ペルーはどうなっているか
リマ日本大使公邸占拠事件の関連解説集

気になる軍の動向−事件の黒幕は誰か?(96.12.19)
試論・フジモリ大統領の光と陰(96.12.24)
占拠事件を機に合法化ねらうツパックアマル(96.12.28)
ゲリラの背後にアメリカ人?(96.12.28)

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気になるペルー軍の動向−−事件の黒幕は誰か?

(96.12.19)

 フジモリ大統領は最近、ペルー国軍と不仲になつていると伝えられている。ゲリラが襲撃してきた際、日本大使公邸にいて、その後ゲリラの声明文を持って釈放されたフィナンシャルタイムス(FT)の記者(BBC記者も兼務しているという)、サリー・ボーエン女史が、事件発生の2週間前、12月3日にFTに書いた記事にそのことが載っていた。
 それによると、フジモリ大統領は11月末、退役したロドルフォ・ロブレス元将軍を逮捕するよう、軍に対し命令し、実行させた。ロブレス元将軍は最近、フジモリ大統領を批判する言動を繰り返しており、そのことが逮捕の原因だったとされる。ロブレス元将軍は軍の内外から尊敬を集めていた存在で、彼の逮捕は軍内だけでなく、国内や海外からも、言論弾圧の人権侵害だとして批判を集めた。
 この事件は、独裁的な国が多い中南米各国の中でもとりわけ一国の権力を最も多く一人で握っているいわれるフジモリ氏が、大統領3選達成に向けて、軍に対して優勢に立とうとした動きだとみられている。

 フジモリ大統領は90年に就任したが、92年には伝統的な保守派勢力がテロリストを弾圧するための新法や国営企業の民営化を進める経済政策に反対してクーデターを起こした。フジモリ氏はこれに対して国会や最高裁判所に戦車を派遣してこれを撃退したが、こうした強硬姿勢が内外の批判を受けたため、やむなく93年に総選挙を実施。結果はフジモリ氏が64%の得票を集めて圧勝した。同時に国会の多数派もフジモリ派が過半数の議席を占める結果となった。
 それと前後して、左翼ゲリラ「センデロ・ルミノソ」の親玉を逮捕することに成功し、スペインからの独立以来、相互に対立しつつ2大勢力となっていた左右両方の勢力を駆逐してしまった。それが、フジモリ氏が中南米で最も多くの権力を一人で握るに至った背景である。

 こうした中、フジモリ氏にとって最後の対立勢力となりうるのが、ペルー国軍である。
 フジモリ氏は今年8月、かつて自らが作り、大統領の3選を事実上禁止していたペルーの憲法に「新解釈」を与え、3選を可能にする新法を議会で通した。そのあたりから、軍はフジモリ氏の「一人独裁」に懸念を持ち始めたようだ。
 自衛隊しかない日本では想像しにくいが、中南米各国では(そしてアジア、アフリカの多くの国々でも)軍隊は隠然とした最高権力としての力を持っており、普段はあまり表に出てこないが、有事の際には超法規的な決定をおこなう存在である。(南隣のチリでは、それがはっきりと表れている)
 そのような構造からすると、今回の襲撃占領事件に対して、軍がどんな態度をとっているのか、興味が湧いてくる。(日本のマスコミでは報道されていないようだが)

 もしかして、反フジモリの色彩を強める軍が、フジモリ氏を仇敵としている壊滅寸前のゲリラグループに対して、何らかの働きかけ、そそのかし、または黙認や見て見ぬふりを行い、その結果今回の事件が起きたとしたらどうだろう。
相互不信が渦巻く中で起きた緊急事態に、フジモリ大統領は当然、ゲリラグループMRTAがどんな経緯で犯行に及んだのか、大体の察しはついているはずだ。だからこそ彼は今のところ沈黙を続けている。
 するとこの戦いは、「ゲリラ対フジモリ+日本」ではなくなる。敵は本能寺にあり、というわけだ。ゲリラが非常に周到に今回の襲撃を準備したことが明らかになってきたが、リーダーが逮捕され、総勢200人しかいなくなってしまった壊滅寸前の地下組織にどうしてそんなことができたのだろう。疑問は尽きない。

 日本政府は当然、フジモリ氏に対し、状況がどうなっているのか教えてほしい、と言い続けている。だが、背後にペルーの国権をめぐる暗闘を抱えているとしたら、フジモリ氏は日本政府にどこまで説明するだろうか。
そして、情報不足の中で日本のマスコミは「外務省、何やってんだ!」とお決まりの内向的な攻撃を繰り返す・・・。
 いやいや、危険かつ勝手な推測は、このくらいにしておいた方がいいだろう。


