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★ 平気で嘘をつく男たち(3) 浅はかな思惑
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僕は23歳の時、六本木の本格BARの責任者に抜擢された。それまでは同系列の、
JAZZ BARに勤務していたのだが、その店は本格的なBARではなかったので、
転勤を命じられたときは、果たして僕に務まるのだろうかと不安を覚えた。しかし、
JAZZ BARの女性店長の恋人であり、僕も顔見知りだった平芝良二が、深夜の
アルバイトとして一緒に働いてくれることになったのが、僕にはとても心強かった。平芝は僕より1つ年上で役者志望の男だった。彼は日焼けした精悍な顔立ちに口ひげ
を蓄え、年齢よりもかなり大人びて見えた。見た目よりもずいぶん細やかな神経の持
ち主で、人当たりの良い好青年である。サービス業はこれが初めてということもあり、
仕事の覚えは遅かったが、持ち前の卓越した話術で常連客をどんどん増やしていった。平芝はとても穏やかな性格なのだが、高校生時代は手の付けられないワルガキだった
らしい。殴り合いの喧嘩も日常茶飯事だったそうだ。現在の、むしろ気が弱そうで、
おどおどした印象の彼からは想像もつかないような武勇伝の数々を、僕はいつも驚き
ながら聞いていた。人は様々な顔を持っているのだなあと、ただそう思っていた。平芝はとても真面目に働くのだが、遅刻が非常に多かった。彼は車通勤をしていたの
だが、遅刻理由は車に絡んだものがほとんどだった。ガス欠、タイヤのパンク、エン
ジン故障、渋滞、路駐場所が無いなどで、これらの理由を繰り返していた。当時は携
帯電話が普及していなかったので、こちらから連絡することも出来ず、彼が現れるの
を今か今かと待つばかりだった。平芝の遅刻の多さにはいつも頭を悩まされていた。ある金曜日の深夜、店がとても忙しいときに限ってまた平芝は現れない。早番のアル
バイトは深夜0時に帰ってしまっていたので、1人少ない人数で四苦八苦しながら切
り盛りしていた時だ。平芝から電話がかかってきた。「鳴海君? 平芝だけど、どうしようどうしよう、ああ(嗚咽)、今、事故っちゃっ
て。弟が運転してたんだけど、弟が血だらけなんだよおおお(嗚咽)。救急車を呼ん
だんだけど、来なくて、なかなか来なくて、ううっ(嗚咽)、どうしよう、俺がいけ
ないんだよお(嗚咽)。あっあっ、10円しか入ってないから、切れちゃ(ブツッ)」それっきりその日は連絡がないまま欠勤してしまった。次の日、平芝に「あんなふう
に切れたまま、それっきりってのはないでしょ。こっちも心配してるんだからさ。ま
ったくもう、頼むよ!」と叱ってしまった。平芝は「ごめんよ、ごめんよ」と平謝り
に謝るばかりだった。幸い弟さんは命に別状はなく、しばらく入院生活を送ることに
なったそうだ。数日後、同系列店の店長が当店に飲みに来た。彼はとても優秀な社員で学ぶべき点が
多く、僕はとても尊敬していた。彼は平芝の知人で、つき合いも古い。その彼が僕に
言った。「平芝が事故ったんだって? あいつよく事故るんだよ。同乗者はたいてい血だらけ
で、平芝はいつも無傷なんだ。どうしてかわかるか? 嘘なんだよ、そんな話。でも
あいつ、細かい嘘はよくつくけど、気が小さいから大したことにはならないよ。根は
悪いヤツじゃないから、まあ上手に使っていけよ。それから、あいつ昔はワルだった
とか言ってなかった? あっ、言ってた?やっぱり。あいつがそんな男に見えるか?
