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★ 感銘を受けた言葉           
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              (2000年1月10日)

▽「ここでやめて下さい」

東京港区西麻布に「カピトリーノ」という老舗のイタリアンレストラン(トラ
ットリア)がある。26席のこじんまりとした居心地の良い店である。オーナ
ーシェフの吉川敏明さんは、この店でローマの家庭料理を忠実に守り、お客様
に供している。彼はこの業界では非常に有名な人で、多くの料理本も書いてい
る。

数年前に、吉川さんが若手料理人を集めて、ローマ家庭料理の講習会を催した
時の話である。受講者に指導しながら料理を作り、ある段階まで来たところで
「皆さん、ここでやめて下さい。これで家庭料理の出来上がりです」と言った。
更に「この後、この料理にこのように手を加えると、もっと美味しくなります
が、それは家庭料理では無くなってしまいます。ですからここでやめて下さい」
と続けた。

吉川さんはイタリア家庭料理の伝統を守るために、もっと美味しくなる方法を
知りながら、敢えてそれ以上、手を加えないのである。僕は、料理人とは「常
により美味しい料理を追求している人たち」だと思っていたので、この話を聞
いてとても驚いてしまった。伝統の味を継承し、伝えていくことを使命として、
自分の店でも同じ考え方で料理を供し続けている吉川さんの勇気に、感動を覚
えずにはいられなかった。

カピトリーノの料理はとても美味しい。これ以上、手を加える必要などまるで
無いほどである。料理のメニューは肉料理が主体で、内蔵料理もとても美味し
い。以前に食べたディチェコのパスタ(フェデリーニ)と輸入もののトマトホ
ール缶を使用したポモドーロが出色の美味しさだった。どこにでもある材料を
使って、どこにも負けない味に仕上げる吉川さんを、イタリア料理の魔術師と
呼ぶことにしよう。

▽「100人が全員おいしいとは言わない味だからじゃないですか?」

秋元康氏の「どいつもこいつも」というエッセイ(サンデー毎日連載:12月
5日号)を読んだ。秋元氏が、三重県の志摩観光ホテルで食した名物料理「伊
勢海老のスープ」のあまりの美味しさに愕然とし、思わずシェフに「どうして
こんなに美味しいんですか?」と尋ねたところ、「100人が全員おいしいと
は言わない味だからじゃないですか?」という言葉が返って来たそうだ。

秋元氏はこの言葉を、「100人全員が美味しいと感じたら、その料理は平均
である。100人のうちの何人かが熱狂的に支持してくれてこそ、突出した味
になるというわけである。料理は八方美人ではだめなのだ」と説明していた。

なるほど、一部の熱狂的な支持を得てカリスマ的存在のスープとなり、それに
よって次第にファンが増えていくというわけか。このスープを美味しく味わえ
る人は、シェフの意図した味が理解できる、ある種「選ばれた人間」としての
喜びも同時に味わえるのかもしれない。僕もこのカリスマスープに自分の味覚
を試されてみたいものだ。

余談だが、「カリスマ的存在のスープ」と書くと、凄いスープだなと感じるの
だが、「カリスマスープ」と書いてしまうと、途端にカリスマ性を失った響き
になってしまうのがとても悲しい。カリスマという言葉が流行して、もはやカ
リスマはカリスマではなくなってしまったのか?

▽「良いサービスはお客様が引き出すものでもあるのです」

これは10数年前に、某有名レストランのソムリエの方が語った言葉である。
この当時、僕はサービスマンという立場にあって、少々悩みを抱えていた。そ
れは「態度の悪い嫌なお客様に対しても、良いお客様と同様に対応しなければ
ならないのか。嫌なお客様を嫌だと思ってはならないのか」というものだった。
日本には昔から「お客様は神様」という考え方があり、お客様側も「金を払っ
てるんだから客は偉いんだ」と思っている方も少なからずいる。