試論・フジモリ大統領の光と陰

(96.12.24)

 ペルーのフジモリ大統領は、シンガポールのリー・クアンユー元首相や、マレーシアのマハティール首相のような存在になることを目指しているといわれる。つまり、ワンマン権力者と批判されながらも、外資導入などの積極的な経済政策により、社会を貧しさから解放し、国民の豊かな生活を実現する「アジア型」指導者を目指してきた。それには、アジアの両首相がとった政策と同様、ゲリラや反体制の人々をせん滅して治安を維持するとともに、麻薬の生産販売などの腐敗や汚職をなくす必要があった。

 そしてこれまで、その試みは成功を遂げてきた。フジモリ大統領が就任した1990年当時は激しいインフレと失業、経済の低迷や爆破テロに悩まされていたペルーは、94−95年には年率13%と、世界最高の経済成長を遂げるに至った。だが、その成果は最近、かげりを見せはじめている。経済成長率は今年、2%を割り込むと予想され、一時は減った失業率も、経済自由化が進むにつれて増えるきざしが見えてきた。昨年は80%近かった大統領の支持率は、今や40%台に下がっている。

 フジモリ氏がマハティールやリークァンユーになれない理由はいくつかある。その一つは、フジモリ氏がペルーの人々の大多数を占めるインディオ系の人ではないということだ。それは彼の責任ではなく、ペルーを含む中南米社会が、スペインの侵略以来抱えてきた構造的な問題である。
 その意味では、「ペルーのマハティール」は、トゥパク・アマルの末裔の中から出てこなければならない。といっても、大使公邸に押し入ったゲリラ本人たちのことではない。ゲリラ組織が名前をあやかった歴史的な人物のことである。

 トゥパク・アマルは歴史上、2人いた。最初のアマルは16世紀のインカ帝国最後の王様で、彼はスペイン侵略軍のピサロの陰謀に引っ掛かって帝国の滅亡を許しつつも、最後にはスペインに対して叛旗をひるがえし、捕らえられて殺されてしまった。次のアマル2世は18世紀、中南米各国が次々とスペインから独立する中で、ペルーでスペインに敵対する反乱を組織したインディオである。本名は別にあるのだが、最初のアマルにあやかってトゥパク・アマルを名乗った。だが彼もまた、アマル1世と同様、スペインに鎮圧され、処刑されてしまう。ペルーの独立はその後、アルゼンチンとコロンビアからやってきた軍隊に助けられて達成された。

 歴史的にみると、ペルーのネイティブの人々は、自分ではなかなか思った通りのことを組織的に実現できないのかもしれない。独立後も、ペルーの支配層はスペイン系の人々が中心だった。中南米は貧乏人の子供でも努力と運によって社会的にのし上がっていくことが可能な社会である。日本ではなかなか豊かになれないため、新天地ペルーを求めていった日系人集団の子供であるフジモリ氏が大統領になれたこと自体、のし上がり可能なシステムが機能していることを表している。だが、ペルー国民の54%を占めるインディオと、32%を占めるインディオとスペイン系の混血(メスチソと呼ばれる人々)のほとんどは、今も貧しい生活をしている。この合計86%の中から大統領が出てこないと、ペルーはマレーシアにはなれないのではないか。

 フジモリ氏は最近まで、大統領補佐官をつとめるハイメ・ヨシヤマ氏を、自分の後継者として考えていたとされる。ヨシヤマ氏も日系人であることからすると、フジモリ氏はスペイン系の旧支配層から権力を奪った後、日系人が支配する国を作ろうとしているのかも知れない。とはいえ、ヨシヤマ氏はフジモリ氏の強権的な手法に批判的な態度をとり始めたため、今年に入って解任されてしまった。

 それと前後して、大統領スタッフの一人だったフジモリ氏の兄弟のサンチアゴ・フジモリ氏も同じ理由で解任された。さらには、夫の権威主義を批判した大統領の妻のスサーナ・ヒグチさんは、夫から離婚されてしまった。フジモリ氏はテレビ映りはソフトだが、実はかなり独善的な権力者になっているようである。こうしたことが、ゲリラのシンパだとして誤認逮捕された人々がたくさんいることとあわせ、国民の支持率を下げる原因となっている。

