歴史を繰り返させる人々2007年3月27日 田中 宇今のアメリカの状況について良く指摘されることに「イラク戦争と、ベトナム戦争は似ている」というのと「ブッシュ政権の政策は、レーガン政権の政策と似ている」という、2つの類似性がある。私が見るところ、これら2種類の類似性には、深い意味がある。 イラク戦争とベトナム戦争の類似点の一つは、いずれの戦争もアメリカにとって不必要で、しかもアメリカによるでっち上げによって開戦したことだ。イラク戦争の開戦事由は、イラクが大量破壊兵器を保持しているという誇張された情報だったが、米政府内では、イラクが大量破壊兵器を保持していないことが、CIAなどから事前に何回も指摘されていた。同様に、米軍がベトナムへの介入を戦争に転化したきっかけは、1964年のトンキン湾事件という、米側がでっち上げた事件である。 2つの戦争は、戦場となったイラクやベトナムの人々に対し、米軍が拷問や人権侵害を繰り返した点も似ている。イラク戦争は今後、ベトナム戦争の「サイゴン陥落」に似た劇的な敗北で終わるのではないかと懸念されており、この点も似ている。 ▼やりすぎて意図的に失敗する戦略 こうした類似点の他に、私の分析では、なぜでっち上げで自滅的な戦争がおきたのかという根本的な理由も、2つの戦争で似ている。いずれの戦争も、米中枢の「米英(イスラエル)中心主義」と「多極主義」の相克の中で起きている。多極主義者たちは、米英中心主義の一味のようなふりをして過激にやりすぎ、その結果、米英中心主義の体制を壊して世界を多極化の方向に持っていくという成果を得ている。 第二次大戦後、アメリカは国連の常任理事国制度に象徴される多極主義の世界体制をつくろうとしたが、イギリスなどの米英中心主義者はこれに対抗して、冷戦を起こして米ソを対立させた。多極主義者は、毛沢東の中国をアメリカの同盟国にすることを模索したが、1950年からの朝鮮戦争によって、米中は決定的に敵対させられた。朝鮮半島は、アメリカと中ソが長期にわたって対峙し、冷戦を永続させる場所となった。ベトナムへの米軍の介入は、朝鮮半島のような冷戦を永続できる場所を、中国の東側だけでなく南側にも作るために開始された。 米中枢の多極主義者は、表向きは冷戦を永続したい米英中心主義者の作戦に積極的に協力したが、裏では南ベトナム政府の腐敗や残虐さを増長させてベトナム人の反米感情を募らせるという「やりすぎ」を意図的に繰り返し、戦争を失敗させた。戦争の失敗が不可逆的になったところで、キッシンジャーら多極主義者は「現実主義者」として登場し「ベトナム戦争の失敗を挽回するには、アメリカは、ベトナムに影響力を持つ中国と仲直りせざるを得ない」という理屈を通して、ニクソンが訪中して中国と接近する政策を展開し、冷戦に風穴を開けた。 一方、イラク戦争は、1997年ごろから強まったイスラエルによる米中枢への食い込みの反動として起きている。ブッシュ政権下でイスラエルは、米政界の誰も反イスラエル的な態度をとれないほど強い影響力を持っている。イスラエルは、米軍をイラクに侵攻させてイラクを分割し、長く内戦状態に置いてイスラエルの脅威でなくすることを望んでいた。チェイニー副大統領やネオコンは、このイスラエルの要望に応えるかたちで米軍をイラクに侵攻させ、イラクを内戦状態にした。 だが、彼らはその一方で、イラクや他の中東の人々が反米感情を募らせるような意図的な失敗を繰り返し、反米・反イスラエルの要綱を掲げるイスラム過激派への地元の人々の支持を激増させ、アメリカがイラク占領に疲弊して撤退したら、その後のイスラエルはハマスやヒズボラなどの過激派組織にゲリラ戦を仕掛けられて潰されかねない状況を作り出した。チェイニーら隠れ多極主義者は、イスラエルの意を受けて振る舞ったように見せかけて、イスラエルを国家存亡の危機に陥らせるとともに、アメリカの覇権力を浪費し、米英イスラエル中心主義を壊滅させ、中国やロシアの台頭を誘発し、世界を多極化している。 