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★ 平気で嘘をつく男たち(2) ピアニストを撃て 
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望月とは僕の行きつけのBARで出会った。顔なじみのバーテンダーが僕が趣味でD
TM(デスクトップミュージック)をやっているのを知っていて、それでたまたま隣
に座っていた望月を僕に紹介したのだ。

望月は業界中堅のK楽器に勤める27歳の営業マンだった。でっぷりとよく肥った体
に、髪は七三カットがそのまま延びたような長髪で、大きな黒縁眼鏡をかけている。
見た目は「その後のゲームオタク」といった風貌で、あまりぱっとした印象ではなか
った。おまけに少々汗と脂の混じったような臭いが鼻を突く。

仕事以外の場所ではあまり社交的になれない僕は、何で望月をオレに紹介するんだよ
とバーテンダーを恨めしく思ったのだが、あいにくその日は店内が混み合っていて、
バーテンダーが渡りに船とばかりに僕に助けを求めたようにも見えた。

バーテンダーに小声で「まったく、しょうがないなあ」と伝えると、「ほら、鳴海さ
ん、ドラムマシーンが欲しいって言ってたじゃないですか。望月さんに頼めばきっと
すごく安く手に入りますよ」と忙しさに慌てふためきながら懸命にフォローしている。
隣から望月がにこやかに「ええ、どのメーカーの音楽機材でも、どこよりもお安く出
来ますよ」と自信たっぷりに答えた。「えっ、ほんと?」 その一言で僕の心を掴む
には十分だった。我ながら現金で嫌になる瞬間である。

しばらくの間、望月と音楽機材の話も織り込んで音楽談義を交わしたのだが、彼の明
るさ、人なつっこさが果たして本物なのか、作り込んだものなのかを図りかね、なか
なか彼を素直に受け入れることが出来なかった。簡単に言えば「ちょっと怪しい」感
じの男だった。しかし、いずれにしてもドラムマシーンが安く手に入ればよいのだと
半ば割り切って、この場を意味のあるものにしようと努めることにした。

望月はそのうち酔いも手伝って、「鳴海さ〜ん、いいじゃないですか。ドラムマシー
ン、僕から買って下さいよお」と猫撫で声を出し始めた。それが少し気色悪かったの
で「僕はとにかく一番安いところから買います。ちなみに◯◯楽器では◯万円でした」
と金額を提示した。「ええっ?そんなに安いんですかあ。まいったなあ。う〜ん、じ
ゃ、わかりましたよ、わかりましたよ。それと同じ値段で結構です。それでいいです
ね」と言うので、「あの、同じ値段だったら馴染みの楽器屋で買うことにします」と
断ってしまった。

その後、望月は時々当店にも飲みに来るようになった。彼は相変わらず明るく振る舞
っているのだが、いつまでたっても「ちょっと怪しい」印象を拭い去ることができな
い。当店のバーテンダーも「望月さんって、何か怪しいっすね」と同様の印象を持っ
ていた。バーテンダーの勘は意外と鋭いのだ。

彼の話にはいつも嘘が含まれているような気がした。あの時自分は◯◯だったという
誰も知り得ない話の中で、彼はいつも美味しいポジションをキープしていた。本当か
なと疑ってみても真相は闇の中である。彼をよく知る友達にでも聞いてみなければ真
実はわからない。しかしというか、やはりというか、彼はいつも1人で当店にやって
来ては、そこはかとなく自慢話を披露するのだった。

いくら接客も仕事とはいえ信用できない人にベッタリと張り付いて接客する気にはな
らない。そのうちきっと嘘を暴いてやるぞという気構えで、望月の接客を繰り返して
いた。

ある日、いつものように調子に乗って自慢話をする望月が、かつて通っていたという
音大時代の話を始めた。

「僕はね、M音大のピアノ科を出てるんですけど、自分で言うのもなんですが、かな
り優秀な生徒だったんですよ。毎年、学内でトップクラスの成績の学生を集めてコン
テストを行うんですが、そこで優勝したこともあります。今は腱鞘炎になってし
まって弾けないんですけどね、当時の僕はかなり話題になったんですよ、はっはっは
っ」

う〜〜っ、おまえがそんなことになるわけないだろ。大体、今は弾けないって言って
るやつに限って腱鞘炎を持ち出すんだよ。ぐやじ〜〜っ、証拠が欲しい〜〜。

そんな僕の心中などお構いなしに、望月は更に話を続けた。

「コンテストの優勝者は学校のスタジオで演奏を録音して保存するんですよ。僕もも
ちろん録音しましてね。たぶん今でも演奏したテープが学校に保管してあると思いま
すよ」

「へ〜っ、それは凄いじゃないですか。で、曲目は何を演奏されたんですか」

「ベートーベンの3大ソナタです。3曲とも録音しました。はっきり言って、あの頃
の僕の演奏はその辺のプロよりも優れていたと思いますよ。教授たちも絶賛していま
したからね」

「望月さんは凄い人だったんですね。いやあ参りました。僕もその時の演奏をぜひ聴
いてみたいなあ。望月さんもその時の演奏のテープをお持ちなんでしょ。ぜひ聴かせ
て下さいよ。お願いしますよ」

「ええ、演奏したテープは持ってます。いやあお聴かせするようなものじゃありませ
んけど、わかりました。今度来るときに持ってきます。なんか恥ずかしいなあ、はっ
はっはっ」