その話も嘘に決まってるよ」言われてみればその通りかもしれない。でもその時は全てを鵜呑みにするのは憚られ
た。平芝はあの時、電話の向こうで確かに泣いていたのだ。しかし、この店長の言っ
ていることがもし本当だったらと思うと不安になり、逆に真相を究明することを避け
てしまった。その後、平芝は次第に遅刻も減り、これらの事は記憶から薄れていった。数年後、平芝は西麻布に新たに出店するBARの店長に抜擢され、オープン準備のた
め当店を去った。僕は、原宿店(CAFE&BAR)の店長が辞めてしまったので、
次期店長を育成するために2店を掛け持ちで見ることになった。各店には通称「ママ」と呼ばれているオーナーの奥さんが1日30分程、見回りに来
て、その時にショートミーティングを行うのが日課となっていた。ある日、ママが平
芝のことを話し始めた。「マスター(オーナー)が毎日、平芝と一緒に新店のオープン準備をしてるんだけど、
マスターがね、平芝はよく嘘をつくって言うのよ。彼に頼んでおいた仕事がいつも終
わっていなくて、他の従業員に頼んだのに、あいつがやってないんだって責任転嫁ば
かりするらしいの。その嘘があんまり見え見えだから、こんな奴だとは思わなかった
って、マスターが悩んでるのよ。平芝は前から嘘つきだったの?」「う〜〜ん、些細な嘘はついていたかもしれませんが、あまり気にはなりませんでし
たけど」と僕は言葉を濁した。ママは「先が思いやられるわ」と意気消沈して帰って
いった。その日の深夜、六本木店に戻った僕は、従業員に平芝のことを話した。すると従業員
全員が「平芝さんは嘘をよくつきますよ」と言うのだ。「鳴海さんはわからないと思いますよ。だって平芝さんは鳴海さんにわからないよう
に嘘をついてますからね。鳴海さんが平芝さんに頼んだ仕事は、全部僕たちがやらさ
れるんです。それをさも自分がやったようにいつも言ってますからね。それと・・・
いえ、何でもありません」従業員が言葉を濁すので、僕は「それと、なに?」と話しを促した。彼は意を決した
ように話し始めた。「それと・・・僕たち全員、平芝さんには接客を潰され続けてきましたから」
「えっ? どういうこと?」
「僕が女性のお客様を接客していて話が盛り上がった時に、他のお客様に呼ばれて少
し席を外すと、そこへすかさず平芝さんが寄っていって女性にボソボソと何か言うん
です。僕がその女性のところに戻ると、さっきと違って明らかに態度がよそよそしく
なってるんですよ。そんなことがよくあります」「平芝はいったい何て言ってるの?」
「あいつはいつも店でナンパしてるから気を付けた方がいい、とか、性病にかかって
るんだ、とか、実は妻子持ちで奥さんとトラブッてばかりだとか言ってるんです。僕
はナンパしようと思ってるわけじゃないのに、片っ端から潰して廻るんですよ。30
秒もあれば潰されちゃいますね。それを聞いたお客様は、みんなすぐに帰っちゃいま
すよ」なんてことだ。僕は息を飲んだ。バーテンダーとしてあるまじき行為ではないか。平
芝はいったい何を考えているんだ。次の日、僕は「従業員潰し」の真偽を確かめるために平芝に会った。僕が問いつめる
までもなく、平芝は少しも悪びれずにその事実を認めた。なぜそんなことをお客様に
言うのかという僕の問いに、「だってあんな奴らに引っかかったら、女の子が可哀想
じゃん」と平芝はあっさりと答えた。僕がいくら従業員はナンパしているわけじゃな
いと説明しても、彼にはわかってもらえず「いいんだよ。あんなの先に潰しておけば」
と冷たく言い放った。その日の平芝は僕が知っている彼とは別人のようだった。普段の人柄の良さは影を潜
め、険しい表情でいらついている。貧乏揺すりをしながら宙を睨み付けているその姿
に、僕は背中に冷たいものを感じ、それ以上この話題を続ける気にならなかった。僕はその日、原宿店勤務だったのだが、平芝のことが頭から離れず仕事に身が入らな
い。漫然と1日を過ごしてしまった。レジ締めを終えて従業員にコーラを振る舞い、カウンターにぼんやりと座っていると、
「あの、ちょっと聞きたいことがあるんですけど」と、従業員の1人が話しかけてき
た。「鳴海さんは、六本木店でも従業員に店のコーラを振る舞ったりするんですか?」
と聞いてくる。妙な質問をするなあと思いながら「うん、するけど。どうして?」と
尋ねると、彼は急に勢いよく話し始めた。「ちょっと小耳に挟んだんです。六本木店の従業員が、カクテルに使って残ったコー