ベトナム戦争後の多極化を演出したキッシンジャーは、今回も動いている。たとえばフセイン政権時代のイラク軍を解体するなどの政策で、イラク占領の泥沼化を決定的にしたイラク占領軍政府(CPA)2代目長官のポール・ブレマーは、キッシンジャーの事務所で長く勤めていた人物である。占領軍政府長官は、初代がジェイ・ガーナーというイスラエル右派と関係の深い元軍人だったが、就任1カ月後の2003年5月にホワイトハウスの決定で突然罷免され、ブレマーと交代した。(関連記事) ▼隠れ多極主義者シュルツ ブッシュの前任のクリントン政権は、イスラエルの影響を何とか排除しようとして、逆に1998年にモニカ・ルインスキー事件を引き起こされるなど、アメリカ内部の親イスラエル勢力から攻撃を受けた。民主党はクリントンだけでなく、その前に民主党から大統領になった1970年代のカーター政権も、イスラエルの右派を疎んじ、左派を強化しようとして失敗している。 イスラエルに対して封じ込めの正攻法を試みて失敗している民主党とは対照的に、現在のブッシュと、1980年代のレーガンといった共和党政権は、表向きは積極的にイスラエルの味方をする姿勢をとりつつも、イスラエル好みの戦略をこっそり意図的に失敗させることによって、結果的にイスラエルに不利になる状況を生み出すという、複雑で隠然とした戦略を採り続けている。 以前の記事に書いたが、共和党ニクソン政権末期の1973年に起きた石油危機も、こっそりイスラエルに不利な状況を生み出す戦略の一つだった。その後イスラエルは、在米シオニスト団体を使ってアメリカ中枢に食い込む戦略を展開し、親イスラエル勢力(ネオコン)をレーガン政権の高官として送り込んだ。 レーガン政権では、1982年から国務長官になったジョージ・シュルツが、隠れ多極主義者だったと考えられる。シュルツの父は、世界の多極化を進めたがっているニューヨークの資本家層に非常に近い人だったという指摘もある。(関連記事) シュルツは74年夏にニクソン大統領がウォーターゲート事件で辞めた後、82年にレーガン政権に呼ばれるまで、石油・建設関連大手のベクテル社の社長をつとめていた。つまりシュルツはいわゆる「石油利権」の関係者で、親アラブ・反イスラエルと見られており、レーガン政権の国務長官になって最初のころは、政権内の親イスラエル勢力の策略に抵抗していた。(関連記事) ▼イラン・コントラ事件はイスラエル引っかけ策? だが、82年末に、親イスラエル政治団体のAIPACが、連邦議会を動かしてイスラエルへの経済支援の増加を決議させたことに抵抗して失敗したことを機に、シュルツは反イスラエルから親イスラエルに転向し、その後は異様に積極的に親イスラエル的な姿勢を採るようになった。そして起きたのが、1986年のイラン・コントラ事件だった。(関連記事) イラン・コントラ事件は、レーガン政権が、レバノンのイラン系のゲリラ「ヒズボラ」に捕まった米兵らを救出するため、違法にイランに武器を密輸出するとともに、その代金収入を、ニカラグアの右派ゲリラ「コントラ」に違法に与えて武器購入させた、というのが一般常識的な筋書きである。しかしこの事件は一皮むくと、随所にイスラエルの存在が見えてくる。 もともとイスラエルは、アメリカに関係なく、イランに武器を密輸出していた。当時のイランはイスラム革命後で、反米・反イスラエルの国是だったが、同時にイランは80年からイラン・イラク戦争を続けており、イラクに負けそうだった。イスラエルにとって、イラクがイランを打ち負かし、その威厳を使ってアラブの盟主になることは大きな脅威だった。そのためイスラエルは、イラン・イラク戦争の初期から、一貫してイランに武器を密輸出し、イランの武器の輸入総額の半分は、イスラエルからだった。(関連記事) イスラエルはアメリカに対し、イスラエルがイランに武器を輸出することを認めてほしいと求めた。