ああ、この嘘話もこれで終わりか。テープなんか持ってくるわけないし。それにして
も今日の嘘話はまた大きく出たなあ。

数日後、望月がやって来て「はいこれ」と言って僕にテープを手渡した。まさか本当
に持ってくるとは夢にも思っていなかったので、最初「何ですか、これは」とボケて
しまった。「いやだなあ、この間持ってくると約束した、僕が演奏したテープですよ」
と言われて心底驚いた。

仕事が終わると一目散に家に帰り、すぐさまテープをカセットデッキに押し込み再生
した。数秒の無音状態の後、ベートーベン・ソナタ14番「月光」第1楽章がスピー
カーから静かに流れ出した。メロディ部分の高音パートがとても優しく心地良く響く。
すぐさま僕はこの演奏に釘付けになった。とても厳かな優れた演奏である。

続く第2楽章アレグレットは軽やかで落ち着いた、これも全く文句のない素晴らしい
演奏だった。問題は第3楽章である。この楽章は早いパッセージの連続でとても激し
い曲なのだ。望月はこの曲でも鍵盤を縦横無尽に駆け巡り、淀みない素晴らしい演奏
を繰り広げた。

約16分間の演奏が終了し「完璧だ・・・」と僕は射抜かれた気分になり、そして悟
った。「これはヤツの演奏じゃない」

そこで、僕が持っているウラジミール・アシュケナージ演奏のピアノソナタ「月光」
のCDを聴いてみることにした。アシュケナージの演奏は望月のテープの演奏と酷似
していた。というより瓜二つだった。僕は望月のテープとアシュケナージのCDの曲
頭を合わせて同時に再生し、プリアンプのスイッチを切り替えながら2つの演奏を交
互に聴き比べてみた。果たして、この2曲は楽章の変わり目の無音状態部分に至るま
で全てに同期し、1秒の狂いもなく同時に演奏を終えた。

約1週間後、何も知らない望月が店にやって来た。

「望月さん、先日のテープを聴かせてもらいましたよ。何ですかあれは。ものすごく
素晴らしい演奏じゃないですか。僕は感動しちゃいましたよ!」

「いえいえ、そんな、恐縮です」 彼はにこにこしながらも、勝ち誇ったような表情
を見せている。

「凄すぎて信じられないくらいですよ。もしかしてプロの演奏のテープを間違えて持
ってきたんじゃないんですか?」

「いえいえ、やだなあ、あれは確かに僕の演奏です。ホントですよ、もう、信じて下
さいよぉ、はっはっはっ」

「またあ、ホントですか? ちょっと確認してみて下さいよ」と言ってウォークマン
に望月のテープを入れて彼に聴かせた。

「鳴海さんはホント疑り深いなあ(笑)間違いありません。確かに僕の演奏です」

「そうですか・・・ 望月さんのテープに入っている演奏があまりに凄かったので、
うちにあった3大ソナタのCDと聴き比べてみたんですよ。79年のアシュケナージ
の演奏なんですがね。するとこの2曲は実にそっくりだったんですよ、何から何まで
ね。同時にかけてスイッチングしてみたんですが、寸分の狂いもありませんでしたよ。
同じ演奏家が弾いてもこうはいかないでしょうね、望月さん」

望月はうつむき加減で小刻みに震え始めた。「いや、そんな、あれは、僕の、僕が、
演奏したもの、確かに、僕の」

「いいえ、違います。このテープに入っているのはアシュケナージの演奏です。もし
かして望月さんはこのテープの演奏が、本当に自分が弾いたものだと思っているんで
すか」

「そう、そうです、だって、だって、テープを受け取った時に、僕が、弾いた、テー
プだって、そう、言われて、だから、ずっと、そうだと、思って、思って」

僕は呆れて、ため息をついた。

「望月さん。もしあなたが本当に3大ソナタが弾けるなら、このテープの演奏と自分
の演奏の違いが誰よりも一番よくわかるのは、望月さん、他ならぬあなたではないで
すか!」

望月は体をブルブル震わせながら、首をうなだれ緊張している。

「どうして嘘をつくんですか!」「・・・すいません」 望月は消え入るような声で
謝った。僕は諭すように言葉を続けた。

「望月さん、嘘をついてまでカッコつけるのはやめましょうよ。そんなことをしなく
たっていいんです。たとえカッコ良くなくたっていいんですよ。ありのままの姿を見
せてくれれば、僕はあなたを受け入れますよ。もっと正直になって、お互いにこれか
ら仲良くしていきましょう」

「はい、わかりました・・・本当にすいませんでした」 望月は素直に返事をして、
飲みかけの水割りをグイッと飲み干し、逃げるように帰っていった。

終わった。僕は胸を撫で下ろした。彼を八方ふさがりにしてしまったのは申し訳なか
ったが、平気で嘘をつく彼を許せなかったのだ。もう望月はこの店に来ることはない
かもしれない。しかしそれも仕方ない。自分で掘った墓穴なのだから。

ところが、あろうことか望月はさっそく次の日に現れた。しかも昨日のことなど何も
なかったように明るい。

「こんばんわ。やだなあ鳴海さん、昨日のあれは冗談ですよ、冗談、はっはっはっ」

あっ、もう嘘をついてる。だめだこりゃ。望月に開いていた筈の僕の心の扉がす〜っ
と閉じていくのをはっきりと感じながら、僕はその場を後にした。<END>

                            (2000年2月10日)