ラを飲んでもいいかって鳴海さんに尋ねたら、お前に飲ませるコーラはないって言っ
て、中身を捨ててしまったというのは本当ですか?」「なにそれ?」 僕は全く身に覚えのない話に驚いた。「いったい誰がそんなこと言
ってたの?」と尋ねると、彼は少し躊躇してから答えた。「平芝さんです」「時々、原宿店と六本木店の人たちで、仕事が終わった後に一緒に食事をしますよね。
その後、平芝さんの車で送ってもらうじゃないですか。鳴海さんは一番最初に車を降
りますよね。その後、平芝さんはいつも鳴海さんの悪口を言ってるんですよ。それを
聞いてたから、鳴海さんは怖い人なんだなって思ってました。だから鳴海さんが原宿
店に来るって聞いて、みんな嫌がってたんです。でもしばらく一緒に仕事をしてます
けど、平芝さんが言ってたような人じゃないんですよね。何かおかしいなと思って、
それで聞いてみたんです」なんということだ。僕も潰されていたのか。それもずっと前から・・・
平芝はいつも僕を慕ってくれていた。僕も彼のことを慕っていた。親友だとさえ思っ
ていたのだ。それがどうだ。とんだお笑いぐさである。「平芝は他にどんなことを言ってた?」
「年末に本店からヘルプで来てた佐伯君を狂わせたのは鳴海さんだって言ってました。
つき合ってた彼女が死んじゃった話を佐伯君がしようとしたら、鳴海さんは、仕事に
関係ない話をするな、そんなこと知ったこっちゃ無いって叱りつけて、それが原因で
佐伯君はどんどんおかしくなったって、そう話してました」僕はショックで目の前がグラグラと揺れた。平芝はものすごい嘘をついていた。本店
の店長は平芝の恋人である。その上、オーナーもママも平芝と親しい。この話は当然
みんなにも知れ渡っているのだろう。僕は完全に陥れられていた。腹の底から怒りと悲しみが憤然とこみ上げてきた。あんなに仲が良かったのに。あれ
は全て演技だったのか。ずっと僕を憎んでいたのか。僕は激しい人間不信に陥った。次の日、僕は抜け殻のように生気を失ったまま、1日中、平芝のことを考えていた。
何も手につかず、ぼんやりと空を見つめて溜息ばかりついていた。平芝に事の真偽を
問いつめる気にもならない。従業員の話は全て本当なのだろう。そんな僕の心中も知らず、隣ではママが堰を切ったように平芝を論っている。「もう、
嘘ばっかりついてるのよ。嫌になっちゃうわ。どうしたらいいのかしら」 ママの畳
み掛けるような不満の洪水も、僕の耳には届かなかった。その時、僕はある出来事を
思い出していた。1年前のことだった。ママが友人と六本木店で飲んでいた。その日は珍しくママが泥
酔しており「平芝! 車で家まで送れ〜!」と騒いでいる。営業中だったが仕方なく
平芝にママを送らせたのだが、平芝はその日、店に戻って来なかった。次の日、平芝
に戻ってこなかった理由を尋ねると、泥酔して帰ったママとマスターが喧嘩を始め、
その仲裁をしていたとのことだった。それから1週間後、仕事を終えてみんなでくつろいでいたとき、平芝が突然「もう我
慢できない! 話したくて仕方ないよ。ねえ、絶対にママに言わないでね」と言って
興奮しながら話し始めた。「この間、ママとマスターの喧嘩の仲裁をしてたって言ってたけど、あれ嘘なんだ。
本当はね、送っていく帰りにママにホテルに誘われたんだよ。ラブホテルの前の信号
で止まってて、青になって発車したとたん、ママがここへ入れ!って言ってハンドル
を切ったんだ。もうビックリしちゃってさ、ママまずいですよって言ったんだけど、
私に恥をかかせるな!って言われて、結局、チェックインしちゃったんだよ。ママは
ベッドじゃすっごく可愛いんだ。しがみついてきたりして、思わずオレも抱きしめち
ゃった。前からママのこと好きだったから、嬉しかったなあ。ごめんね、変な話しち
ゃって。ママには絶対に内緒だよ」その話を聞いていた僕たちは、「へ〜っ、そうだったんだ。でも元々仲が良かったも
んね」といった程度の反応で、あまり興味を持たなかった。僕の隣で今、平芝の不満を漏らしているママは、本当に平芝とそんなことがあったの
ろうか。もしかしたらこれも嘘かもしれない。ぼんやりとそう思った瞬間、僕はハッ
と我に返った。そうだよ、これも嘘かもしれないじゃないか。「あの・・・ママ、ちょっとお聞きしたいことがあるんですが」
「なあに?」
「あの、今からお話しすることが、もし本当のことだったなら、僕は一生誰にも絶対
にいいません。でも、もしかしたらこれも嘘だったのかなって思って・・・」ママは笑いながら、じれったそうに「何よお、言いなさいよ」と僕を急かした。