これに対しレーガン政権側は1985年に、どうせイランに武器を密輸出するなら、ヒズボラに捕まっているアメリカ人捕虜(人質)を解放するための身代金代わりにしてくれとイスラエルに要請した。イスラエル側は当初、アメリカの要請に応じるかたちでイランに武器輸出し、人質の一部が釈放されたが、やがてアメリカの代理人としてイランに武器輸出することを断るようになった。 その理由は明確にされていないが、アメリカではイスラム革命後、イランへの武器輸出が違法とされており、イスラエルが違法行為に加担したと断罪されてしまう「引っかけ」を恐れたからではないかと推測できる。イスラエルが代行を断った後、イランへの武器輸出はアメリカから直接行われるようになったが、結局はイラン・コントラ事件として暴露・断罪されている。 ▼コントラ支援も イラン・コントラ事件のもう一つの面であるニカラグア反政府ゲリラ「コントラ」への支援も、最初はイスラエルが単独で行っていたものだ。1970年代前半まで、アメリカは中南米の左翼政権を弱めるため、コントラなど右派ゲリラへの支援を行っていたが、70年代後半にカーター政権が人権重視の外交政策を採り、右派ゲリラへの直接支援は違法化された。 石油危機以後、世界的に親アラブの国が増えて窮地に陥ったイスラエルは、アメリカに代わって中南米の右派ゲリラに支援することで、米政界の右派とのつながりを深めるとともに、中南米諸国との外交関係を維持した。エルサルバドルやコスタリカは最近まで、テルアビブではなく、国連が首都として認めていないエルサレムに駐イスラエル大使館を置く数少ない国だった(両国は昨年秋、世界的な反イスラエル感情の強まりを受けて、大使館をテルアビブに移した)。(関連記事) (イスラエルは中南米の右派だけでなく、米中関係正常化後の台湾や、アパルトヘイト体制下の南アフリカなど、アメリカが公式にはつき合えない相手に武器などを売ることで、アメリカの外交政策の暗部を支えていた) レーガン政権は、イランに売った武器の代金をコントラに流して事件になったが、これはイスラエルがやっていたイランとコントラへの支援事業にアメリカが介入した結果、悪事とされてしまっている。レーガン政権の中枢に入った親イスラエル勢力は、イスラエルの事業をアメリカに支援させるつもりだったのだろうが、シュルツ国務長官など、政権中枢の隠れ多極主義者は、これを逆にスキャンダルに発展させることで、アメリカに対するイスラエルの影響力を弱めようとしたのではないかと推測される。 ▼「バルカン」に見る中道派とネオコンの配合 ここまで、イラン・コントラという昔の複雑な事件を、私がくどくどと説明したのは、この事件の構図や人脈が、今のブッシュ政権にも息づいているからである。イラン・コントラ事件で重要な役割を果たしたシュルツは、もう一人の隠れ多極主義者であるチェイニー副大統領と並んで、ブッシュ政権の閣僚人事を決めた黒幕である。 1998年春、当時テキサス州知事だったブッシュは、スタンフォード大学にあったシュルツの自宅を訪れ、大統領選への立候補について相談した。その場には、当時シュルツと同じくスタンフォード大学の教授をしていたコンドリーザ・ライスも呼ばれていた。共和党中枢においてシュルツの弟子であるライスは、外交に疎いブッシュの外交戦略を考える立場に就くことになり、1期目は安全保障担当の大統領補佐官、2期目は国務長官をしている。 シュルツとチェイニーは、ライスを中心に、自分たちより若い世代の、安全保障(戦争)の専門家たちでブッシュ政権の閣僚を組むことを決めた。シュルツとチェイニーの後見のもと、2000年の大統領選挙戦が始まる前の99年初め、ライスを中心に8人の安全保障の専門家が集まり、ブッシュの側近候補として外交戦略について論議した。彼らは、自分たちの集団に「バルカン」(Vulcans)という名前をつけて自称した。