■ 従業員同士の感謝の言葉

当店に新たに入ったアルバイトはバーテンダー希望者でも、最初はホール係として働
いてもらう。ホールで的確な良い仕事を行えない者は、まずカウンターは務まらない。
ホールで他の者たちと競い合い、人より優れた仕事を行えるようになった者から順に、
カウンターへ入れている。

バーテンダーが、注文されたドリンクを作ってホール係に「お願いします」と渡す時、
今まで他店でアルバイト経験がある者は、それを「ありがとうございます」と言って
受け取る。一見、何でも無いように見える光景だが、これはとんでもない間違いだ。
新人にはまず間違った感謝の言葉を言わせないようにしなければならない。

「僕たちは注文されたドリンクを作って君たちに渡すのが仕事。君たちはそのドリン
クを受け取ってお客様の元へ運ぶのが仕事。つまりお互いに当然行わなければならな
いことを行っているんだから、そこに感謝の言葉を言う必要はないよ。もし君が、先
輩バーテンダーが『お願いします』と言ってくれるのだから感謝の気持ちで接したい
と考えるなら、『ありがとうございます』という気持ちを込めた良い『はい!』とい
う返事をしてほしい」

僕がこう言うと新人バイトは目を白黒させて驚く。なんせ感謝の言葉を否定されるの
だ。彼らは今まで働いていた店で、従業員同士でもきちんと感謝の言葉を交わすよう
にと指導され、「ありがとうございます」と言うことが“良いこと”だと思って行っ
ていたのである。驚くのも無理はない。

なぜこの場合に『ありがとうございます』と言ってはいけないのか。それは逆の状況
を考えるとわかりやすい。

先輩バーテンダーが、お客様のテーブルから空いたグラスと皿を下げてきた。そして
洗い場にいる新人に「お願いします」と言って渡す。新人はそれを「ありがとうござ
います」と言って受け取る。どうだろう。下げ物を受け取って「ありがとうございま
すと感謝するなんておかしな話だ。

つまりこういう場合の「ありがとうございます」には先輩後輩の立場関係が現れてし
まうのだ。従業員同士は何の違和感も覚えずに(むしろ気持ちよく)発しているかも
しれないが、その場をお客様が見ていたら、果たしてどう思うだろう。何も感じない
お客も多いかもしれないが、

「この店は上の者が下の者に不条理な『ありがとうございます』を言わせている傲慢
な上司(もしくは責任者)のいるダメな店」

と思う方が少なからずいらっしゃるだろう。わずかなお客様にも決して不満や違和感
を抱かせてはならないのだ。

上記の例での「お願いします」の意味は「よろしく」ということだ。「よろしく」に
対しては「はい、わかりました」が正しい。しかし仕事中の忙しい時にはいちいち長っ
たらしく言っていられない。「わかりました」を省略して「はい」となる。

こういう話を新人にすると、最初は驚くものの、なるほどそうだったのかと理解して
くれる。では今までの「ありがとうございます」の気持ちを込めた「はい!」と良い
返事をするようになるかというと、そうはならない。感謝の気持ちのこもらない返事
だったり、小声で聞こえない返事をしたり、返事をしなかったり、に替わるのだ。

その様子を見ていて、彼らは今までどういうつもりで感謝の言葉を発していたのだろ
うと疑問に思う。もしかしたら「ありがとうございます」をただの合言葉のように言っ
ていただけなのか。それとも「はい!」と良い返事をするのに慣れていないのか。

どちらにせよ、良い仕事はきちんとした返事ができなければ成り立たない。これ以降、
新人が「はい!」とはきはきと感謝の気持ちを込めた返事が言えるようになるための
教育が始まる。

                            (2006年2月17日)


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