 また、彼は大臣をころころ入れ替えることでも知られており、たとえばペルーの文部大臣はこの5年間に8人も交代している。彼は国家の重要な情報を詰め込んだ東芝のラップトップパソコン「T4400」を持ち歩き、それを参考にしながら一人で政策決定をしているという。「大統領は大臣よりパソコンを信頼している」というのが、リマの辛口評論家の声だそうだ。

 そもそも、ペルーを含む中南米と、東アジア(東南アジア含む)にかけての地域の大きな違いは、東アジアでは今やどの国も国民の大多数がある程度の一体感を持ちはじめており、華僑とネイティブの相克などはありつつも、「国民国家」に近いものができつつある一方で、中南米では依然として、大多数のネイティブ系の人々は国家の動きからほとんど阻害されており、それらの人々は政権にとってはほとんど透明人間であるということだ。中南米では、スペインが攻めてきてから500年近く、社会構造が変化していないともいえる。(こうした見方はアジアへの幻想と中南米への偏見が強すぎるかも知れないが)
 この社会的な厳しい上下格差をなくそうと、左翼ゲリラが跋扈していたのだが、彼らもまた、事態を良い方向にもっていくことはできなかった。


占拠事件を機に合法化ねらうツパック・アマル

(96.12.28)

 日本のマスコミでも報じられていると思うが、リマの日本大使公邸を占拠したツパック・アマル(MRTA)は、今回の事件で内外での知名度が急上昇したことを機に、人質解放の最終条件として、自分たちの組織を合法化することを、フジモリ大統領に認めさせようとしているのではないか、との見方が、ペルーの専門家の間で出ている。
 ペルー料理レストランに嫌がらせの電話がかかるような内向的な社会である日本国内の常識からすると、テロを起こした悪いやつらに大手を振って歩かせるなど、とんでもないと思う人が多いだろうが、ゲリラを合法化することによってテロ問題を解決しようとするやり方は最近、世界のあちこちで行われている。

 中南米では最近、グアテマラとエルサルバドルがゲリラと和平合意を結んでいる(グアテマラ大使が大使公邸から解放されたのは、グアテマラで政府とゲリラが最終合意に調印したためだったのは、ご存知の通り)。また、フィリピンではミンダナオ島のイスラムゲリラ組織の指導者が、ラモス大統領の工作により、政治家として表舞台に立つことになった。

フィリピンは400年の宗教戦争を解消できるか 96/08/02参照。

 中南米では、1980年にコロンビアの首都ボゴタで、M19というゲリラ組織が、独立記念祝賀会を開催中のドミニカ共和国大使館を襲撃し、外交官ら50人を人質にして占拠した。事件は2ヶ月後、人質全員が解放され、ゲリラは身代金を受け取ってキューバに亡命して終わった。この時のM19のリーダーだったローゼンバーク・パボン氏はその後許されてコロンビアに戻り、今では大学教授をしている。ツパック・アマルのリーダーも、同じ道を歩むことを夢見ているのかもしれない。だが、フジモリ大統領の強硬さはかなりのもので、その夢が実現する可能性はコロンビアの時より少ないとみていいだろう。


ゲリラの背後にアメリカ人?

(96.12.28)

 以前、ゲリラの背後にはペルー国軍がいるのではないか、と書いたが、その舌の根も乾かぬうちに、今度は別の陰謀説を紹介する。
 ツパック・アマルはこれまで、リマのピザハットやケンタッキー・フライドチキンなどに爆弾を仕掛け、脅迫電話をかけて客を追い出した後に爆破したことがある。リマにあるケネディ元米大統領の胸像を爆破したこともあるなど、アメリカを敵の象徴とみなす示威行動をしてきた。そして、今年に入って、ツパック・アマルのメンバーだとみなされて逮捕された人の中には、ニューヨーク出身のアメリカ人女性が含まれていた。

 そこから導き出される推論は、日本にかつてあった「反日武装戦線」型の、母国の政治社会を嫌うアメリカ人たちがメンバーや資金供給者、シンパとして加わっているのではないか、ということである。

 ツパック・アマルは、貧困者への資金提供をするなど、大塩平八郎=ロビンフッド型の活動もしてきた。だが、リマの貧困層はおおむね、ゲリラの暴力を嫌っている。中産階級の知識人の中には、フジモリ大統領の強圧的なやり方を嫌う人もおり、そうした人々はツパック・アマルの今回の行動をある程度容認している。だが、そういった考えを持っている人は多数派ではなく、10年以上続いてきたテロ暴力は、もうたくさんだと考えているペルー国民が多いようだ。
(12月26日付、ウォールストリート・ジャーナル、ニューヨークタイムス、ワシントンポスト参考)

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