バルカン(ウルカヌス)は、ローマ神話に出てくる火の神で、製鉄業(鍛冶屋)と武器製造(軍事産業)の象徴であり、軍事専門家の集団名としては打ってつけだ。ライスの故郷である昔の製鉄の町アラバマ州バーミングハムに巨大なバルカン像があることから、この名前をつけたという。(関連記事) 「バルカン」の8人は、ライス、アーミテージといった中道派(現実主義者)と、ウォルフォウィッツ、パールといった強硬派(ネオコン)が混在している。バルカンの一人で、ホワイトハウスでライスの次官となったスティーブン・ハドレーは、もともとキッシンジャー、スコウクロフトといった中道派に育てられたが、パパブッシュ政権ではウォルフォウィッツの部下となって強硬派の政策を展開し、今ではネオコンの一味と見られている。 これに象徴されるように、共和党系の軍事戦略家たちを「中道派」と「ネオコン」に分類することは、解説としては人々を納得させられるものの、実はあまり意味がない。むしろシュルツやチェイニーは、ブッシュ政権の高官たちの中に中道派とネオコンをほどよく配合し、中道派とネオコンが対立しつつ政策が決定されているような構図を見せることで、マスコミや政界の人々に納得感を与えるというシナリオを最初から描いていたのではないかと感じられる。 バルカンの中でも、パパブッシュ政権でライスとともにドイツ統合を推進した中道派的なロバート・ブラックウィルや、ネオコン系で国防総省にいたドブ・ザケイムは、シュルツやチェイニーのシナリオに乗って演じることに消極的だったようで、ブッシュ政権では要職に就かず、途中で離脱している。 ▼最初から想定されていた過剰な戦争 バルカンは、ブッシュを補佐する集団として作られたが、通商政策の専門家だったロバート・ゼーリック以外の7人は、全員が安全保障、つまり外交もしくは戦争の専門家である。クリントン時代に重視された金融や財政の専門家は一人もいない。シュルツやチェイニーが考えたブッシュ政権のシナリオは、最初から「戦争」が想定されていたと考えるのが自然である。 冷戦終結から911事件まで、アメリカには敵もおらず、アメリカが戦争に巻き込まれる懸念はなかった。そんな中で、戦争を想定した戦略を採るのだから、イラク侵攻のような「先制攻撃」や「開戦事由のでっち上げ」が必要になったり、911事件のような「意図的に防御しないことで発生した大規模テロ事件」が必要になる。ベトナム戦争とイラク戦争の類似性、ニクソン、レーガン、ブッシュと連なる共和党の断続的な自滅的な隠れ多極化戦略を考えれば、イラク戦争がアメリカの惨敗と覇権失墜に終わることは、シナリオの失敗ではなく、むしろシナリオ通りの展開であると考えられる。(関連記事) 最近アメリカのマスコミでは「ブッシュ政権内で、チェイニー副大統領の権威が落ち、代わりにライス国務長官の影響力が上がっている。だからアメリカは北朝鮮に譲歩したり、中東和平を進めたがったりしているのだ」といった「解説記事」をよく目にする。だが、政権発足以来の経緯から考えて、ライスがチェイニーに本気で反逆するはずがない。チェイニーは、シナリオの設定者であるとともに、政権に入ってネオコンの親分として振る舞うという「監督兼役者」をやっている。 ライスがチェイニーを凌駕する場面は「米英イスラエル中心主義の強硬派がやり放題にやって失敗し、救済策として、多極主義的な政策をやらざるを得なくなる」という、ニクソン、レーガン以来の共和党の隠れ多極主義の伝統的なシナリオである。 ▼繰り返されるイラン・コントラ イラン・コントラ事件とブッシュ政権との関係は、もう一つある。それはチェイニー副大統領が、イラン・コントラ事件で起訴されたりマスコミで悪者扱いされた元高官たちを、次々とブッシュ政権の高官として返り咲かせ、しかもかつてのイラン・コントラ事件と本質的に同じ秘密作戦を、イスラエルを巻き込んで展開していることである。チェイニーは2年前、イラン・コントラ事件に関与した元高官ばかりを集めて私的な会合を開き、それ以来、元高官たちに中東でイラン・コントラ型の軍事作戦を展開させている。