「平芝はママとラブホテルへ行ったことがあるって言ってました」
「ぎゃああああああああああああああああ」
ママは激しく取り乱し、絶叫が店内に響き渡った。僕は慌てて「落ち着いて下さい、
落ち着いて下さい」と言いながら必死でなだめた。ママは鬼のような形相で目は真っ
赤に血走り、ハンカチを握りしめた手を大きくブルブルと震わせている。「そんなことするわけないでしょ!」と、ママは僕を睨み付け「あいつはいつそんな
こと言ったのよ! 他に誰が聞いてたのよ!」と詰め寄った。「1年ぐらい前です。聞いていたのは5人でした」と、その場にいた者の名前を告げ
た。ママは首を振りながら大きな溜息をついた。その5人の中にママと折り合いが悪
くて退社し、当店の近くのBARで働いている者がいたからである。この話が外部に
まで漏れていることを悟ったのだ。「何でそんな嘘を信じるのよ!」
「まさかそんな作り話をするとは思わないじゃないですか。実際、ママと平芝は仲が
良かったし」ママは大粒の涙をポロポロとこぼしながら、絞り出すような声で「あいつ、絶対に許
さない」と言って、手に持っていたハンカチを握りつぶした。次の日、平芝は店をクビになった。
平芝はママとの親密な関係をねつ造することにより、僕たちより優位な立場に立って
いることをアピールしようとし、結局、その嘘で自分の首を絞めてしまったのだ。僕
を陥れようと画策し続けた平芝をこの手で葬り去ることが出来たのが、不幸中の幸い
だと思っている。その後、平芝はつき合っていた本店店長にも振られてしまった。現在、どこかの空の
下で相変わらず虚栄を張り、懲りずに同じ事を繰り返していることだろう。<END>▼嘘つきと仲良くつき合っていく方法
3回に渡ってお送りしたシリーズ「平気で嘘をつく男たち」だが、ここに取り上げた
男たちに共通しているのは、3人とも非常に底の浅い人間だということだ。実力が伴
わないから穴埋めに嘘をつく。理想と現実のギャップを埋めるためには嘘をつくしか
ないと考える浅はかな人間たちである。また彼らは、正直になることが辛くて苦しい
ことだと考えている。正直は実は自分がとても楽になれる手段だということを知らな
い哀れな人間たちでもある。彼らはほんの些細な事でも、保身のために反射的に嘘が口をついて出てきてしまう。
もう嘘をつくのは止めようと思っても、本能的に「嘘をついてその場を凌がなきゃ」
という信号が発信されてしまうのかもしれない。きっと幼い頃からその場凌ぎの嘘を
繰り返してきた結果、未だに嘘をつき続けてしまうのだろう。これはもはや性質なの
だ。嘘つきに対する決めつけはこのくらいにして、現在も様々な嘘をつく人々に出会う。
嘘つきとはつき合いたくはないが、こちらに選択権は与えられてはいない。誰がいつ
どんな嘘をついているかを見破る判別眼を磨いて対応するしかない。そのためには実
地訓練が必要なので、嘘を見破るトレーニングだと思えば嘘つきとの共存は可能であ
る。嘘を見破ることが容易になってきたら、今度は嘘つきをどこまで許すことが出来るか
自分の精神的許容量をUPさせることが必要となる。簡単に切り捨てられる相手でな
かったなら、どこまで嘘つきを容認することが出来るか、チャレンジしなくてはなら
ない。嘘つきを受け入れる方法は、嘘つきに対して感謝の気持ちを持つことである。嘘が上
手すぎて見破ることが出来ない相手の言うことは、嘘でなく真実に映ってしまう。そ
れが間違った情報だったなら、いつか別の場所で喋って恥をかくどころか、今度は自
分が嘘つきにされかねない。だから、わかりやすい嘘をついてくれてありがとうと、
感謝の気持ちで接しよう。嘘つきが上司や経営者だったら、その会社に従事するためには嘘を嘘で制しよう。と
いってもせいぜい「嘘も方便」の範疇に留めなければならない。嘘に真っ向から立ち
向かうと必ず角が立つので、騙されたフリをして自分の「おとぼけ度」を楽しむこと
で、不満はある程度解消できるはず。いちいち真に受けていては体がもたないのだ。嘘つきにはこれ見よがしに親切にしてあげるのも効果的。嘘つきは寂しがり屋が多い
のだ。自分が認められていると実感できれば、嘘もそうそうつかなくて済む。嘘が減
ればこちらのストレスも減少する。ただし嘘つきは、どんなに親切にしてもまた必ず
嘘をつくので、その時に「このヤロー」と思わない優しさと諦めが必要。
(2000年2月20日)