上げを懇願した挙げ句、失敗した。(ブッシュ政権就任時は、最初の欧州からの訪問者は英ブレア首相だった)(Barack Obama: Downing Street prepares for Obama snub

 オバマは、ブッシュ前大統領が、昨年11月のG20金融サミット(第2ブレトンウッズ会議の初回)の構想を練る際、ブラウンからの面会要請を断りつつ、サルコジと話し合った「英国外し」の姿勢を、そっくり継承している。オバマ政権もブッシュ政権と同様に、米英中心体制の崩壊を狙う隠れ多極主義であると、私には感じられる。

 英国は、経済が金融偏重であるうえ、英国の金融システムが米国のコピーなので、07年夏に米国で金融危機が勃発した直後から「英国は米国より先に破綻する」との予測を、私は米英発の情報の中に見かけるようになった。しかし、日本の「専門家」を含む、世界の大方の人々は「米英金融システムは強い」という固定観念に固執し、破綻を予測できなかった。今になって、「バブルというものは、崩壊するまで誰にもわからないものだ」などと、著名な「専門家」や論説委員が、自らの不勉強や思考の柔軟さの欠如を棚に上げ、日本の大手新聞に書いているのを見ると、米英金融崩壊を早期に予測したばかりに、長らく与太者扱いされ続けてきた私は、悲痛な思いにとらわれる。(The worst crisis I've seen in 30 years - 4 November 2007

▼MI6はどうなるか

 世界における英国の強みは、ロンドン金融界(シティ)の力だけではない。国際政治や国際相場を裏で操れる諜報機関(MI6など)の工作力もある。地球温暖化、原油や金の相場、ロシア市場の暴落、中東やロシア・中国周辺などでのテロ・民主化運動・ゲリラ活動など、彼らが操作しそうな分野は多い。シティが潰れても、MI6が健在なら、英国は新たな策動によって、自国の繁栄と、自国好みの国際政治体制を維持するかもしれない。(たとえば日本人の中国敵視を煽り、日本を中国と戦争させて東アジアの経済台頭と多極化を潰すとか)

 しかしMI6も、ここ数年で3つの大失敗をしている。一つは、米英中心体制を維持する戦略だった「テロ戦争」が、ブッシュ政権の無茶苦茶によって破綻したこと。オバマは就任早々に「テロ戦争の終結」を、グアンタナモ閉鎖とともに宣言している。(Obama 'declared end' to war on terror

 二つ目は、これと付随して、米政界を牛耳ってくれる英国の代理勢力だったイスラエルが存亡の危機にあること。ガザ戦争で、イスラエルは「戦争犯罪」に問われそうだ。三つ目の失敗は、脅威となりそうな国の金融市場を潰す道具として、彼らが使っていたであろうヘッジファンドやタックスヘイブンなど、非公開の国際的な資金の調達機能と秘匿場所が、国際金融危機の対策として規制され、潰されていきそうなことだ。これらのことを考えると、英国では金融界だけでなく、MI6の力も減退していると推測される。

 英国の衰退をしり目に、米国では多極主義的な言説が、オバマ就任とともに再び出てきている。キッシンジャー元国務長官は、オバマ就任日に「金融システムを世界規模で管理できる規模にまで、国際政治体制を拡大する必要がある(国際機関を強化して世界政府的な機能を持たせるべき)。新たなブレトンウッズ体制が必要だ」「世界における米国の存在感は大きすぎる」「新世界秩序のもとでは、中国の役割が重要だ。今後の世界経済秩序がどんなものになるかは、今後の数年で米中がどのような関係を持つかによって変わる。米中が対立すれば、中国は米国抜きのアジア秩序を作り、米国は保護主義に傾く。米中関係は、一つ高い水準まで引き上げられねばならない」といった主旨の、多極主義のにおいがする論文を発表した。(Henry Kissinger: The world must forge a new order or retreat to chaos

 米中関係が新たな高水準に引き上げられる(米中戦略関係が強化される)ことは、おそらく日米関係の空洞化につながる。すでに1月22日のヘラルドトリビューン紙には、米国に依存しすぎる日本を批判する論文(U.S.-JAPAN; An alliance in need of attention)が載っている。オバマになって米中関係や日米関係がどうなりそうかについては、近いうちに分析するつもりだ。



田中宇の国際ニュース解説・メインページへ