(関連記事) イラン・コントラ事件に関与した元高官で、ブッシュ政権の高官となったのは、ジョン・ネグロポンテ、エリオット・アブラムス、オットー・ライヒ、ジョン・ポインデクスターといった人々である。(関連記事) 最も高位なのはネグロポンテで、ブッシュ政権の国連大使、駐イラク大使、初代の国家情報長官を歴任した後、今は国務副長官をしている。彼はレーガン政権でホンジュラス大使をしており、イラン・コントラ事件の構図の中で、隣国ニカラグアの左派政権の打倒を目指す右派ゲリラ「コントラ」を支援するホンジュラス政府に軍事援助する役目を果たしていた。(関連記事) 次に高位なのはエリオット・アブラムスで、現在は安全保障担当大統領副顧問(Deputy National Security Advisor)として、ブッシュ政権の「世界強制民主化戦略」を担当している。彼はレーガン政権で、人権担当と中南米担当の国務次官補を歴任し、エルサルバドルやニカラグアで虐殺などの人権侵害が行われていることを隠すための「人権担当」だった。彼はイラン・コントラ事件の発覚で起訴されそうになったが、司法取引を許されて免罪された。(関連記事) ネグロポンテとアブラムスはブッシュ政権内で、イラン・コントラ型の2種類の別々の戦略を担当した。それはいずれも「スンニ派とシーア派、イスラム教徒の穏健派と過激派を殺し合わせる内戦状態を作り、反米過激派を一掃する」というもので「地元の右翼ゲリラに軍事訓練を施し、その国の左翼政権を倒す」という、かつてのコントラ支援の延長である。ネグロポンテの戦略は彼が駐イラク大使だった2004年から05年にかけてイラクで展開され、アブラムスの戦略は現在、レバノンとパレスチナで展開されている。(関連記事) ▼イラクのアルカイダは米軍に支援されている ネグロポンテの戦略は、かつて中米のエルサルバドルで似たような作戦が行われたという意味で「サルバドル・オプション」(Salvador Option)と呼ばれ、米軍の顧問団がイラクのシーア派とクルド人の民兵を訓練し、スンニ派のゲリラとゲリラ支持者の一般市民を殺害させることで、最も反米だったスンニ派ゲリラの弱体化を図った。(関連記事) イラクでは、ネグロポンテの部下として、かつてエルサルバドルで右派ゲリラを訓練して左派殺害を指揮した米軍のジェームス・スティール(James Steele)という将校がつき、彼がイラクのゲリラ訓練を指揮した。04年以来、バグダッドではゲリラに殺される一般市民が急増したが、それがこの作戦の「成果」だった。(関連記事) ネグロポンテは、すでにこの任務を終えて国務省に移ったが、その後もイラクでは、この作戦が続けられている。ブッシュ政権は最近、イラクでの敗北を予測し、米軍をイラクから撤退させる出口戦略を練っているが、そこで有力になっているのが「サルバドール・オプションを再強化してシーア派ゲリラを訓練し、スンニ派を内戦させて均衡させ、その間に米軍が撤退する」という戦略である。(関連記事) この戦略に基づき、米軍はシーア派のゲリラを訓練しているが、シーア派ゲリラの多くは、背後に反米のサドル師がおり、彼らを訓練することは、米軍が撤退した後のシーア派中心のイラクがサドルの影響下で反米・親イランの国になっていくことを意味する。ネグロポンテは、自滅的な隠れ多極化戦略に貢献している。 また最近、イラクの新聞で明らかにされたことは、米軍はシーア派ばかりでなくスンニ派のゲリラをも秘密裏に支援しており、イラクで「アルカイダ」と呼ばれているスンニ派ゲリラ勢力の中には、実は米軍やCIAに支援されて動いている組織が多いことだ。(関連記事) 米軍が撤退したら、アルカイダは後ろ盾を失い、スンニ派の旧バース党系勢力によって駆逐され、雲散霧消するだろうから、スンニ派とシーア派の内戦はおさまる方向になると私は予測している。