「おい」とか「おまえ」とか呼ばれたり、声もかけずに急に腕をつかまれたり
したら、あまり良い気はしない。こちらに手落ちがあったのなら別だが、お客
様のストレス発散の標的にされるのは本意ではない。それでも相手の方を分け
隔てせずにサービスするように努めていたのだが、どうしても割り切れない気
持が残ってしまう。「嫌なお客様には、良いお客様と同じようなサービスは出
来ない」という本能が、時々心を過ぎるのである。こんなことではサービスマ
ンとして失格なのではないか、自分にはこの仕事は向いていないのではないか
と、いつも悩んでいた。

そんな状態がしばらく続いた後に、「良いサービスはお客様が引き出すもので
もある」という言葉を料理雑誌で目にしたとき、何か胸のつかえがスーッとと
れたような気がした。

このソムリエの方は、「サービスをわかっているお客様は、上手にこちらをノ
セて下さいますね。するとこちらもその方にもっと良いサービスをしたくなっ
てしまいます。その結果、お客様はより快適なひとときを過ごすことが出来る
わけです。より高度なサービスを引き出すお客様には敬服してしまいます。ご
自身が楽しむための、とても素晴らしい利用法だと思います」と言っておられ
た。

僕はこれを読んで、「なるほど。良いお客様に良いサービスがしたくなるのだ
から、嫌なお客様に嫌な感情を持っても、それは人間なのだから仕方がないの
だ。素晴らしいお客様には惜しみない良質のサービスをしよう。嫌なお客様に
は、ある程度「それなり」のサービスになってしまうが、「それなり」のレベ
ルが高ければ良いのだ。良質のサービスに限りなく近づける努力をしよう」と
考えるようになった。

▽「お前様に貴様と呼ばれる筋合いはございません」

これは数年前に放送された三谷幸喜脚本のテレビドラマ「王様のレストラン」
の劇中のセリフである。

客の選んだワインをソムリエが「この料理にはお客様がお選びになったワイン
よりこちらのワインの方が絶対に合います」と強引に勧めて悶着し、客が怒り
出した。「貴様はオレが選んだワインを持ってくればいいんだ!」 この状況
を見かねた松本幸四郎扮する給仕長が場を収めに現れる。

「お客様、当方のソムリエが少々強引にワインをお勧めしてしまったことを謹
んでお詫び申し上げます。しかし我々は、あなた様を王様として、そこに仕え
ている家来ではございません。ですからお前様に貴様と呼ばれる筋合いはござ
いません! どうぞお引き取りを!」 

このセリフを聞いて、スカッと爽快気分になった。正直言って「1度こんなこ
とが言ってみた〜い!」と思った。非現実的なこと甚だしいのだが、少々憧れ
てしまった。極めて危険な思想である。

僕も以前、あまりにも態度の悪いお客様に業を煮やし、その方のお連れ様が汚
しまくったトイレを掃除させたことがあるのだが・・・それはまた別の話。
(このセリフで「王様のレストラン」は毎回終了するのであった)


【番外編(逆バージョン)】

▽「ええ、お客によって差別しますよ」

この歯に衣着せぬ言葉をさらりと言いのけてしまうのは、青山のイタリアンレ
ストラン「リストランテ・ヒロ」の超有名オーナーシェフ、山田宏巳さんであ
る。これを読んで、僕は思わず吹き出してしまった。そして「そんな誤解を招
くようなことを言い切っちゃ、一般の方々に誤解されちゃうよ」と心配してし
まった。

山田シェフの言いたかったことは、「知人や美味しいものを知っているお客様
には、材料の中から特に良いものを選んで、より一生懸命作った料理をお出し
しますよ。だって僕の作った料理の本意をわかってもらえる可能性が高いです
からね。それに知人は大切におもてなししたいですから。それが僕の言う差別
です。決して一般のお客様をないがしろにしているという意味では無いですよ」
ということだと思う。いや、そう思いたい。

数年前に1度、この店を訪れたことがあるのだが、サービススタッフの無愛想
で無骨な給仕に辟易し、「2度と来るか!」と激憤したことがあった。料理は
確かに優れていたが、レストランは料理と給仕のどちらも優れていてこそ初め
て賞賛に値するのである。山田シェフの差別観を他のスタッフが履き違えてい
るのか、はたまた全うしているのか・・・少々気になるところである<END>