世界の内戦の中には、米英など外部勢力の介入がなくなると解決してしまうものが多く、中南米の右派と左派の内戦も、イラン・コントラ事件後、おさまっている。 ▼イラクの石油密輸をゲリラに奨励する米軍 もう一人のイラン・コントラ系高官であるアブラムスは、レバノンの親米政府の国軍に武器支援して、反米ゲリラのヒズボラと戦わせる戦略と、パレスチナの親米的な政党ファタハに武器支援して、反米ゲリラのハマスと戦わせる戦略を、昨年から、同時並行的に進めている。(関連記事) アブラムスのパレスチナでのファタハテコ入れ作戦は、イスラエルやエジプト、ヨルダンなど周辺国の協力を得て行われているが、周辺国はいずれもこの作戦に強く懸念を表明している。ハマスと戦わせるつもりでファタハに武器を供給しても、結局はファタハとハマスは談合してイスラエルを攻撃するようになり、パレスチナ人が力をつけたら、エジプトのイスラム同胞団やヨルダンのイスラム主義者などの反政府勢力とつながり、エジプトやヨルダンの政権転覆を目論みかねないからである。(関連記事) これらの武器支援の財源は、イラクから周辺国への石油の密輸代金であると指摘されている。以前から、イラクの石油は反米ゲリラによって密輸出され、ゲリラの資金源になっており、米軍が頑張って取り締まっても、密輸はなかなかなくならないと指摘されていた。実は、石油の密輸代金は、ネグロポンテやアブラムスの秘密作戦の財源になっていたわけで、下っ端の兵士がいくら石油の密輸を取り締まっても、その上司がゲリラに密輸させていたのだから、密輸がなくなるわけがない。(関連記事) また、アメリカからサウジアラビアに支払われた石油代金の一部が、国防総省やCIA傘下の組織に還流し、秘密財源に使われているとも指摘されているが、この構図もイラン・コントラ事件の中にあったものだ。ニューヨークの投機筋による石油価格つり上げでサウジは儲けているのだから、その収入の一部を投機筋の仲間であるアメリカ政府に流すことは、サウジにとって損にならず、米高官から頼まれれば嫌とはいえない。 かつてアメリカがイラン・コントラ方式で中南米の右派ゲリラを強化して内戦を扇動したことは、その後中南米の人々に反米感情を抱かせ、ベネズエラのチャベスに代表される反米ポピュリストの指導者が中南米諸国を席巻し、アメリカの影響力を減退させる結果を生んでいる。それと同様に、チェイニーが中東で展開しているイラン・コントラ方式の結果、アメリカは中東での覇権も失いつつある。イスラエルは、巻き添え的な滅亡か、もしくはアラブ側に大譲歩するかという二者択一を迫られている。 ▼ブッシュ政権でもいずれ起きるドル下落 ニクソン政権、レーガン政権、ブッシュ政権という3つの共和党政権は、いずれも隠れ多極主義を内包していた。キッシンジャーからシュルツ、チェイニー、ライス、ネオコンへの人脈的な流れを見ると、3つの政権の繰り返しは偶然の産物ではなく、自然な展開に見えるように巧妙に設定されたシナリオに沿った政権運営の結果である。シナリオは細部まで決めているとは思えないが、ハードランディングとソフトランディングなど、いくつものシナリオが用意され、途中でシナリオの変更もあると推測される。柔軟なシナリオ展開を行うのが、キッシンジャー以来の「現実主義者」のやり方である。 3つの政権は、財政面でも自滅的な戦略を展開し、その結果、ニクソン政権では金本位制の崩壊という1971年の「ニクソン・ショック」が起こり、レーガン政権ではドル安・円マルク高を決めた1985年の「プラザ合意」を行っている。ブッシュ政権でも、いずれドルの大幅下落があると予測され、IMFは以前から何回も「世界各国、特に今後の世界経済の牽引役となりそうな東アジアや中東産油国は、地域の通貨統合などによってドル急落に備えねばならない」と表明し、最近もその表明を繰り返している。(関連記事その1、その2)
●関連記事田中宇の国際ニュース解説・メインページへ |